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第29話

「モッチ!」


 スゥの言葉は、夜でもなお人通りにぎやかな通りでひときわ大きく響き、その言葉に、タクシーから降りた一群の中の一人が振り向いた。


 僕は転ばないように必死で体勢とゼファーを維持しながら、その瞬間を見つめる。


 その人は何かを確かめるように大きく目を見開くと、急に大きな笑顔を浮かべた。


「スゥ」


 その瞬間、その男の人がモトアキさんだ、スゥが北海道から捜し歩いてきた、スゥにとって一番大切な人なんだ、ということを知った。


 その男の人、モトアキさんの胸元に、スゥは一目散に駆け込んでいく。


 そのスゥの体をモトアキさんは抱きしめ、自分の肩口のスゥの頭を、いとおしそうに撫でた。


「よくここがわかったな」


 顔を上げるスゥの頬に、モトアキさんは手を当てた。


「どうやってここまで来たんだ?」


 するとスゥは、ゼファーを支えて立つ僕の方へ掌を差し出した。


「あの子。わんこくんが、東京からゼファーでのっけて来てくれたんだ」


 モッチは、僕のところに近づいてきて、そして右手を差し出す。


 僕は、少しバランスを崩しながらそれに答えた。


「サンキュな、えっと、わんこくんだっけか」


 僕はフルフェイスを外し、小さくお辞儀をする。


「ゼファーか、俺も昔、乗ってたんだよね。てか君さ、どう見ても中学生だよね」


 その言葉に、僕は何も返せなかった。


「一見、真面目そうに見えんのにさ、やるじゃん」


「ちょっと、わんこくんからかわないでよ」


 そういってスゥは、後ろからモッチの腕を取った。


「そうそう、ウチにバイクの乗り方教えてくれたの、モッチなんだよ。間接的に、わんこくんの師匠ってことになるんじゃね」


 僕は、そうだね、という代わりに笑顔を作った。


「そういえば、新しいバンド作ったなんて聞いてなかったし。それくらい言ってから出てっても、バチ当たらないんじゃね?」


 ぷうと膨れたスゥの頬に、モッチは優しく微笑む。


「いったろ? 俺はビッグになるって。ビッグになってから、お前を迎えに行きたかったんだ」


 するとモッチは、背後に待たせている人たちに顔を向けて笑う。


「こいつらさ、俺の仲間。今はちょうど休暇中だし、しばらく一緒に過ごそうと思うんだけど、いいかな」


 するとその仲間たちは、何も言わずに微笑みを浮かべ、小さくうなずいた。


「実はさ、俺たち“ジェリーピース”、メジャーデビューが決まったんだ」


「え?」


 スゥの目が、久しぶりに輝いた。


「本当に? 本当に、モッチがメジャーデビューできるの?」


「ああ。いまヴォーカルが休養で東京に一旦帰省しててさ。それが終わるまでは休養することになったから、今こうして俺らも休暇中ってわけさ」


 そういうと、モトアキさんはスゥの背中に手をまわして、熱のこもった眼でスゥを見つめる。


「お前ら、どこ泊まってんの? せっかくだから、こっちのホテル泊まれよ。全部、俺が出してやるからさ」


―――


「すごーい」


 ホテルの最上階の部屋に入るや否や、スゥは大きな声を上げた。


「ウチ、こんなすごいところに泊まるなんて初めてなんだけど」


 そこは、そのホテルのスィートルーム、はしゃぐスゥを嬉しそうに見つめると、モッチは柔らかそうなソファーに腰を下ろし、ビールのプルトップを引く。


「今ちょっと大きめのプロダクションと契約しててさ、今はまだプロモーション期間中だけど、近いうちに大々的にデビューができることが決まったんだ」


「マジで? おめでとう! 夢がかなうんだね! ビッグになれるんだね!」


 モトアキさんはビールを一口飲み、頷いた。


「それより、“グールズ”の連中は何か言ってたか?」


「ん、特に何も言ってなかったけど、ただモッチが急にいなくなって、みんなかなり混乱していたかな」


「そうか」


 モッチはそういうと、笑顔を浮かべながら言った。


「実は、前々から俺だけプロダクションに誘われててさ。なんかあいつら裏切る見たいになっちゃうから、ずっと言えなかったんだよな。それに、プロデューサーが、俺らのことを“謎のバンド”として売り出したいから、絶対に身内に連絡するなよって言ってたからさ」


 岡崎のクラブのオーナーが言っていたことを、僕は思い出した。


「けど成功したら、すぐにでもスゥに連絡しようと思ってた。今までお前にまで、何の連絡もできなくて悪かったな」


 スゥは満面の笑みをたたえて首を振った。


 するとモトアキさんは、スゥの肩に腕を絡ませ


「わんこくんも、座れよ」


 その言葉に従い、ガラスのテーブルをはさんで、スゥとモッチの前に座った。


「ここまで悪かったな。大変だったろ」


 いえ、ただ一言、僕はその言葉だけを返した。


 それからモトアキさんは、何人かのバンドメンバーやサポートメンバー、プロダクションのスタッフたちを紹介してくれたが、僕の頭には何の印象も残さなかった。


 モトアキさんたちが頼んだルームサービスで食事が運ばれると、パーティーが始まった。


 僕もスパゲティやらサンドウィッチやらスパークリングワインやら、いろんなものを口にしたような記憶はあるけど、それ以上は記憶がない。

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