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―第十六章 旅立ち前夜―

 魔獣を倒した後のことは、よく覚えていない。拓真はいつの間にか剣術学校に戻っていたらしく、気付けばベッドで横になっていた。


「あ……起きたのね」


 目を覚ましたのと同時に、ロザリンが部屋に入ってきていた。どうやら様子を見に来ていたらしい。ベッドの脇に座るロザリンは、切なげに微笑んでいた。


「ロザリン……」

「そのままでいいわ。あの後、ランディがあなたの元へ行ったとき、すでに戦いは終わっていて……それで、ランディがあなたを抱えて戻ってきてくれたの」


 そう言われても、まるで他人事のようだった。そんなことがあったなんて、拓真は覚えていない。


「一人で魔獣と戦って、大変だったわよね……」


 するりとロザリンの指が、拓真の頬を撫でる。魔獣と戦っていた際に傷がついていたらしく、若干痛んで顔を歪ませると、すぐにロザリンは指を引っ込めた。


「ありがとう、戦ってくれて。あなたはドルミナの町を護り、防衛隊のみんなの命も救ったわ」

「……大丈夫だったか?」

「ええ、あなたが逃げる時間を稼いでくれたおかげで、みんな無事だったって」

「そうじゃない……」


 怠そうながらも首を振る拓真に、ロザリンはきょとんとした表情を向けた。


「ロザリンが大丈夫だったか、聞いているんだ」


 その言葉で、拓真が何を心配してくれているか理解した。胸の中で、温かいものが広がっていくのを感じた。思わずこみ上げたものを隠すかのように、ロザリンは顔を背けた。


「あの後、隊長さんがわざわざうちに来てくれたの。私にタクマが魔獣と戦ってくれたことを教えてくれて、それで、その……ひどいことを言ってすまなかったって、謝ってくれたわ」

「……そうか」


 少しだけ、拓真の胸の中にあった嫌なものが晴れた気がした。それとなく空気が和らぎ、二人はまた微笑みつつ顔を見合わせる。


「それでね、今回魔獣が町に来てしまったのは、王都からの郵便屋さんを追いかけてきてしまったからなんだって。その郵便屋さんはうちに用事があって、それで隊長さんが案内がてら来てくれたのよ」

「そうだったのか……それで、その郵便屋はなんだってうちに?」

「えーっと、それがね剣術協会からの呼び出しの手紙で……起きたばかりのところ申し訳ないんだけど、明日から王都へ行くことになったわ」

「えっ⁉」


 思わず身体を起こした拓真は、全身を謎の痛みに襲われて再びベッドに横になった。ランディとの決闘でできた怪我の痛みではない。筋肉痛に近いような、芯に近いところが痺れるような痛みだった。


「それは……ロザリンだけか?」

「いいえ、あなたもよ。あとはランディも」

「なんで俺とランディまで……?」

「詳しいことは道中にでも話すわね。郵便屋さんが馬車を手配してくれたらしいから、一緒に王都へ向かうことになるわ」


 ロザリンは立ち上がり、部屋を出ていこうとドアに手をかける。


「とにかく今夜は寝てちょうだい。また明日の朝、起こしに来るわね」

「ああ、わかった……全く、忙しいったらありゃしないな」

「そうね、王都についてもきっと忙しいと思うけど……一通り終わったら、ゆっくりしましょう。私、お菓子も作れるのよ。ぜひタクマに食べてもらいたいわ」

「そりゃあいい。甘いものは……大歓迎だ……」


 身体の奥底からくる怠さに逆らえず、拓真は再び目を瞑り始めた。寝息がきこえてくると、ロザリンは一度その寝顔を見て、クスっと微笑む。


「おやすみなさい、タクマ」


 静かにドアを閉め、ロザリンは階下へと向かった。時刻は深夜を回っている。ランディもその取り巻きであったアクロやポムも、すっかり休んでいる時間だ。

 ドルミナの町も、昼間に魔獣が出た騒ぎはあったが、今は皆がゆっくりと眠っている。夜に魔獣が出ないとは限らないが、防衛隊の他の隊員が見回りをしているとのことだ。頼もしい限りだとロザリンは彼らを思い、そして無事を願った。


「さて、と!」


 自らの頬を叩き、ロザリンは喝を入れた。いつまでも昼間に言われた暴言にくよくよしているようではいけない。明日から王都に入り、剣術協会関係で忙しくなるのだ。気持ちを切り替えて、ロザリンは歩を進めた。


「明日の朝は浴びる時間なんてないから、いまのうちに浴びておかないとね」


 いつもは起床してから水浴びをするのがロザリンの日課なのだが、明日は朝方に旅立つこととなっている。ささっと浴びて早く寝ようと思い、水桶部屋へ向かうのだが……。


「……ん?」


 ロザリンは足を止める。水桶部屋に、うっすらと灯りが点いているのだ。今はもう誰もが眠っているはず。拓真の様子を見に行く前に、就寝の挨拶だってしたのだ。着替え室に服が置いてあるようだが、誰のものかはよく見えない。水桶部屋の扉の前に立ち、ロザリンは軽くノックをした。


