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第27話

 僕たちはまどろみの中、いつの間にかまた眠りに落ちていた。


 雨はもうすっかり上がり、いつでもゼファーで出発できそうだ。


 体を起こした僕を見て、スゥが噴き出す。


「なにその髪の毛」


 スゥの言葉に姿見を確認すると、そこにはひどい寝ぐせ姿の僕。


「仕方ないじゃん。こんなふかふかの枕で寝るのなんて、なかったんだから」


 僕は照れ隠しの笑いに、言い訳を混ぜた。


「しょうがない、ウチが切ったげる」


 スゥは僕の髪の毛に指を這わせて言った。


「ウチ、よくモッチの髪の毛切ってあげてたんだ。結構、うまかったんだよ」


「じゃあ、お願いしてもいいかな」


 スゥはフロントからはさみを借りてくると新聞紙に穴をあけ、僕をバスタブのへりに座らせて軽快に髪の毛を走らせる。


 黒々とした厚みのある髪の毛が、バスルームの床に落ちる。


「どうせ夏なんだから、短くしようよ」


 耳元に充てられる櫛の上を走るはさみの軽快ながは、僕の耳に心地いい。


―――


「さ、できた。どうよ」


スゥは僕に手鏡を持たせて言った。


手鏡に映る僕の髪の毛は、生まれて今までここまで短くしたことはないくらいに刈り込まれていた。


「すっきりしたっしょ。男前上がったって感じ」


 そういって、僕の襟足をしょりしょりと撫でる。


 その手つきのくすぐったさに、ちょっと体がムズムズしたが、スゥの言うようにすごくさっぱりとして、自分で言うのもなんだけど、自分自身がほんの少し大人びた感じになったように見えた。


「ありがとう、スゥ」


 スゥは満面の笑みを僕に向けてくれた。


「さて、これでわんこくんの髪の毛もすっきりしたことだし、次はゼファーかな」


 そういうとスゥは、僕の肩の細かい髪の毛を手で払う。


「ゼファーにも、休憩させてあげなくちゃだし」


―――


「その年でゼファー乗りかよ」


 ホテルをチェックアウトして西へと飛ばした国道の傍ら見つけた一軒のバイクショップ、アスレティックスのキャップをかぶった咥えタバコの男の人が、しゃがみこんでゼファーの前輪をなにやら確認しながら言う。


「へっ、渋いじゃん」


 その人はヘインズの無地の白Tシャツとブルージーンの三十代前半の若い男の人で、どうやらこのバイクショップのオーナーのようだ。


「さすが、わかってるじゃん、おっさん」


「だぁれがおっさんだ」


 そういうとオーナーはタバコを指に挟み、にやりとほほ笑んだ。


「しっかしねぇちゃんよ」


 オーナーはスゥの姿を頭からつま先まで眺める。


「あんたそのカッコでここまできたのかよ。ナンパされまくりだったんじゃねえの?」


「見る目あんじゃん。だけど、ウチには」


 そういうと、スゥは僕の肩をぐいと引き寄せた。


「こんな素敵な、ナイト様がいるし」


「はっ、かわいいナイト様じゃねえか」


「わんこくんっていうんだ」


 スゥが僕をそう呼ぶと、オーナーは吹き出すように笑った。


「よっしゃ分かった。ちょっくら時間もらうわ」


―――


 オーナーは工具を取り出し、カチャカチャとバイクの整備を進める。


 僕はその様子を、黙って見つめる。


 オーナーは一つ一つの部品をチェックしたり油を指したりと、精密機械の様に手を動かす。


 スゥの姿はそこにはない。


 スゥはこのバイクショップから見える砂浜で、オーナーの娘さんと一緒に遊んでいる。


「あんななりして子ども好きなんだな、あのねぇちゃん」


 オーナーはそう言ってタオルで汗を拭くと、新しいタバコをソフトケースから取り出して火をつけた。


「ええ。ああ見えて、結構家庭的な人なんです」


 エアコンの無いそのガレージの中、僕もじわじわとにじむ汗を肩にかけたタオルで拭いた。


「なあわんこくんよ」


 オーナーは心地よさそうにタバコの煙をくゆらせる。


「あんた、中学生だろ」


 天井の大きな扇風機のカタカタという音と、どこからか響くFMラジオの音が一瞬僕たちの空間に大きく鳴り響いたような気がした。


「隠す必要ぁねぇよ。高校生っていうには、ちっとばかし幼く見えるじゃん」


「すいません。けど、お願いだから警察に通報とか――」


「――バカにすんなよ。なんでこの俺が、サツに言うなんて思う?」


「だって、法律違反だし――」


「確かにその通りだ」


 気持ちのいいその笑顔は、豪快な笑いに姿を変えた。


「ま、俺にも、ちょっと女房子どもには言えないようなこともいろいろあったしな。だからまあ、それなりのペナルティをこうむりながら生きてきたってわけよ。無免でバイク乗り回すなんて、かわいいもんじゃん。あんたみたいな真面目そうな男の子が、こんなこと仕出かすんだから、それ相応の理由があるってくらいには、俺ぁ利口だからな」


