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―第二章 揺さぶられた魂―

「う……ぅ……」


 地面が揺れているような気がした。だが地震のように、大きく揺さぶられるようなものではない。周りで人々が走っているようかのような、細かな振動だ。

 同時に、たくさんの声が聞こえた。怒号や悲鳴、勇ましい雄叫びに情けない泣き声。それらは遠いところではなく、すぐそこで聞こえるものだった。

 そして地面が冷たい。いや、地面ではない。顔が半分ほど、水に浸かっている。それに気付いた拓真は、慌てて顔を起こした。


「ぶはっ! げほっ、げほっ……」


 不思議なもので、意識すると自分の胸の中に水がいくらか入っていたような気がして、身体が反射的にむせ始めた。倒れていた身体を起こし、膝をついて上半身を丸めてむせる。周りは騒々しいままで、拓真を気にかける者はいないようだった。


「ぜぇっ……い、一体なんなんだ……えっ?」


 拓真は、自分が先ほどまで顔を浸けていたのは、水たまりだと知った。土がむき出しの道の上にあるごく普通の水たまりは、気持ちのいい青空と温かな陽の光を反射している。その中心で、黒髪の健康そうな若い男が驚いた顔をしていた。


「これは……俺、なのか……?」


 水たまりに映っている若い男は、紛れもなく拓真だった。驚きながらも、拓真は自らの手で顔に触れる。頬はこけておらず、肉がついている。しっかりとした首に、分厚い手の平。ぐっと拳を握り、ぱっと開く動作を何度か繰り返し、やはり自分の意思で動く身体なのだと、改めて確認をした。


(これは俺が二十歳くらいの時の恰好……なんで若返って……? いや、それよりここは……)


 身体が動くことを確認し、拓真はようやく自分以外に視線を向けることができた。

 一言で言えば、地獄絵図だった。馬車のようなものが倒れ、手綱から離れた馬が暴れている。その付近で、倒れている男が何人もいた。血を流して動かない者もいれば、うめき声をあげながら、なんとか這いずってその場から離れようとしている者もいる。

 その中で、剣をぶつけあって戦っている者がいた。農民のような姿の男が数名と、その中心に長い金髪を携えた若い乙女が一人。彼らが向き合っているのはたった三人の男なのに、どうにも苦戦しているようだった。


「な、なんだよこれ……こんな、映画とかゲームみたいな……」

「おい、あんた!」


 あまりにも現実味のない光景に腰を抜かしていた拓真に、潜めつつも声をかけたのは褐色肌の男だった。男は目立たないように身を低くしながら拓真に近づき、近くの茂みの影へと拓真を引っ張り込んだ。


「えっ、だ、だれ……?」

「今は自己紹介なんてやってる暇ねえよ! せっかく時間稼ぎしてもらってんだ、早く逃げねえと!」

「逃げる? なにから?」


 あまりに突然のことに、拓真は呆気に取られてしまった。褐色肌の男は大袈裟なため息をつき、拓真の肩を掴んで前後に揺さぶった。


「馬鹿かよ! オレたちは人攫いに連れていかれるところだったんだぞ! それをあの剣術協会のねーちゃんが、助けてくれたんだっての!」


 褐色肌の男が言うねーちゃん、というのは恐らく金髪の乙女のことで間違いないだろう。


「あんな若い女の子が……助けてくれたのか……?」

「そうだよ! だから早く、できるだけ遠くに……」


 金髪の乙女は、相変わらず三人の男と戦っていた。しかし、乙女の味方である農民のような男たちは剣を持っていても敵わないのか、次々と倒れていく。それでも乙女は諦めずに剣を振るう。


「ほら、行くぞ! あのねーちゃんだって、いつまで持つかわかんねえし……」


 褐色肌の男は、拓真の手首を握ってここから離れようと腰を上げた。だが拓真は動かない。


「どうした? あんたも怪我して動けないとかか?」

「いや……」


 拓真の目は、金髪の乙女を映していた。乙女は三人の攻撃を受けながらも、よく耐えている。自分たちが優勢だと気付いた男たちは、乙女をいたぶるように追い詰めていった。二人の男はわざと剣を大きく振り回し、もう一人は威嚇するように鞭を鳴らす。このままでは乙女の肌が、ずたずたに斬り裂かれることだろう。

 拓真の何かが燃えるような感覚がした。心の奥底で、くすぶっていた何かが。


「……攫われたとか、剣術協会とか、よくわからんけど……」


 拓真は褐色肌の男の手を振り払うと、すぐ近くに落ちていた馬車の破片であろう木材を拾い、戦いの場へと歩み寄った。


「ばっ……何を考えてんだ⁉ あんたが行ったって、できることなんかねえだろ⁉」

「だからといって、助けてくれた人を放っておくことはできねえよ」


 木材は角材であったが、なんと都合のいいことに竹刀と同じ大きさで、とても握りやすかった。両手で木材を握り、素振りをする時と同じ構えをしながら、拓真は前へと進んだ。 褐色肌の男は、狼狽えながらも拓真の背へ声をかける。


「おい! オレはどうなっても知らねえぞ!」

「別にいい! 俺は俺のできることを、するだけだ!」


 強く叫んだ拓真は、駆け出した。そうしようと思ったわけではない。身体が勝手に、そう動いたのだ。


「めぇぇぇぇぇぇんっ!」


 強い掛け声と共に、拓真は乙女の前へと飛びこんだ。

 乙女の横を駆け抜ける刹那、視線が合う。力強くも美しい青の瞳は、驚愕しながらも拓真を見送った。


「なっ……⁉」


 飛び込んだ先にいた鞭を持つ男は、突然現れた拓真に動揺を隠しきれなかった。防ぐことも間に合わず、まともに拓真の面打ちを食らい、男は後ろへ倒れ込む。


「なんだぁっ⁉」

「まさか、増援かっ⁉」


 残った刃の細い剣を持つ二人の男は、すぐに態度を改めた。遊びは終わりだと言わんばかりに、強い殺気を感じる。とてもじゃないが、木材で太刀打ちできるような相手ではない。それでも拓真は、すぐに体勢を立て直して迎え撃つ準備をした。

