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第2話

 複雑に入り組んだ森の中、機械の少女ユイが先導し、青年シマノが後に続く形で二人は脱出を目指していた。先ほどリザードマンたちと遭遇してからどのくらい進んだだろう。今のところ追手らしき姿はどこにも見当たらない。緊急を要する事態は回避できたものと判断したユイは少し歩を緩めた。

「大丈夫ですか? シマノ様」

 ユイは無表情のまま振り返りシマノを気遣う。ユイが現れるまでの間、リザードマンたちから一人で逃げ回っていたシマノの体力はかなり限界に近い。

「だい……じょうぶ……」

 どう見ても大丈夫ではない。

「休息を提案します。追手が現れた場合、今の体力で逃げ切ることは困難です」

「でも、早く森を抜けないと」

「森の出口はまだ先です。体力の温存を推奨します」

「……ごめん、俺のせいで」

「気にすることはありません。シマノ様をお守りすることが私の使命なのですから」

 ユイは周囲を見渡し、複数の木の枝が重なってできた陰を指し示した。

「あの陰で休みましょう」

 ユイに促され、シマノは枝の陰に腰を下ろした。途端にどっと疲れが押し寄せる。無理して気を張ってはいたものの、シマノの体力はもはや尽きる寸前であった。

「シマノ様、傷を」

 シマノが肩を見せると、ユイは手際よく包帯を巻き応急手当を施していく。トカゲ男のいる世界なのだからてっきり治癒魔法でも出てくるのかと想像していたシマノはやや拍子抜けを食らった。

「魔法とかじゃないんだ」

「申し訳ありません。私は治癒魔法を会得しておりません」

 意図せず謝らせてしまい、逆にシマノは申し訳なさを感じた。

「っていうか、やっぱりあるよな……魔法……!」

 ファンタジーの世界でしか聞くことのない「魔法」というワードに、シマノはワクワクを隠せないようだった。

「はい、シマノ様」

 ユイの方はシマノの様子など意に介さず淡々と無表情で応答する。先ほどからどうにも納まりの悪さというか居心地の悪さというかを感じていたシマノは、やや遠慮がちにユイに提案してみることにした。

「……えーっと、そのシマノ様ってのやめない? 敬語もいいよ。何かムズムズするっていうか……」

「ではシマノ」

「……うん」

 自分からやめろと言ったものの、急に呼び捨てもそれはそれで落ち着かないシマノであった。

「シマノが疑問を抱くのも当然。この世界では、魔法を使える者が決して少なくはない」

「ちょっと待って。この世界ではって、まるでここ以外の世界を知っているみたいな言い方」

「シマノは別の世界から来たのでしょう? この世界で生まれ育ったのなら、魔法という言葉にわざわざ反応するはずがない」

 意外にもユイはシマノの様子をよく観察しているようだ。そして当然のように別の世界があることを想定するその柔軟な発想力。もしやユイもこの世界の住民ではないのか、どうりで見るからに文明レベルが違うはずだ、などとシマノはあれこれ想像する。

