ホテルを出た僕たちは西の風を追いかける。
昼食の時間が近づくと、レストランを見つけて海鮮丼を注文する。
なんだか最近は、僕は“今までに食べた美味しいものランキング”が一から覆される、そんな経験ばかりしているみたいだ。
「いやー、わんこくん様様っす。こんなうまいもん食べながら、快適に旅ができるなんてさ」
スゥは見る方が幸せになるような心地よい食欲を発揮し、口いっぱいに海鮮丼をほおばった。
「本当に美味しいね、静岡のお魚は」
僕も照れ隠しに、海鮮丼を口いっぱいに詰め込んだ。
「だけどね、海鮮丼なら、北海道も負けんし」
誇らしげに、スゥは胸を張る。
「わんこくんは、北海道来たことある? 絶対来てよ。この旅が終わったらさ、今度は北海道を一緒に旅しようよ。あ、もちろん夏ね。冬場なんかに旅したら、生きて帰れんし」
「わかってるよ。けど、絶対に行くよ」
スゥが生まれ育った大地、街、全てを目にしてみたいから。
「けど、こういうその土地その土地のものもおいしんだけど」
「うん」
「けど僕は、スゥの作ってくれたハムエッグトーストだって、それに負けないくらい美味しい」
僕がそういうと、スゥはあっけにとられたような表情を浮かべ
「やだもう、わんこくん、マジで言ってんの」
そういって、僕の肩を力強くたたいた。
「痛いって。だけど、嘘じゃないよ。もし夏の北海道を旅するんなら、またこんな感じで旅をしてみたいなあって、本当にそう思うんだ」
「まったく、かわいいこと言ってくれるし」
そう言って僕の額を指で小突いた。
「恥ぃじゃん。けど、ありがと」
※※※※※
朝から灰色の雲が空を覆う日だった。
いつものようにゼファーを軽快に西へと走らせていると、気が付けば、周囲の自動車やバイクの流れが遅れ始め、そしてついには、車道の流れは完全に止まってしまった。
何だろう、僕はヘルメットのバイザーを上げて前方を確認する。
「やばくね?」
スゥの言葉の意味を、僕は理解した。
検問だ。
事故か事件か、とにかく警察官たちがパトカーを止めて、何やら確認をしている。
「もしかして、僕の捜索願が出てるのかな」
「わんこくんのお母さん、わんこくんがゼファーに乗って旅してるなんて知らないっしょ?」
「それはそうだけど」
「とにかくやばいね。見つかったら、うちら強制送還だし。とにかく落ち着いて――ちょ?」
せっかくここまで来たのに、スゥの目的も果たせないまま家に返されるなんて死んでも嫌だ。
そう思った僕は、気が付けばゼファーのハンドルを切り、強引に反対車線に飛び出していた。
「ちょっとわんこくんっ! 強引すぎだし! 明らかに怪しまれて――」
ミラーを覗くと、警察官がこちらに注目し、どこかに連絡しているのが見えた。
「落ち着きなよわんこくんっ! このままだと、つかまっちゃうし!」
僕はハンドルを切り、市街地へと進んでいく。
そこは思った以上に小さな町だった。
遠くから、サイレンの響く音が聞こえる。
「一旦止りな! わんこくんっ!」
スゥの言葉に、僕はようやく我に返った。
「いい? とにかく、一旦ゼファーから降りてゼファーを隠そう」
その言葉に、僕は頷く。
そして、居酒屋らしき店舗の裏のごみ集積場にゼファーを隠した。
すると背後から、制服を着た警察官の姿が見える。
「ゼファーを隠したはいいけど、誰が乗ってたかなんてお見通しってわけか」
スゥは僕の腕を引っ張り、路地の奥へ奥へと進んでいく。
だけど警察官も、僕たちの跡を追いかけてくる。
「仕方ないか」
そういうとスゥは、路地の行き止まりに僕を引っ張りこんだ。
「スゥ――」
「あの、すまないが君たち――」
その声は、たぶん警察官のものだろう。
けど僕には、その声の主を確実に目視することはできなかった。
