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第30話

 なんだかどっと疲れが出た僕は、いつの間にかその場で眠っていたらしい。


気が付けば早朝、僕だけじゃなく、みんなそれぞれソファーやベッド、好き勝手なところで寝ていた。


スゥは、当然なのかもしれないけれど、モッチの腕に抱かれたままソファで寝息を立てる。


そう、これは当然ことなんだ、この人に会うために北海道から何か月もかけて名古屋まで来たスゥの、僕たちは今そのゴールにたどり着いているんだ。


僕はすぐにその二人から目を背けて、サドルバッグからTシャツを取り出して着替えた。


そして外へ出て、朝焼けの名古屋の街を頭が空っぽになるまで走ると、体中が汗にまみれた。


その近くに公園を見つけ、いつも通りのトレーニングをこなして部屋に戻る。


部屋に戻ってみても、まだ誰も目を覚ましていない。


僕は古本屋で購入した『白鯨』の下巻をもって、暫く一階のカフェでだらだらと朝食をとって時間をつぶした。


「早いじゃん」


 『白鯨』を読む僕の背中から響く。


 振り返ると、ようやくモトアキさんとスゥ、その仲間たちが目を覚まし、朝食を食べにカフェに降りてきていた。


 いうまでもなく、スゥはモッチの手に縋りつくように腕を組む。


「もう朝飯食べたんだ。せっかくだから、ウチら待っててくれてもよかったのに」


「ランニングとかしてたら、お腹すいちゃって」


 そういってスゥに答える僕に


「ストイックじゃん。スゥの教育の成果か?」


 そういって思わせぶりに笑って、僕の背中をぽんと叩いた。


 僕はどんな表情をしていいのかわからないから、とりあえず無理やりの、きっとはたから見たらとてもぎこちないであろう笑顔を作った。


「ああそうだ、なあわんこくん、お願いがあるんだけどさ」


 モトアキさんは僕の顔を覗き込むようにしていった。


「今日は、スゥと二人で過ごしたいんだ。悪いんだけど、いいかな?」


 見なくてもわかる、スゥの顔が、僕の横でぱあっと明るくなっていることを。


 だったら僕に、何かいえる訳ないじゃないか。


「ええ。僕のことは気にしないでください。一人で本でも、読んでいますから」


「いいの、わんこくん?」


 そんな嬉しそうな君の声を聞けたんだ、それだけで僕はもう、何もいらない。


「久しぶりなんでしょ。二人で、ゆっくりしてきて」


 腕を組んで出かける二人の後姿を見送りながら、僕はしばらく『白鯨』を読み進めた。


 読書に飽きると僕は部屋に戻って、映画を見たり昼寝をしたり、だらだらと一人の時間を過ごした。


―――


「わーんこくん」


 部屋に戻って『白鯨』を眺めていた僕に声をかけたスゥは、一人だった。


「ごめんね、今日、一人にしちゃって」


「気にしないでよ。むしろ僕なんか、お邪魔虫なんじゃないかって申し訳ない気分だったんだから。それより、モトアキさんは」


「ん、いま仕事の打ち合わせがあるって、ちょっと出てる。それより今日ね、メジャーデビュー決定のお祝いをやるからって、最上階のレストラン、予約取ってくれたって」


「お祝いって、昨日もパーティーやったのに」


「あれはうちらの再会祝いなんだってさ」


 そういうとスゥは笑ったが、その笑顔には少し、いつもと違う影を感じた。


「それより、今日はどこで遊んでたの」


「今日ね、ものすごく久しぶりに、スタジオでモッチのプレイ、聞いたんだ」


「そうなんだ、よかったね、スゥ、もう一度、モトアキさんのベースと歌声、聞きたいって」


 僕がそういうとスゥは冷蔵庫を開け、そこからビールの缶を取り出した。


「モッチ、今はもうギターを弾いてるから、ベースは弾くつもりはないんだってさ。それにボーカルも」


 そういうと、ビールのプルトップを弾き、一口飲んだ。


「音合わせで演奏してた曲も、”グールズ”のころとは正反対の、いわゆる売れ線の曲。それで、岡崎のあのクラブのオーナーの言葉思い出しちゃってさ。なんでわざわざあんな音楽やるために、”グールズ”解散しちゃったんだろって、そう思ったら、なんかね」


「スゥのことを大切に思ってるからに決まってるじゃないか」 


 僕はすかさずそういった。


「スゥのことを本当に大事に思っているから、すぐにでもスゥを幸せにしたいからに決まってるじゃないか」


「ウチは、そんな幸せいらないよ」


 スゥは、再び缶に口をつけた。


「モッチがモッチらしく自分の好きな音楽をやって、ウチはモッチと二人で暮らす、それだけできれば十分なのに。どうしてそれが、伝わらないんだろ」


 するとスゥは、両手でぴしゃりと、自分の頬を叩いた。


「ん、わがままと愚痴、終了!」


 スゥは再び笑顔になり、僕に言った。


「モッチが売れっ子になっていく、その過程をウチは今見てるんだから。ほんと、ぜいたく」


「そうだよ」


 僕も励ますように微笑んだ。


「そんなこと言ってたら、バチが当たっちゃうよ」


―――


 夕食はホテルのディナー。


周りの客はスーツにネクタイ、ジャケットを着ているが、そんなものを持っていない僕やスゥは当然として、モトアキさんの仲間まで、カジュアルな格好のまま夕食を取る。


なんだか悪目立ちしているみたいで落ち着かなかったけど、周りの人は一切こちらに関心を払うようには見えない。


僕の目の前、窓の下には、大都市名古屋の街並み。


 いったい、地上何メートルにあるんだろう、きっとこの店も、僕たちが宿泊しているあの部屋も、想像もつかないほどの値段であるに違いない。


僕は、本当に遠くに来てしまったみたいだ、そう思うと、口からため息が漏れた。


「どうしたよ。ほら、スゥ」


 分厚い肉の塊にナイフを入れながら、モトアキさんは言った。


「金なんて気にしなくていいんだぜ? シャンパンだって自由に頼んでいいんだ。そんな仏頂面、似合わねえよ」


 しばらく口にしていなかったようなごちそうに、僕も舌鼓を打つ。


 いや、しばらく口にしていなかったというより、こんな高級なフレンチなんて、いい度も口にしたことがない。


 だけどスゥは、憮然として口を開こうとしない。


「北海道じゃ、こんなうまいもん一度も食べられなかったよな。もうあんな貧乏飯、食わなくていいんだぜ? 今はまだ毎日、ってわけにはいかないけど、週に一回くらいは、こういうところに連れて行ってやれるからさ」


 自身に満ち溢れたモトアキさんの顔を見つめながら


「そっか。うん、期待してるし」


 スゥは笑いながらようやく言葉を絞り出した。

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