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第47話 修羅場と化す学園

 フェリックスはフリーマーケットを満喫したイザベラに連れられ、学園祭を周っていた。

 生徒たちはイザベラの姿を見つけ、ざわついている。


「銅貨二十枚で一日を過ごすのは難しいのう」


 イザベラはフリーマーケットで購入した商品を眺めながら、フェリックスの隣でぼやく。

 小花柄が彫られた木製の小箱。それとクリスティーナの花のコサージュを色違いで二つ購入していた。総額銅貨十二枚である。


「色違いで購入されたのは……、デザインが気に入ったのですか?」


 フェリックスは花のコサージュを二つ買った理由を乞う。

 イザベラはフェリックスの質問を聞き、不敵に微笑む。

 フェリックスが花のコサージュに関心を持つのを待っていたかのようだ。


「フェリックスにあげたかったからじゃ」


 イザベラは内一つの花のコサージュをフェリックスの胸元に着ける。


「ほれ、これで”お揃い”じゃろう」

(やられたっ)


 イザベラはいたずらっぽい笑みを浮かべている。彼女のドレスの胸元には花のコサージュが付いていた。

 フェリックスはイザベラの顔を見て、してやられたと思った。


「残りの八枚、何に使うかのう」 


 イザベラは残り八枚の銅貨をどう使おうか、吟味している。


「あれを食べたい!」


 イザベラは水で溶いたコムギを薄く焼いたものに、甘いクリームを棒状に包んだ”クレット”という菓子を選んだ。

 一個、銅貨三枚である。


「じゃあ、僕も一つ――」

「いいや、半分こじゃ」

「……はい」


 自分の分を注文しようとしたフェリックスだったが、イザベラに遮られる。

 注文された生徒は、震える手でクレットをイザベラに渡した。


「まずは、フェリックスが一口食べておくれ」


 イザベラはフェリックスの口元にクレットを突き付ける。

 渋々フェリックスはそれを口にした。


(ん、モチモチした食感と甘いクリームの組み合わせ……、甘酸っぱい果物が入ってたら最高なんだけど、銅貨三枚ならこれで仕方ないか)


 薄皮のモチモチした食感と、じゅわっととろけるクリームの甘味が口の中で広がる。

 フェリックスはクレットを咀嚼しながら、物足りなさを感じていた。


「フェリックス、口元にクリームが付いておるぞ」

「えっ、と、取れましたか?」


 イザベラに指摘されたフェリックスは口元を舐める。

 クリームが取れたかイザベラに声をかけると、彼女はフェリックスの服の袖を引っ張った。

 フェリックスはその場に中腰になる。


「どれ、わらわが取ってあげよう」


 フェリックスは油断していた。


(しまっ――)


 フェリックスの頬に柔らかく、生暖かい感触がした。

 イザベラがフェリックスの頬にキスをし、舐めたから。

 フェリックスはイザベラの思惑に気づき、避けようと中腰の姿勢を解こうとしたものの、時すでに遅し。

 イザベラに顔を抑えられ、フェリックスは彼女に強引に唇を奪われる。

 周りの生徒の目もお構いなしに、フェリックスはイザベラに激しいキスをされる。


「女王さまとフェリックス先生が……、キス!?」

「フェリックス先生と女王さまって婚約してたの?」

「すんごいゴシップなんじゃないか? これ……」

「おい、誰か新聞部呼んでこい!!」


 フェリックスとイザベラの突然なキスに、生徒たちは唖然としていたものの、次第に状況を受け入れてゆく。

 この場に新聞部を呼び、学園の大スクープとして取り上げる気だ。


「イザベラさま、やめ――」

「再会の挨拶じゃというのに、つれないのう……」


 フェリックスは必死の抵抗をし、イザベラのキスを止めさせ、彼女から数歩距離を取った。

 イザベラは悪びれもなく、クレットを食べる。

 フェリックスが一口食べた箇所から飛び出たクリームをいやらしく舐め取り、クリームがたっぷり付いた舌先をフェリックスに見せつけ、それをゴクリと飲み込む。


「ドロっとして、美味しいのう」

(くそっ、僕には刺激が強すぎる!)


 ただイザベラはクレットを食べているだけなのに、フェリックスは別のことを妄想してしまう。


「うっ」

「オレ、ちょっと便所行ってくるわ……」


 それは当事者ではない男子生徒たちにも効いており、彼らは前かがみの体制で続々とトイレへ向かっていった。


「おかしいのう。わらわはただ、クレットを食べているだけだというのに」


 イザベラは、この場から去ってゆく男子生徒たちを目で追い、わざとらしい反応をする。


「のう、フェリックス」

「ええ……、イザベラさまは美味しそうにクレットを食べていました」

「安価だというのに、美味じゃ」


 イザベラはもぐもぐとクレットを食べ、ついには平らげた。


「歩きながら食べるというのも、初めての経験じゃ。行儀が悪いと躾けられてきたから、それを破るのはゾクゾクする」

「さようで……」


 イザベラはクレットに大満足したようだ。


(イザベラさまが帰ったら、ミランダにお願いしてやってもらおうかな)


 フェリックスはこの場にいないミランダへ想いを馳せることでこの場を乗り切った。



 学園祭開始の鐘が鳴ってしばらく経った頃。


(フェリックス……、わたくしをいつまで待たせるつもり?)


