生徒指導室の一件から時間が経ち、一通りの仕事が終わった。
「うーん、今日の仕事も終わりましたね」
リドリーがめいいっぱい背伸びをする。
「フェリックス君の日報も書き終わりましたし、帰り――」
「えっと、僕は資料室で自習をしようと思います」
フェリックスとリドリーは互いに独身なので、チェルンスター魔法学園の社宅を利用している。
いつもは仕事が終わったら、そこへ一緒に帰るのだが、フェリックスは断った。
「あら、真面目君ですねえ」
フェリックスの断り方に、リドリーはからかう。
真面目君、という言葉でアルフォンスが思い浮かぶ。
「……生徒の質問で曖昧だったところがあったんですよ。その答えを調べようと思って」
一学年の属性魔法の授業。
生徒に質問されたときの回答が危うかったので、資料室へ向かい、復習しようと思っていたのだ。
「そうですか。じゃあ、私は先に帰りますね」
リドリーはすぐにからかうのを止め、私物のバックを肩にかけ、職員室を出て行った。
「お疲れ様でした」
フェリックスはリドリーに頭を下げたのち、資料室へ向かう。
☆
資料室。
ここは生徒たちに開放している図書館とは違い、教師だけが利用できる場所。
授業の教科書や、専門書、指導書がずらっと並んでいる。
(よーし、曖昧な所を潰していくぞ!)
フェリックスは意気揚々と資料室に入る。
「あっ」
「貴様か……」
資料室にはアルフォンスという先着がいた。
(……さっさと終わらせよう)
アルフォンスと鉢合ってしまったことで、フェリックスのやる気が一気に削がれた。
(えーっと、一年の属性魔法の教科書は――)
フェリックスは一学年の教科書が並んでいる本棚から、属性魔法のものを探す。
「どけ」
「あ、はい」
その途中、アルフォンスが近づく。
フェリックスはアルフォンスの言う通り、本棚から少し離れた。
アルフォンスは魔法薬の教科書と指導書を取り、すたすたと去ってゆく。
(確か、アルフォンスって魔法薬が専門だったよな……)
ゲームではアルフォンスの授業を直接受ける機会はない。
赤点間近のクリスティーナが図書館で猛勉強をしているところで、アルフォンスと出会う。
詰め込み式の勉強をしていたクリスティーナにアルフォンスが様々な勉強法を教えてゆき、二人の仲が良くなってゆくのだ。
(いやいやいや、あいつのこと考えてる余裕があったら、自習しろ、僕!)
ついゲームの内容に思いをふけってしまったが、今の自分はクリスティーナではなく、フェリックスだ。
フェリックスは意識を自習を戻し、再び属性魔法の教科書を探す。
(あった! ”属性魔法の基礎”)
目当ての教科書を見つけ、それを手に取る。
ついでに隣にあった属性魔法の専門書も手に取り、テーブルへ移動する。
(よしっ、自習するぞ!)
斜め向かいに指導書を熟読しているアルフォンスがいて気が散るが、フェリックスは当初の目的を果たすべく、属性魔法の専門書を開く。
難しい文字が並んでいるとしか認識できないのだが、不思議と内容が頭の中に入ってくる。
(なるほど……)
専門書には、様々なことが書いてあった。
今のフェリックスはゲームの呪文を唱え、無意識に魔法を発生させている。
この本では、魔法の源である魔力のこと、呪文の必要性、魔力と呪文が融合し、魔法が発生するまでの過程が詳しく書かれており、フェリックスの知識欲をくすぐられる。
専門書の気になる箇所を読み終えたフェリックスは、教科書を開き、次の授業の予習をする。
その頃には、アルフォンスの存在を全く気にしていなかった。
(知識も深まったし、予習もしたし……。宿舎に帰ろうかな)
席を立ち、教科書と参考書を抱え、元の場所へ戻すときだった。
「おい」
「な、なんですか……」
アルフォンスが声をかけてきた。
もしかして、席を立つとき、椅子の脚をガガッと床に削った音が気に食わなかったとか。
フェリックスはアルフォンスの気分を損ねたのではないかと、気分がそわそわしていた。
「貴様、予習をしていたんだろう?」
「そうですけど」
「ちょっとまて」
アルフォンスが席を立ち、本棚の方へすたすたと向かう。
少しして、一冊の本を持ってきた。
「属性魔法の指導をするんだったら、この本も読んだ方がいい」
「あ、ありがとうございます」
フェリックスは片づけようとしていた本をテーブルに置き、アルフォンスから本を受け取る。
「”魔力循環書”……」
「魔法でつまづいている生徒は、大概、魔力の循環が滞っていることが多い。魔力コントロールの指導をする上で、この本はとても参考になるぞ」
「ありがとうございます。次の自習の時に――」
「その本は貸出可だ。貴様、資料室の本を借りたことは?」
「ないです」
「なら、貸出のやり方を教えてやる。ちょっとこい」
フェリックスはアルフォンスに言われるがまま、貸出の手続きを行った。
貸出中という書類に、借りたい本のタイトル、借りた日付と名前を記入するだけである。
フェリックスの前にも様々な教師が借りており、中にはリドリーやアルフォンスの名前も書いてある。
「返却は借りた日から二週間。それでも返って来てないのであれば、借りている教師に直接声をかけるといい」
「わかりました。そうします」
