「ぼくもう、疲れちゃったよ」
大人の僕も疲労困憊で倒れる寸前になって、ようやくケイタ君は砂浜にへたり込んだ。
「ウチも限界」
「僕もだよ」
スゥが、それに続いて僕自身も砂浜に倒れこんだ。
気が付けば、水平線のかなたにある西日が海面を、そして僕たち三人の顔を明々と照らす。
けれどケイタ君は、ほんの一呼吸置いただけで砂まみれの体を起こすと
「ねえねえねえ、つぎ、何して遊ぶ?」
と僕とスゥの腕を引っ張った。
「んー、そうだね。だけどさ、ほら、もう夕方だよ。ケイタ君も、帰らなくちゃいけないんじゃない? お姉ちゃんたちも、そろそろ帰らなくちゃいけないし」
「あーあ、もう少しで“夕焼け小焼け”ながれちゃうな。僕帰らないと」
「“夕焼け小焼け”ってなんなの」
「夕方になるとね、音が鳴るの。その音が鳴ったらね、帰りなさいってお父さんとお母さんに言われてるんだ」
「そっか」
僕たちはそのまましばらく、砂浜に座り込んで夕日を眺めていた。
「じゃあ、またあしたあそぼ? 夏休みだから、時間いっぱいあるし!」
「ケイタ君は、夏休みの宿題終わった?」
僕の問いかけに、ケイタ君は恥ずかしそうに首を振る。
「自由研究とか、まだ全部終わってないんだ」
「頑張って終わらせないとね。夏休みももう、残り少ないんだから。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、もうすぐ長いお休みが終わるから、帰らなくちゃいけないんだ」
「そうだね」
スゥもうなずいた。
「わんこのお兄ちゃんもお姉ちゃんも、元居たところに帰るの」
「えー、なんだかさみしいな」
「そうだね。けど、代わりに、ケイタ君に見せたいものがあるんだ」
―――
「うわあ、すごい」
ケイタ君はゼファーを見て、素直な驚きの声を上げる。
「これ、仮面ライダーが乗ってるのでしょ? バイクっていうんでしょ?」
「そう。ゼファーっていう名前のバイクなんだ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは、これに乗ってこの街まで来たんだ」
「ねえねえ、乗ってみてもいい?」
僕は頷き、ケイタ君を抱き上げてゼファーにまたがらせた。
「なんか、いいじゃん。格好いいよ、ケイタ君」
そういってスゥは微笑み、ケイタ君の頭を撫でた。
「うん! ぼくも、おっきくなったら、バイク乗るんだ!」
「そっか、だったら――」
僕はポケットから、ゼファーのキーを取り出して見せた。
「――これ、君にあげるよ」
「これなあに? なんのカギ?」
「この鍵をここに入れて回せば、ゼファー、このバイクを動かすことができるんだよ」
「え? ほんとに?」
「今の君は、お兄ちゃんが抱っこしなければ乗れないくらいだから、まだ無理だろうと思う。だけど、君もいつかお兄ちゃんより、もしかしたら、お父さんよりもおっきくなれる。だからその時、このゼファーに乗ってあげて」
「でもいいの? お兄ちゃんたち、これに乗ってきたんでしょ?」
「お姉ちゃんたちのことなら、心配しなくていいの」
スゥはケイタ君の手からキーを取り、それをケイタ君のズボンのポケットにしまい込んだ。
「これはね、お兄ちゃんからの約束のあかしなの。またいつか、会える日が来る、その約束」
「うん」
僕は頷き、スゥの言葉に同意した。
「このカギは、魔法のカギなんだ。君がおっきくなって、心の底から自由になりたいってときが必ず来ると思う」
「ぼくにはよくわからないよ」
「君がお父さんの子どもなら、間違いないよ。僕が保証する」
そういうと僕は、小さいけれど見た目以上にずっしりとしたケイタ君を抱き上げた。
「いつか絶対、ゼファーに乗りたくなる日が来る。だからその時まで、大切に持っていてね」
「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
お兄ちゃん――
「僕はずっと、君のお兄ちゃんだから」
僕は、ケイタ君を抱きしめた。
「強く、おっきくなってね、ケイタ君」
そして僕はケイタ君を下ろし、ゼファーのサドルバッグを外した。
「じゃ、いこっか、わんこくん」
スゥが僕の肩に手を乗せた。
「またね、ケイタ君」
スゥの差し出した手に、ケイタ君は微笑みながら応えた。
「うん、わんこのお兄ちゃん、お姉ちゃん、ばいばい!」
―――――
僕たちはその後、近くにバス停を見つけ、それに乗り駅へと向かった。
僕は窓際で、車窓に過ぎ去るお父さんの、ケイタ君の住む家を、それが消えてしまったら、南知多の街並みをずっと見つめ続けた。
その僕の肩を叩く気配。
振り向くと僕の右頬に、いたずらな笑みを浮かべるスゥの人指し指が刺さる。
スゥの無邪気な表情に、僕もつられて頬を緩めた。
―――
電車に乗って名古屋駅に帰ってきたときには、すでに八時を回っていた。
僕たちは近くのファミレスで簡単な食事を済ませると、ホテルに戻ってきた。
「ただいまぁ」
スゥは誰に言うまでもなくそういうと、ホテルのベッドに倒れこんだ。
「あれだけ今まで日焼けしてきたのにさ、まだ日焼けするんだね」
スゥはそう言って首筋をさする。
「本当だね。やっぱり海沿いの日差しって、普通じゃないね」
僕はベッドの上、スゥの横に腰をかけた。
「ケイタ君、かわいかったね。すごく、いい子じゃん」
「そうだね」
「ケイタ君を抱っこしているとき、わんこくん、本当にお兄ちゃんみたいだったよ」
「当たり前だよ。だって僕はケイタ君の、お兄ちゃんなんだから」
「そ。だから、これでよかったんだよ」
スゥは僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「おいで」
スゥはベッドに寝ころびながら、僕を胸元に招き入れる。
僕はそれに従い、目を閉じ、スゥの胸元に顔をうずめた。
「もう終わったんだね、全部」
「うん。終わったんだよ」
僕の言葉を聞くと、僕を抱きしめるスゥの腕には、さらに強い力が込められた。