 強く見つめる拓真の鋭い眼差しに、二人の男は一瞬だけ怯む。


「このっ……!」


 拓真と正面に向き合った男は、焦りからか剣を持つ腕を大きく振りかぶった。それを見切った拓真は、すかさず男の右わき腹へ向けて木材を振るう。


「胴―っ!」


 踏む込むのと同時に、拓真は頭上から角度をつけて男の右腹へ打ち込む。木材を通じて、人間の身体を打つ感覚が拓真の手に上った。それは血液を沸騰させ、頭の中を燃え上がらせるような熱を与えた。

 胴を打ち込まれた男はというと、凄まじい勢いで打ち込まれたせいか、その場にうずくまってもだえ苦しんでいた。


「ふざけやがって!」

「!」


 余韻に浸ることを許さず、残った最後の一人も剣を振りかぶって拓真に襲いかかってきた。背後を取られた拓真はすぐに反応できなかったが、キィン! と強い金属音を立て、金髪の乙女が代わりに剣を受ける。


「ありがとう! もう大丈夫だから、あなたは逃げて!」

「そ、そう言われても!」


 男の剣を退けた乙女は、自分の背後に隠すように拓真の前に立つ。剣を退けられ、男は数歩下がるが、戦うのをやめようとはしていなかった。むしろ男は剣を胸の前に構え、まだまだ戦う意欲を見せている。


「誰も逃がさねえよ、お前らはここで殺してやる!」


 そう言った男の周りに、風が吸い込まれていくようだった。緩やかに吸い込まれる風は勢いを増しながら、目に見えるように男の持つ細い剣へと纏われていく。それを見た乙女は、手を広げて拓真を守ろうとした。


「逃げて!」


 乙女がそう叫んだのと同時に、男は剣を両手で持ち、横に構えた。


「スペシャルスキル、“風来突破ふうらいとっぱ”ぁ!」


 男が踏み込むと、剣に纏っていた目に見える風が乙女と拓真へ向かって放たれた。横向きの台風のような風の塊に、拓真は目を見開く。


「な、なんだよそれ⁉」

「危ないから下がってっ……くううっ!」


 乙女は手に持つ剣で、風の塊を受け止めた。その場で受け耐えることができず、乙女はずりずりと後退させられていく。


「貫通させてやる! まとめて死ねええええっ!」


 男がもう一度踏み込むと、風の塊の威力は強まったようで、乙女はさらに後退させられた。風のせいで辺り一面は土煙が巻き起こり、次第に互いの姿は見えなくなっていった。


「うううっ……に、にげ、てっ……!」


 なんとか受け止めて耐えている乙女は、苦しそうに呟く。


「そんな状態のあなたを見て逃げるなんて、できませんよ!」

「でも、このままじゃあなたもっ……ううっ!」


 乙女の足元の地面が、大きな力に耐えているせいで砕けていく。

 拓真は、やはり逃げるなんて考えられなかった。一体何がどうなってこんなことになっているのかはさっぱりわからないが、きっとできることがあるはずだと信じていた。さっきは二人も倒せたのだ。目の前の男も、何かしら対処ができるはず。


「……俺が行くしかない」

「えっ、ちょっと! うっ、くううっ……!」


 拓真は乙女の背後から離れ、男が立っていた辺りへと走り出した。風の影響を減らすために、正面から少し逸れて駆けていき、風の発生源へと向かっていく。

 風の勢いはだんだんと弱くなってきているが、それでもまだ途切れる気配はない。乙女の足にも力が入らなくなり、限界が近づいてきていた。だがなかなか終わらないことに、男はイラつきを覚えていた。


「しぶとい奴めっ、いい加減にしろよっ……!」


 男が憎々し気に呟いたのと同時に、土煙の中から拓真が飛び出す。


「お前がいい加減にっ……しろおおおっ!」


 拓真は、男の背後側から飛び出していた。剣道で相手の背後を取るのは、危険行為と言われている。しかし今は、命のやりとりをしているのだ。


「どりゃあああああっ!」


拓真は迷いなく木材を振りかぶり、男の背中を斜めに打ち付けた。


「ぐわあああっ!」


 その痛みと衝撃で男が前のめりに倒れたことで、剣の構えが崩れ、風は消滅していった。土埃が晴れたそこには、男三人が痛みに悶えながらも倒れ込んでいる。


「す、すごい……あんな木の破片だけで、なんとかしちゃうなんて……」


 金髪の乙女は、風を抑え込んでいた剣を落とし、その場にへたりこむ。力を入れっぱなしだったせいか、全身が震えており、その場から動けないようだった。


「はあっ……はあっ……よかった……なんとか……な、って……」


 拓真はというと、一気に緊張感が抜けたのか、その場に倒れ込んでしまった。穏やかに白い雲が流れていく争いとは無縁な青空を見上げ、拓真はぼやく。


「ほんとに……どうなってんだ……いろいろと……」


 起き上がろうにも、身体が重くて動けそうにない。おまけに瞼まで重くなってきた拓真は、そのまま流れに身を任せることにした。

 遠くから、金髪の乙女が心配そうに声を上げているのが聞こえる。大丈夫だと答えることもなく、拓真の意識は沈んでいくのだった。

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