ここでようやくアルフォンスから解放される。
フェリックスは急にアルフォンスが優しくなったことに首を傾げながら、自習に使っていた本を片づける。
「では、僕は先に社宅へ戻ります」
「ああ。お疲れ」
フェリックスは残るアルフォンスに声をかけ、資料室を出た。
『お疲れ』とねぎらいの言葉がアルフォンスの口から発せられたことに、フェリックスは身震いをした。
☆
アルフォンスはフェリックスが出て行ったドアをじっと見つめる。
「ちょっとは先輩らしいことができただろうか……」
アルフォンスは独り言を呟き、フェリックスが去った資料室で自習を再開する。
☆
場所は変わり、コルン城。
「……暇じゃのう」
王座の間にて、女王イザベラは退屈をため息と共に吐く。
「女王様」
傍にいた臣下が、イザベラのご機嫌を取ろうと声をかけてきた。
(……話に付き合ってやるかのう)
イザベラは臣下の話に耳を傾ける。
「退屈していらっしゃるのでしたら、新しい宝飾品とドレスはいかがですか?」
「……買い物では満たされぬ」
買い物は楽しいが、物を手に入れた瞬間、途端に飽きてしまう。退屈が一瞬しか満たされない。
「チェスはどうですか? 腕利きの者をすぐに呼びます」
「そんな気分ではない」
戦略性のあるチェスは楽しい。腕利きの者ならば、それなりに楽しませてくれるだろう。
少し心が動いたものの、興がのらない。
イザベラは臣下の二つ目の提案を拒否した。
「で、でしたらお茶会を開くのは? 騎士団や軍部の見目麗しい男性たちを集めてきますよ。イザベラさまが開くお茶会でしたら、彼らは自らの仕事を捨てて、すぐさま駆けつけるでしょう」
「……」
三つ目の提案。
見目麗しい、若い男性に囲まれてちやほやされるのは悪くない。
夫を亡くし、独り身であるイザベラにとって、寂しさが満たされる。
気持ちが大きく揺らいだが、イザベラはあることを思い出し、考える。
「いかがですか……?」
「じきに晩餐会じゃ。紅茶を飲み、茶菓子を口にしたら腹が膨れてしまうじゃろ!」
イザベラは臣下の三つ目の提案も拒否する。
「そなた、面白い話はできないのか?」
「面白い話、ですか……」
イザベラは臣下に、関心を引く話題を求めた。
臣下は話題を塾講している。次第に彼の額から冷や汗が湧きだし、顔が真っ青になってゆく。
(ふふ、焦っておる)
イザベラは困っている臣下の表情を見つめ、楽しんでいた。
「マクシミリアン公爵との会話なのですが――」
口にした途端、臣下は目を見開き、しまったという表情をする。
すぐに平常に戻ったが、イザベラは臣下が取り乱した一瞬を逃さなかった。
「ほう、わらわの甥、フェリックスがいる、あの家か」
フェリックス・マクシミリアン。
亡き夫の家系を継ぐ唯一の男児。
イザベラが臣下たちを懐柔していなければ、王位はフェリックスの元へ渡っただろう。
パーティで見たフェリックスは、純粋な若者といった印象だった。
以前は野心に満ちた、上級貴族の息子だったのに、なにが彼を変えたのだろうか。
(ああ、フェリックス。わらわの手で汚したいのう)
雰囲気が変わっても、背が高く、完璧な容姿であるのは間違いない。
亡き夫と同じ、快晴の空のような碧眼。亡き夫と似たフェリックスの眼差しを浴びたイザベラの心は、フェリックスをもっと知りたい、己のものにしたいという欲でかき乱されていた。
「イザベラさま……?」
「話せ」
「はっ」
臣下は安堵した表情を見せたあと、話を続ける。
「ご子息のことで頭を悩ませているようで……」
「先日、パーティで会ったが、親を困らせる不良には見えなかったがのう」
「それが……、家督を継がず、教師の道へ進んだそうなのです」
公爵という安泰な地位があるというのに、それを捨て、教師の道に進むとは。
家督を継げぬ次男、三男がやることではないか。
面白い話だと、イザベラの口元が緩む。
「確か――、わらわの甥は一人っ子じゃったかの」
「はい。マクシミリアン公爵家の跡継ぎはたった一人しかいません」
「分かり切ったことを申すな。先の話をしろ」
「は、はいっ」
分り切ったことを堂々と言われると腹が立つ。
臣下に指摘すると、彼は緩んだ表情を引き締め、マクシミリアン公爵から聞いた話を続ける。
「教師の道に進んでも、社会に溶け込むことができず、すぐに辞め、領地に戻ってくるだろうと、マクシミリアン公爵は思っていたそうなのですが……」
「ふむふむ」
「赴任初日から、魔法勝負に二回勝利するという大活躍を遂げ、職場に溶け込んだようで、想定外だと漏らしていたのですよ」
「見事な活躍じゃな! 強い男、わらわは大好きじゃ」
フェリックスの活躍を聞き、イザベラは上機嫌になった。
どうして気分が高揚したのか、それは自身でも分からなかった。
なにか見えないものに引き寄せられている、そんな感じがした。
「気になるのう……。甥にもう一度、会って話したい」
「かしこまりました! マクシミリアン公爵にそう伝えておきます!!」
「甥の負担をかけぬよう、近くに来たらわらわに報告するよう、伝えておけ」
「はっ」
「うむ。わらわは満足じゃ。晩餐会まで、少し休もうかのう」
イザベラは玉座から離れ、後ろにある女王の私室に入った。