「おーい置いてくぞー!」
先ほど仲間になったばかりの獣キッズ「キャン」の声が遥か頭上から響いてくる。シマノたち一行は、次の目的地である採掘所を目指して今まさに岩山登山の真っ最中だ。
「ま……待ってぇ……」
パーティの最後尾で情けない声を発しているのがシマノである。アルカナに来る前のことをはっきりとは思い出せないシマノだが、たぶん運動は苦手なタイプだったのだろう。そう思わせる程度の疲労困憊ぶりだった。
「早くしねーと夜になっちゃうぞー」
キャンがここぞとばかりに煽りちらしている。その横を涼しげな顔でムルが追い越していく。
「あっ、こらっ、先行くなって!」
何が何でも先頭を歩きたいのか、キャンは慌ててムルの後を追っていった。取り残されたシマノを気遣い、ユイが歩を緩める。
「シマノは体力の限界が近い。私の背に乗ることを推奨」
そう言ってユイはシマノに背を向けてかがみ込んだ。
「おんぶってこと?」
ユイはさも当然といった風に頷いている。
「シマノ、早く」
「いやいやさすがにそれは無理だって!」
いくらなんでもシマノにだって男の矜持というものがある。機械製とはいえ自分より推定年下(?)の少女におんぶされるなんて情けなさすぎてとても耐えられない。
あまりにも必死で拒否してくるシマノに、ユイは少し戸惑っているようだ。
「シマノは私をおぶってファブリカまで運んだのでしょう?」
「それはそれ、これはこれ!」
シマノの的を射ない説明に、ユイはますますわからないといった表情を浮かべる。
「シマノがイヤならあたしをおんぶして~! あたしもうヘトヘト~!」
どうやらニニィにもこの山道はきつかったらしい。少し先を歩いていたところをわざわざ戻ってきてユイに泣きついている。仕方ないなとユイが僅かに微笑み、ニニィをおぶって歩き出した。
「また笑った……?」
修理から戻って以来、シマノにはユイの表情がほんの少しだけ柔らかくなったように思えて仕方ないのであった。
さて、そんなことより登山である。キャンとムルが先頭を歩き、ニニィを背負ったユイが続き、最後尾で息切れしながらシマノが何とか食らいついている。ユイは心配そうに時折立ち止まってこちらを見てくれてはいるが、それでシマノの疲労が回復するわけでもない。
「くっそー……これがゲームならスティック倒しとくだけなのに……」
ぶつくさと文句を言いながら、シマノはふと自分の言葉を反芻し立ち止まった。
「ゲームなら……?」
そうだ、確か移動時に使える裏技があったはず。シマノはしばらく道が真っ直ぐ続いていることを確認すると、くるりと真後ろを向き、そのまま後ろ向きに歩き出した。
「うおおおおお楽だあああああ」
プレイヤーが視点を固定したまま後ろ向きに移動すると、何故か移動速度が上がる。ゲームプレイ時に大変お世話になった定番グリッチだ。足取り軽く、シマノはずんずんと先へ進んでいく。あっという間にユイたちを追い越し、そのままの勢いでキャンたちに追いつこうとする。
「これならいくらでも登れそうだな!」
有頂天で歩くシマノは、とうとうキャンとムルに並んだ。
「お・さ・き~」
渾身のドヤ顔でキャンに手を振り、シマノは二人を追い越してさらに先へ進もうと加速する。その後頭部に前触れもなく強い衝撃が走った。
「ぁだっ!!」
突然の痛みにシマノは頭を押さえながらしゃがみ込んだ。振り向くと、シマノ一人分とほぼ同じサイズの岩壁が生えている。
「敵だ。止まれ」
ムルが生やしたばかりの壁を崩して手短に告げた。
「も、もうちょっと優しい止め方にしてほしかった……」
涙目で訴えるシマノに、ムルははて? と言いたげな顔で首を傾げる。その様子を見たキャンがゲラゲラ笑っているところに、ニニィとユイが追いついた。
「で、敵……って、どこなの?」
ニニィがそう言って辺りを見回す。シマノも同じく見回すが、確かに敵らしき姿はどこにも見当たらない。
「どうだ?」
「んー逃げたなー」
ムルの問いかけにキャンが答える。要するに、今この場に敵はいないということだ。
「ぶ、ぶつかり損……」
シマノががっくりと肩を落とし、ニニィがぽんぽんと背中を叩いた。
「でも、まだ近くにいるぜ?」
皆の前に出て鼻をヒクヒクと動かし、キャンは真っ直ぐ前方を指差す。
「あっちだ。採掘所の方にいる」
「へー、すごいなキャン」
シマノに感心されると、キャンは急に腕組みをし目を逸らした。
「べ、別に? こんなん全然大した事ねーし?」
そう言いながらも尻尾はブンブン千切れんばかりに揺れている。わかりやすいやつだ、とキャン以外の全員が思った。
「さ、採掘所はもうすぐそこだ! 行くぜっ!」
キャンの掛け声に続き、一行は採掘所へと向かっていった。
採掘所に入ってすぐ、広場のような場所で五人は戦闘態勢に入った。相変わらず敵の姿は見えないが、キャンの鼻が微かに敵の気配を捉えている。
「風の魔物か……みんな、油断せずに、」
