目が覚めた頃、すでに時計は午後三時を回っていた。
昨日同様、体中にぐっしょりと汗をかいて。
僕はテントを出て体中に水を浴びると、陰に隠れて下着を脱ぐ。
寝起きの生理現象なんだろう、僕のその部分は、硬くなっていた。
無防備な格好の女の子の横で寝ているからだろう、それはいつも以上に硬く、僕がどうやっても落ち着かせることができなかった。
僕は僕自身のその部分を見て見ぬふりをして、木陰でパンツと、汗に濡れたシャツを替えた。
―――
少し涼しくなったころを見計らい、海沿いの道を少し散歩する。
間近に見えるみなとみらいやランドマークタワーを見ながら、涼しい海風に体を任せながら僕達は歩く。
少しずつ、体のほてりが消えていくような気がする。
そして深夜、僕達はライブハウスを訊ねる。
スゥの探し人の姿を求めて。
※※※※※
その次の日は、昼間は暑いから図書館で『白鯨』を読み進め、音楽を聴いて時間をつぶし、ライブハウスをめぐり、食パンを二人で分け合う。
そんな日が、それから二日ばかり続いた。
※※※※※
「知らん」
スゥのスマホの写真を見た、店主らしき中年の男性は、そっけなくそう言った。
横浜中のライブハウスをめぐって写真を見せるたびに帰ってくる、それはお決まりの言葉になっていた。
「仕方ないよ、スゥ、次のところに当たろうよ」
「そだね」
そういってスゥはスマホをしまった。
「あの」
その声に、僕とスゥは後ろを振り向いた。
そこには一人の、Tシャツとデニム姿の、ロングヘア―の女性の姿。
その人は周囲を用心深く確認すると
「あの、こっち。来て」
そういって、ライブハウスの外へと僕たちを手招きした。
―――
「“ジェリーピース”のメンバーだね、間違いない」
その女性従業員は、スゥのスマホの写真を見てそう言った。
「本当に? 本当に“モッチ”なの?」
聞きなれない言葉が、スゥの口をついて出た。
「名前までは、私はわからないけど」
そういって、一枚のポスターの隅を指さす。
「わかるかな? この男の子、間違いなくあなたの写真の子よ。一週間ほど前、ここでライブをやったから、忘れるはずはないわ。なんでも、全国ツアーで日本各地を回っているらしいの」
その言葉、写真の姿に、スゥは興奮し叫ぶ。
「間違いないよ、雰囲気は全然違うし、ベースじゃなくてギターを引いてるけど、けど、間違いなくモッチだよ」
「ねえ、その“ジェリーピース”、だっけ? 今どこにいるの? どこでライブやってるの?」
スゥの言葉に、女性の表情は曇り、言葉の端切れも悪くなった。
「モッチを探しに、ヒッチハイクで北海道からここまで来たの。お願い、教えて」
「実はね、店長から口止めされてるし、それに、そこまで詳しく知っているわけじゃないの」
「お願い」
スゥはそういって、体を大きく折り曲げた。
「絶対に探し出すって決めているの」
「こんなちっぽけなライブハウスの従業員が、これだけきつく口止めされている理由って、わかる? うまくは言えないけれど、そういうことなの。わかって」
「お願い、ねえ本当に、教えられる範囲の情報でいいから。あなたに、絶対迷惑はかけないし」
女の人は、ふぅ、と大きくため息をつくと
「あなた、吸う人?」
スゥに赤いパッケージの煙草のケースを差し出す。
スゥが首を振ると、女の人は煙草に火をつけ、紫色の煙を吐き出した。
「ねえ、あなたは、あのギタリストとどういう関係なの?」
「一言では、言い表せないくらい、大切な人。ウチの人生全てを引き換えにしていいってくらい。ウチの、全部なの」
「だったら、なおさらあの子とは関わらない方がいいわ」
女の人は、煙とともに言葉を出した。
「そのほうがあなたにとっても幸せよ。わざわざあてどのない旅をするよりも、彼なしでいくらでも幸せなんてつかめる、そう思えない?」
