僕が目を覚ますと、バスルームからさらさらという音が聞こえる。
スゥがシャワーを浴びているんだろう。
やっぱり疲れていたんだろう、僕は夢を見る間もなく、朝を迎えていた。
僕はぼんやりとした頭を抱えながら、日課になっていた筋トレと、シャドウをこなした。
「おはよ」
バスルームから出てきたスゥは、バスタオルを一枚体に巻き付けた、目のやり場に困るような姿だった。
「汗ぐっしょりじゃん。わんこくんも、シャワー浴びたら」
―――
シャワーを浴びた後、僕たちはチケットを持って一階のレストランでモーニングを食べる。
だけどスゥは朝ごはんに手をつけるでもなく、コーヒーカップに指をかけてぼんやりと外を眺めていた。
―――
その後も、僕たちはほとんど口を聞くことなく、周囲に重苦し空気を身にまとったまま、西へと向けてゼファーを走らせる。
右手に大きな富士山が見えたけど、それに感動する間もなく、とにかくこの空気を置き去りにしたかった僕は、ゼファーのアクセルを強く吹かす。
「止まって!」
その叫び声と僕の背中を叩く感触に、僕はブレーキを絞る。
スゥはゼファーを降りると、目の前にある看板を指差した。
「ここ。ここに行こう」
―――
そこはまるで、巨大な遊泳浄化、もしくは水族館のようだった。
「あっついなあ。近くに水辺があると、照り返しマジやばいし」
巨大なプールの水面が、ぎらぎらとした夏の太陽を照り返す。
「どうしたの急に」
その看板に書かれた文字は、“ボートレース浜名湖”。
「生まれ変わらせるの、このお金を」
ヘルメットを脱いだスゥは、眩しそうに晴天に手をかざす。
「生まれ変わらせるって、もしかして――」
「――賭けるの。昨日置き引きしたあのお金を、全部」
「もしかして、僕が昨日言ったことが――」
「――この旅に、後ろめたいところなんて、何一つあっちゃだめなんでしょ?」
その強い言葉に促されるように、僕もうなずく。
「ウチらが賭けに負けたら、このお金は全部消えて元に戻って、この旅はおしまい。だけど賭けに勝ったら、七万円は寄付して、それ以外は私たちの旅を続ける資金にする。これでどう?」
その表情とその態度にスゥの覚悟を感じた僕は、強く頷いた。
―――
「ねえスゥ、スゥはボートレース詳しいの」
「んー、ウチ北海道出身だから競馬は少しくらい知ってるけど、ボートレースはよくわかんない。けど、システム自体は同じじゃね?」
僕たちは舟券売り場の前で、その日の出走予定を確認する。
「この予定表だと、あと一時間後にレースが開始されるね」
僕は頭上の電光掲示板を指さして言った。
「なんだボウズ、競艇場でデートか?」
その声の方向を僕が振り向くと、一人の老人が立っていた。
「競馬場でデートなんてのは最近よく聞くけど、競艇場でデートなんてなかなか通ずらぁ」
色あせたデニムとしわのよったポロシャツ、どこのメーカーかわからないキャップをかぶったそのおじいさんは、新聞を片手に隙間の多い歯の笑顔を見せた。
「デートとか、そういうんじゃないんです」
「照れるなって。あんたの顔を見ればわかるらぁ」
「ちょっと、わんこくんからかうなし」
ぼくとそのおじいさんの間に、スゥが割って入った。
「これからウチたちは、人生をかけた大勝負をするんだからさ。そんなデートとか、悠長なこと言ってらんないの」
「競艇にィ? 人生かけるゥ?」
スゥのその言葉におじいさんは目をまん丸くすると、たくさんの抜けが見える歯をむき出しにして笑った。
「あんたら、まだ若ぇのにおもしれえこというずらぁ」
「いろいろ理由があんのよ、うちらにも。とにかく負けらんない戦いなの」
するとおじいさんは、僕達の顔をまじまじと確認する。
「あんたらよく見たら、高校生くらいらぁ。舟券なんて、買えねえよ」
「あの、やっぱりわかりますか」
「そうずら。ばれるとこれがなかなか、面倒くさいよ」
「あの」
僕は思い切って、おじいさんに切り出した。
―――
「二―五―三の三連単に七万円? 本当にそれでいいずら?」
「はい」
僕は頷いた。
「ちゃんと周回展示みた? 掛け率は十二.三倍、どう考えても穴番、はっきり言って無謀ずら」
「それでもいいんです」
僕はお爺さんに頭を下げた。
「僕たちのお金に、掛け率とか儲けとか、そういうのを考えちゃだめなんです。僕の頭に浮かんだ適当な数の組み合わせ、それに全財産をかける、そのために、僕達はここに来たんです」
「わんこくんのいうとおりだよ、おじいさん」
スゥも、言葉を付け加えた。
「わんこくんの数字にかけるってウチたちは決めたんだ。だからおじいさん、その番号を、ウチらに代わって買ってきて」
おじいさんはほんの少しあきれた表情を見せる。
「金をどぶに捨てるようなもんずら。本当に、覚悟はいいずら?」
僕とスゥは、力強くうなずいた。