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第14話

 暑い、その堪えきれない感覚が、僕に今が昼過ぎであることを認識させた。


 テントの中に僕は、汗の水たまりを作る。


 なんだか恥ずかしいから、僕は肩にかけていたタオルでそれを吹き上げた。


 すると、スゥは、一伸びとともに目を覚ます。


「ごめん、起こしちゃった」


 スゥは寝ぼけたような表情でふるふると首を振り、大きなため息をついた。


「スゥは、暑くないの」


「んなわけないじゃん。この汗見てみ?」


 ぼくと同様、スゥのタンクトップは、夕立の中を歩いたようだった。


「けど、なんていうか、慣れなんだよね。最初のころはウチも暑くてやりきれなかったけどさ、そんなことばっか気にしてっと、体も休まんないっしょ」


 スゥは、枕元に置いておいたペットボトルから再び水を補給した。


「タフだね、スゥって」


 汗のにおいが気になるとかべたつくとか、暑くて寝られないとか、言っていられないだろう。


 これから僕は、もっともっとタフにならなくてはいけないんだ。


「けど、どうしようか」


 スゥは寝ぼけ眼をこすりながら言った。


「ライブハウスなどは夜中に開くし、それまで暇だよね。どうやって時間をつぶそうか」


「図書館探してみない。エアコンも効いてるし、ちゃんと座れるイスもあるし。居眠りしたって、そんなに気にする人もいないからさ」


 お昼に食パンとソーセージをつまんで簡単な昼食をとる。


それが終わると、僕たちは汗まみれになりながらテントを撤収した。


 ゼファーのカウルは夏の陽光に照らされて熱を帯び、目玉焼きでも焼けそうだった。


シートも熱を持ち、腰を据えた時の熱さにズボンの中は蒸れ、少しずつ熱が消え去っていたかと思えば今度は全身から汗が噴き出す。

ゼファーを走らせればその向かい風が僕たちの体を冷やすが、一旦赤信号で停車すれば、アスファルトの照り返しまでもが僕たちを焼き焦がす。


顔を上げれば、アスファルトの上に揺れる陽炎。


図書館の目当てをつけながら、ゼファーは勝手の知らない街を漂う。


 一時間程走らせただろうか、信号機の脇に、『横浜中央図書館』の標識が。


 その矢印に従い、僕はゼファーのアクセルをふかした。


―――


「生き返るぅ」


 僕たちの体にまとわりついていた汗と熱気はあっという間に消え失せ、腕に白い跡を残す。


「なかったわぁ、この発想」


 スゥはタンクトップの胸元をつまみ、パタパタと風を送り込む。


「最初、えー図書館かぁ、とか思ったけどさ。いいじゃん、とにかく涼しくて」


「でしょ」


「今後はさ、新しい街に行ったら、図書館真っ先にさがそ?」


 僕たちは、顔を見合わせて笑い合った。


 スゥは新聞紙なんかが置いてあるソファーのゾーンに、ファッション雑誌を始め数冊を手に座り、無造作に足を組んで読み始めた。


 時計を見れば、二時を回る所だ。


 僕はなんとなく、英米文学の書棚を物色する。


その中の、ハードカバーの『白鯨』を手に、机に席を見つける。


大体のあらすじだけは知っていた小説だったけど、語り手のイシュメールが現れるまでの、序盤の鯨に関する知識の羅列に、僕は何度も混乱する。


だけどその重厚な語り口と文体に、僕は徐々にその中に引き込まれていく。


 気が付けば、館内には閉館を知らせる蛍の光が流れていたので、僕はハードカバーを閉じ、元の書棚にそれを戻した。


 ふと気になって、そこにあった新聞記事に片っ端から目を通したけれど、僕が失踪したことに関する記事は出ていないようだ。


 僕はすでにソファーで意識を失っているスゥをゆすって起こす。


 スゥは大きなあくびを浮かべ、背中を伸ばすこきこきという音が小さく鳴る。


「あー、なんか、ちょー気持ちよかった」


 肩をしばらく上げて、そしてすとんと下に落とす。


「なんだかんだで、暑さに体が参ってたのかな。うん、やっぱり今後は、何かあったら図書館で過ごそう」


―――


 僕達は図書館を後にして、再びバイクにまたがった。


カウルにはまだ熱が残っていたが、それは当然昼のような焼け付くフライパンのようなものではなく、ぬるいお湯を注いだマグカップ程度の、幾分穏やかなものに変わっていた。


 けど外気から、初夏の涼しさは消え失せ、昼間の熱さの余韻が残る。


 僕たちはゼファーを走らせ、横浜駅の路地裏に停車をした。


 目視はできないけれど、ここからそう遠くないところに大きな海が広がっていることを思うと、なんだか不思議な気持ちがする。


スゥは足取り軽くゼファーから降りると、慣れた様子で、路地裏でライブハウスのポスターをくまなくチェックする。


出演者の名前やイベントの雰囲気、ライブハウスの場所を自分自身に言い聞かせるようにつぶやきながら。


 僕たちは路地を行きかう人たちをかき分けながら、それらしい店に当たりをつける。


するとスゥは、ライブハウスの客や、従業員、はてはライブハウスの店長に至るまで捕まえ、声をかけ、時には手にしたスマホで何か写真を見せる。


だけどその日、何かつかめた様子はなかった。


体力が限界に達する頃ゼファーにまたがり、僕達は何とか意識を保ちながら、再び海沿いの高島水際公園へ移動した。


「ちょっと遅いけど、夕食にしよう」


 僕はサドルバッグから、食パンとマヨネーズ、ランチョンミートの缶詰を取り出す。


「ねえスゥ」


 僕はポケットから財布を取り出して見せる。


「とりあえず、お母さんが置いていった生活費と、僕の貯金を合わせて持ってきたんだ。だからしばらくは、これを節約して使おう」


「まあ、ウチはほとんど現金持ってないからさ。それだけあれば、大分助かるし。むしろ、ラッキーって感じ? けどさ」


 するとスゥは、食べかけの食パンの半分をちぎり、僕に差し出した。


「それでもわんこくんは、しっかり食べなきゃダメだって」


 僕は首を振った。


「ありがと。でもいいんだ」


「だってわんこくんは、ウチとちがって育ちざかりなんだからさ。ウチは女だし、もともとそんな食べんし」


「本当に、いいんだ」 


美味しそうにカップラーメンをすするスゥの気持ちよい食欲を思い出し、僕は吹き出しそうになった。。


「まあ、わんこくんがそういうなら」


 スゥは見るからに旺盛な食欲を感じさせるいい食べっぷりを見せた。


「けどそろそろ給油もしなくちゃいけないしね。ま、いざとなったら、二人で稼げばいっか」


「えと、僕はまだ中学生だからアルバイトはできないし、そもそも身元がばれたら、二人とも旅が続けられなくなると思うんだけど」


「ん、そん時はそん時だよ」


 そういって、スゥは、ぱたぱたと手についたパンくずを払った。


 僕たちはテントを立てて、その中に寝転ぶ。


「疲れたんじゃない? こういうのってさ、それこそ体が慣れないと、疲れるもんなんだよ」


 スゥはそういって、僕の耳に片方のイヤフォンを差し込んだ。


「リラックスしよ」


 そこから流れてくる、繊細なストリングスとシルキーな歌声。


――Here we are still together


 We are one So much time wasted


 Playing games with love――


 本当にこの人は、いろんな側面を見せてくれるミュージシャンだと思う。


 レニー・クラヴィッツの『Ain‘t over till it‘s over』

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