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第39話

「ぼくもう、疲れちゃったよ」


 大人の僕も疲労困憊で倒れる寸前になって、ようやくケイタ君は砂浜にへたり込んだ。


「ウチも限界」


「僕もだよ」


 スゥが、それに続いて僕自身も砂浜に倒れこんだ。


 気が付けば、水平線のかなたにある西日が海面を、そして僕たち三人の顔を明々と照らす。


 けれどケイタ君は、ほんの一呼吸置いただけで砂まみれの体を起こすと


「ねえねえねえ、つぎ、何して遊ぶ?」


 と僕とスゥの腕を引っ張った。


「んー、そうだね。だけどさ、ほら、もう夕方だよ。ケイタ君も、帰らなくちゃいけないんじゃない? お姉ちゃんたちも、そろそろ帰らなくちゃいけないし」


「あーあ、もう少しで“夕焼け小焼け”ながれちゃうな。僕帰らないと」


「“夕焼け小焼け”ってなんなの」


「夕方になるとね、音が鳴るの。その音が鳴ったらね、帰りなさいってお父さんとお母さんに言われてるんだ」


「そっか」


 僕たちはそのまましばらく、砂浜に座り込んで夕日を眺めていた。


「じゃあ、またあしたあそぼ? 夏休みだから、時間いっぱいあるし!」


「ケイタ君は、夏休みの宿題終わった?」


 僕の問いかけに、ケイタ君は恥ずかしそうに首を振る。


「自由研究とか、まだ全部終わってないんだ」


「頑張って終わらせないとね。夏休みももう、残り少ないんだから。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、もうすぐ長いお休みが終わるから、帰らなくちゃいけないんだ」


「そうだね」


 スゥもうなずいた。


「わんこのお兄ちゃんもお姉ちゃんも、元居たところに帰るの」


「えー、なんだかさみしいな」


「そうだね。けど、代わりに、ケイタ君に見せたいものがあるんだ」


―――


「うわあ、すごい」


 ケイタ君はゼファーを見て、素直な驚きの声を上げる。


「これ、仮面ライダーが乗ってるのでしょ? バイクっていうんでしょ?」


「そう。ゼファーっていう名前のバイクなんだ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは、これに乗ってこの街まで来たんだ」


「ねえねえ、乗ってみてもいい?」


 僕は頷き、ケイタ君を抱き上げてゼファーにまたがらせた。


「なんか、いいじゃん。格好いいよ、ケイタ君」


 そういってスゥは微笑み、ケイタ君の頭を撫でた。


「うん! ぼくも、おっきくなったら、バイク乗るんだ!」


「そっか、だったら――」


 僕はポケットから、ゼファーのキーを取り出して見せた。


「――これ、君にあげるよ」


「これなあに? なんのカギ?」


「この鍵をここに入れて回せば、ゼファー、このバイクを動かすことができるんだよ」


「え? ほんとに?」


「今の君は、お兄ちゃんが抱っこしなければ乗れないくらいだから、まだ無理だろうと思う。だけど、君もいつかお兄ちゃんより、もしかしたら、お父さんよりもおっきくなれる。だからその時、このゼファーに乗ってあげて」


「でもいいの? お兄ちゃんたち、これに乗ってきたんでしょ?」


「お姉ちゃんたちのことなら、心配しなくていいの」


 スゥはケイタ君の手からキーを取り、それをケイタ君のズボンのポケットにしまい込んだ。


「これはね、お兄ちゃんからの約束のあかしなの。またいつか、会える日が来る、その約束」


「うん」


 僕は頷き、スゥの言葉に同意した。


「このカギは、魔法のカギなんだ。君がおっきくなって、心の底から自由になりたいってときが必ず来ると思う」


「ぼくにはよくわからないよ」


「君がお父さんの子どもなら、間違いないよ。僕が保証する」


 そういうと僕は、小さいけれど見た目以上にずっしりとしたケイタ君を抱き上げた。


「いつか絶対、ゼファーに乗りたくなる日が来る。だからその時まで、大切に持っていてね」


「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」


 お兄ちゃん――


「僕はずっと、君のお兄ちゃんだから」


 僕は、ケイタ君を抱きしめた。


「強く、おっきくなってね、ケイタ君」


 そして僕はケイタ君を下ろし、ゼファーのサドルバッグを外した。


「じゃ、いこっか、わんこくん」


 スゥが僕の肩に手を乗せた。


「またね、ケイタ君」


 スゥの差し出した手に、ケイタ君は微笑みながら応えた。


「うん、わんこのお兄ちゃん、お姉ちゃん、ばいばい!」


―――――


僕たちはその後、近くにバス停を見つけ、それに乗り駅へと向かった。


僕は窓際で、車窓に過ぎ去るお父さんの、ケイタ君の住む家を、それが消えてしまったら、南知多の街並みをずっと見つめ続けた。

その僕の肩を叩く気配。


振り向くと僕の右頬に、いたずらな笑みを浮かべるスゥの人指し指が刺さる。


スゥの無邪気な表情に、僕もつられて頬を緩めた。


―――


 電車に乗って名古屋駅に帰ってきたときには、すでに八時を回っていた。


 僕たちは近くのファミレスで簡単な食事を済ませると、ホテルに戻ってきた。


「ただいまぁ」


 スゥは誰に言うまでもなくそういうと、ホテルのベッドに倒れこんだ。


「あれだけ今まで日焼けしてきたのにさ、まだ日焼けするんだね」


 スゥはそう言って首筋をさする。


「本当だね。やっぱり海沿いの日差しって、普通じゃないね」


僕はベッドの上、スゥの横に腰をかけた。


「ケイタ君、かわいかったね。すごく、いい子じゃん」


「そうだね」


「ケイタ君を抱っこしているとき、わんこくん、本当にお兄ちゃんみたいだったよ」


「当たり前だよ。だって僕はケイタ君の、お兄ちゃんなんだから」


「そ。だから、これでよかったんだよ」


 スゥは僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「おいで」


スゥはベッドに寝ころびながら、僕を胸元に招き入れる。


僕はそれに従い、目を閉じ、スゥの胸元に顔をうずめた。


「もう終わったんだね、全部」


「うん。終わったんだよ」


 僕の言葉を聞くと、僕を抱きしめるスゥの腕には、さらに強い力が込められた。

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