「報告は済んだか?」
酒場を出ると、喧騒を嫌い外で待っていたムルが声をかけてきた。目深に被ったフードの奥に隠された青い瞳が、ジェニィの姿を捉え、止まる。
「あらっ、この方がムルさんかい!? キャンの母のジェニィです~! 息子が大変お世話になってます~!」
「……」
ジェニィの怒涛の挨拶にムルは完全に固まっている。数秒の後、ムルはぎこちなく会釈だけを返した。
「かーちゃん、ムルが困ってるだろ!」
「やだあたしったらごめんなさいねぇ~!」
ジェニィはあっはっはと豪快に笑うと、パンパンと手を叩きシマノたちに声をかける。
「さぁさ、立ち話もなんだ、皆さんウチでお昼でも食べてっとくれ!」
既に日は高く昇りきり、お昼の時間を大分過ぎている。風の魔物や亀裂のことですっかり忘れていた空腹が急激に蘇り、シマノのお腹に豪快な音を立てさせた。
「アッハハハハ~シマノ腹ペコじゃねーか!」
散々笑い転げているキャンだったが、こちらもシマノ同様、いやむしろ上回る音量でお腹の虫が吠えた。
「ほらほら、二人とも早くいらっしゃい! ユイさんとムルさんも!」
「ごめんなさい、ジェニィさん。私の身体は食事を必要としません」
「我もだ」
二人に断られ、そうなのかい……とがっかりした様子のジェニィを見て、シマノは何だか申し訳ないような気持ちになった。
とはいえ、この騒がしい親子に対して自分一人ではあまりにも心許ない。せめてニニィがいてくれたら。
「あらぁ、じゃぁニニィちゃんがご一緒しちゃおうかしら♡」
待ち望んでいたその声に、シマノもユイもムルもキャンも振り返る。鮮やかな桃色のストレートロングヘアー。上向きにピンと尖った耳。パッチリとした大きな瞳にぷにぷにのほっぺた。
「ニニィ!!」
シマノたち四人が一斉にニニィに駆け寄り、ジェニィもその後に続いた。
***
「さぁさ、遠慮せずたぁんと食べとくれ!」
次から次へと食卓に並ぶ大皿、大皿、大皿。思わず胃をさすりながら、一人じゃなくてよかった、と心の底から実感するシマノであった。
だが、シマノの自身の胃に対する心配は杞憂に終わるかもしれない。次々と並ぶ料理を、これまた次々とキャンが平らげていくのだ。いったいその小柄な身体のどこに大量の食材が格納されていくのか。シマノもニニィもただ呆然と見守ることしかできなかった。
酒場から歩いてすぐのところにあるキャンの家は広く、母子二人には手に余る数の部屋を有していた。ジェニィのご厚意に甘え、今日はその部屋をいくつかお借りして寝泊まりすることになっている。食事を取らないユイとムルは一足先に部屋で休んでいるようだ。
「ウチは五人兄弟だったからね。他の子たちはもうみんな出ちまったけどさ」
思う存分料理の腕を振るいきったのか、満足した様子のジェニィがようやく食事の席についた。
「兄弟って、結構歳離れてるんですか?」
「何言ってんだよシマノ。兄弟なんだからみんな一緒だろ」
「コラッ失礼な口きくんじゃないよ! ごめんなさいねシマノさん~。あたしらは一度に三、四人産むのが普通なのさ。外の人はそうじゃないんだろ?」
恐らく元となっている獣の種類にもよるのだろうが、獣人とヒトとの生態の違いにシマノは素直に感心した。
同時に、年齢が同じなら何故キャンだけが残っているのか、という疑問が浮かぶ。
「この町の子はみんな年頃になったら修行の旅に出ていくのさ。一人前の獣の戦士になるためにね」
シマノの疑問を見越したかの如く語りだしたジェニィに、シマノもニニィも黙って耳を傾ける。
「ただ、この子は身体が小さくてねぇ。力も無いもんだから送り出そうにも心配で」
「まあ、そうだったんですねぇ……」
ニニィが共感して頷いてみせる。当のキャン本人は、そんなやり取りを全く意に介さず一心不乱に食事をかき込んでいるが、その耳は赤く染まっている。
「おまけにこの子ったら勇者になるんだー、パーティを組むんだーって、言い出したらもう聞かなくて。そんなこと言ったって組んでくれるような人もいないし、毎日毎日酒場に行ってはがっかりして帰ってきてねぇ……」
「ごちそうさま! おやすみ!」
ジェニィの話を遮るように大声で言うと、キャンはそのまま勢いよく自室へと戻っていった。
「寝る前にハミガキしな!」
ジェニィの言葉が聞こえたのかいないのか、キャンの部屋の扉がバタンと大きな音を立てて閉まった。
「シマノさん、キャンとパーティを組んでくれて本当にありがとうございます。どうか、息子をよろしくお願いします」
改まって深々と頭を下げられ、シマノも、さらにつられてニニィも頭を下げた。
「お茶でも淹れましょうかね。どうぞゆっくりしてってちょうだいね」
ジェニィが淹れてくれたお茶を湯呑みから啜り、シマノとニニィは満腹感に浸りながらぼーっとしていた。ジェニィは食事の片づけを手早く終えると、二人に先に休むと告げ寝室へと向かったようだ。
「あたし、ゼノのアジト行ってきちゃった」
予想外の告白に、シマノは危うく口に含んだ茶を吹き出すところだった。
