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―第十五章 魔獣撃退―

 あの時と同じだ、と拓真は呼吸を整えつつ思う。

 ランディとの決闘の際に感じた、身体の奥底に何かが沸き上がっているような感覚。それが狼型の魔獣に押し倒された人に死が迫った瞬間、また沸々と湧いて来たのだ。


「今の俺なら……やれる」


 剣道の型を取り、拓真は魔獣と向き合った。手に持つのは木の剣だが、それでもなんとかできると信じていた。

 魔獣は距離を取り、低い唸り声を上げていた。身体を低くし、拓真を見定めている。どこから攻めるべきか、どうやって殺すべきか。魔獣の薄暗い瞳は、拓真の血を見たがっている。


「やあっ!」


 先に動いたのは、拓真だった。背中や足の毛が金属並みに硬いのは、防衛隊が戦っていたのを見て知っている。ならば、頭はどうか。目に剣を向けた際は、すぐに飛びのいた。それなら、頭に攻撃が通る可能性は高い。


「面っ!」


 的確に魔獣の頭を狙い、剣を振り下ろす。だが相手は魔獣だ。人間の相手とは違い、また、剣道とは全く違う動きを見せる。

 魔獣は素早く身を翻し、尾を振り回した。岩のような尾の先が勢いに乗って横から拓真に襲い掛かるが、それは避けられないものではない。


「ランディの速攻剣技に比べりゃあ、全然遅いな!」


 一歩だけ引いて尾を避けると、拓真は魔獣との間合いを見た。魔獣は背を向けたが、すぐに前を向きなおし、またも姿勢を低くして拓真の出方を見ている。

 ちらりと視線を後方に向けると、襲われかけた防衛隊の二人が、腰を抜かしてみているようだった。


「あんたらっ……ぼーっと見てないで、さっさと逃げろよな!」


 拓真の声でようやく防衛隊はふらふらと立ち上がり、倒れた他の四人の仲間の元へと駆け寄った。魔獣がそちらへ行こうとしたので、拓真はあえて鼻先に剣を当てようとして、気を自分へと向けさせる。


「お前の相手は俺だろ」


 気を引かせるための温い攻撃に苛立ったのか、魔獣は噛みつこうとその口を開いて拓真へと飛びかかった。


「いっ⁉」


 慌てて剣を横にし、口に挟みこんで噛めないようにする。剣がつっかえ棒になり、魔獣は慣れないであろう二足歩行を、余儀なくさせられる羽目となった。

 さすがに馬と近しい体躯を持つ魔獣が二本足で立つと、その重さも大きさもとんでもないものだ。だがよく見てみると、魔獣の喉から腹にかけては真っ白な毛で覆われており、そこは動物らしい毛並みとなっていた。


「ここだけは可愛らしい、なっ!」


 腹を目掛けて蹴り込むと、拓真を噛もうとすることに集中していた魔獣は反応が遅れ、蹴りを入れられてしまった。


「キャイン!」


 本当の犬のような悲鳴を上げる魔獣に、なんだか申し訳ないという気持ちが一瞬込み上がったが、それをぐっと抑え、拓真は木の剣にまとわりついたベトベトの唾液を振り払った。


「なるほどな。外側はめちゃくちゃ硬いが、その内側は柔いってか」


 喉か腹を狙えば、倒せる。そうわかったはいいが、問題はどのようにして隙を作るかだった。

 魔獣の主な攻撃は三つ。噛みつき。尾を振り回す。そしてまだ一度しか見ていないが、遠吠えによって生じる衝撃波。


(一番攻撃しやすそうなのは遠吠えの時。でも防衛隊に囲まれたときにしか見せていない。一対一の時はしないのなら……)


 先ほどと同じように、噛みついて来たところを狙うしかない。


「……俺も、なんでこんなに冷静に対応できているんだか」


 不思議な力のおかげで、拓真は普段の自分にはできない動きをすることができた。こんなに大きな生き物を目の前にしても大きな怪我をせずにいられるのは、その力が働いていることが大きい。それとも、早くもこの世界に順応してきている証拠でもあるのか。


「なんにしろ、こんな凶暴な奴が町に入ったらまずいし、どうにかしないと」


 拓真が駆けつけた時にできていた人集りは、いつの間にかなくなっていた。防衛隊はまだ移動に手間取っているようだが、もうすぐ魔獣から離れることはできそうだ。


「よし……こいっ!」


 口笛を吹き、魔獣に自分へ向かってくるよう煽る。魔獣は低く唸ると、飛びかかるように見せて尾を振り払って来た。

 ごろりと横へ転がり尾を躱すと、今度は噛みつき攻撃がきた。地面に転がった拓真に対し、魔獣の繰り出す噛みつきは素早い。大きな牙は地面を抉るが、臆することなく魔獣は何度も噛みついてくる。


