「うおおお……!」
馬車の後ろから顔を出し、拓真は流れ映る城下町の景色を楽しんだ。道はドルミナの町より断然広い。道沿いには商店が並び、人々が買い物をしながら歩いている。馬車は道の真ん中を通っているが、それでも人々とぶつかりそうにもないくらい離れている。
通りを行き交う人々は、大人も子どももみんな微笑んでいる。毎日楽しくて仕方がないという感情が、溢れているようだった。
「ふふ、すごいわよね。やっぱり王都はいつ来ても賑わっているわ」
「ここは一番大きな通りだから、食べ物の屋台が多いんだ。もう少し道を外れたら酒場や武具屋もあるから、そこでタクマ殿の新しい装備品を見繕ってもいいかもしれないね」
ロザリンやランディの言葉は、拓真の耳に入ってもすぐに通り抜けていく。流れていく商店の一つ一つに目を輝かせ、目で追っているのだ。そんな様子を見て、ロザリンは小さく笑った。
「タクマがこんなに夢中になるとは思わなかったわ。今までこういうところには、あまり来たことがなかったのかしら?」
「え? ああ……」
ようやくロザリンから声をかけられていると気づいた拓真は、気恥ずかしそうに顔を引っ込め、
「ま、まあ……小さいころからずっと稽古三昧だったからな。こんなテーマパークみたいなところは、テレビで見ているだけだったし……」
「てーま……?」
「えーっと……つまり、俺はこういう賑やかなところは、あんまり慣れていないってことだよ」
なんだかむず痒くなり、拓真は肩を上げてみたり首を回してみたり、落ち着きがなかった。ランディも小さく笑うが、その瞳は穏やかで優しいものだった。
「それなら尚更、用事が終わったら町を見て回らないとね」
「そうよそうよ! みんなでお買い物しましょう! お留守番をしてくれているアクロさんとポムに、お土産も買って行ってあげたいし……」
そう話していると、町に入ってからゆっくりと歩いていた馬車は、ついに停止した。どうしたものかと幌から顔を出してみると、拓真の目の前には王都からの使者である小綺麗な服を着た男がいた。
「うおおっ⁉ びっくりしたあ……」
「驚かせてしまって申し訳ありません! 皆さん、お疲れ様でございました。このままお宿まで案内いたしますので、どうぞ私についてきてください」
王都からの使者である男の手をとり、拓真から順番に馬車を降りていく。馬車から降りると、そこには他の馬車もいくつか止まっていた。馬車と繋がれた馬たちは、身体を拭いてもらっていたり、ご飯を貰ったりしている。この世界の移動手段の一つである馬車は、各地に存在する馬屋と呼ばれる施設から借り、町から町への移動で使われるのだ。どうやらここは、王都の馬屋らしい。
馬車から荷物も下ろし、拓真たちは王都からの使者についていく。馬屋から出ると、緩い下り坂に沿った商店が多く見えた。だがそこを下っていくわけではなく、さらに道の奥へと進んでいった。
「この辺りは……?」
「民の居住区さ。この辺はとても穏やかで静かだね」
拓真の問いに、ランディが答える。
人々がすれ違えるだけの道は、背の高い建物に囲まれていた。道に面しているところは、お店のようなところも多い。だがそれより上は居住区というだけあって、窓際に置いた植物に水をあげる女性や、弦楽器を引いている男性の後ろ姿などが見受けられた。
「この辺は、ってことは……そうでないところもあるのか?」
「女王陛下が尽力し、全ての民が平和に暮らすことを目指しておりますが……確かに、そうではないところもございます」
今度は王都からの使者が答える。
「ですが、この王都アダルテは現在、ロストリア大陸の中では一番平和かと存じます! 魔獣も入ってこない、人攫いも入ってこない、まさに最後の楽園!」
興奮気味に言う王都からの使者に、拓真は心配そうに訊ねる。
「でも、あんた……この間、魔獣に追われただろう? もし同じようなことが、ここであったら……」
「大丈夫ですよ! この王都には民を護る兵団がいますし、兵団でも敵わない相手だとしても、女王陛下と剣術協会の皆様がいらっしゃるんですから!」
王都からの使者は、とても自信に満ち溢れつつ答える。その能天気具合に、拓真は一抹の不安を覚えたが、それ以上は何も言わなかった。
それから、道案内の間は特に会話はなかった。拓真が見慣れぬ町を見るのに夢中で口を開かなかったのもあるが、ロザリンはある違和感を覚えていたのだ。
「さあ、お宿に着きましたよ!」