「私はこの世界で生まれ、この世界で生きている。だからこのラケルタの森のことも知っている」

「そのことなんだけど!」

 シマノが急に声を上げ、ユイはほんの少し驚いたらしく僅かに目を見開いた。

「シマノ、声が大きい。奴らに見つかる」

「ご、ごめん」

 シマノはあわてて声を潜め、少し待って周囲の様子を伺った後、改めてユイに打ち明けた。

「最初は逃げるのに必死でわからなかったけど……でも俺、やっぱりこの森、見覚えある」

 それは本来あり得ない事だ。ユイも小首をかしげる。

「シマノの世界にも、このような森があった?」

「うーん、そうじゃなくて……」

 シマノはぽりぽりと頭を掻きながら辺りをせわしなく見回す。そして目当てのものを見つけ真っ直ぐ指差した。

「ほら、あの木。ユイ、あの木揺すってみて」

 周囲を警戒しつつユイが木に近づきそっと揺らすと、程よく熟した赤い木の実がいくつか落ちてきた。

「あとその隣の木の根元を掘ってみて」

 言われるがまま根元を掘ると、土の中から数枚の金貨が現れた。

「これは一体……」

「……アルカナ」

 シマノが発した単語にユイが反応する。

「なぜ、この世界の名前を?」

「ゲームだ。俺はこの世界『アルカナ』をゲームとして遊んだことがある」

「ゲーム?」

 無表情のまま目をぱちくりさせているユイに、どう説明したらいいものか……とシマノは頭を悩ませた。

「つまりその……俺はアルカナの住民じゃないけど、アルカナでの暮らしを擬似体験したことがあるっていうか……」

 これで伝わるだろうかとユイの方をちらりと見ると、ユイは黙って何か考えているようだった。

「……転移……能力……」

「ユイ?」

 シマノの声かけにユイは一旦思索を中断し、なるべく物音を立てぬよう気をつけながらそっと立ち上がった。

「少し長居しすぎた。先を急ごう、シマノ」

 シマノも頷き、ユイに続いて静かに立ち上がる。僅かではあるが体力は回復し、肩の傷もユイの手当てのおかげでだいぶ痛みが和らいでいた。


「そこまでだ」


 一際低くドスの効いた声が二人の動きを止めた。シマノが恐る恐る声の主の方を振り向くと、そこには先ほどのものたちより一回りは大きいリザードマンの個体が、三体の子分を引き連れて堂々と立ちはだかっていた。

「いっ、いつの間に」

「シマノ、落ち着いて。あいつらだけじゃない。私たち、囲まれてる」

 あくまでも淡々と、ユイが現状を告げた。シマノとしては正直とても落ち着いていられる状況ではないのだが、焦ったところでどうすることもできないのも事実。半ば無理矢理深呼吸して何とか落ち着こうと努める。

「一族の者の腕を吹っ飛ばしてくれたらしいのォ。落とし前、きっちり払ってもらわんとなァ」

 威圧感。恐らくさっきの二体とは比べ物にならない強さだ。シマノはちらりとユイに視線を送った。

「シマノ、聞いて。私一人でここを切り抜けるのは困難。シマノにも手伝ってほしい」

「もちろん!」

 心なしか、ユイがホッとしたように見える。

「過去にも異世界からアルカナに転移した人はいた模様。その人たちには皆何か特別な能力が与えられたという伝承がある」

「いわゆるチートってやつだな!」

 シマノが期待を隠せない面持ちで言う。

「……。シマノにも、何か能力があるはず」

 残念ながら「チート」は通じなかったようだが、これでシマノに一筋の光明が見えた。異世界転移者にのみ備わる特別な能力。それさえあれば今のこの絶体絶命ともいうべき状況を打破できるに違いない。

「よーし、何とかなる気がしてきた! やってやる!」

「シマノは単純」

 ユイの無慈悲なツッコミがシマノに刺さる。


「お別れのご挨拶はもう仕舞いかァ?」

 大きいリザードマンの言葉に周りの子分たちはゲラゲラと下品な笑い声を上げる。

「お前ら手ェ出すんじゃねェぞ。一族のメンツを保つのはボスであるこのバルバル様の役目だ」

 そう言うと、ボスを自称した大きな個体バルバルは前に進み出てシマノとユイを見下ろし睨みつけた。シマノもユイも咄嗟に身構え、じり、と一歩後ずさる。

「ビビんなよォ、先に死にてェやつからヤッてやるぜェ?」

 バルバルは巨大な両手斧を片手で軽々と担ぎ、二人に凄んで見せている。するとほんの一瞬の隙をつき、ユイが光線銃を抜いた。バルバルはそれを見逃さない。目にも止まらぬ速さで巨斧を横凪ぎに振り抜いた。ギリギリのところでユイが躱す。

「じゃァまずはこっちのお嬢ちゃんからァ!!」

 勢いよく振り下ろされた斧を、ユイは何とか躱した。すぐにまた斧が振り上げられ、それも辛うじて躱す。バルバルの攻撃は見かけによらず素早く、見かけ通り重い。荒くれ者のリザードマンどもを束ねるボスの名は伊達ではないようだ。このままではユイが一撃食らうのも時間の問題である。彼女がバルバルの注意を引き付けてくれている今のうちに、シマノは特別な能力とやらを会得しなければならない。

