「……で、お姫様はどうして俺たちを逃がしてくれたんです?」
正当な折衝役のはずなのに、王城で訳も分からず牢に閉じ込められたかと思いきや、これまた訳も分からず脱獄の手ほどきをされ、訳も分からず王族攫いの大逆人に仕立て上げられ、結局何も分からないまま地上に脱出してしまったシマノたち。
「わたくしには為すべきことがありますの」
「それって?」
「あなた方が知る必要はございませんわ」
脱獄させた張本人である王家のお姫様は、この通り要領を得ない回答でシマノたちの疑問をはぐらかし続けていた。
ところで、地上に出たとはいえこのまま王都に留まるわけにはいかない。何せ今のシマノたちは王族攫いの大逆人なのだ。
かといって、他の街に移動したところで状況が改善するわけではない。むしろ行った先で兵に待ち伏せされ拘束される可能性が限りなく高いだろう。
するとムルが移動先の案を申し出た。
「地底に行くのが良いだろう。かの地に地上の者が来ることはまず無い。それに、里で現状の報告もしておきたいのでな」
ムルによれば、ファブリカと同様に王都アルボスにも地底へ通じる洞窟が備わっているらしい。すると、それを聞いた姫が俄かに顔色を変えた。
「今、地底っておっしゃったの?」
地上に暮らす者たち、特に王族にとって地底民は目の上のたんこぶ。最下層の身分でありながら自分たち王族にさえ従わず魔王討伐の足かせとなる、邪魔以外の何者でもない存在である。もちろん、地底民の側にもそう振舞わざるを得ない事情があるのだが。
「あー……来たくないなら来なくても……」
「わたくしをそこに連れて行きなさい」
そっち? とシマノは驚く。嫌どころか寧ろ積極的に行きたそうである。もしやこの姫、最初から地底に行くために俺たちに接触したのか?
「俺は別にいいけど……」
シマノはムルに視線を送る。地上の者が地底民に良い感情を抱いていないのと同じように、地底民も地上の者を良くは思っていない。ムルたち地底民にとって、特に王族は自分たちを差別し地底に追いやった地上の民たちのいわば代表である。おまけに無茶な要求を押し通し鉱石を送らせようとするような相手だ。そんな相手がのこのこと出向いたところで当然歓迎などされるはずもないだろう。
「構わん。寧ろ報告の手間が省ける」
そうなの? とシマノは再び驚く。だが確かにシマノたちが初めて地底に行ったときもムルは勝手についてこいスタイルで、地上の者を連れていくことにそこまで否定的ではなかった。地底民の総意は兎も角として、ムル個人はそういう考えなのかもしれない。
当人同士が異論ないのであれば、もはやシマノに口を挟む余地などない。こうして一行は、姫を連れたまま地底へ向かうこととなった――ニニィは、またあの暗いところを歩くのかと肩を落としていたようだが。
「さっきから全っ然敵が出てこないんですけど」
ムルの髪の光を頼りに歩き、地底民の里に向かうシマノたち。その道中は驚くほど平穏だった。
「いいじゃない♡ またあの気持ち悪いやつと戦うなんてゴメンだわ」
ニニィは初めて地底に来たとき遭遇したゼリー状の魔物を思い出し身震いしている。
「うーん……まあ余計な足止めが無いのはいいことか……」
シマノとしても、ファブリカに残してきたユイが気がかりではある。一刻も早くどこか安全な場所で合流したいのは山々だった。
だが、それはそれとして、先の大蜘蛛戦で手に入れた新スキル「スワップ」を早く試したいのも本音だ。
幸か不幸か、シマノたちの今の状況は「お姫様護衛イベント」と取れなくもない。何も敵が出てこないというのは考えにくい場面だ。覚えてはいないけれど、絶対に何かあったはず。緊張と期待と不安とその他諸々をない交ぜにしながら、シマノは周囲への警戒を怠らないよう進んでいった。
「……って、もう里見えちゃってるんですけど!」
結局、道中に魔物は一切姿を現さず、シマノたち一行はあっという間に里の近くまで来てしまった。
「見事ですわね……」
地底民たちの髪の光が織り成すイルミネーションを初めて見た姫は、素直に見惚れているようだ。ニニィはこっそりとムルに近づき、耳打ちする。
「大丈夫? 急にお姫様を連れていって、みんなをビックリさせちゃわないかしら?」
「まあ問題ないだろう。行くぞ」
本当に大丈夫かしら、というニニィの心配をよそに、ムルは足早に里へと向かっていく。その足が、止まった。
「……来るぞ」
やはりこのままただで里まで行かせてはくれるほど、
