「なに見てるの」
次の日にお昼休み、バイク雑誌を読みふける僕の上に不意にかけられた声。
「日南さん」
僕は慌てて、雑誌を隠そうとする。
「私に見せられないような雑誌ってこと? もしかして、いやらしい雑誌とか?」
「違うよ。もしそんなんだったら、お昼休みの教室で堂々と開いてみてなんかできないよ」
「じゃ、見せてよ。先生に言っちゃうから。いやらしい雑誌、学校に持ち込んでるって」
仕方なく僕が手渡すと、日南さんは無言で、ぺらぺらと雑誌をめくる。
「意外ね。こういうの読むなんて」
日南さんの手元で、水着を着た女の人がバイクにまたがるグラビアのページが露わになった。
「別にこれが目当てで買ったわけじゃないし」
そう言って僕は、日南さんの手から雑誌を奪った。
「別にそういう意味で言ったんじゃじゃないんだけど」
日南さんは、あくまでもクールなスタイルを崩そうともせず言った。
「なんていうか、あなたのイメージと、上手く結びつかなかったから。なんだか、よくわからない人ね」
「よくわからない、僕が」
「まあ、あなたも言ったものね。“日南さんには、絶対わからないよ”って」
「もう忘れてよ、そのことは」
「けど本当ね。あなたも含めて、男の人って本当に、よくわからない」
日南さんの口からついて出たのは、意外な言葉だった。
「ねえ、バイクの何に、そんなに惹かれるの」
イスを返した日南さんの体は、いつの間にか僕に向かい合っていた。
「乗ってみたい、ってこと? またがって操ってみたい、ってこと?」
イスにまたがる日南さんのスカートの隙間に、できる限り意識が集中しないように努める。
「まあ、そいうことになるのかな」
「動かせないのに? 免許もないのに、ただ眺めているので満足できるの?」
日南さんの微笑みは、どこかいたずらっぽく、それでいて、また僕自身の心の内を見透かしているようにも見えた。
「動かせるさ。僕にだって」
僕の声は、自分自身が少し驚くほどの強さだった。
「キーを回してチョークを引いて、エンジンをかけて回転を上げたらチョークを戻して、エンジンがあったまってきたら、アクセルを開いていくだけ。簡単じゃないか」
気が付けば、僕を見つめる日南さんの目が少し大きく見えた。
「ごめん、だけど、乗ろうと思えばいつだって乗れるさ」
「免許、ないのに?」
「とれるんなら、今すぐにだってとれる自信があるよ」
そういって僕は、バッグを抱えて教室を後にした。
―――
――動かせるさ。僕にだって――
こんな言葉を口にすれば、日南さんじゃなくたって、僕の心なんて見透かされて当然だ。
今僕は十四歳。
ゼファーを走らせることが認められるまで、あと一年半。
けどその一年半は、僕が抱えるこの心にとって、あまりにも長すぎる。
それに、一年半を待ったところで、お母さんにバイクの免許を取っていいかなんて訊ねたところで、問答無用で却下されるにきまっているし、そもそもそう切り出す勇気もない。
結局僕のあこがれは、あこがれのまま終わる以外にないのか、そんな焦りが、僕の胸を締めつけた。
ダイニングのテーブルの上の、お母さんが朝作っていった夕食の皿を見るだけで僕の食欲は消え、それどころか吐き気が込み上げてくる。
僕は、いったいいつまでこのままこうして、生きていかなければならないんだろう。
それは僕が子どもだからだろうか。
大人になれば、それが少しは変わるんだろうか。
ベッドに寝転びながら、僕は目を閉じ、僕自身の言葉を反芻する。
そう、僕は、いつだって動かそうと思えば動かせる、だけど、今は動かすときじゃないんだ、そんな自分自身の負け惜しみのような思いは、何度反芻しても消えることはなかった。
僕の瞼の裏には、いつものあのイメージ。
西から吹く熱い風を向かいに受けて、僕はゼファーを走らせる。
だけどその日の僕は、その背中に、誰かの影を感じていた。
ゼファーに乗っているから、当然その姿は確認できないけれど、背中に感じるその柔らかい感触は、それが女性であるということを僕に教えてくれる。
僕に吹き付ける心地よい風と背中に感じる感触は、衝動となって僕を突き動かした。
―――
ガレージの中でフルフェイスヘルメットをかぶると、バイクのハンドルをつかんでスタンドをあげ、ゆっくりとゼファーを押していく。
軽いものではないと想像はしていたけど、その重さに、僕は何度も足を取られそうになった。
自分自身の体力のなさに情けなさを感じながら、少しずつ、僕はゼファーを目的の場所まで転がしていった。
―――
たどり着いた場所、そこは多摩川の土手。
僕は周囲を確認しながら、慎重にブレーキを操作し、ゆっくりと河川敷の広場までゼファーを下ろしていく。
河川敷の電車の橋のところまでたどり着いてスタンドをあげ、フルフェイスのヘルメットをとると、ようやく僕は一息ついた。
再びヘルメットをかぶりスタンドをあげ、僕はゼファーにまたがる。
キーをキーホールに突き立てて荒々しくかき混ぜるように回転した時、何か想像もできないようなものが爆発してしまうんじゃないか、そんな思いが僕をとらえた。
インターネットで読んだマニュアルを思い浮かべながら、僕はキーを鍵穴に入れようとした。だけど、その時はどういうわけか、上手く入らなかった。
僕は心を冷静に努め、もう一度頭の中にマニュアルを思い浮かべながら、キーをホールに突き立てようとする。
しかし、やはりうまくいかなかった。
鍵を刺そうと四苦八苦する中、僕はバランスを崩してゼファーとともに河川敷の土の上に倒れこんでしまった。
「へたっぴ」