「あなたが、あれを見せたの?」
薄暗い室内。石造りの壁にニニィの声がほのかに反響する。
「ええ。お気に召しましたか?」
眼前の男、ゼノの幹部エトルは小首を傾げながらニニィに尋ねた。ニニィとこの男以外誰もいないこの部屋は、恐らく北方の山岳地帯にあるゼノのアジト――その内部だろう。
「いい趣味してるわね」
「これはこれは。お褒めに預かり光栄です」
ニニィの皮肉もさらりとかわし、エトルは余裕な態度を崩すことなく座っている。ニニィはその様子に苛立った。
だが、ここで相手のペースに巻き込まれるわけにはいかない。謎だらけの組織ゼノについて、そしてエトルの圧倒的な強さの秘密について、少しでも情報を得ておく必要がある。せっかく相手の方から近づいてきてくれたのだ。利用できるものはとことん利用してやらなくては。
「あたし、昔の話って誰にもしたことないのよね。どこで嗅ぎ付けたのかしら?」
「それは内緒です。ただ、少なくとも今の僕には貴女の過去が全て筒抜けになっている、と考えていただいて差し支えありません」
厄介な相手だ。ニニィは心の中で舌打ちをする。
先ほどまで見せられていた幻の内容から、恐らくこの男は他人の記憶に干渉する能力があるのだろう。全て筒抜け、というからには記憶を丸ごと覗き見ることが出来ると考えて良さそうだ。
兎にも角にも、まずはこいつに接近するべきだろうとニニィは考えた。相手の目を見る、もしくは身体に触れること。長年の経験で、ニニィは「情報盗み」を
「動かない方がいいですよ」
ニニィの狙いを読んだのか、エトルが先んじて釘を刺してきた。
「その魔法陣には、結界を施してあります。外に出ることはお勧めしません」
足元の魔法陣がバチッと火花を散らす。奴の言うことはハッタリでは無さそうだ。
とはいえ、このままでは奴に触れることが出来ないし、フードを目深に被った奴の目を覗き込めるとも思えない。何とか打開の糸口を見つけ出すか、一か八かで盗んでみるか、だ。
「ズルい人。あたしをこんなところに連れてきて、何をさせるつもりなの?」
ニニィは長い髪を指先に絡めながら、挑発的に相手を見つめる。
「別に何も。少し、貴女の能力に興味がありまして」
エトルはニニィの仕草などまるで意に介していないかのように落ち着いた様子で答えると、少し間を置いて不意に椅子から立ち上がった。
「貴女の過去、興味深く拝見しましたよ。これまで随分と苦労されてきたようで。さぞ、お辛かったでしょう」
そのどことなく芝居がかった口調に、ニニィは思わず怒りを露にする。
「馬鹿にしているの?」
「いえ。寧ろ、お力になりたいと思いまして」
エトルは一歩、また一歩と大周りにニニィの立つ魔法陣へと近づく。そして魔法陣のすぐそば、ちょうどニニィの右隣の辺りまで歩くと、前を向いたままニニィに顔を向けずに口を開いた。
「『ピクシー狩り』の首謀者探し、我々ゼノにお手伝いさせていただけませんか?」
エトルの言葉を受け、ふっ、とニニィが笑う。
「お気持ちだけで結構。これはあたしの問題だから」
ニニィの言葉に、今度はエトルが笑った。
「貴女の知らない情報を、僕たちが知っている。と言ったら?」
「口先だけじゃ、信じてあげられないわね」
「では、お近づきの印に一つだけ、貴女にお伝えしましょう」
そういうとエトルはニニィに向き直り、真っ直ぐ右手を差し出した。その手は魔法陣の結界を越えている。
罠だ。ニニィの直感がそう告げる。だが、今この手を取らなくては、一体どうやって情報を得られるというのだろう。
躊躇うニニィに、エトルがさらに言葉を重ねる。
「僕たちゼノは魔王様を崇拝し、現アルカナ王家に異を唱える者たちの集まりです。貴女たちピクシーのように立場の弱いものばかりが迫害され、搾取され続けるこの世界を、僕たちは決して許しません」
それでもまだ、信じていただけませんか? と、エトルはこれまでより僅かに寂しげな声でニニィに問いかけた。
ニニィは逡巡する――少なくとも、これまでのエトルの言葉に嘘はなさそうだ。王家のやり方を否定しているのも、ニニィの能力に興味があるというのも、いずれも本音だろう。
けれども、その真意が、彼自身の本当の狙いが、全く掴めないのだ。
