「貴方がどうしてここに――」
フェリックスとの再会に、セラフィは驚いた表情をしている。
「セラフィ、料理を運んでくれ」
再会も束の間、セラフィが他の店員に呼ばれてしまう。
「……夜にまた来る。店の前で待っていてくれ」
「分かったわ」
フェリックスはセラフィにそう一言告げると、ミカエラがいる席へ戻る。
「フェリックス君が女の子を助けるなんてめずらし―」
席に戻ると、一部始終を見ていたミカエラにからかわれる。
「……」
「ご、ごめん」
フェリックスはミカエラを一瞥した。
普段のフェリックスとは違うと察したミカエラは素直に謝る。
その後、二人は注文した食事を平らげ、ミカエラが購入した荷物を抱え、自宅へ帰ってきた。
ミカエラは購入したものに夢中で、持ってきたフェリックスのことなど忘れていた。
「フェリックスさま、あの方が居候する方ですか?」
「俺の友人だ。丁重に扱え」
ミカエラの狂気を見たメイドが狼狽えている。
メイドに同情しつつも、フェリックスはミカエラも同様に世話するよう命令した。
「夕飯はミカエラだけ用意してくれ。俺は出掛ける」
「かしこまりました」
フェリックスは自室に戻り、セラフィと会うその時を待っていた。
夕方。
料理屋の営業が終わる時間に合わせてフェリックスは町へ出かける。
(一年ぶりにセラフィに会える)
一人になったフェリックスは、セラフィに会えると浮かれていた。
胸が躍る気持ちになったのはいつぶりだろうか。
「フェリックス」
料理屋を訪れると、給仕服から私服に着替えたセラフィが待っていた。
セラフィは結わえていた赤髪を解いていた。
だが髪に艶がなく、傷んでいる。
洋服もよれており、何度も着たものだというのが一目でわかる。
実家が破産して夜逃げした結果、給仕の仕事をしなければいけないほど生活が困窮してしまったのだろう。
フェリックスはセラフィを強く抱きしめた。
セラフィは一年前よりもやせ細っており、抱きしめたさい、骨ばった感触がした。
「会いたかったよ、セラフィ」
「泣かないで。あなたは小さいころから泣き虫ね」
「だって、セラフィと両想いになれたのに……、セラフィの家が――」
「……」
フェリックスはセラフィに再会したことで、抑え込んでいた感情が溢れ、彼女の前で泣いてしまった。
セラフィはフェリックスの背を優しく撫で、幼いときの出来事を語る。
「私もフェリックスと会えて嬉しい」
フェリックスとセラフィは抱擁を解き、見つめ合う。
セラフィも目に涙が溜まっている。
「夜逃げした私の事なんて忘れてると思ってた」
「忘れない」
セラフィは無理をして笑っていた。
夜逃げした自分のことなど忘れ、貴族の女性を恋人にしているのではないかと。
きっと、共に連れていたミカエラを見て、恋人だと勘違いしたのだろう。
「俺はセラフィの王子様だから。君のことしか見てない」
「私の知っているフェリックスそのままだわ」
セラフィは口元を緩め、フェリックスの頬に触れる。
「カッコいい、私の王子様」
王子様。
セラフィからその一言を聞くだけで、フェリックスは嬉しくなる。
フェリックスの人生はセラフィの理想の王子様になるために必死だったから。
彫刻のような完璧な容姿に、細身ながらも程よく筋肉がついた体型、賢い頭脳に魔法の才能。
全てを維持するのが辛いと感じた時もあった。
そのたびに、セラフィとの約束を思い出し、弱気になった自身の気持ちを振り払ってきた。
「……私を選ぶと辛いことが沢山あるかもしれない。それでも、フェリックスは私の事を愛してくれる?」
セラフィは試すようなことをフェリックスに問う。
(セラフィが傍にいてくれるなら、苦労なんていとわない)
フェリックスの答えは決まっていた。
「どんな困難があっても、セラフィだけを愛してる」
「……うん」
セラフィが返事をした直後、フェリックスは彼女の唇を奪う。
二回目のキスは一回目よりも長くセラフィを感じ、フェリックスの心が満たされる。
(もう二度とセラフィを離すものか)
この時、フェリックスは心に誓う。
