およそ一か月ぶりの東京。
お姉ちゃんは何の躊躇もなく、玄関のチャイムを鳴らすと
しばらく間が開いたのち、玄関の鍵の上がる音がしてドアが開けば、そこにはお母さんの姿。
「ただいま」
数年ぶりのお姉ちゃんの言葉はあくまでも、あっさりと、短いものだった。
お母さんは一瞬驚きで目を丸くしたが、すぐにあの、僕が知っている冷静な表情へと戻る。
「どこに行ってたの。今まで何の連絡もよこさないで」
「私とシュウくん、両方に言ってるんだと思うけど、まあ、いろいろ事情があってね」
「事情、ですか」
そういうとお母さんは眼鏡をはずし、目じりを抑えた。
「まったく、いつも唐突なのね。いったい誰に似たのかしら」
「お母さんに決まってるじゃない。私も、シュウくんも、お母さんの子どもなんだから」
お姉ちゃんは頷き、こういった。
「きっとこの会えなかった時間は、私にも、シュウくんにとっても、大切な時間だったから」
その言葉を聞いて僕は、お母さんの前に一歩出ていった。
「ただいま、お母さん」
その言葉を聞くと、お母さんは目を閉じ、再び開けてこう言った。
「お帰りなさい。柊、杏奈」
そう言ってお母さんは、僕とお姉ちゃんを抱きしめた。
※※※※※
夏が終わった。
まだまだ残暑は続いていたけど、あの酷暑の中をゼファーに乗って一カ月間過ごしていたことを考えれば、むしろ心地いいくらいだ。
教室に入ると、ひんやりとしたエアコンの冷気が、じめりとした僕の汗を急速に乾かす。
その心地よさを感じている中、僕は教室中がざわめいていることに気が付いた。
よく考えれば、僕は学校どころか家にだってどこに行くかも告げずに姿を消していたんだから、それは当然だろう。
夏期講習だって、一度も顔を出すどころか、休むっていう連絡すら一切していない。
その間、学校の中で僕がどのように噂されているかなんて、考えるまでもない。
なんだかうっとうしい気もしたけれど、そんなことを気にしてたって仕方がない。
もともと、クラスの友達となんて、ほとんど付き合いがなかったんだから。
「よっ」
自分の席に座った僕に対し、誰かが声をかける。
それは、僕の目の前の席の日南さんだった。
「よっ」
僕も敬礼みたいな恰好をして、日南さんに挨拶を返す。
「久しぶりじゃん、小髙君」
「まあ、そうだね」
「なんか、すごい日焼けしたね。野球部の人たちみたい」
その言葉に、僕は体中をくまなく点検してみたが、確かにクラスの仲間たちと比べて、確実に黒かった。
スミレと長らく一緒にいたから、そういうところはやはりマヒしていたんだろうか。
「なんか印象、全然変わったね」
「そうかな。自分ではあんまり、意識してないけど」
僕はスミレの手で刈り込まれた、夏前よりもかなり短くなった襟足を撫でた。
「結構ショックなのよね。私から男の子を誘って、ものの見事に無視されるなんて」
「一言いう時間があればよかったんだけど」
「そんなことより、なんか、面白いことやってたみたいじゃん」
「まあ、それなりに、かな」
「あと、なんとなくは気づいてると思うけど、クラス中で結構話題になってたよ、小髙君が失踪したの」
「失踪て」
大げさだなと思ったけど、客観的事実なんだから、まあ違いはない。
「これもいうまもないと思うけど、結構先生たちが大騒ぎしてたから」
「大変だなぁ。これ、きっとめちゃくちゃ怒られちゃうんだろうなぁ」
「当たり前でしょ、そんなの」
日南さんは驚き、あきれたようなため息をついた。
「なんでそんな、自分のやったことに他人事みたいにいられるのよ」
「仕方ないよ。起こったことは取り返しがつかないし、それは全部僕が決めたことなんだから」
すると日南さんは、拍子抜けした様な表情で目を丸くして、だけどすぐに冷静な表情を取り戻して
「ばっかみたい」
一言そういった。
「確かに、バカみたいだ」
僕がそうつぶやくと、チャイムが鳴り、担任が教室に入ってくる。
清水先生は、僕の顔を見るなり表情を凍り付かせる。
挨拶に挨拶を返すでもなく、そのまま教室から出ていった。
その不穏な空気に、クラスのみんなはあからさまにその原因を僕の存在に求める。
「ほら、言った通りじゃん」
前を向いたまま、僕に対して日南さんが言った。
僕の口元に、大きなあくびが漏れた。
「小髙君、小髙柊君」
清水先生は、数名の男の先生たちと一緒に教室の中に戻ってきた。
「今すぐ、教員室に来てください」
やれやれ、これから何が待っているか、想像するだけでもかったるいけど、甘んじて受けるしかないってことなんだろう。
「わかりました」
さ、行くか。
先生の呼ぶ方へ歩き出す僕が日南さんの机の横を通り過ぎようとしたとき
「やるじゃん」
日南さんがぽつりと、僕の背中に向かって言った。
僕は振り向きざまに口元を曲げてウィンクをして、大きくVサインを日南さんに見せた。