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第16話:ユウシェ

 地底でゼノ幹部に襲われ窮地に追い込まれたシマノたちを救ったのは、機械の少女ユイだった。


「今、笑った……?」


 ユイの名を呼んだとき、ほんの微かにではあるが、シマノにはユイが微笑んだように見えた。ユイ自身には特に自覚もなかったようで、シマノの問いかけに対しきょとんと首を傾げている。

 小蜘蛛の妨害が無くなり、ニニィとムルもこちらに駆け寄ってきた。そうだ、ムルと姫様は初めましてだからきちんと紹介しないといけないな、それにしても王都に来てからいろいろありすぎて、なんだか随分久々にユイと会えたような気がする……などとシマノがぼんやり考えていると、


「馬鹿にしてんじゃないよ……!!」


 小蜘蛛を全て失った幹部の女が、邪悪な気配を身に纏い怒りに声を震わせている。うっかり戦闘中であることを忘れかけていたシマノは改めて気を引き締めなおした。ユイがそんなシマノを庇うように立ち、幹部の女にいつも通りの淡々とした口調で語りかける。


「まだやるなら、容赦はしない。何百匹でも、何千匹でも、排除する」

「黙れ小娘……アタシを怒らせたこと、命と引き換えに後悔させてやる……」


 女の纏う邪悪な気配が一層深みを増し、暗黒色の繭のようにその肢体を覆った。その繭を破るように大きな節足動物の脚が突き出す。一本、また一本と脚が突き出るにつれて邪悪な気配も薄れ、徐々にその姿が明らかになっていく。

 そこにいたのは巨大な蜘蛛――その背で、ゆっくりと女の上半身が起き上がった。起き上がったその根元、蜘蛛の背中と女の上体は完全に癒着してしまっている。纏っていたフード付きのマントも深紅の紐も失われ、むき出しの柔肌を覆うのはたっぷりとした深紅の髪のみとなっている。やがて女の瞳が、身体に巻き付いていた紐と同じ深紅の瞳が、静かに開いていく。


「な……なんかいろんな意味でやばそうだけど……!?」


 変わり果てた女の姿に動揺するシマノ。その前に立つユイが、真っ直ぐに光線銃を構えた。ユイの周囲には四基の小型発射機が浮遊している。先ほど小蜘蛛を殲滅した光線はこれらから射出されたのだろうか。

「形態変化を確認。詳細不明。引き続き警戒を継続」

 続いてユイの隣に来たニニィもダガーを構える。

「安心して、お姫様には指一本触らせないからね♡」

 そう言って姫に振り返りウインクをして見せた。姫の顔マークが少しほっとした表情になる。


「セン……メツ……」


 蜘蛛女が呟く。次の瞬間、女の八本の脚元に大きな魔法陣が広がった。レンズが効かない以上、どんなタイミングでどんな攻撃が来るかは全く以て予測不可能だ。シマノは一つ深呼吸をして腹を括る。他の仲間たちも皆固唾を呑んで状況を見守っている。


 ――それは一瞬の出来事だった。突然魔法陣から無数の黒い手が生え、蜘蛛女の身体を掴み、そのまま地中に引きずり込んでいったのだ。蜘蛛女は魔法陣ごと跡形もなく消え去ってしまった。


「…………えっ?」


 シマノの視界から仲間たちのHPバー表示が消え、姫の呆気にとられた顔マークだけが残された。つまり戦闘終了である。


「待って。経験値は? 新スキルは?」


 窮地を脱し安堵に包まれる仲間たちをよそに、シマノは一人混乱していた。あれだけの大変な戦闘を経たのに、敵に逃亡されたせいで経験値を得られなかったのだ。


「それはないだろ~~~~!?」


 シマノの心の嘆きが地底中に響き渡った。


 スワップの効果が切れ、辛うじて歩ける程度の体力が戻ってきたシマノは、ムルと姫にユイを紹介し改めて地底民の里に足を踏み入れた。里の民は初めの方こそ姫とユイを警戒し近寄ってこなかったが、一人、また一人と岩陰から姿を現し、最終的にシマノたちは里中の地底民に囲まれることとなった。きっとムルがテレパシーで二人を紹介してくれたのだろう。


 しばらくすると、シマノたちを囲んでいた人だかりが不意に音もなく二つに割れた。その先から一人の老齢の個体がこちらに歩いてくる。長く伸ばされた真っ白な髪と髭が、黄金色の光を放っている。何となく長老っぽいな、とシマノは思った。

 長老はムルに用があるのかと思いきや、まさかのシマノに向かって一直線に歩み寄ってきた。そして、おもむろに口を開いたのだ。


「ン゛オォ……ユウシェ……ヨォ……」


 喉の奥の奥から絞り出したかのような壮絶な掠れ声。正直シマノはかなりビビってしまった。

「無理をするな。我が伝える」

 長老の喉を気遣い、ムルが声を掛ける。レンズの効果が切れたためあくまでもシマノの想像にはなるが、長老はほんの少ししょんぼりしたように見える。そんな長老の様子には目もくれず、ムルがこちらに向き直った。


「すまない、驚かせたな」

「いや、大丈夫」

「地底の者は基本的に声を発しない。この者は我以外で唯一地上の言葉を解するのだが……何年ぶりに喉を使用したことか……」


 なるほどそんな感じなのか、とシマノたちは各々納得した。確かにテレパシーで事足りるならわざわざ言葉を喋ったりしないはずだ。

 一先ずこちらの言葉が通じはするようなので、シマノはしょんぼりしている長老に優しく語りかけてみた。


「あの、俺たち訳あって地上にいられなくなっちゃって、もしよかったらここでしばらく匿ってもらえませんか?」

 その言葉にニニィがギョッとしたような反応を見せる。彼女としては一刻も早くこの地底から脱出して日の光の下を歩きたいのだろう。若干良心は痛むが、シマノとしては不用意に地上に出てあの筋骨隆々従者に八つ裂きにされるリスクなど断じて負うわけにはいかない。可能な限り地底で息をひそめて過ごすが勝ちに違いないのだ。


