猛毒を飲み込んだフェリックスだったが、事前に飲んだミカエラの薬によって一命をとりとめ、後遺症として物忘れなどの記憶障害を起こすようになっていた。
フェリックスは後遺症の対策として、日記やメモなどこまめに記録する癖をつけるようになる。
成婚パーティを開いたものの、フェリックスが毒で倒れてしまったため、セラフィとの結婚は白紙になった。
一部の貴族はセラフィがフェリックスに毒を盛ったのではないかと囁いており、彼女は”毒婦”と呼ばれ、悪者扱いとされている。
味方だったマクシミリアン公爵も、世間体を考え、セラフィをフェリックスの婚約者から外した。
セラフィはこの処遇を素直に受け入れる。
だが、マクシミリアン公爵はセラフィを屋敷から追い出すことはせず、フェリックスの専属メイドとして雇ってくれた。
また、マクシミリアン公爵と夫人は屋敷から首都にある別荘へ住居を移し、フェリックスたちと極力関わらないよう配慮もしてくれた。
それは全てフェリックスが自棄を起こして再び家出をさせないための措置だろうが。
「フェリックスさま、今日の体調はいかがですか?」
フェリックスの私室。
メイド服を着たセラフィが訪れ、フェリックスの体調を訊く。
「……不思議な夢を見た」
フェリックスはセラフィを長く引き留めようと、夢の話をするようになった。
その夢は朝比奈大翔の人生だ。
大翔は平凡な家庭の生まれで、大学生活とクラブ活動を楽しみ、彼女が欲しいと嘆いていた。
空想だと思われるような話を、セラフィは相槌を打ちながら笑顔で聞いてくれている。
(あんな家庭に産まれたら、すぐセラフィと結婚できただろうに)
フェリックスは次第に大翔の人生に焦がれるようになる。
大翔の生活の内容をセラフィに語る生活を続けて三か月。
(俺の母校がテレビというものに映ってる)
フェリックスの母校、チェルンスター魔法学園の内装がテレビに映っていた。
母校を舞台に物語が繰り広げられており、フェリックスもその続きを楽しんでいた。
(夢の内容を記録したほうがよさそうだな)
ふとフェリックスはそう思うようになり、新たな日記帳にゲームの内容を記録するようになった。
その頃にはセラフィも夢日記の続きをせがむようになっていた。
更に四か月が経過し、夢日記があと数ページで終わりかけていたその時。
突如、フェリックスの心臓がドクドクと激しく鼓動し、呼吸が苦しくなる。
普通ではないと察したフェリックスは、呼び鈴を鳴らし、すぐにセラフィを呼んだ。
「フェリックス!?」
セラフィが駆け付けたころには、フェリックスは胸を抑えその場にうずくまっていた。
「ベッドに横になりましょう」
フェリックスはセラフィに介抱されつつ、ベッドに寝転がる。
「うっ」
深呼吸をしても症状は治まらない。
フェリックスの苦しい様子をみて、セラフィはあたふたしている。
(きっと、死ぬんだろうな)
フェリックスは死を予感し、自分の人生が終わろうとしていることを悟る。
「セラフィ、聞いて欲しい」
「フェリックス……」
「俺は死ぬ。今まで、傍にいてくれてありがとう」
フェリックスは悔いが残らぬよう、セラフィに最期の言葉を残した。
「だめよ、フェリックス! 公爵様たちを出し抜いて、チェルンスター魔法学園の教師になる野望はどうしたの?」
セラフィは二人で計画した一部を語る。
マクシミリアン夫人の策略でセラフィが悪者となり、結婚できなくなってしまった腹いせとして、密かにチェルンスター魔法学園の教師になる計画を立てていたのだ。
始めは社宅で暮らし、お金を貯め、一年経ったら家を買い、セラフィを呼び寄せて共に暮らそうとしていた。
「すまない……、できそうにない」
「そんなこと言わないでよ!! 私を残して死なないで」
セラフィはフェリックスの言葉を必死に否定した。
「私の王子様。迎えに来てくれる約束でしょう?」
セラフィは昔の約束を口にする。
「ああ……、そうだった」
セラフィとの結婚を白紙にされてから、フェリックスはその約束を口にしなくなっていた。
(セラフィの王子様になれなかった)
命の灯が尽き欠けている今、セラフィの王子様になれなかったこと、それだけがフェリックスの心残りだった。
「セラフィ――」
フェリックスはセラフィに最期の言葉を伝える前に、深い眠りについた。
次にフェリックスはエナジードリンクの空き缶が並ぶ、小汚い部屋で目覚める。
焦がれた朝比奈大翔の身体で。
☆
(この一か月、幸せな時間だったが……、もう終わらせなくては)
目覚めたフェリックスは、隣で眠っているセラフィの頬に優しく触れる。
少ししてセラフィが目覚める。
「おはよう、フェリックス」
寝起きでかすれたセラフィの声が聞こえる。
セラフィは瞼をごしごしとこすり、大きな欠伸を一つする。
行動一つ一つが愛らしく感じ、フェリックスはセラフィにちゅっとキスをした。
「フェリックス、今日になったわ」
セラフィはフェリックスの身体に寄り添いながら、甘ったるい声で話しかける。
「話ってなに?」
セラフィは本題に入った。
「……ベッドでするような話じゃないんだ。着替えて、飲み物を用意してから話そう」
「うん」
フェリックスに甘えてくるセラフィはとても可愛い。いつまでも触れていたい、この時間が終わらないで欲しいと願ってしまう。
フェリックスは誘惑を振り払い、ベッドから起き上がった。
セラフィも起き上がり、ネグリジェ姿でクローゼットの中に入っていった。
少しして、選んだフェリックスの服を持ってくる。
「今日のフェリックスはこれを着て欲しいわ」
「選んでくれてありがとう」
「私も着替えてくる。終わったらリビングで紅茶を淹れるから」
「よろしく頼む」
セラフィはぱたぱたと寝室を出て行き、自身の部屋にある洋服を取りに行った。
(セラフィに触れられるのは……、今日で最後)
フェリックスはセラフィに選んで貰った洋服をぎゅっと強く握る。
これからフェリックスはセラフィに酷なことを言わなくてはいけない。
洋服に着替えたフェリックスは、寝室を出て隣にある客間に入る。
そして仕事バックから、液体の入った小瓶を取り出した。
「ミカエラから貰ったこの毒で……、終わらせるんだ」
小瓶に入っているのは、以前フェリックスが盛られた毒と同じもの。
フェリックスは小瓶を持ち、セラフィの待つリビングへと向かった。
メイド服に着替えたセラフィは、紅茶をカップに注いでいた。
フェリックスは席につき、用意を終えたセラフィもフェリックスと向かい合うように座る。
「フェリックス、なにをっ!?」
直後、フェリックスは小瓶のフタを開け、液体を二つのカップに注いだ。
フェリックスの突然の行動にセラフィは戸惑っていた。
「本題だ」
フェリックスは真摯な表情でセラフィに話を切り出す。
「セラフィ……、一緒に死んでくれないか」
フェリックスは毒入りの紅茶を差し出し、心中をセラフィに提案した。