「あたしは……」
差し出された手を前に、ニニィは次の行動を決断しなくてはならない。
***
「黒い本?」
相も変わらず落下を続けながら、ユイがシマノに問いかける。只今の二人の話題は、シマノが知の街サピの図書館で発見した黒い本についてだ。
「そーそー。それに触ったらさー、この世界に来る前の記憶がちょっとだけ戻ったんだよ。あと、何か序盤のセーブデータ? みたいなのも載ってたな」
「なるほど」
シマノの話を聞くと、ユイは口元に拳を当て、何か思案しているような素振りを見せた。
「ユイ、何か知ってる?」
「……分からない。ただ、セーブデータが保管されていることから、その本はシマノの記憶について重要なものであり、同じ役割の本は他にもあると推測。もし今後そのような本を発見したら、必ずシマノに報告する」
「ありがとう。助かるよ」
ユイの心強い言葉にほっとしたシマノは、今はもう遥か遠くなってしまった落とし穴の入口を見上げながら、ぼんやりと転移前の世界に想いを馳せてみた。
「俺、本当に社畜だったのかなぁ」
「しゃちく?」
「あー……仕事しすぎでヤバい人たちのこと」
「しゃちく……」
社畜の概念がいまいちピンと来ていないユイに、どうかそのまま知らずに生きていってくれと心から願うシマノであった。
「さ、そんなことよりスキルツリーだ」
改めてスキルツリーの続きを確認すべくウインドウを開こうとするシマノに、ユイが声をかける。
「シマノ、それは新スキルのこと?」
「うん。ツリーっていって、覚えられるスキルがこう……木みたいに枝分かれして描かれてるのが見えるんだ」
「……世界樹の神託」
聞き馴染みのない単語に、シマノの耳が反応する。
「世界樹の神託って?」
「
「なるほどな、それでスキルツリーの背景が世界樹だったわけか」
いわばこの画面は神託の再現というわけだ、と言いつつシマノはスキルツリー画面を見ようとウインドウを開いた。
「さてと、誰のスキルから見ようかな……って、何だこれ?」
画面遷移しようとしたシマノの指が、止まった。そこにはスキルツリーではなく、味方のステータス一覧が表示されている。
「シマノ、何かあった?」
「キャンのHPが……減ってる……」
ユイが驚き目を丸くする。シマノは急いでキャンの個別ステータス画面を表示した。キャンのHPはまたさらに減り、既に残り半分を切ってしまっている。
「まさか、一人で戦ってるのか?」
あのアホキッズ、と散々な悪態を吐きながら、シマノはキャンにスワップを掛けようとした。
「って、あれっ? 使えない?」
なんと、スワップの文字がグレーアウトし押せなくなっている。
「シマノ、距離が離れすぎているのかも」
焦って何度もタップするシマノを見て、ユイが冷静に声を掛けた。
「そうか、確かにそうだな……でも、このままだとキャンが……」
「今この状況の私たちに出来ることはない。とにかく地面に着いて、早く合流できることを祈ろう」
ユイの言葉に頷き、シマノは一人戦うキャンの無事を、落下しながら強く願った。
***
「痛ってててて……」
シマノの願いも虚しく、キャンは既にただ立ち上がるだけで精一杯な程度にはボロボロだった。
「こいつ……さっきから全然弱ってねーな……」
キャンの目の前には、戦闘開始からほとんどダメージを受けていない様子の巨大ミミズ。
それもそのはず、前衛適正のないキャンでは、巨大ミミズ相手に傷を負わせることなどまず不可能だ。
しかも、勇者の剣は地底湖近くの地面に刺さったまま。ムルからミミズを引き離すために距離をとったキャンは、実質素手で戦うことを強いられていた。
「くっそおおおお!!」
このように声を上げ、何度も闇雲に相手に突っ込んでは反撃され、こちらのダメージばかりが蓄積していく。
「けど……諦めねーぞ……!」
そう、勇者は諦めないのだ。大切な仲間を守るため、キャンは必死に歯を食いしばって何度も何度も立ち上がる。
ただ、このままではこちらの体力がもたない。何か逆転の一手を考えなくては。
「どーすりゃいいんだ……」
勇者の目の前に立ちはだかるミミズは、ひと回りもふた回りも大きく見えていた。