だが、二人の恋愛は想像以上に過酷であることをこの時のフェリックスはまだ知らない。
☆
その後、フェリックスの自宅に仕えていたメイドが家庭の都合で辞めることになったため、食事屋で給仕をしていたセラフィをメイドとして雇い、同棲生活を始める。
フェリックスがチェルンスター魔法学園、魔法大学在学中の七年間。
七年間でフェリックスの背がぐんと伸び、更に容姿に磨きがかかる。
その間、フェリックスに見合いの話が絶えず、夜会に参加すれば、山ほどの女性貴族に口説かれたりしたが、彼は他の女性に目移りすることはなく、セラフィだけを愛した。
居候をしていたミカエラはそんな二人を応援し、暖かく見守ってくれた。
フェリックスは二十二歳となり、チェルンスター大学を卒業する。
「この家ももう終わりだな」
「三人での生活、楽しかったね」
「俺はお前が出ていって、セラフィと二人きりで過ごしたかったけどな」
「あー、そういうこと言っちゃう?」
自宅ではフェリックス、ミカエラ、それぞれの荷物が木箱に詰められていた。
卒業後はこの家を引き払い、フェリックスは実家へ、ミカエラは王立魔法研究所のある首都へそれぞれ引っ越すこととなっている。
フェリックスとミカエラの関係は変わらず、軽口を言い合う仲だ。
「……たまーに手紙を書くよ」
ミカエラがぼそっと呟く。
「セラフィちゃんのこと、大事にするんだよ」
「言われなくても――」
ミカエラに言われなくても、フェリックスはセラフィを婚約者として実家へ連れてゆくつもりだ。
だが、フェリックスはこのことをまだセラフィに話していない。心臓がバクバクして、伝えられないでいるのだ。
「ポケットにしまってるの、セラフィちゃんに渡してきちゃいなよ」
「……ああ」
先延ばしにはもうできない。
ミカエラに背を押され、フェリックスの決心がついた。
「俺もお前に手紙を書くよ。ミカエラ」
フェリックスはミカエラと別れ、部屋の掃除をしているセラフィの元へ向かう。
「セラフィ」
「フェリックス」
セラフィはモップを使い、床拭きをしていた。
フェリックスに呼ばれ、セラフィはモップを置いて傍に駆け寄る。
「話があるんだ」
話を切り出しながらもフェリックスはセラフィから目線を逸らし、上着のポケットに手を入れ、恥じらっていた。
「……俺も二十二と大人になった。大学を卒業したらマクシミリアン公爵家の跡継ぎとして父上の領地経営に関わるつもりだ」
「うん」
「公爵の爵位をついだら、母上のような人が必要になる」
「……」
「つまりだな――」
フェリックスはポケットから小さな箱を取り出した。その場に跪き、セラフィの前でそれを開けた。
「迎えにきたよ、セラフィ」
「っ!?」
箱の中身を見たセラフィははっとした表情を浮かべる。開いた口を手で押さえている。
「俺と結婚してくれませんか?」
「……はい」
涙を浮かべなら、震える声でセラフィはフェリックスのプロポーズを了承した。
セラフィにプロポーズをした数日後、フェリックスは七年間愛を育んだ家を引き払い、セラフィを連れ、マクシミリアン公爵邸に帰宅した。
「おかえりなさい、フェリックス」
「帰りました。父上、母上」
馬車を降りると、両親がフェリックスの帰りを待っていた。
フェリックスはすぐに屋敷に入らず、馬車に手を差し伸べる。
フェリックスの手を取り、艶が戻った赤髪を結わえ、化粧を施し、淡いピンクのドレスを着飾ったセラフィが馬車から降りてくる。
セラフィの右手の薬指には、フェリックスがプロポーズをした際にプレゼントしたカッラモンドの指輪がはめられており、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
「フェリックス……、その女は――」
セラフィの登場に両親が共に驚愕している。
マクシミリアン公爵がフェリックスに問う。
「父上、母上、紹介します。俺の婚約者のセラフィです」
フェリックスはセラフィの腰を抱き、自身に引き寄せ、堂々とセラフィを両親に紹介した。