「ゲホッゴホッ……なっ、なんでっ!?」
「だって、しょうがないじゃない? 亀裂に飛び込んだら、何故かあたしだけアジトにいたんだもん」
呑気にお茶を啜りながら、ニニィは事も無げに答える。
「だ、だからって」
「そ・の・代・わ・り、とっておきの情報、手に入れてきちゃった♡」
そう言うとニニィはシマノの耳元に顔を寄せ、こしょこしょと内緒話を始めた。
「ぶぁっ、く、くすぐったいんですけど!? てか二人きりなのにこれ要る!?」
「雰囲気出るかなーって思って♡」
「王都のお姫様。ちょうど今この近くにいるみたい」
改めて伝え直してくれたニニィに感謝しつつ、シマノはその情報に喜んだ。あの姫様ならこちらの味方になってくれる可能性が高い。御付きの従者は正直怖いが、会いに行く価値はありそうだ。それに、単独行動を好む姫様なら従者を連れずに出歩いているかもしれない。
「ナイスニニィ! んで、どこにいるの?」
「ここよ♡」
マップが自動で開き、獣の町のすぐ近くに星印が現れた。
「すぐそばの廃村よ」
「廃村……? なんでまたそんなところに……」
「さあ?」
「まあいいか。とにかく善は急げだ。明日みんなでその廃村に行ってみよう」
「おっけー♡」
ニニィは元気に返事をしたかと思うと、ぴょこんと椅子から下り、
「じゃああたしはもう寝るわね。おやすみ~」
背を向けたまま手を振って部屋へと去っていった。
その姿を暫く見送り、ぬるくなったお茶を飲んでいると、シマノの脳裏にふと疑問が浮かんだ。
「ゼノのアジトに行って、なんで姫様の情報が手に入るんだ?」
まさか、ゼノと王家には何か関係があるとでもいうのだろうか。その辺りも含めて確かめた方が良さそうだ。
シマノは湯呑みに残った茶を一息に飲み干し、明日に備えて寝床についた。
***
「いた! あいつが姫か!? おーーーーい! 姫ーーーー!」
獣の町を出発し、十分程度歩いたところに目的の廃村はあった。そして、そこで何やら調査を行っている様子の姫様の姿も。
敬意の欠片も感じられないキャンの呼びかけに、姫様はぎょっとした顔でこちらを振り返った。だが、声をかけてきたのがシマノたちだとわかるとその表情は緩み、そのまま親し気にこちらに近づいてきた。
その背後に、屈強な従者ウティリスを従えて。
「うげっ……あの従者いるのか……」
シマノの顔色が露骨に青ざめる。それに全く気付いていない姫様は、シマノたちに気さくに声をかけてきた。
「皆さん、ごきげんよう。こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね」
今日の姫様も例によってお忍びスタイルだ。薄汚れた粗末な帽子と外套を身にまとい、金色の髪を帽子の中にしまい込んでいる。
彼女の金色の瞳が、初対面の獣キッズの姿を捉えた。
「あら、こちらの方は……?」
「オレ、勇者キャン! シマノたちとパーティ組んでる、しょーしんしょーめーの勇者だぜ! よろしくなっ!」
キャンの無礼すぎる自己紹介が、ウティリスの額に青筋を立てさせた。
「よろしい。まずはこの躾のなっていない小僧から八つ裂きにしてやろう」
「ガキ扱いすんじゃねーよ、オッサン!」
駄目だ、キャンとこの従者は圧倒的に相性が悪すぎる。横で見ていたシマノの胃は早くも限界を迎えていた。
「ウティリス、おやめなさい。子ども相手に恥ずかしいですわよ」
「キャン、この人は社会的身分が高い。丁寧な口調で話すことを推奨」
双方諫められ、一旦この場は収まったようだ。協力を申し出るなら今しかない。シマノは恐る恐る手を挙げた。
「あ、あのー……俺たち、ファブリカに戻ったり、お城で鉱石の交渉をしたりしたいんですけど、姫様を攫った罪で追われてて難しくて……何とか助けてもらえたらなー、って……」
ウティリスが今にも八つ裂き選択肢ウインドウを出さんばかりに睨みを利かせてくる。怖すぎるが、ここで退くわけにはいかない。早くファブリカに戻って、ユイを完全に修理してもらわなくては。
姫様は下を向いて暫く何事か考えているようだったが、やがて顔を上げ、シマノに告げた。
「条件がありますわ」
そのまま姫の視線が真っ直ぐムルを射止める。
「ムルの力を、貸してくださらない?」
意外だった。ムルの、すなわち地底民の力が調査に必要だということだろうか。
とはいえ、あまりにも条件が漠然としすぎている。これではムルも判断に困るだろうと考え、シマノは姫様に詳細を問いただすことにした。
「えっと、姫様? 具体的にどういった……」
「断る。話は以上だ」
シマノの言葉を遮り、ムルが拒絶の意思を見せた。突然の事に全員の思考が停止する。
「……聞こえなかったか? 断る、と言った。これ以上話すこともない」
ムルはそれだけ告げると、その場から一人で去ってしまった。姫様と、今にもすべてを八つ裂きにせんと指を鳴らすウティリスを前に、シマノたちは今一度この場を収めなくてはならない。