“西から吹く風”は、きっと熱く湿ったものになるはずだ、僕はそう考えた。
旅をするためには衣服は必要最低限のものだけにしたほうがいい、スゥもそう言っていたから、引き出したタンスの中を、僕は慎重に吟味する。
七月中旬の真夏の太陽の下、ゼファーに乗って西へと向かうわけだから、日差しへの対策としてロングスリーブのシャツは必須だろう。
もちろん、安全対策面でも重要なことだ。
だけど、僕たちが旅に出る理由は人を探すことにあるわけだから、街中を歩きまわるためには、やっぱり夏用の服も持っていくべきだろう。
できる限り荷物を少なくすることを考えて、僕は生地のしっかりした柄の無い、なるべく汚れの目立たなそうな半そでのTシャツと、デニムのハーフパンツ、あとはボクサーショーツをそれぞれ数枚、サドルバッグの中に詰め込むと、ジップアップのパーカーを羽織った。
その後バスルームに向かい、小さなタオルと三枚と大きめのバスタオルを一枚、きちんとたたんでサドルバッグに入れる。
汗を拭いたりするのにタオルは必要だろうし、バスタオルは、使いようによってはタオルケットにもなるだろう。
キッチンに向かった僕は、棚から八枚切りの食パンを一斤と、冷蔵庫の中からまだ開封していないマヨネーズを取り出すと、コンロの横の引き出しを開ける。
そこにはお歳暮やら何やらの貯めこまれていた缶詰の山。
僕はそれを一つ一つ吟味し、缶入りソーセージ、コンビーフ、ランチョンミートなんかを見つけて、これもサドルバックに詰め込んだ。
食事だけはいくらあってもかまわないだろうけど、それでも必要最低限の、すぐに食べられるものの方がいい。
―――
僕の家の裏、そこは物置。
いや、今は物置になっているというべき、古いガレージ。
シャッターを開けるときの、油を指していない錆び付いた金属同士がこすれる金切音にはもう慣れた。
使われなくなって長いこと立つ木製の棚の扉を開けると、僕の睨んだ通り、たくさんのアウトドア用品があふれている。
これから旅をする中で、とても快適なキャンプ生活なんて期待はできない。
大きさや重さ、必要性なんかを吟味しながら、固形燃料や小さな鍋、アルミ製の食器類なんかの必要最低限をサドルバッグに詰め込むと、何かを持ちだした形跡がばれないよう、慎重に不必要なものを戻して扉を閉じた。
もう誰も運転するものもいないトヨタ・カローラの横、古びた工具や、べとべとした水あめのようなオイルの缶をまたぎながらその奥に進む。
そのさらに奥にあった、オイルと埃とカビのにおいに覆われた古い毛布を跳ね上げると、その下から、黒光りする、機能的な姿の昆虫のような鉄の塊が姿を現す。
ZR400-C7、カワサキ・ゼファー、ブラックカラー。
僕はそのバイク、ゼファーをガレージの前まで移動させると、古タイヤとか雑誌、新聞紙なんかをゼファーのあった場所に置いて、その上にさらに毛布を掛けた。
もうここにバイクがあることなんて誰も知らないだろうけど、それでも小さな違和感がこれからの僕たちの足取りの手掛かりになるかもしれない。
ゆっくりと、しかし古いブリキがこすり合わされるような音を立てながら、シャッターが下ろされた。
そして僕は、狼のカッティングの張ってあるフルフェイスのヘルメットをかぶる。
これなら十四歳の僕だって、少なくとも免許が持てる十六歳くらいには見えるだろう。
そしてもう一つ、半帽のヘルメット、そのベルトに僕は腕を通しぶら下げる。
僕はゼファーにサドルバッグを装着して、三十㎝ほど離れてバイクの左側に前を向いて立つと、両手でゼファーのハンドルを持つ。
ゼファーを自分側にほんの少しだけ傾けて、身体とゼファーを密着させて支え、腰と腿のあたりを中心に身体とバイクを密着させて押し出す。
用心のために、前輪ブレーキがすぐに掛けられるようブレーキレバーに指をそえて、周囲の目を気にしながら騒音を立てないように、エンジンをかけずにゆっくりと。
非力な僕にとってはその重さにはてこずらされる。
けどこの現実的な重さが僕自身を自由へと軽やかに駆り立ててくれる、それがその重さを少し和らげてくれているように感じられた。
目指すは多摩川河川敷の橋の下、二百㎏はあるバイクを、僕は全身を使って押す。
僕の切れる息がこの夜中の住宅街でやたらと大きく響いているようで、その緊張のせいだろうか、心なしか呼吸が激しくなっているような気がする。
すぐに僕の背中に、胸元に額に、汗がにじみ始める。
フルフェイスのヘルメットを脱ぎたかったけど、少しでも年齢がばれるかもしれないリスクを考えれば、我慢するしかない。
見上げると、街頭に無数の羽虫が柱をなしている。
ニ、三か所、やぶ蚊に刺されたみたいだ。
アディダスのスニーカーの底をアスファルトにこすりつけながら、十四歳の僕はゼファーと一緒に進む。
前を向く僕の視線の先には、街灯の灯りがリズミカルに輝く。
その催眠術の導入のような点滅は、スゥという少女との出会いを、誘導催眠のように思い起こさせた。