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第17話

「わーんこくん」


 少しずつ目を開けた僕の目の前には、金色のさらさらした髪の毛と、それぞれのパーツが異様に整って見えるスゥの顔。


 その場から飛びのいた時、感じたことのない筋肉痛に全身が襲われていることに気が付いた。


「ごめんごめん、もう少し寝かせとこうかなって思ったんだけどさ、ほら、あったかい方がいいっしょ」


 そういってテントを出たスゥの後に、僕は続いた。


「コンロとか、借りたよ。今日はちょっと涼しいから、ゆっくりご飯食べようよ」


 フライパンの上には、ベーコンの上に乗っかった目玉焼きがあった。


「わんこくんが寝ている間、近くのコンビニで卵を買っておいたんだ」


 スゥはそれをパンの上にのせて僕に渡すとき、ほんの少しだけ笑う。


「今気が付いたけど、顔なんかひどいし。もしかして、寝付けんかった?」


 僕は思わず、顔に手を当てる。


 昨日一晩中、体を動かし続けていたせいだろう、体中に、ひりひりとした痛みがこびりつく。


「ほら、卵ウチのも食べな」


 そういって、ハムエッグの残りを僕のパンに上乗せする。


「いったじゃん、僕に食べ物のことで、気を使わなくていいって」


「いいっていいって、こんなの、余裕あるときだけなんだしさ。それに前も言ったけど、わんこくんは成長期の男の子なんだし。ウチよりもっと食わなくっちゃっしょ」


 僕はその言葉に従い、瞬く間にハムエッグを平らげた。


 もともと食事を少なくしていたこともあるけれど、深夜から続けたトレーニングで、全身が栄養を欲していることが実感できた。


「おいしい」


それ以上に、今の僕は今の感情を表現する言葉がない。


本当に、ただただ、スゥの作った料理は美味しかった。


「もしかして、ウチのイメージと違う、とか思ってるっしょ」


「え? いや、そういうわけじゃ」


「いいよ、ウチこんな見た目だし。だけどこう見えてウチ、結構家庭的なんだけどなあ」


 そう言ってため息をつき、すぐに微笑むスゥ。


「だってウチの将来の夢、お嫁さんだし。てか、笑うなし」


「ごめんごめん」


 スゥは、思わず吹き出してしまった僕の肩を小突いた。


「だけどね、ご飯って、本当に食べてほしい人がいるから、作るものなの。女はね、本当に好きな人以外に、ご飯なんて作ってあげようなんて、思わないんだから」


「そういうものなのかな」


「そういうもんだし。覚えときなよ」


「そうだね。スゥは絶対、いいお母さんになれると思うよ」


「ちょっと、いきなりお母さんは飛躍しすぎだし」


 そういってまた明るい笑い声をあげると


「でも、ありがと」


 その笑顔は、少し照れくさそうなものへと変化した。


「モッチがいなくなってからも、ずっとウチ、ご飯だけは作り続けてたんだ。いつ戻ってきても、おいしくてあったかいご飯をモッチが食べられるように。だから、おいしいって言ってもらえると、めっちゃあがるし」 


その日は少し涼しいから、体を休めるという意味で、午後まで仮眠をとることにした。


 昼前に目を覚ました僕は、全身に心地よい筋肉痛を感じながらスゥをゼファーに乗せる。


その日は久しぶりに雲が多く、いつもの肌を焦がす熱い太陽が、遠慮がちにその隙間から顔を出すだけだったので、その道のりは快適だ。


その途中、休憩のために路肩にゼファーを止める。


風が強いのだろう、波しぶきがごつごつとした岩に叩きつけられて霧状になり、いつのまにか視線から消え失せる。


その光景を何時間でも見ていたい、そんな気分にさせられた。


―――


 道は徐々に、山がちになる。


西へ向かう僕たちは間違いなく、箱根へと至る道を進んでいる。


そこは小田原。


目の前に見えてきたのは、僕も初めて目にする、小田原城だ。


 僕たちはその近くのガソリンスタンドで給油をすると、城のふもとにある公園にゼファーを止めた。


「ここかー」


 ゼファーから降りたスゥは、そういって大きく伸びを一つ。


「あれでしょ? 北条なんたらが作って――」


「北条早雲」


「そうそれ。それで、豊臣秀吉が倒したってやつ、ここかー」


「とりあえずはさ、また図書館を見つけて、そこで時間をつぶそうよ」


 すると、スゥは何かに築いたように周囲を見回すと


「ねえ、あれ!」


 指をさした先には、タイ焼きの露店があった。


「気持ちはすごくわかるけど、さっき給油もしたし、あまり無駄遣いは――」


 その瞬間、僕のお腹も小さな音を立てる。


 僕たちは顔を合わせて、苦笑いをした。


「じゃあさ、一匹だけ。一匹買って、半分こ。それならよくね?」


 僕たちは百円を支払った。


 スゥは出来立てを受け取ると、真ん中化は半分に割って、僕に頭の部分を差し出す。


 だけど僕は、無言でしっぽの方を手にとった。


「やさしーじゃん、わんこくん」


 そっぽを向いてたい焼きを頬張ったけど、焦ってたものだから味なんて全然わからなくて、感じることができたのは、出来立ての、たい焼きのあんこの熱さだけだった。


―――


 僕たちはその足で、小田原市内の図書館に向かう。


図書館で僕は再び『白鯨』を手に取り、それに疲れを感じると、今度は中原中也の詩集を手に取った。


スゥはCDを借りて、ヘッドフォンを耳に当てている。


読書に飽きると本を閉じ、図書館近くの公園の脇で、腕立て伏せと腹筋背筋、スゥに教えてもらったコンビネーションの練習をする。


筋肉痛で昨日みたいな動きはできなかったけど、それでも体をひたすらに動かす。


汗まみれになった僕は、公園の水道で汗を流し、Tシャツを簡単に洗うとゼファーにかけて、新しいTシャツに袖を通す。


体は相変わらず汗臭かったけど、もうそれは気にならない。


図書館に戻ると、スゥは音楽を聴きながら転寝をしている。


その姿を見ながら僕は、今度は芥川龍之介の全集を手に取る。


だけどたまった疲労が、僕の瞼を鉛にした。


―――


 いつの間にか転寝をしていた僕を起こしたのは、図書館の閉館時間を告げる音楽だった。


 体を襲う筋肉痛だけでなく、赤くはれた日焼けの跡にも痛みを感じる。


 スゥもまた、ゆっくりと体を起こし、背中を伸ばした。

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