「ウチの幸せは、全部モッチと一緒にあるの」
スゥから女の人に返したのは、強い視線と口調だった。
「どんなにつらい旅だって、どんなに時間がかかったって、モッチと会えれば、それがウチにとっての幸せへの最短距離なの。だから、お願いします」
再びスゥは、大きく体を折り曲げる。
すると女の人は再び煙草を口に付け、ため息と一緒に煙を吐き出した。
その様子には、スゥの気持ちに心が動かされたかのような、かといってそれには答えられないとでも言いたいかのような、どこか、言うべきことは言ったのに、そんなあきらめのようなニュアンスが感じられた。
「何度も確認しておくけど、本当は絶対に言っちゃいけないことなの。さっきも言ったけど、彼のバンドは日本一周のツアーに出ていて、これから西のほうへ向かうっていっていたわ」
「本当に?」
スゥは女性店員の体を、荒々しく抱きしめる。
「ありがとーっ! これで、モッチに一歩近づけるよ!」
「ちょっと、痛いわ。一週間も前のことだし、本当にアバウトな情報だから、そんなに喜ばれるとこっちが申し訳ない――」
「――わんこくん! ここから西の、それなりに大きな街って、どんなところがあるの?」
女の人の言葉なんて耳に入っていないかのように、スゥは僕の方を振り返ったので。
「えっと、茅ケ崎とか小田原とか、神奈川県内ならそんなところかな。そこからもっと西になると、静岡に入って、沼津とかじゃないかと思うけど」
僕は学校の地理の授業で得た知識でその質問に答えた
「よし! それじゃあまずは、茅ケ崎を目指して、その次に沼津まで行こう!」
スゥは拳を振り回して叫んだ。
「行こう! わんこくん!」
僕は大喜びのスゥを見て苦笑しつつも、女の人に頭を下げた。
「ねえ」
スゥの後を追う僕の背中から、女の人が呼び止めるように声をかける。
「かわいい子ね、あの女の子」
僕はうまく答えられず、はぐらかすように笑って見せた。
「君も、あのギタリストを探しているの」
「まあ、そうだと言えばそうなんですが、そうじゃないと言えばそうじゃないような」
「じゃあ君は一体、何のためにあの子と一緒にいるの」
「スゥの、あの子の人探しを、手伝ってるだけなんですけど。それとまあ、あとは僕自身の問題っていうか――」
「ピュアなんだね、君は。君だけじゃないね、あの女の子も」
女の人は煙草を一口吸うと、また大きく、紫色の煙を吐き出した。
「その先に、何があると思う?」
女の人の真っ直ぐな視線が僕を捉えた。
「何かを追いかけることが、現実からの逃避に過ぎなかったって時もあるんじゃない?」
それは、僕の心臓をえぐるような言葉だった。
「私もね、がむしゃらに走り続けてきたの。夢を追いかけてね。でもその後に突き当たったものは、現実だけ。現実の壁に、突き当たっただけ」
そこまで言うと、女の人は首を振った。
「ごめんなさい、忘れて」
「どったの? わんこくん」
女の人と話し込んでいた僕に気づき、スゥが戻ってきた。
「たわいもない話よ」
そう言って、短くなった煙草を、靴底でもみ消した。
「ごめんなさい、あなたのボーイフレンド、長々と引き留めちゃって。とりあえずは、あなたがあのギタリストと会えることを祈っているわ」
そういって、女の人はライブハウスの中に姿を消した。
「何の話をしていたの?」
「何でもないんだ、行こう」
そういって、僕はスゥの腕をひっぱった。
「ねえ、さっきスゥが言ってた”モッチ”って――」
僕の言葉に、スゥは小さく頷いた。
「ウチにレニーを教えてくれて、このipodをくれた人」
その言葉のトーンは、スゥとその人との関係が、単なる関係ではないことを教えてくれた。
「ホントはモトアキって名前なんだけどさ、ウチだけがモッチって呼んでいいの」