なぜって――
「――この辺に、バイクに乗った――」
僕はようやく、警察達の顔を確認することができた。
警察官は顔を赤らめ、いかにも気まずそうな表情だ。
それもそのはず、彼らの目に映っているのは、若い二人の男女が、情熱的な口づけを交わしている光景なのだから。
「ちょっと何? 何ウチら見てんの? マジキモいんですけど」
「あのなあ、お前たち――」
「おい、いいから。行くぞ」
同僚の警察官から促されたその警察官は、舌打ちをしながら路地の奥へと消えていった。
その光景を確認したスゥは、ふう、と安堵のため息をつく。
「とりあえず、ごまかせたみたいだね」
スゥがそう言うと、遠くで雷のなる音がした。
空を見れば、分厚い黒い雲が空を覆い始めている。
「やばいね。これ、結構大降りになりそう」
スゥがそう言うが早いか、ポツリと翁雨粒が僕の首筋を叩く。
「早いとこゼファー回収しよう」
―――
「あちゃー、雨と雷、マジやばいし」
手近に見つけたジネスホテルの一室、窓ガラスを叩き割るような勢いの雨粒に、スゥはそうつぶやいた。
「検問も今日一日やってそうだし、今日はこの街で泊まるしかないね――どうしたの、わんこくん。ぼーっとしちゃって」
僕は首を振っていった。
「そんなことより、ごめんね。今日僕があんな風に取り乱さなければ」
「仕方ないよ。ウチみたいに普段から警察に目をつけられやすい奴とは違って、わんこくん、警察に追っかけられた経験なんかないっしょ? だから、気にすんなし」
そういって、スゥは僕に向かってVサインを向けた。
けど僕が言いたかったのは、そっちの話じゃなくて――
「けど、やっぱなんだかんだで疲れたし」
そういうとスゥはベッドに腰をかけ、大きなあくびを一伸びした。
「なんかこの雨だと、外に飯食いに行くのも、めんどくさいし」
「いいよ。スゥはここで休んでて」
僕は再びパーカーを羽織る。
「近くのコンビニで、なんか適当に買ってくるよ」
「ん、だったらウチも行くよ」
「いいって。休んでて」
そういって僕は、ホテルの部屋を出た。
―――
傘もないままホテルを飛び出した僕は、想像以上の雨脚に、あっという間に全身がびしょぬれになった。
一目散に走ってようやく、アーケードの中に入ることができた。
僕は首にかけていたタオルで、全身を拭く。
このままでは、また風邪をひいてしまうかもしれない、早くコンビニを探そうと、僕はアーケードの中を散策し始めた。
「ねェ、カレシ」
周囲を見回せば、そのアーケードの中を歩いているのは僕しかいない。
「ねェ、カレシ、あんたヨ、あんタ」
その声は、明らかに僕に向けられている。
振り返れば、背が高く肌の色の濃い、生地の少ないタイプの服を着た女の人が立っていた。
「ねエ、あんた暇でしョ。遊ぼうヨ」
僕はその女性の持つ、今まで感じたことがないような気配に押されて、無言で首を振る。
「あんたかわいいかラ、安くするヨ。楽しい事こと、したいでしョ? 大丈夫ヨ。全部ウチやってあげるかラ、怖がらなくてもいいネ」
彼女が僕に提案していること、そしてその見返りに求めること、それが何か僕にもわかった。
「一万円あればいいネ。最高の気分にしてあげるヨ」
その女性のけばけばしい服装やメイク、そして強い香水の香りに、僕は酩酊したような気分を覚えた。
その女性の肌は見るからに張りがあり、全身僕が指でつつけば、破裂して跡形もなくなってしまうんじゃないかってほどだった。
毒々しい程にルージュとグロスの乗った唇は、まるで南の島のフルーツみたいで、一口かじれば体中に刺激が広がって行くようにも思えた。
「ごめんなさい」
僕は頭を下げ、一目散にその場を、アーケードの奥に向かって走り出した。