岩山に入ってから情けない姿を見せてばかりのシマノは、ここぞとばかりに場を仕切ろうとしたのだが、
「よーし、皆の者、勇者キャン様に続けぇっ!」
キャンが率先して前に出、威勢よく剣を抜いた。出鼻をくじかれ、シマノはガクッと躓く。気を取り直してレンズをかけると、キャンの向かう先に顔マークが見えた。HPバーはまだ出ていない。どうやら敵はまだ戦闘状態に入っていないようだ。
冷静にひと呼吸し、前に出たキャンの様子を確認する。キャンは勢いよく出てみたはいいものの、その剣を持つ手はプルプルと震え、高く掲げたはずの切っ先が徐々に下がってきている。筋力不足だ。
「いよいよスワップの真価が試されるってわけか」
シマノの口角が上がる。蜘蛛女との戦いではうまく活用できなかったスワップを、今度こそ使いこなしてみせる。そう決意を固め、シマノはウインドウを開いた。だがスワップはまだスキル名がグレーアウトしていて、タップできない状態だ。戦闘中のみ使えるスキルなのだろうか。その時が来るのを、シマノはウインドウを開いたままじっと待つ。
突然、前方から猛烈な突風がシマノたちに吹き付けた。恐らく、剣を構えたままじりじりと敵に近づいていたキャンが、敵のエンカウント範囲に侵入したのだろう。戦闘開始。レンズの効果で見えていた顔マークの横に、長大なHPバーとMPバーが出現した。
「来る! みんな気をつけて!」
シマノの声で仲間たちは改めて戦闘態勢をとる。ニニィがキャンのすぐ後ろまで出てくると、ムルは詠唱を始め、ユイが中間地点に立ち、四基の小型発射機を射出して周囲を巡回させる。現時点で敵の位置を把握できているのはキャンとシマノだけだ。シマノはこれからスワップでキャンの火力を補いつつ、的確な指示を出して仲間たちを導かなくてはならない。
「まずはスワップだ」
シマノは早速キャンの力と精神力を入れ替えた。キャンの手の震えがぴたりと治まる。
「あれっ? オレの剣、軽くね?」
キャンは二、三回ぶんぶんと素振りをすると、得意げに頷き、もう一度剣を構えなおした。
「今日のキャン様は絶好調だぜ! 来い、風の魔物!」
来い、と言ったそばからキャンは全速力で敵に突っ込んでいく。迎え撃つんじゃないのか、とシマノは脳内でツッコミを入れた。
「ちょっと、あたしには見えないんだけど~!」
キャンの隙をカバーしようと一緒に前に出たニニィが嘆いている。とりあえず敵の位置を教えておいた方が良さそうだ。
「みんな! 敵はキャンが向かってる方にいる! キャンの動きをよく見て!」
「了解。それなら、こうする」
ユイが小型発射機を操作し、キャンが向かっている前方に照準を定めた。
「いつでも発射可能」
そう言ってユイはシマノの指示を待っている。キャンもシマノ自身も、敵の何となくの位置はわかるものの正確に姿が見えているわけではない。一旦ユイやムルに範囲攻撃をしてもらった方がいいかもしれない、とシマノは判断した。
「キャン、ニニィ、下がって! ユイの爆撃が来る!」
「はぁい♡」
「うおおおやっべー!」
二人が下がったのを確認し、シマノはユイに指示を出す。
「ユイ、なるべく土埃を立てるような、派手めの攻撃お願い」
「了解」
ユイの操作で、小型射出機から光の弾のようなものが次々と撃ち込まれていく。撃ち込まれた弾は地面にぶつかると炸裂し、辺りにはあっという間に土埃が充満した。その土埃の中に、ぼんやりと大きな魔物の影のようなものが浮かび上がってきた。
「……見えたぜっ!」
キャンが思い切りその影に飛び掛かり、上段に構えた剣を勢いよく振り下ろした。
「あれっ!?」
土埃の中でキャンの声が響く。確かにキャンの斬撃は風の魔物を捉えたはずだった。
「キャン、どうした!?」
「こいつ、斬っても斬っても全然斬れねー!」
キャンは風の魔物相手に剣を振り回しているようだ。しかし、魔物のHPバーに変化は一切見られない。物理攻撃が通用しないタイプだろうか、とシマノは咄嗟に思考を巡らせる。ユイの爆撃も当たったか当たってないか定かではないし、ニニィのダガーも効かないだろう。ムルの術が通じればいい方か。もし通じない場合は、ユイの初級呪文「
その時、風の魔物の顔マークに変化が生じた。戦闘開始からずっと怒り顔だったマークが、楽しそうに口笛を吹く顔に変化している。
「キャン下がって! 何か来る!」
シマノがそう言い終わるか否かの瀬戸際で、土埃の中に小さな竜巻が発生した。
「うおっと!」
キャンは獣人特有の素早さでギリギリ竜巻をかわしたようだ。
「ニニィも下がって! 巻き込まれる!」
シマノの言葉に素直に従い、キャンとニニィはユイのいる辺りまで下がって様子を窺っている。小さかった竜巻は周囲の風を巻き込み、見る見るうちに大きく大きく成長していった。
「これ……どうするんだ……?」
見上げるほどの大きさとなった竜巻を前に、シマノたちは次の一手を考えなくてはならない。