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第42話

「そういえば、よく、僕だってわかったね。空港で」


 食事を終えて、お姉ちゃんの入れてくれたお茶を一口のみ、ようやく人心地着いた僕は、お姉ちゃんに訊ねた。


「ずいぶん、長いこと会ってなかったのに」


「そうだね。実を言うと、最初はちょっと私自身も信じられなかったから、躊躇した。身長も伸びたし、体つきも、何だか厚くなったような気もしたし。なんて言うか、男っぽくなってたしね。けど、その帽子」


 壁にかけた僕のヤンキースのキャップを、お姉ちゃんは指さした。


「シュウくん子どものころ、そういう野球の帽子よくかぶってたの、思いだしたの。そこから覗いた顔が、小さい頃のシュウくん、そのまんまだったからね」


「僕の方も、教えてほしいんだ」


 僕は、お姉ちゃんを真っ直ぐに見ていった。


「どうしてお姉ちゃんは、家を出て行ったの?」


 僕の質問に、お姉ちゃんは腕を組んで首をかしげ


「今となってみれば、よくわかんない」


 と笑った。


「だけど、あの頃の私にとっては、そうしないと、とても生きていけないくらい、切実な問題だったと思う。シュウくんがあんなところにいたのも、きっとそうなんじゃない?」


「そうかもしれない」


 僕もつられて、笑ってしまった。


「でも、シュウくんはすごいよ、中学生なのに。私は、大学に入るまで待たなくちゃいけなかったもの」


「僕だって、一人じゃ無理だったよ。だけど、お姉ちゃんがゼファーの、バイクのキーを残していってくれたから」


「あれがバイクのキーって知ってるってことは――」


 僕は頷いた。


「スゥが、スミレが、一緒に旅をしてきた女の子が、乗り方を教えてくれたんだ。もう一つ、聞かせてほしいんだ」


「うん」


「お姉ちゃんは、こうなるって思ってたの?」


 僕の問いかけに対し、お姉ちゃんは口を閉じ、あれこれ思案の表情を浮かべ


「どうかな」


 そう言って、コーヒーを一口含んだ。


「けどなんとなく、こうなるってことを予想していたのかもしれない。それは私だけじゃなくて――ん、なんでもない」


 そういって、お姉ちゃんは首を振った。


「それより、ねえ、今度はシュウくんが話して。これまでの、シュウくんのこと」


「長くなるよ」


「構わない。話して。シュウくんの口から、できるだけ詳しく」


―――


 お姉ちゃんの求めに応じて、僕は思いつく限りのことを、できるだけ中立的に話そうとした。


どれくらいの時間が立ったかわからないけど、言った通り、かなりの時間をかけてしゃべったように思う。


だけどお姉ちゃんは、僕の目を真っ直ぐ抜見つめながら、耳を傾ける。


しゃべりながら部屋の奥では、洗濯物を回す洗濯機の音が響く。


息のつまるような生活、ゼファーとの出会い、スゥとの出会い、旅立ちと道中での出来事や出会った人たち、スゥとモトアキさん、畠山さんとのこと、そして、お父さんと僕たちの弟のこと。


 僕の声はだんだんとかすれ、曇り、そしてスゥと別れた空港での出来事を話すころには、自分でも情けないほどのか細い声になってしまった。


「ねえ、よく顔を見せて」


 お姉ちゃんは手を伸ばして、僕の顔に指をかけ上を向かせる。


 そして、僕の顔を優しく掌で包み、優しく微笑みを投げた。


「うん、男の顔だ。シュウくんは、おっきくなった。強くなった」


お姉ちゃんの言葉に、僕の両目からは堰を切ったように大粒の涙が流れた。


するとお姉ちゃんはスマートフォンを取り出し、二三度画面をフリックする。


「よし、っと」


そういうとお姉ちゃんは再びスマホを操作し、耳に当てる。


「あ、ちさちゃん? あのさ、今一週間休み取ったの……うん、そう……実家に帰るの、シュウくん、弟と一緒に、だから……ごめんね、引継ぎだけよろしく……うん、ありがと、じゃあ」


 そういって、お姉ちゃんは電話を切った。


 そして、あくび交じりに大きな伸びをする。


「帰ろ。二人で、お母さんのところにさ」


 僕は右の手でグジグジと両目を拭くと、僕は頷いた。


 僕の意志を確認すると、お姉ちゃんは冷蔵庫からビールを二缶取り出した。


「呑めるんでしょ? シュウくんの旅は今夜が最後だから、記念に、付き合って」


 そういって、お姉ちゃんは缶のプルトップを引き、僕もそれに倣った。


「乾杯だね」


 そういって僕たちは、ビールの缶をぶつけあった。


「けどさ、そのスゥ、スミレって子、かなりスタイルいいみたいじゃん」


 お姉ちゃんは、すでに静かになった洗濯機を指す。


「一応言っとく。サイズ、Eだったよ」


 僕はビールを吹き出してしまいそうになった。


※※※※※


 次の日の朝、お姉ちゃんのアパートの掃除をしたり、昨日の夜干した洗濯物をとりこんでリュックサックに詰め込んだりして午前中をすごした。


 その間僕は、ようやく『白鯨』を読み終えていた。


 何かを求める旅の結末っていうのは、案外こんなものなのかもしれない、僕は思った。


 荷物をまとめると、僕たちは近所のファミリーレストランに入り、簡単なランチをとる。


 ファミリーレストランのテレビモニターには、夏の甲子園の決勝の結果が流されていた。


予想通り、大阪の高校が優勝し、春夏の連覇となった。


ハンバーグとフライのランチを食べながら、僕はぼんやりとそれを眺めていた。


―――


 夕方、僕とお姉ちゃんは名古屋駅から新幹線に乗る。


 僕はお姉ちゃんにお願いして、窓際の席に座らせてもらった。


 一か月かけて、スゥとゼファーに乗って通ってきた道を、その光景を、新幹線の車窓からもう一度目に焼き付けておきたかったから。


 僕が旅をした一か月ちょっとの道のりが、三時間余りで逆回しされていく。


 うまく表現できないけれど、体に少しずつ、重力が戻ってくるような感覚がする。


 そして、神奈川から東京へ向かう最後のトンネル。


 そこを潜り抜けた先の現実へ、僕は戻ってきた。

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