「だああっ!」


 この位置からなら、喉元へ届く。転がりながら噛みつきを避け、拓真は下から剣を振り上げた。しかし魔獣はそれをひらりと躱し、再び距離を取る。

 ブンッ、と重たく振られる尾は、機嫌が悪いように見て取れる。尾を上下に振り、地面へと叩きつけている様子は、何か不満を言いたげにも見えた。


「なんだよ、俺がなかなか倒れないのが嫌か?」


 言葉は理解できているのか、そうでないのか。魔獣は拓真へと飛びかかるために、大きく口を開けて足へ力を込めた。

 今度は避けるつもりはなかった。先ほどと同じように魔獣の口に剣を挟ませた拓真は、それを支えたまま、横へ薙ぎ払うように力をかける。


「ぬぅんっ!」


 魔獣の立ち上がった足を払い、剣を横へと向けてその巨躯を振り払うと、魔獣はひっくり返って倒れ込んだ。


「ここだ!」


 またも唾液にまみれた木の剣を、魔獣の胸元へ突き立てようと切っ先を向ける。皮を貫くまではいかなくとも、行動を鈍くすることはできるはずだ。剣の先が毛に触れようかという、その時。


「ウォウ!」

「うわああっ⁉」


 瞬間的に、魔獣が発した衝撃波が拓真の身体を浮かせ、後ろへと弾き飛ばした。剣は届かず、むしろその衝撃波のせいで手から離れてしまった。

 すぐに魔獣は身を起こし、拓真を睨みつける。尾を身体の前へ出し、まるで自身を護っているようだった。


「くそっ、さすがに剣がないと俺は何も……」


 拓真もすぐに身を起こし、魔獣と向き合う。拓真に武器がないとわかると、魔獣は素早く噛みつき攻撃を繰り出してきた。だがもう飛びかかる真似はせず、四本脚を地面から離さず、一歩ずつじりじりと詰め寄ってくるような噛みつき方だった。


「けっこう頭いいなあ、お前……」


 手から離れた木の剣は、もうすっかり遠くになってしまった。近くには使えそうなものもない。町と道が近いため、整備された環境なので石もなければ木の枝すら落ちていない。整えられた街路樹が立っているだけで、拓真の武器は持っていた木の剣しかなかった。

 万事休す。まさにその言葉が頭をよぎった瞬間、拓真の足に何かが当たった。


「これは……」


 魔獣の後方をとっていた四人の防衛隊の一人が持っていた剣が、そこに転がっていたのだ。拓真が持っていたような木で作られたものではなく、鉄でできた間違いなく本物の刃を持つ剣。一度だけ、強く拓真の心臓が叩かれる音がした。


「……」


 これを使えば、間違いなく魔獣を仕留められる。その命を奪うことになる。


(命を奪うってのは、あのクソ野郎と同じことを……)


 生きている相手の命を、自らの手で奪うことは、できるだけやりたくなかった。生きるために、食べるために命を奪うことについては理解している。無駄な命を奪うことを、奪う必要のない命を、殺めたくないのだ。


「……でも」


 拓真の身体は、剣を手に取る。幅の広い刀身で、剣道には圧倒的に不向きなものだった。それでも、手に取らなければならない。


「やるしかない場面ってのは、あるんだよな」


 魔獣は唸る。拓真から溢れる殺気を感じ、ひと際低く、大きく唸っている。


「逃げるなら今のうちだぞ。向かってくるというなら……」


 拓真の警告を聞かずに、魔獣は駆け出した。魔獣が何のために戦っているのか、拓真にはわからない。本能がそうさせるのか、それとも作られた生き物だというのなら、何か目的があるのか。


「……それなら、仕方がない」


 考えるのは後だ。まずは今、目の前に迫る危機に対応しなければならない。拓真は深く息を吸い込み、剣を高く掲げた。そして、ゆっくりと目を閉じる。

 魔獣はただ駆け込んで噛みついてくるのかと思いきや、拓真の目の前で足を踏み留め、駆けた勢いを乗せて尾を振り回した。凄まじい重さとなった岩の尾が迫るが、拓真の胸内は静かだった。

 ふ、と軽く息を吐くと、拓真は目を開き、剣を斜めにして切り込んだ。


「伊東一刀斎流“瓶割”」


 岩と毛の境目に剣を入れ、そのまま割るように裂く。ブチブチ、と何かを繋ぐような線を斬る感覚が、剣を通じて拓真の手に伝わった。


「ギャオオオオッ!」


 岩は身体の一部だったのか、魔獣は聞いたこともないような悲鳴を上げた。血が噴き出し、岩が一部剥がれた尾はだらりと下がって拓真の前に落ちる。勢いのままに魔獣の身体は転がり、腹を見せた状態となった。

 歩み寄ってくる影に怯えることなく、魔獣は最後の抵抗に唸り声を上げた。尾はもう振り回せず、岩の剥がれた個所からの血は止まらない。

 哀れにも見える生き物を前に、拓真は少しだけ悩んだ。だが魔獣の大きな手が拓真を斬りつけようとしているのを見て、今しかないと改めて思い直す。


「どうか許してくれ、お前の命を奪うことを」


 そう呟いて、拓真は魔獣に胸に今度こそ剣を突き立てた。

 ひと際甲高い獣の声が響く。死の匂いが、拓真の鼻をくすぐった。


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