「誰か使ってる? ポム? それともアクロさん?」

「っ……ロ、ロザリン、嬢か……」


 その声は、ランディだった。怯えるような驚き方をしたランディに疑問を持ったロザリンは、声を潜めて訊ねる。


「どうしたの? こんな時間に浴びてるなんて、何かあった?」

「い、いや、なんでもないんだ……そちらこそ、こんな時間に……?」

「ええ、明日の朝は浴びる時間がないと思って……あ、もしかしてあなたも?」

「……似たようなものだ。できればすぐに、出て行ってもらえると助かる……」


 どこか不安定な雰囲気のランディに、ロザリンは心配になってさらに言及する。


「でも、あなたの様子、なんだか変よ? もしかして、具合が悪くなったりでも……」

「しない、からっ……頼む、放っておいてくれ……!」


 突き放された言い方に、ロザリンは胸の奥がちくりと痛んだ。突然現れたかと思えば決闘を言い渡し、拓真と戦いたがったランディ。しかし交流を重ねてみれば、人のことを思いやれる心優しい人であることがわかり、生活も共にしていくうえで、仲間意識が芽生えてきていた。今日だってそうだ。ロザリンが足の力が抜けてその場に崩れた時、すぐに駆け寄ってきてくれた。拓真が魔獣との戦いに向かった際も、ずっとロザリンの傍にいてくれたのだ。

 父がいなくなり、学校の生徒もいなくなり、挨拶をしてくれる人はいれど、近しい人はほとんどいない。そんなロザリンにとって、拓真とランディ、そしてポムとアクロは、付き合いは短いながらもすでに大切な存在となっていた。


「ねえ、ランディ……あなたにも、いろいろ事情はあると思うけど……」


 そっと扉に手を置きながら、ロザリンは優しく言う。


「何か困ったことがあるなら、何でも言ってね? 私だって、助けてもらったんだし……できることなら、協力するから……」


 だから、突き放さないでほしい。そんな後ろ暗い感情を押し込めつつ、ロザリンは扉を撫でた。

 ランディからの返事は、ない。また時間を置いてから水桶部屋に来ようと、脱衣室から出ていこうとしたところで、ランディが声をかけてきた。


「すまない、ロザリン嬢……君の優しさを、無下にするようなことを言って」

「ううん、いいのよ。人には人の事情があるものね」

「……そうだね。でも、僕の事情は、君に話しておいた方が楽かもしれないって……思ったんだ」


 ギギギ、と建付けの悪い水桶部屋の扉が開く。ひた、ひた、と水を含んだ足音が、ロザリンへと近づいてきた。


「えっ⁉ ちょ、ちょっと、ランディっ……!」


驚いたロザリンは、咄嗟に目を両手で覆った。しかしランディが何も言わないことを不思議に思い、恐る恐る手を避け、その姿を見る。


「……ラン、ディ……あなた……」


 淡い灯りに縁どられて影に浮かぶランディの身体は、男性のものではなかった。筋肉が程よくついてしっかりとしたものだったが、よくよく目を凝らせば女性の身体だということがわかる。

 息を飲んだロザリンは、そっと囁きかけるように訊ねた。


「……隠していたからには、事情があるんでしょう? アクロさんやポムは、知っているの?」

「理解が早くて助かるよ。もちろん、長く一緒にいた彼らは知っているよ。知ったうえで、僕のことを慕ってくれている」


 身体を拭き、寝間着を着るランディから顔を背けつつ、ロザリンは頷いた。


「いい関係なのね……その、女性であることを隠しているのはどうして?」

「……強くなるために、ね」


 拓真に弟子入りを頼んだ日にも、ランディは強さについて言っていた。異様なほどまでに強さにこだわるからには、何かがあるのだろう。そのために性別まで偽っているとは、まさか思わなかったが。


「そう……私があなたのためにしてあげられることって、何かある?」

「……タクマ殿には、黙っておいてもらえると助かる。女であると知られて、剣を合わせた時に手を抜かれても嫌だからね」


 そして着替え終わると、ランディはロザリンへ向けて軽く微笑んだ。


「急にこんなことを打ち明けてしまってすまない。明日からの王都でも、よろしく頼むよ」

「こちらこそ、よろしくね。話してくれてありがとう」


 なんでもなかったかのように横を通り抜け、ランディは部屋へと戻って行った。

 ロザリンは、水を浴びながらランディのことを考える。


(……ランディは、強さのために性別まで隠して努力をしている)


 自分は剣の強さで有名な父を持っているのに、どうして剣のレベルが上がらないのか。強くなりたいとは思えど、ランディほどの努力はしていないと自覚している。その差をまざまざと見せつけられたような気になり、ロザリンは瞳を伏せた。


「私は……」


 ランディが、羨ましいと思った。そこまで深く強くなりたいと願えることが、羨ましかった。強くなれないことを知っているうえで、無駄に剣を振るう自分が、ひどく滑稽に見えてしまった。昼間に防衛隊に言われた言葉が、再びロザリンの胸中で繰り返される。

 言葉の痛みにギュッと目を瞑り、そして開く。暗がりの部屋にはたった一人だけで立っていて、それは強さに対して立ち止まっている状況と同じように感じられた。


「強さって、なんだろう……」


 水は、ロザリンの頭の先から足の先まで冷やしていく。それでも心の中で生まれたひずみを流すことは、できないようだった。


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