「よう、わんこくん」
ホテルのロビーで僕は、モトアキさんと遭遇する。
「さっきのメシどうだった? うまかったろ?」
その余裕のある微笑みに、僕はなんだか無性に腹が立った。
だけど、仕方がない、この人はスゥが、自分自身の運命とみなした男の人、その人なんだ。
「はい、ありがとうございました」
「けど、あいつ、結構わがままだろ? ここまで来るの大変だったんじゃねえの?」
そんなことはないですけど、と言いたかったけれど、そう言葉にすると、なぜだか何かに負けてしまったような、そんな気がしたので、苦笑だけを浮かべて返した。
「ところでさ、今何しようとしてんだ?」
「えっと、洗濯物がたまってきたので、ランドリーで洗おうかと」
僕はネットに入った、僕とスゥの洗濯物を見せた。
「もうそんなもん、必要ないだろ」
自慢げな笑顔が、その言葉に続く。
「そんなのさ、ホテルのクリーニングに頼めばいいよ」
そういってモトアキさんは、僕の手から洗濯ネットを取り上げようとした。
「いえ、そんな、クリーニングに出すほど大した服、持ってきてませんから」
だけど僕は、洗濯物の入ったネットを背中に隠す。
「それに、二人だけの洗濯物で、そんなに量もありませんし。何よりお金がもったいないです」
「だからって、この高級ホテルまで来て、わざわざそんなもの、自分たちでやる必要なんかないだろ。フロントに言えば、全部会計に入れて清算してくれんだからさ」
「そこまでしていただかなくても大丈夫です。今まで僕たちはこうしてここまで来ましたから」
そう、僕たちはまとまったお金が手に入るまでは、何日間もペットボトルの水で体を洗い、洗濯も全部、石鹸もつけずに手洗いしてきたんだ。
ランドリーで洗剤を使って洗濯ができるだけで、それ以上に何を望もうというのだろう。
なにより、こういうところを自分でやらないと、自分たちが何か変わってしまうんじゃないか、これまでの僕たちが否定されてしまうんじゃないか、そんな気がしたからだ。
モトアキさんが浮かべる笑顔は相変わらず笑顔のままだったが、どこか白々しいような、空疎なものに思えた。
「それじゃ」
僕はそういって、エレベーターのボタンを押した。
※※※※※
それから数日間、僕とスゥは、モトアキさんとその仲間が過ごすホテルで生活を共にした。
その次の日、僕たちはホテルのレストランで昼食とも朝食をともつかないような時間帯の食事をとっていた。
すると急に、モトアキさんがイスから立ち上がる。
その視線の先には、スーツを着た、背の高い神経質そうな男の人が立っていた。
年齢は、四十代前半といったところだろうか、その男の人はゆっくりと、僕たちのテーブルのもとへと近づいてきた。
「お久しぶりっす、畠山さん」
モトアキさんは、この人には似合わない、へつらうような笑みを浮かべ、恭しく頭を下げる。
「この子たちは」
畠山と呼ばれたその男の人は、モトアキさんの挨拶を受け流すと、僕たちの方を見た。
「えっと、女の子の方は、あれっす。以前お話しした、ほら――」
すると畠山さんは、僕とスゥに対して小さく頭を下げた。
「男の子のほうは、その、女の子をここまで連れてきてくれた子っす。はい」
すると畠山さんは、僕とスゥの机の上に、一枚の名刺を置いた。
「畠山だ。今、”ジェリーピース”のマネージャーを務めさせてもらっている」
「あ、あの、ウチ、モッチとは――」
「話は聞いているよ」
畠山さんはスゥの言葉を押しとどめ
「モトアキ、少し――」
そういって指でモトアキさんを呼び出すような仕草を見せた。
モトアキさんは、複雑な表情を浮かべたまま頷くと
「悪ィ、ちょっと話してくんわ」
そういって、モトアキさんはレストランから出て行った。
―――
「待たせたな」
僕たちが部屋のソファーに座っていると、モトアキさんが部屋へと戻ってきた。
「ううん、全然待ってないし」
「あのさ、今日もまた、二人で出かけていいかな?」
モトアキさんの問いかけに、僕は頷く以外にできなかっただろう。
―――
部屋を出ていく二人の姿を確認すると、僕はソファーに腰を下ろしてふう、と一息つき、ミネラルウォーターに口をつけ、折り目のつけてあった『白鯨』を開いた。
三十分ほどすると、電話が鳴った。
「はい」
僕は受話器を取る。
「私だ」
その声には、聞き覚えがある。
「今、君は一人のようだが。少し時間をくれないか」
畠山さんがこう切り出した。
「君と、じっくりと話がしたい」