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第四十四幕 人喰雷獣との戦い


 七月四日の夜を過ぎてからの、五日未明の深夜のことであった。


 俺とすずさんとおあきちゃんの三人は、ここ本所の盛り場さかりばにある見世物小屋みせものごやの前に来ていた。見世物小屋とは色々な珍しいものを見せてくれる場所であり、四角く張った囲いが天に向かって高く突き出ているように建てられている。


 ともった提灯ちょうちんぼうを持っている、すずさんが口を開く。

「今夜に調伏ちょうぶくするあやかしは、この見世物小屋の中にいるらしいよ。相当に手強てごわいらしいから、心しなよ」


 俺は、すずさんに尋ねる。

「すずさん、今回はどんな妖怪かはわかっているんですか?」


 すると、すずさんが応える。

「さぁねぇ、それがわからないんだよ。人が跡形あとかたもなく何人か消えてるから人喰ひとくいのあやかしだとは思うんだけどねぇ」


 その言葉に、隣にいるおあきちゃんが俺の手を握る。


 俺たちが路地に入って裏手に回ると、すずさんがたもとから鍵を取り出して、見世物小屋の錠を開ける。


 カチャリという音と共に開いた錠を取り外し、俺たち三人は中に入る。


 すずさんが暗い部屋の中に狐火を浮かばせて口を開く。

「うーん……あやかしの臭いはあんまりしないねぇ。その代わり、あまりいだことのない臭いがするよ。見世物になっている珍しい禽獣きんじゅうの臭いだろうね」


 その言葉に、俺は返す。

禽獣きんじゅう? すずさん、禽獣きんじゅうってとりけもののことですよね? 珍しいとりけものがいるってことですか?」


 すると、すずさんが闇の中を指差して俺たちに顔を向ける。

「りょうぞう、おあき、いたよ。ありゃあ駱駝らくだってやつだね。まさに珍獣さ」


 宙に浮いているすずさんの狐火きつねびにて白く照らされたその動物は、上が開いた木でできた柵の中にて寝そべっている二頭のラクダであった。平成に生まれ育った俺にとっては、取り立てて珍しい動物ではない。


 緊張の糸がゆるんだ俺は、拍子抜けして大きく息を吐く。


「珍獣って……ただのラクダじゃないですか」


 ところが、俺と手を繋いでいるおあきちゃんは、あからさまにうきうきした口調になる。

「すごぉい! あれが駱駝らくだなの!? 馬よりもずっと大きいんだね!」


 なんだか、おあきちゃんが想像以上にはしゃいでいた。俺はおあきちゃんに声をかける。

「……おあきちゃん? ひょっとして、ラクダ見たことないの?」


「初めて見る! 背中にこぶがあるんだ! 今まで見た四つ足よつあしけものの中で一番大きい!」


 すると、すずさんがおあきちゃんに話しかける。

「おあき、普賢ふげん菩薩ぼさつの乗り物のぞうって知ってるだろ? あたいは昔に、シャムって国から海を渡ってきた生きてるぞうが江戸の町中を歩いてるのを見たことあるんだけどさ、ありゃぁ駱駝らくだよりもずっとずっと大きかったねぇ。背までの高さが一丈いちじょう近くあってさ、大仰おおぎょうでなしにごとく鼻が長いのさ」


「へぇぇ! 本物ほんものの象ってそんなに大きいんだ! あっ、あっちにいるのはひょっとして孔雀くじゃく!? すごい! すごいよここ!」


 おあきちゃんが興奮した様子でラクダの柵の隣を指差すと、そこには地面に胴体を下ろしてすやすや眠っているクジャクがいた。


 この時代の人にとっては、これでも充分に見世物としての興行が成立するものらしい。


――もしもキリンやペンギンを江戸時代の人たちに見せたら、どういう反応を返すのだろうか。


 すずさんが振り返り、俺に伝える。

「あれ? りょうぞう、あまり驚いてないねぇ? もしや、未来ではもっと珍しい禽獣きんじゅうが見世物になっているとかかい?」


 俺は乾いた笑い声を出して応える。

「あはは……まぁそうですね。未来には動物園どうぶつえんっていって、世界中の珍しいとりけものを見ることができる、大きな庭園ていえんみたいなのがあるんですよ。俺は珍しい鳥やけものっていうから、トキとかニホンカワウソとかがいるかと思ったんですけど」


 俺がそう言うと、すずさんはきょとんとした顔を見せた。

「おかしな事言うねぇ? とき川獺かわうそも、そこらへんの田んぼやかわにいくらでもいるじゃないのさ? しかも群れで稲を踏み荒らす厄介者やっかいものときなんかが、何で見世物になんのさ?」


