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―第一章 暗闇の中で―

 そこは、とても静かだった。何もなく、何も感じない、ただ無が広がるだけ。

 心休まらない日々が続いていた拓真にとって、その静けさはまるで救いのように感じられた。


(ああ……やっと休める……)


 うっすらとそう思っていたところに、頭の中に響くように、何かが聞こえてきた。


「……い……きて……起きて……くだ……」


 それは女性の声であるが、聞き覚えのない、美しい声だった。


「……どちらさん?」


 なぜ返事をしてしまったのだろう。そんな疑問が浮かびこそすれ、拓真は声を待った。


「ああ、よかった……声が届いたのですね……」


 もう一度美しい声がして、それからとてつもなく眩いものを感じた。目を瞑っているはずなのに、明るく感じる。一体何が起きたのかと、拓真は思わず目を開けた。

 そこには光り輝く女性がいた。明かりが女性を照らしているのではなく、女性自身が明かりとなっているかのように、輝いているのだ。


「こんにちは、魂の旅人よ……わたくしの名はウェルファーナ。あなたに頼みがあって、お声がけしました」

「あ、ああ……その、どうも……」


 ウェルファーナと名乗った女性は、白い帯を身体に幾つも纏ったような姿で、拓真は直視することを躊躇した。直接肌が見えている箇所が幾つもあるように見え、見るのは申し訳ないと思ったのだ。


「紳士的な方ですのね。どうぞお気遣いなく……私の目を見ていただけますか?」

「おあぁっ⁉」


 見えない手に振り向かされるように、拓真はウェルファーナと向き合う。光が折り重なり、輝きの強いウェルファーナの瞳と見つめ合うと、心の奥底まで見られている気がした。

 どのくらい、見つめられていたのかはわからない。ずいぶん長い時間見つめられていた気もするし、ほんの一瞬のことのようにも感じられた。気が済むまで見つめたのか、ウェルファーナは目を細め、若干険しい表情を見せるとぽつりと呟いた。


「……あの者と、因縁があるのですね」


 何を言われるのかドキドキしながら待っていた拓真にかけられたのは、何やら謎めいた言葉だった。何のことかわからず、拓真は首を傾げる。しかし拓真の疑問を流すように、ウェルファーナはふわりと微笑んだ。


「では、話をしましょう」

「いや、ちょっと待ってくれ……いきなり現れて話をしようって言われても、そっちがどこの誰だかわからないし、そもそも俺は……俺は……?」


 拓真は、ここで初めて自分の手を見た。暗闇の中にうっすらと浮かぶ自分の手は、白く淡い光が形を作っているようで、現実感があまりなかった。その手で己の頬に触れると、そこには瘦せこけた不健康な形の顔があることを確認できる。


「俺は……死んだ……よな?」


 急激に身体が震えた。覚えている限りの、最後の記憶。星空を見上げた後、松の木の枝に縄を括り付け、そして――


「うっ……げぇっ、ぇっ、うっ……」


 自分の首を撫で、出すものがないのにこみ上げる吐き気に、拓真は膝をついた。そんな拓真を憐れむように見つめ、ウェルファーナは瞳を伏せた。


「ええ、あなたは命を落としました。だからこそ、こうしてここに魂のみの存在としているのです」

「し、死んだのか……俺は、やっぱり……じゃあ、ここは天国……それとも地獄、とか?」

「そのどちらとも違います。魂の行きつく先の途中……とでも言いましょうか。そこで私が声をかけたことにより、あなたは自我を目覚めさせました。私が声をかけなければ、行きつく先があったことでしょう」


 わかるような、わからないような。首を撫でながらも、拓真は必死に混乱した頭を整理しようと藻掻いていた。


(俺は死んで……天国か地獄に行く途中? なんだこれは、現実か? 実は死んでなくて、病院で寝ていて、意識が混濁しているとか? いや、それにしては感覚がちゃんとあるし……全くわけがわからん!)


 ウェルファーナは視線を合わせるため、必死に現状を理解しようとしている拓真の前に跪く。人間と同じ姿をしているのに、どこか人間味に欠けたウェルファーナを前にした拓真は、思わず身を引いた。


「な、なんなんだよあんた……何が起きてるっていうんだよ……!」

「混乱するのも無理はありません。本来であれば、安寧の眠りにつくはずだったあなたを、無理に呼び起こしたのですから」

「なんで起こしたんだ? 安寧があるっていうなら、俺は早くそうなりたい!」

「……しいて言えば、私の我儘なのです。どうか、お許しください」


 そう言って、ウェルファーナは拓真の手を取った。冷たくもなければ、温かくもないウェルファーナの手。驚いて振り払おうとした拓真だったが、その前にウェルファーナのもう片方の手が拓真の手を包み込んだ。

 すると、二人の手を閉じ込めるように、白い帯が輝きながら巻き付いて来た。目が眩むほどの輝きだというのに、拓真はなぜだか視線を逸らすことができずにいる。


「あなたに新たな肉体と、力を託します」


 白い帯はぐるぐると巻き付いているのに重なることはなく、まるで沁み込むように二人の手の中に溶け込んでいった。目の前の光景が信じられず、拓真は手の様子とウェルファーナを何度も交互に見る。

 確かにそこで起きているのに、現実味のない瞬間。夢なら覚めてほしいと頭の中で叫ぶも、拓真の目の間では、巻き付く白い帯が増えていくばかりだった。


「私は、あなたのいた世界とは別の世界の創造主……あなたを私の世界へ招き入れたいのです」


 目の前の出来事に呆気に取られていると、ウェルファーナが静かに言った。


「ま、招き入れたいって、何のために⁉」


 白い帯はますます輝きを増していき、拓真の手へ沁み込んでいく。それは、身体の奥底から液体で満たされるような感覚を味合わせていた。


「……お話している時間は、もうありません。もう少しだけ力を託したら、あなたを世界へとお連れします」


 拓真の問いかけに答えられないと、ウェルファーナは首を横に振る。

 すると、輝きはウェルファーナと拓真を飲み込み始めた。そこから逃げたくても、ウェルファーナと結び合った手は離すことができない。


「な、なんだよこれっ……一体、何をっ……!」

「……巻き込んでしまって、ごめんなさい。でも、あなたなら、きっと……」


 それを最後に、ウェルファーナの声は聞こえなくなり、手の感触もなくなっていく。


「待ってくれよ! ちゃんとした説明っ……を……」


 ただただ強い光に飲み込まれ、拓真の意識も遠ざかっていく。

 そして光が収束した後の暗闇には、何も残されていなかった。

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