「スゥ、スゥ」
僕の声掛けに、橋の下のテントからスゥが顔を出す。
「いったいどうしたの? 見送りにしては、仰々しくね?」
「僕は、君と一緒に旅に出たい」
「マジで? ウチのことなんか、気にしなくていいのに」
スゥはほんの少し、呆れるような表情を浮かべる。
「僕が君についていくんじゃない。僕が君を連れて行くんだ」
「つらい旅になるかもしれないよ?」
念を押すように言うスゥ。
「これから毎日が熱さとか、お腹空いたりとか、喉乾いたりとかとの戦いの旅が始まるよ?」
「覚悟はできている」
「本当に、後悔しない?」
僕は、確信をもって頷いた。
「これは君の旅でもあり、僕の旅でもあるんだ」
「そっか」
僕の言葉に、スゥは微笑み頷いた。
「なら、ウチはもう言わない」
するとスゥは、僕の耳にイヤフォンを差し込んだ。
それはスゥのipodのワイヤレスイヤフォン。そこから流れてくるのは、激しいドラムのリズムとギターサウンド。
「この曲、なんて曲だったっけ」
「“FLY AWAY”。レニー・クラヴィッツ」
―――
僕はゼファーにまたがるとゼファーのキーを回し、体重をかけてエンジンをかけた。
僕の体を内側から、内臓を思い切りつかみ上げるような音が響く。
それはまるで、僕の心臓に乗せて響く、心を震わせるロックミュージックのようだ。
「もし疲れたなら言ってね、ウチが代わってあげるから」
テントや旅の道具を大きなキャンバス地のリュックサックにしまうとそれを背負い、タンデムバーに手をかけて、シートに飛び乗る。
「ウチだって、運転はできるんだからさ。ウチも無免だけど」
「大丈夫。このゼファーは、僕が君をのせて運転するためのものなんだ」
背中に感じるスゥの胸のふくらみは、僕の心を一層高揚させる。
「GOだよ、わんこくん」
―――
公道の風と背中に張り付く女性の胸、初めての感覚に、僕の心は言い様のない興奮と高揚感に包まれる。
フルフェイスのヘルメットを通して見える夜景や長距離トラックの光、国道の街灯、そのすべてが、僕自身がまるでここではない違う空間に存在しているかのような錯覚を抱かせる。
僕たちが目指すのは横浜。
電車でしか言ったことのないその街へ向けて、僕はスゥをタンデムシートに乗せたまま、深夜の国道を突き進む。
するとスゥが、僕のお腹をトントンと二回たたく。
僕たちで取り決めた、ゼファーのストップをリクエストするときのスゥの合図。
その合図を受けて、僕は周囲を確認しながらゆっくりとゼファーを路肩に止める。
僕たちの目の前には、大きなトンネル。
まるでピノキオの大鯨のように、たくさんの乗用車やトラックを、別の世界に連れ込んでいくかのように何度も飲み込む。
「これで最後だよ」
スゥはそう言った。
ヘルメットを取ってじっとりと汗がにじむ僕の顔を、国道を行く自動車の風が涼しくなでる。
「ここを過ぎたらもう後戻りはできないし、ウチももう止めない」
「言ったじゃないか。これは君だけの旅じゃない、僕の旅でもあるんだって」
「その気持ちはわかるよ、だけど、わんこくんはまだ中学生なんだ」
スゥの体を、夏の深夜のしっとりとした風が包んだ。
「もう少し我慢して、飛び立てる時期を待つことだってできるんだよ」
けど、僕の心は揺るがない。
「きっと僕には、今しかないんだ。今を逃したら、僕はきっともう、飛び立てない」
僕はポケットからスマホを取り出すと
「これはもう、僕には必要ないから」
そういって道路脇の川に投げ捨てた僕に、スゥは小さく笑いかけた。
「わかった。もう何も言わない」
ゼファーは僕たち二人を乗せ、トンネルへと突入する。
気圧の変化に、僕達はまるで分厚い空気の壁にぶつかったような感覚を覚える。
一層暗くなった空間に、モールス信号のように一定のリズムで電灯が光を放った。
―――
僕たちは、トンネルを抜けた。
そこからしばらくゼファーを走らせていくと、僕達の目の前に少しずつ、夏の朝日が夜の帳を開けはじめ、湿っぽい夏の風が周囲を覆い始める。
フルフェイスの中で、僕は小さくつぶやいた。
「夜明けだ」