 長老は暫し何かを考えるような素振りを見せた後、ムルに視線を送った。ムルと長老の間で二、三無言のやり取りが交わされ、その内容をまとめてムルが報告してくれる。

「地上の者は地底で暮らせない。ここには食物も日光も届かない。行くのならば『サピ』へ行け」

「知の街『サピ』ね……確かにあそこなら王都の追手も入れないかも……」

 地上に戻れそうな流れに気をよくしたニニィがうんうんと頷きながら呟いている。姫もユイも納得しているようだ。一方シマノはひとり話についていきそびれてしまった。

「ちょっと待って。まず、地底に食物がないって……?」

「我らは石に触れることで力を貰っている。地上の者たちのような食事は必要としない」

 それは初耳だった。地底に追いやられた一族、にしては随分と適応しているんだな……とシマノは考える。

「で、サピっていうのは?」

「世界中の叡智が集まる『知の街』。自治権があり、たとえ王都の軍でも強制捜査は不可能」

「へえー、なんか賢そうな街だなー」

 知性の欠片も見受けられないシマノの回答にユイが呆れたような視線を向ける。

「サピも洞窟を経由して行くことができる。我らの次の目的地に適した街だ」

 ムルの隣で長老がコクコクと頷いている。

「よし、じゃあ早速そのサピに行ってみよう!」


「わたくしはここに残りますわ」


 ずっと黙ったまま話の流れに身を委ねていたはずの姫から出た唐突な宣言をうまく呑み込めず、皆の動きが停止する。

「……姫様、話聞いてました? 地底には食べ物も何も無いって……」

「構いませんわ。わたくし、ここで為さねばならないことがありますの」

 駄目だ、全然話が通じない。シマノがニニィに目線で助力を願い出ると、ニニィは眉間に皺を寄せながらも小さく頷いてくれた。

「ねぇねぇお姫様。それって地底じゃないと出来ないことなの? あたしたちでもお手伝いできるかしら?」

 ニニィの申し出に姫はふうと溜息を吐く。

「心配ご無用。ここまで連れてきてくださったこと、感謝しますわ。ここからはわたくし一人で十分ですの」

「でもでも、帰るときとか困っちゃうんじゃない?」

 食い下がるニニィに姫が右手の甲を見せた。姫の中指には豪奢な金色の指輪が輝いている。

「これさえあれば、何も問題なんてありませんわ」

 言い終えると同時に指輪の石が強い光を放つ。シマノたちが思わず目を閉じ、数秒ののちに目を開くと、そこに姫の姿はなかった。

「姫様っ!?」

「ここですわ」

 背後から聞こえた声に急いで振り返ると、姫は何事もなかったかのように涼しい顔で立っていた。

「……ワープ機能」

 ユイの言葉に姫が目を丸くする。

「あら、よくわかりましたわね」

「えーっ! 便利アイテム! 羨ましい!」

 相変わらず心の声が駄々洩れなシマノに、姫もさすがに慣れたようで軽くスルーしている。

「そういうわけで、帰ろうと思えばいつでも帰れますの。だからわたくしのことは気にせず先にお行きなさい」

 その言葉に遠慮なく甘え、シマノたちは姫を残して次の街『サピ』へと向かうことにした。


「ユウシェ……キヲッケ……」


 長老がシマノに何か一生懸命話しかけている。

「えっと……?」

「『勇者、気をつけて』と言っている」

「なるほど。ありがとうございます、気をつけて行ってきます」

 勇者だと思い込まれているのは気にかかるが、まあこういうのは深く気にしたら負けだ。

「ユウシェ……」

 鳴き声みたいで微笑ましいな、と頬を緩ませつつ、シマノは里を後にした。


 ***


「あの機械の小娘!! よくも!! アタシを!! コケにしてくれたわね!!」

 人の姿に戻った幹部の女が声を荒げ、壁を殴り、椅子をなぎ倒して暴れまわっている。

「許さない……許さないわ……アタシの蜘蛛たちの恨み……!!」

 滅茶苦茶に荒れた部屋で俯きわなわなと怒りに肩を震わせる女を、一人の男が眺めていた。ゆったりとしたローブのようなものを羽織った背の高い男。その表情はフードに隠れているが、口元には穏やかな笑みを浮かべているように見える。

「困りましたね。彼らにはまだ利用価値がある。貴女に殺させるわけにはいかないのですが」

 その声で我に返った幹部の女は慌てて男に一礼し、跪いた。

「申し訳ございません、エトル様。エトル様に連れ戻しのお手間を掛けさせてしまったというのに、アタシったらまた奴らに手を出そうと……」

「気にしていませんよ、セクィ。僕の方こそさっきは荒っぽいやり方になってしまって。怪我はありませんか?」

「!! 勿体ないお言葉......! アタシ次こそ必ずエトル様のお望み通りの働きをしてみせます!」

 セクィの言葉にエトルはふっと優しげに微笑んだ。

「期待していますよ」

 その言葉だけを残し、エトルは姿をくらました。一人残ったセクィは頬を赤らめ、潤んだ瞳でうわ言のようにエトルの名を呟きながら、彼のいた場所をじっと見つめ続けていた。


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