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第8話

「へたっぴ」


ヘルメットを取って振り向くと、そこには一人の女性の姿。

日に焼けた黒い肌、ジーンズのショートパンツにビキニタイプの水着のトップスを着た女性は、腰に手を当てて僕を見下ろしていた。


「んー? たしか君、以前渋谷であったっしょ?」


 その時ようやく僕は、あの時僕を助けてくれた女性であると気が付いた。


「ね、それって、ゼファーっしょ」


 “ゼ”ではなく“ファー”の部分にイントネーションを置く、僕とは異なる発音に、僕は戸惑いながらも頷いた。

あっけにとられ言葉もない僕なんかお構いなしに、その少女は、気持ちいいほど無遠慮に僕のもとに近づき、倒れたゼファーの傍らに座る。


少女は僕のヘルメット、おそらくは狼のステッカーに指を這わせる。


「狼か、なかなか格好いいじゃん。君、どっかのチームに所属してるとか? けど、君はちょっと狼って感じじゃないかな。むしろ、わんこだね」


少女が気持ちよく笑ったその瞬間、僕を中心に世界が再編成されたような、そんな不思議な感覚が僕の周囲に広がっていった。


「こういうのはね、力だけじゃないんだって。力も大事なんだけど、こういうのってコツだし」


少女はバイクのハンドルを取り、軽々とゼファーを起こす。


「バイク乗ろうってんなら、これくらいのスキルは身に着けなくっちゃっしょ」


とウィンクをする少女に、僕は顔が熱く火照るのを感じた。


「ちょっと貸してみ」


そう言うと少女はゼファーにまたがると、見ていて気持ちいいほどスムーズに、少女はキーをスライドさせ、ゼファーのエンジンをかける。


「見ててみ」


ノーヘルのブリーチされた長い髪の毛が、夏の河原の蒸し暑い風に舞う。


軽々とゼファーを走らせると、少女はコンクリートの橋脚の周囲を数周して戻って来た。


「どうよ」

自慢げに言った少女はバイクを降りエンジンを切るとスタンドを立て


「サンキュ。気持ちよかった」


僕にキーを手渡した。


「すごい上手いんですね。免許持ってるんですか?」


「ん、持ってない」


少女の口からついて出たのは、意外といえば意外、しかしどこか納得させられる言葉。


「まあ、ウチ、見ての通りの女だしさ。結構、こういうの慣れてんだ」


そう言って、少女はにやりと笑った。


「わんこくんだって免許持ってないけど、バイクに乗りたいって思ったんでしょ? ほら――」


 少女は、僕にハンドルを明け渡す。


「――ウチが教えてあげる。乗ってみ?」


少女の言葉に頷き、僕はバイクにまたがった。


「ほら、ゆっくり、キーを刺して」


 少女の言う通り、僕はゆっくりとキーをキーホールに刺す。


「ゆっくり入れて、そして回すの。優しくね」


 少女の言葉は僕を陶酔させ、僕はその陶酔の中、ゆっくりと挿入する。


 初めて経験したような手ごたえが、僕の体に走った。


 そして、エンジンに火を入れる。


「いきなりふかしすぎちゃだめ」


 少女は僕の頬に手を当て、やさしく言う。


「ゆっくりとエンジンはふかすようにしてみ? 女の子扱う見たいにさ」


 少女の言うように、僕は慎重にアクセルを吹かす。


「自転車乗れるっしょ? スピードと重力に慣れれば、あとは自転車に乗るようなもんだし」


僕は大きく息を吸い込み、そして吐くと、言われたとおりにアクセルを吹かし、そしてゆっくりとゼファーの車輪を回転させる。

走りだした一瞬、軽いめまいを覚え、それが次第に高揚へと変化し始める。


逸る心を抑えながら慎重にゼファーを操縦して、少女がやったように、橋の袂を一周した。


「やるじゃん。結構、センスあんじゃね?」


その褒め言葉に、ヘルメットの中の温度が二、三度は上昇した。

それからしばらく僕は少女の指導の下でゼファーの操縦を練習すると、気が付けば周囲は、夜の帳に包まれ始めていた。


「ん、今日はこんな感じっしょ。まだ運転慣れて無いとき、暗い中運転すんのも危ないしさ」


「うん、今日は本当にありがとう――」


すると少女は僕に近づき


「教え賃」


にっこり笑って掌をさし出した。


「ウチのこと、スゥって呼ばせたげる。特別だからね」


―――


「うわー、カレーのカップラなんて、ちょー久しぶりなんすけど」


 そういうと少女、スゥは、派手な音を立てながら麺をすすり上げた。


 左手はカップラーメンの容器を掴みながら、梅干しのおにぎりを握りしめている。


 そこは、スゥが橋のたもとに設置していた小さなテントの中。


近くには、古い渦巻き型の蚊取り線香が、香りの強い煙をくゆらせる。


そこにほのかに、スゥの汗のにおいが混じっていた。


「んー、しみるわー、なんて言うかこう、体中に油とタンパク質と糖分がいきわたってるっていうの? ちょー幸せ」


 食べているのがうれしいのか、それとも話すことが楽しいのか、スゥはとにかく全身で喜びを表現していた。


「あ、喉乾いたんじゃないですか」


 そういって僕は、コーラのペットボトルの封を切りスゥに渡す。


「サンキュ、あ、タメ語でいいって。敬語とかそういうのいらんし」


 ペットボトルを受け取ったスゥは、口の中にある麺と米粒を胃の中に流し込むように、一気に飲み干した。


「あー、ホント、夏場のコーラって最強なんですけど」


「えと、食べ終わってからでいいんだけど。スゥって今いくつなの? どこから来たの?」


「ウチ? 今十七歳」


 ぐふう、というげっぷの音が低く響いた。


「北海道からここまで、ヒッチハイクしてきたんだ」


「ヒッチハイク? このテントで?」


「そ。すげーっしょ」

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