「オマエたち、アタシの可愛いアラクネちゃんをよくも殺ってくれたわね」
無数の蜘蛛たちの中から一人の女が姿を現す。目深に被ったフード付きのマントは前開きで、その下はどうやら身体中に巻き付けた深紅の紐だけを服代わりとしているようだ。食い込んだ紐が豊満な胸元と腰のくびれを殊更に強調し、紐の合間からは所々白い肌が覗いている。足元は深紅のピンヒールで、引き締まったふくらはぎが白く艶かしい。
「あらぁ、カワイイ~♡ ニニィちゃんも着てみたぁい♡」
「駄目です!! うちのパーティは破廉恥禁止!!」
シマノがムルの目を覆い隠しながら声高に主張した。
「戦闘の邪魔だ、どけ」
ムルが苛立ちを隠せない様子で言い、シマノの手を振り払う。
「えっと、立場わかってる? アタシの小蜘蛛ちゃんたちからはもう逃げられないのよ? オマエたちはこれからアタシの可愛い小蜘蛛ちゃんに全身の肉を食い破られて悶え苦しみながら息絶えるの」
女は暢気で緊張感の欠片もないシマノたちへの呆れを隠そうともせず言い放つ。その不穏すぎる発言に、シマノが早速反応する。
「はい来ました姫様護衛の必須イベント戦ですね貴重な新スキルお披露目チャンスありがとうございます!(全身の肉を!? 怖っ!)」
例によって例のごとく長すぎる心の声の方が駄々洩れてしまったシマノ。姫様と敵の女は訝しげな表情を浮かべているが、他の仲間たちは既に慣れた様子で軽くスルーしている。
「何なのコイツら……」
女は呆れを通り越し、僅かに恐怖を覚えているようだ。
「話は以上か? さっさと終わらせるぞ」
ムルが術の詠唱に入る。
「さすがにちょっと待って。こっちには姫様もいるし、もうちょっと慎重に」
まだ相手の目的も正体もわからない、そして恐らくゲスト扱いであろう姫の戦闘力が一切把握できていない状態での戦闘開始はさすがに避けておきたい。シマノが焦ってムルを止めようとすると、不意に姫が口を開いた。
「構いませんわ。このわたくしの行く手を阻む愚か者など、遠慮なくボッコボコにしてさしあげなさい」
「よかろう」
姫の許諾を得て、水を得た魚のようにムルが生き生きと詠唱を続行した。つまり戦闘開始である。ニニィが前に出てムルの詠唱の隙をフォローする。
「展開が速すぎる~!」
泣き言を垂れ流しつつもシマノはウインドウを開き、レンズをかけ、画面を切り替えて姫のステータスを確認した。姫はやはりゲスト扱いで詳細なステータスまではわからなかったが、光属性の術をいくつか習得していることが確認できた。HPバーを見ると、パーティの誰よりも短い。つまり前に出て戦うのではなく、後ろでパーティ全体を支援するタイプだ。ついでにバーの横に出た顔をチェックする……不安顔だ。先ほどの堂々たるボッコボコ発言に反し、この姫は今の状況をかなり心細く思っているようだ。
「大丈夫ですよ姫様。ここは俺たちに任せてください」
護衛対象はきっと真っ先に敵に狙われる。不安解消もかねてなるべく姫のそばを離れないようにしようと決意し、シマノは顔を上げ、今度は敵の女に注目した。無い。顔の絵文字もHPバーも、何も表示されていないのだ。目深に被られたフード。シマノの脳裏に怪しげな男の声が、首に手をかけられた感触が、フラッシュバックする。まさか。まさかまさか。
「ムル! ニニィ! 気をつけて! そいつゼノの幹部かも!」
「ご明察」
女が右の踵を踏み鳴らすと、周囲の小蜘蛛が一斉にムルとニニィを目掛けて飛びかかる。凄まじい数の蜘蛛たちが二人に覆いかぶさり、激しい土埃が舞い上がってその姿を完全に隠してしまった。
「ムル! ニニィ!」
シマノの声が虚しく響く。女はさも可笑しそうに声を上げ、高笑いしている。
「ざまあみろ! アラクネちゃんの仇、たっぷり苦しめ!」
先ほどから女が発しているアラクネという語はおそらく地底の採掘所で倒した大蜘蛛の名で、きっと彼女の使い魔だったのだろう。ゼノの幹部がどうして地底にあんな魔物を派遣していたのか。いや、今はそんなことを考えている場合ではない。姫を護衛しつつ、小蜘蛛に襲われた二人を救出しなければ。だが、どうやって? 今持っているスキル「レンズ」と凡人の体力ではとてもゼノの幹部には太刀打ちできない。唯一の頼みの綱、新スキル「スワップ」に賭けるほかなさそうだ。
「一か八か、頼むぞ『スワップ』」
ムルたちの無事を祈りつつ、シマノはウインドウを切り替え、新スキル「スワップ」の発動を試みた。