「あー、美味かった」
スゥは大きく伸びをすると、体を後ろに倒した。
「こんなにお腹一杯ご飯食べれたのも久しぶりだし」
「気にしないでよ。“ギヴ・アンド・テイク”だから」
「そう言ってもらえると、なんか照れるし」
するとスゥは、キャンバス地の大きなリュックサックからプラスチック製の、手のひらに収まる程度の箱を取り出した。
「今日は気分いいから、久しぶりに聞こうかな」
「それ、何?」
「ipod。知らない? まあ最近は、みんなスマホで音楽聞くもんね」
そういって画面をくるくるとフリックした。
「あんまし充電もできんしさ、しばらく使わないようにしてんだよね」
そういって、そこから伸びるイヤフォンの片方を僕の耳に差し込んだ。
そこから流れてくる激しいギターソロが、柊の心を沸き立たせる。
この曲、どこかで聞き覚えがある。
――I was born long ago
I am the chosen I‘m the one
I have come to save the day
And I won’t leave until ⅰ‘m done――
「知ってるっしょ、この曲、有名だし。レニー・クラヴィッツ。『自由への疾走』」
そういうとスゥは、メロディーに合わせて小さく肩を動かした。
「ウチがこういうの聴くって、あんまキャラじゃないっぽいんだけどさぁ。どうでもよくね? 音楽の趣味なんて、人それぞれでいいわけだし」
僕たち二人は、暫くipodから流れる曲に、身も心もゆだねる。
するとスゥの左肩が、場所を求めるように僕に寄りかかる。
その心地よい重さに抗うことはできず、しばらくの間、ハードなロックナンバーに身を任せていた。
すると、ミディアムテンポのギターサウンドがバラードになり、僕たちの耳にささやくように流れ込む。
――Ⅰ‘ve been searching for you
I heard A cry within my soul
I‘ve never had A yearning quite like this before
Know that you are walking right through my door――
まどろむようなリラックスした表情のスゥの数のやわらかな温もりが、僕の肩に伝わる。
スゥの湿り気を含んだ暖かな吐息が、一定のリズムで僕の首筋をくすぐる。
「ねえ、スゥは、どうして一人で旅をしているの」
「人を、探してるんだ」
目を閉じたまま、スゥはそう言った。
「手がかりは、あるの」
スゥが首を振ると、長く鮮やかな色彩の髪の毛が、僕の肩口をくすぐった。
「“風”が吹いたの」
「“風”」
「札幌中を探し回ったけど、足取り全然つかめなくてさ。もう無理なのかな、そう考えた時に、風が吹いたんだ。春先っていても北海道って、まだまだ寒いんだけど、その時の風は、すごく暖かったんだ。一瞬だったんだけど、まるで、うちの心を通り抜けるみたいな、気持ちいい風」
スゥは目を細め、遠くを見つめる。
「その瞬間、ウチは、この風の向こう側に絶対その人がいる、そう確信したんだ、って、めちゃくちゃ引いてるっしょ」
そういうと、スゥは恥ずかしそうに僕の肩をゆする。
「ま、ウチだってそう思うしね。だけどさ、あの、なんて言ったっけ、世界中の海で、鯨見っけるっていうあのお話――」
「『白鯨』、メルヴィルの」
「そうそう、その片足の船長がやってることより、だいぶ可能性高くね?」
そう言ってスゥは起きあがると、這うように出てテントの外を確認する。
「もう真っ暗じゃん。遅いから帰ったほうがいいよ。君のママが心配するし」
「関係ないよ、あの人は」
自分自身が口にしたその言葉の響きに、僕自身が驚いてしまった。
「いや、今お母さんのこととか、あんま考えたくないっていうか、それに、しばらく出張で帰ってこないっていうか――」
焦って取り繕う僕の頭を、スゥは優しく微笑んで優しく撫でた。
「けどごめんね、今日はこれから出かけなくちゃいけないんだよね」
「こんな時間に?」
「うん。今日はこれから、下北沢ってとこ行くんだ」
いったい何のために、と聞きたかったけど、スゥの表情に、僕は少し躊躇してしまった。
「あの、さ、また明日来ていいかな」
「“ギヴ・アンド・テイク”オッケー?」
―――
家に帰った僕は、レニー・クラヴィッツの音楽をパソコンにダウンロードした。
そして毎日、お母さんの目が届かない瞬間を見計らって、その音楽に耳を傾けた。