「と、とりあえず、ゲームの技……って、ダメだ。どんな技があったか全然思い出せない。それに俺の今のレベルは? ジョブは? 俺、何ができるの?」

 焦ってパニックに陥りかけているシマノに、ユイが必死で声をかける。

「シマノ! 思い出して! この世界で遊んだとき、シマノはどうしてた!?」

「この世界で……アルカナで遊んだとき……?」

「よそ見してんじゃァねェ!!」

 バルバルの巨斧がユイを捉えた。ガードは間に合ったものの、攻撃のあまりの重さにユイの身体は思いきり吹っ飛ばされ、木の幹に勢いよく叩きつけられる。

「っ……!」

 ユイはガクリと項垂れ、ずるずると地面にへたり込んで動かなくなってしまった。

「ユイ!」

「なァんだよ、もう仕舞いかァお嬢ちゃんよォ? 一族の者の腕代、もうちっと楽しませてくれやァ」

 バルバルはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながらユイに近づいていく。周りのリザードマンたちも下品な野次を飛ばして囃し立てている。


「待て! それ以上ユイに近づくな!」


 思わず声を上げたシマノに、リザードマン全員の視線が突き刺さる。

「何だァ、お前も後でたァっぷり可愛がってやるからそこで待っとけよ」

 バルバルはシマノを一瞥したものの、気に留めることもなくユイの方に向かっていく。

「おい! 待てって言ってるだろ!」

 シマノの怒鳴り声もむなしく、バルバルの歩みは止まらない。このままではユイが危険だ。考えろ。考えろ。頭脳をフル回転させ、何とかこの場を切り抜ける策を練り上げる。とにかくやるしかない。

「バルバル。お前もしかして、俺にビビってるのか?」

 バルバルの足がピタリと止まり、その巨体がゆっくりとシマノに向き直る。その眉間には深いシワが刻まれている。

「……面白くねェ冗談だな」

 これまでより一層低く唸るような声。好き勝手に囃し立てていた子分たちも一斉に黙り込み、ラケルタの森に鳥の声一つしない静寂が訪れる。よし、とシマノは思った。まずは第一段階、バルバルのヘイトをこちらに向けることに成功した。問題はここからだ。

「『誰』がァ? 『誰』にィ? ビビってるってェ?」

 溢れる怒気を隠そうともしないバルバルが、一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。シマノは能力について一つの推論を立てた。ここはかつて遊んだはずのゲーム『アルカナ』の世界。だが、ゲーム内の技を再現しようにも、シマノにはその記憶がない。思い出す手がかりとなりそうな自分のレベルやジョブもわからない。仮に思いつきで呪文を唱えてみたとしても、それがアルカナに存在しなければ発動することはないだろう。

「……この世界で遊んだとき」

 ユイの言葉を反芻する。そうだ、レベルやジョブがわからないなら、見ればいい。ゲームを操作するときのことを思い出すんだ。

 シマノは静かに目を閉じ、自分がコントローラーを握ってメニューボタンを押す様子を強くイメージした。すると突然、目の前が青白く輝きだした。

「なッ、何だァ!?」

 青白い光の眩しさに、バルバルも周りのリザードマンたちも思わず目を背ける。その光が徐々に収まってくると、シマノの前には半透明のウインドウのようなものが浮かび上がっていた。

「メニュー……画面?」

 シマノが呟くと、ウインドウの中央に「DEBUG MODE」の文字が浮かび上がった。

「デバッグモード……」

 何気なくその文字をタップする。何らかのプログラムが走っているかのように、ウインドウ上を無数の文字列が流れていく。やがて「COMPLETE」と表示されたその後、シマノの名前とレベル、体力、精神力、ジョブがウインドウに表示された。

「レベルは1、HPは25/100、MPが0で……」

 そこでシマノの表情が固まる。ジョブの欄には、二文字の漢字がはっきりと記されている。

「凡……人……」

 凡人。そこには確かに間違いなくその二文字が表示されていた。

「凡人~~~~!?」

 静まり返った森にシマノの心の叫びが響き渡った。だが残念ながら泣き言を言っている場合ではない。凡人のシマノの力でこの場をどうにか切り抜けるしかないのだ。

「うるせェなァ……クソッ、変な光出しやがってェ」

 リザードマンのボスとただの凡人が改めて対峙する。シマノは大きく深呼吸し、バルバルに余裕の笑みを見せつけた。

「やってやるよ。この戦いに勝つのは俺だ」

 ラケルタの森の空気が張り詰める。バルバルの巨斧が、今にもシマノに迫らんとしていた。

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