 三年A組の教室では、メイド服姿に身を包んだミランダが、今か今かとフェリックスを待っていた。


「メイド服を着た喫茶とか……、今年は当たりだよな」

「噂だと、フェリックス先生が提案したらしいぜ」

「他にも色々提案してるみたいで、どれも面白そうなんだよな」


 聞こえるのは、客としてやってきた下級生男子の雑談。

 クラスメイトの女子が彼らの横を通り過ぎるだけで、歓喜の声があがる。


「ミランダ、フェリックス先生から指名が入ったわよ」

「ええ、すぐに行くわ」


 このメイド喫茶では、給仕を銅貨五枚で指名することができる。

 普通の喫茶では考えられない強気な価格だが、男子生徒たちは次々に指名してゆく。

 特にミランダの指名が多かったが、フェリックスの番まで断り続けていた。


(やっときた!)


 ミランダは意気揚々でフェリックスの元へ向かう。


「おかえりなさいませ、ご主人さ――」


 ミランダはフェリックスに来店の挨拶を告げようとするも、言葉を失う。

 フェリックスの隣にイザベラ女王がいたからだ。


(女王様!? どうして学園祭にいるのよ)


 ミランダはこの場にイザベラがいることに驚愕する。

 そして、イザベラがフェリックスの片腕に密着していることに怒りを覚えた。


(フェリックスの胸にクリスティーナが作った花のコサージュ……、色違いのものをつけてる。この女……、わたくしのフェリックスといちゃつくなんてっ)


 ミランダは今すぐにでもこの場でイザベラに怒鳴り散らかし、フェリックスから引きはがしたいという怒りの気持ちを込めて、イザベラを睨みつける。


「わらわたちの席はどこかえ。はよう案内せい」

「……席はこちらになります」


 イザベラはミランダをただの給仕としか思っていない。

 メイド喫茶であり、自分がメイドでことが悔やまれる。

 ミランダは息をすうっと吸い、怒りと共に吐き出す。


(わたしがここで感情的になったら、クラスメイトに迷惑をかけてしまう。悔しいけど、給仕に徹しなくては)


 ミランダはフェリックスとイザベラを空いている席に案内する。

 二人は向かい合うように座る。


「本日はいかがなさいますか?」


 ミランダはフェリックスに訊ねる。

 紅茶は銅貨二枚、焼き菓子は銅貨三枚で販売しており、紅茶のみか、焼き菓子とセットで頼むか客が選択できるようになっている。

 フェリックスはミランダをチラチラと見つつ、向かいに座っているイザベラの機嫌を伺っている。

 対するイザベラは熱っぽい視線でフェリックスを見つめていた。


「紅茶と焼き菓子を貰おうかな」

「わらわもフェリックスと同じものを頼む」

「かしこまりました」


 注文を受けたミランダは、フェリックスたちの席から離れる。


(あっ)


 離れる瞬間、ミランダの手に、ごつごつとした指の感触がした。

 ちらっとフェリックスの方へ目を向けると、笑みを浮かべていた。


『メイド服、良く似合ってるよ。とても可愛い』


 ミランダの頭の中にフェリックスの声が響き、はっとする。

 声が響いたのは、フェリックスがミランダの手に触れたさい、通信魔法を使ったから。


(フェリックスさまがわたくしのこと、可愛いと言ってくれた)


 フェリックスとイザベラに背を向けたミランダは顔をほころばせ、二人が注文したものを取りに行く。



 イザベラは向かいの席に座っているフェリックスの表情を観察する。


(”メイド喫茶”という喫茶に入ってから、フェリックスの態度が変わった)


 フェリックスに密着していたイザベラは分かっていた。

 メイド服のミランダが目の前に現れた時、フェリックスがイザベラを振りほどこうとしたことを。

 その時のフェリックスは、公衆の面前で激しいキスをしたときよりも慌てていた。

 イザベラはもちろん、それを拒否したが。

 その後も、フェリックスの目線はちらちらとミランダの方へ向いている。

 ミランダもフェリックスと視線が合うと、心なしか喜んでいる様子。


(フェリックスの意中の女……、ソーンクラウンの娘で間違いない)


 二人の様子を見て、イザベラは確信した。

 確信してから、イザベラの中でミランダに対する憎悪がつのる。


(この女がいるから、わらわはあの夜、フェリックスを抱けなかった)


 イザベラはミランダが置いていったナプキンを強く握りしめる。


「イザベラさま?」


 フェリックスに声をかけられ、イザベラは態度が表に出ていたことに気づき、平静を装う。


(皇帝に愛されたわらわが、あんな小娘に負けるとは……、屈辱じゃ)


 イザベラは人生で”敗北”を味わったことがなかった。

 皇帝の第三妃となったイザベラは、唯一の男児を出産し、他の二人の妃を蹴落とした。

 王宮の苛烈な女のバトルを勝ち抜いたというのに、そんな苦労も知らない公爵貴族の娘に男を奪われるなど、イザベラにとって人生の汚点だ。


(わらわの生家は陰謀と策略で知られる、シャドウクラウン家。どんな方法を使ったとしても――)

「お待たせいたしました。紅茶でございます」


 イザベラの前に紅茶が入ったソーサーカップが置かれる。

 見上げると、笑みを浮かべたミランダがいた。


(小娘からフェリックスを奪ってやる!)


 イザベラはこの時、心に強く誓った。 


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