「俺はセラフィと結婚します」
両親は帰省するたびに「いい相手はいないのか」とぼやいていたので、セラフィを紹介したら彼女を歓迎してくれるものだと思っていた。
だが、フェリックスの予想とは違い、両親は真っ青な表情を浮かべていた。
「フェリックス、その子は破産して夜逃げした家の娘よね」
深呼吸をしたマクシミリアン公爵夫人が静かな口調でフェリックスに問う。
この瞬間、セラフィを歓迎している雰囲気ではないとフェリックスは察した。
(どんな困難があっても、俺はセラフィを愛すと約束したんだ)
フェリックスはセラフィを強く抱き寄せ、マクシミリアン公爵夫人に臆することなく返事をする。
「はい。あのセラフィです」
「そう……」
マクシミリアン公爵夫人はセラフィのつま先から頭のてっぺんまで品定めするように眺める。
「大丈夫だよ、セラフィ」
マクシミリアン公爵夫人の鋭い視線に、セラフィの身体が震えているのを感じ取ったフェリックスは、彼女耳元で優しく囁く。
「フェリックス、その平民との結婚は許しません」
同時にマクシミリアン公爵夫人がフェリックスとセラフィの結婚を否定する。
「あなたはわたくしの息子。皇帝の血を継ぐ高貴な血筋なのよ。そこに平民の血が混じるなんて……、考えただけで身の毛がよだつ」
マクシミリアン公爵夫人は皇帝の姉。
皇帝は不慮の事故で無くなり、彼の子供たちは不可解な死を遂げた。
フェリックスは王位継承権第一位であるが、現政権は皇帝の傍にいたイザベラが女王として統治している。
当時、フェリックスが大学生だったことと、彼が有力貴族と関係を結んでいなかったことが王位を継承できなかった要因であり、今はイザベラのストックとして扱われている。
「母上、セラフィを侮辱するのはやめてください」
マクシミリアン公爵夫人のセラフィに対する暴言にフェリックスは彼女を睨みつける。
「あなたは昔からそう! 特別な血筋だということをまるで分かってない」
マクシミリアン公爵夫人は溜まっていた鬱憤をフェリックスにぶつける。
「俺はセラフィ以外の女性と結婚するつもりはありません」
フェリックスはマクシミリアン公爵夫人にそう宣言すると、セラフィの手を引き、強引に屋敷に入った。
「フェリックス!」
背後からマクシミリアン公爵夫人の怒号が聞こえる。
「フェリックス、私のせいで……」
「セラフィは悪くない。悪いのは俺たちの結婚を否定する両親だ」
屋敷に入ったフェリックスは、セラフィを自室へ連れてゆく。
ソファに座ったセラフィは、蒼白な表情を浮かべており、フェリックスとマクシミリアン公爵夫人との言い合いに怯えているようだった。
(この家にセラフィの味方は俺しかいない)
フェリックスはセラフィの隣に座り、彼女を抱きしめ、頬にキスをした。
「私……、ここにいてもいいのかしら」
「ここは俺の部屋。誰も入らせないから」
セラフィを屋敷近くの家に住まわせたとしても、両親が妨害してくるに違いない。共に暮らすには、フェリックスの近くに置くしかないと彼は思っていた。
(俺がセラフィを守るんだ)
フェリックスとセラフィの新生活は両親の反対から始まった。
☆
セラフィと共にマクシミリアン公爵邸で過ごして一ヶ月が経った。
フェリックスと両親との口論は絶えず、セラフィはフェリックスのいないところで嫌がらせを受けていた。
フェリックスが優しくなだめ、互いに愛を確かめ合うも、セラフィはストレスでやつれてゆく。
「……家を出ようか」
セラフィがやつれてゆくことに耐えられなくなったフェリックスは、実家から出ることをセラフィに提案する。
「あてはあるの?」
「チェルンスター魔法学園で教員採用試験があるみたいなんだ。俺はそれを受けようと思う」
「いいわね。私も応援するわ」
セラフィの返事を聞き、フェリックスは実家を出ることにした。
両親に悟られぬよう、家出計画を練り、屋敷近くの町で馬車の手配をした。
準備が整い、必要最低限の荷物を詰めたフェリックスとセラフィは、皆が寝静まった夜にマクシミリアン公爵邸を抜け出した。