しかし案内は何事もなく、静かに終わった。居住区を通り過ぎてまた大きな道に出たが、そこに沿っては歩かず、人が一人通れるくらいの道に入る。町の喧騒が聞こえないくらいまで来ると、空は開いて見え、大きな建物が点在する広々とした町並みに出た。
そのうちの一つの建物に、王都からの使者は案内した。宿屋の看板には、名前がない。
「……いつもは、もっと下の通りに宿屋を用意してくださっているのに」
ロザリンの疑念は口にされど、答える者はいない。
「では私はここまでとなっておりますので……また機会があればお会いしましょう!」
役目を終えた使者は、そそくさと立ち去ってしまった。
拓真とロザリン、そしてランディは、宿だと案内された建物を見上げた。土台はレンガでできているようだが、基本的には木造のようだ。見える窓は外側から横に板を張り付けられており、開かないようにされている。心なしか赤色に染められた屋根は、一部が剥がれているようにも見えた。
「……営業しているようには思えないけど、本当にここなのかな?」
全員が思っていることを、ランディが口にした。
「なんか変だなあって思っていたのよね……でも、会長がわざわざ案内させたってことは、間違いないと思うの」
そうはいうが、ロザリンもやはり疑念は捨てきれないらしい。
「まあ、とにかく入ってみようぜ。こんなに歩いてきたんだから、二人もちょっと疲れただろ? 少し休憩してからまた考えて……」
そう言って拓真が宿屋の扉に手をかけるも、何かを感じてすぐに手を離し、後ろへと退いた。
心臓が強く打っている。本能的に恐怖を感じたのか、ぶわっと脂汗が一気ににじみ出てきて、拓真は詰まった息を短く吐いた。
「どうしたの、タクマ⁉」
「何か、ただ事ではないような反応だね」
ロザリンとランディは剣を構えた。拓真も気付けば腰に差していた護身用の木の剣に、手をかけている。脂汗はまだ引かないが、それでも拓真は再び向かっていった。
「……何かいる」
細心の注意を払いつつ、拓真はそっと扉を開けた。扉は古いものなのか、ギィ、と嫌な音を立てて開かれる。宿屋の中は暗く、明かりはないようだった。扉が開くのと同時に陽の光が入り、それが薄暗い宿屋の中を見せてくれる。
「安心しろ。今は何もしない」
宿屋の中から、落ち着いた女の声がした。扉を開けきると、その光が正面に足を組んで座っている少女の姿を映し出す。その隣には、肩にマントを羽織った大柄な男が立っていた。
「なっ、なぜここにっ……⁉」
拓真の後ろから宿屋の中を覗き込んだロザリンとランディは、途端に膝をつき、少女へ向かって頭を下げた。少女は手の平を上下に振り、面倒くさそうな表情を見せる。
何もわからない拓真は取り残され、ロザリンたちと少女を交互に見るばかりだった。
「あー、そういうのはよい。今は剣術協会会長として、ここにいるのだからな」
「で、ですがっ……」
「よいと言っているのだ。いうことを聞け」
空気が揺れる、ということを拓真は体験した。少女のような見た目から発せられる落ち着いた女の声が、凄まじい圧を放ったのだ。扉に手をかけた時に感じたものはこれだと、拓真は自然と背筋を伸ばす。
ロザリンとランディも姿勢を直し、その場に立ち上がる。すると少女はようやく笑みを見せ、拓真を見ると目を細めた。それは品定めをするようなもので、拓真はどことなく居心地の悪さを感じた。
「お前が道端の英雄だな?」
「……どうやらここでは、そういう噂がされているらしい」
ランディと出会った際にも言われた、自分では聞いたこともない噂の名前。それに答えると、隣に立つ大柄な男が一歩前に出た。それも、強い敵意を拓真に向けながら。
「よい、オークス。許してやれ」
少女がそういうと、オークスと呼ばれた大柄な男はまた一歩下がり、同じ位置へと戻った。敵意は完全に消えているようで、オークスは物静かな銅像のように動かなくなった。
「あ、あのね、タクマ……この方は……」
「ロザリン、私が自ら名乗る。水を差すような真似はするな」
こっそりと話しかけるロザリンを牽制すると、少女は椅子から降りて拓真へと近寄った。ロザリンとランディは腰から曲げて礼をし、少女を迎える。拓真だけはわけがわからないままなので、妙な緊張を感じながらもそのまま目の前に来た少女を見下ろした。
少女は頭を下げることもなく、握手を求めることもなく、右手を腰に当てて尊大な態度で拓真と対峙した。
「私はミルフェムト・リオーラ・アルバイン。剣術協会の会長であり……」
清らかで甘く、ふわりとした柔らかい香りが拓真の鼻をくすぐる。
「この