 オーナーは咥えタバコで、いたずらな笑みを口元に浮かべる。


「あのねぇちゃんだろ」


 僕は、自分自身の顔が瞬く間に熱を帯びてくるのを感じた。


「良い女だもんなあのねぇちゃん。大方、あのねぇちゃんと、ひと夏の思い出作りのツーリングを兼ねた家出ってとこだろうよ。ちがうか?」


「えと、その通りと言えばその通りなんですけど、半分当たりで、半分違うっていうか、まあ」


「ん? どういうことだよ」


「その、あの子、スゥの恋人が今行方不明で、その人を探すための、放浪の旅っていう感じで」


 僕の言葉に、オーナーは眉間にしわを寄せ、タバコを吸うと煙ごと大きくため息をついた。


「なんだかねぇ。いじらしいつぅかなんつぅか。あんた、それで幸せなんか?」


「はい。旅は自体は楽しいし、スゥの好きな人が見つかればいいなって、そう思ってます」


「好きな女のためにがんばれればそれでよし、か」


「今は、スゥがその男の人に会って喜んだ顔を見ることが、僕の旅の目的なんです」


「けどまあ、それも青春か。あんた、格好いいじゃん」


そう言うとオーナーはタバコを加えると、ガレージの奥へと姿を消す。


戻ってきたかと思うと


「ほれ」


 オーナーが僕にかぶせてくれたのは、ニューヨークヤンキースのロゴの入った黒いキャップだった。


「それ、やるよ」


「いいんですか」


「気にすんなって。俺が昔かみさん落とした時にかぶってたやつさ」


 そういって、咥えタバコのままにやりと口元を曲げる。


「これかぶってりゃ、高校生くらいには見えんだろ。メットかぶってないときゃ、それかぶっとくんだな。サツになんか言われたくなきゃさ」


 僕はその黒いキャップに指を当て、見上げるようにしてオーナーに言った。


「なんか、すいません」


「きにすんなって。それに、こういう時は“すいません”じゃなくて“ありがとう”の方が、あげた側にとっちゃあうれしいもんだ」


「あ、すいま、じゃなくて、ありがとうございます」


―――


「パパー!」


 およそ一時間後、ゼファーの点検が終わる頃、ガレージの中に可愛らしい、しかし元気のいい声が鳴り響く。


「おお、のんちゃん。楽しかったか?」


「うん! スゥお姉ちゃんと、いっぱいいっぱい遊んだんだよ!」


 のんちゃんを抱きあげながら、オーナーは嬉しそうに頬をすり合わせた。


「もう、パパ汗臭いよ」


「何言ってんだ。パパはいつでも汗臭いんだよ」


「けどさ、もう少し気ぃ使ってあげろし」


 ホットパンツに、上半身はビキニ姿のスゥが、頭に麦わら帽子を抑えながら入ってきた。


「女の子はね、生まれた時から女の子なの。汗臭いのにほおずりとか、マジありえんし」


「そんなことないよね、のんちゃん」


 オーナーは笑いながら言ったが


「本当に臭いもん!」


 のんちゃんは腕をすり抜けて、スゥの陰に隠れた。


「ん? どうしたん、そのキャップ」


「うん、オーナーさんからもらったんだ」


「いいじゃん、似合ってるよ。おっさんも、いいとこあんじゃん」


「けなしたりほめたり、忙しいねぇちゃんだぜ」


 オーナーは苦笑して言った。


「とにかく、ゼファーの修理点検はばっちりだ。何の問題もねぇよ」


「あ、ありがとうございます」


 僕は頭を下げた。


「結構古い単車で全然乗ってなかったっていうけどよ、その割には、かなりきれいに整備されてんじゃん。きっと、前の持ち主が、きちんと手入れしてたんだろうな。それよりねぇちゃん、あんた、誰か探してるんだって?」


「うん」


「そいつ、どんな奴なんだ」


 オーナーは、煙草の煙を吐き出しながら訪ねる。


「んーとね、ウチのカレシなんだけどさ、その人」


 スゥの言葉に、オーナーは僕の顔を見て苦笑した。


「そんで音楽やってんだ。前は“グールズ”ってバンドでベースやってたんだけど、今は“ジェリーピース”ってバンドにいるらしいんだ。モッチ、モトアキっていう名前。心当たりない?」


「心当たりってわけじゃねえが」


 そういうと、オーナーは煙草の灰を灰皿に叩いた。


「愛知県に入ると、岡崎ってとこがあるんだが、そこに昔俺が世話んなった人がオーナーやってるクラブがあんだよ。そのオーナー、アンダーグラウンドのシーンじゃ結構な顔でさ。その人に聞いてみれば、なんかわかるんじゃねえか?」


「本当ですか」


 僕とスゥは、オーナーからそのクラブの名前と住所のメモをもらった。


「やるじゃん。さすがはのんちゃんのパパさんだし」


「へっ、おっさんからパパさんかよ。現金なもんだ」


 のんちゃんを抱きあげながら、オーナーは気持ちのいい笑顔を見せた。

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