――もしかして未来では天然記念物のトキが、生ごみ袋を集団で荒らす厄介者やっかいもののカラスみたいな扱いなのか。


「あー……えっとですねぇ……」


 二十一世紀では、日本由来のトキもカワウソも絶滅していることを言おうかどうか躊躇ためらっていると、すずさんがこんなことを言った。

「じゃあさ、りょうぞうに今度、鴇汁ときじるでも作ってやろうかい? 美味うまいよ? かしわに比べたら少し生臭いけどね」


「大変興味深いですが……遠慮しておきます」


 トキの肉の味を確かめるなんて機会、二十一世紀では絶対にないのだろうが、やがてトキがどういう運命を辿ることになるかを知っている俺は断った。


 おあきちゃんが口を開く。

「すず姉ぇ、あっちの部屋じゃない? かすかだけどあやかしの臭いがする!」


 そう言って指差す先には戸のないくぐり口があり、珍獣がいる部屋とは別になっているようであった。


 すずさんが口を開く。

「ああ、中に二つ部屋があるんだね。向こうの部屋の方が入り口近くにある部屋だから、こっちより大したことない見世物があんじゃないかねぇ? そこで更に銭払った奴だけがこっちの部屋に来て、駱駝らくだ孔雀くじゃくを見ることができるって寸法さ」


 すずさんはそんなことを言いながら、くぐり口をくぐる。俺とおあきちゃんもそれに続く。


 部屋の中に浮かんだ狐火によって照らされたその見世物とは、虎の絵が描かれた大きな衝立ついたてであった。たたみ四畳分よんじょうぶんくらいのその大きな衝立ついたてには、遥か大陸にしか生息しないという、いかにも獰猛どうもう凶暴きょうぼうそうな虎の絵が描かれてあった。


 そして中心にてうなえる声が聞こえてきそうな虎の絵の下のほうには、毛むくじゃらで四肢の先に長い爪が生えたむじなのような絵が描かれている。虎の絵の大きさが2メートル半を超えているのに、こちらの小さな方の動物は1メートル半くらいの大きさで描かれている。


 俺はすずさんに尋ねる。

「すずさん、この大きなのは未来の動物園で見たことがあるのでとらだってわかりますけど、こっちの小さなのは何でしょうね?」


 すると、すずさんが応える。

「こりゃ、おそらく雷獣らいじゅうだね。雷を操るあやかしさ。でも、何で虎と一緒に描かれてるんだろうね?」


 すずさんがそこまで言ったところで、雷獣らいじゅうの描かれた目玉がぎょろりと動き、こちらを見た気がした。


 俺は叫ぶ。

「すずさん! この雷獣らいじゅうの絵が動きました! もしかして、この絵が妖怪なんじゃないですか!?」


 俺の叫び声から間を置かず、向こうの部屋から鳥のような高い鳴き声が響いてきた。

「ヒュアー! ヒュアー! ヒュゥアー!」


――何だ!? 孔雀くじゃくの鳴き声か!?


 一瞬だけ視線を衝立ついたてから外し、再び衝立ついたてに視線を戻すと、そこには虎しか描かれてなかった。


――雷獣らいじゅうが消えた!?


「おあきちゃん! 君は鉄砲に化けて!」

 俺がそう叫ぶと、俺の手を握っていたおあきちゃんはしゅるりと拳銃ベレッタに変化した。


 すずさんと視線を交わしてうなずきあって、俺から先にくぐり口をくぐって孔雀くじゃくの元に赴く。


 するとそこには、この前に墨堤ぼくてい近くの雑木林にて俺をリンチした三人組のうちの二人、頓吉とんきち陳平ちんぺいと呼ばれていた男たちが、孔雀を盗もうとしているところだった。


 俺は即座に叫ぶ。

「お前らがなんでここに!?」


 すると、俺から遅れてくぐり口をくぐったすずさんが口を開く。

盗人ぬすっとかい!? 今は盗人ぬすっとなんかにかまってる暇なんてないんだよ! さっさと帰りな!」


 すると、孔雀くじゃくの柵の中に入って孔雀くじゃくを持ち上げていた陳平ちんぺいが叫ぶ。

「あっ! てめぇ! こないだの野郎じゃねぇか! こないだの借り返させて貰うぜ! 動くなよ!」


 すると、頓吉とんきちもにやにやと口を開く。

「なんだよ、また女連れじゃねぇか。おい、こっちの女は飯盛り宿にでも売ればいい金になるぜ」


 そう言いつつ、俺たちに近寄る。


 すずさんが、いなすように叫ぶ。

「馬鹿が! 今はそんなこと言ってる場合じゃないんだよ! 命が惜しければとっとと帰りな!」


 もちろん、頓吉とんきちはそんなすずさんの言葉など耳に入れない。下卑げびたにやけづらを見せながら、こちらに一歩一歩近寄ってくる。


 いきなり、頓吉とんきちが右足をくじいたのかその場にずっこけた。

「あいてて……ちっ」


 右向きに床に寝転んだ頓吉とんきちが、右手を地面につき、体を支えようとすると、その右手が右腕ごと底なし沼に吸い込まれるかのようにずぶりと地面に吸い込まれていった。


 バリ ガリ ボリ


 骨の入ったままである動物の部位を、骨ごと鋳鉄製ちゅうてつせいのミンサーで砕くような音が聞こえた。


 地面に右を下にして寝転んだままの頓吉とんきちが、左手を右腕のあった場所に送る。

「あ……あれ? 右腕がねえ……あ……あれ? あはは……右足も……なんでぇこれ……」


 頓吉とんきちがそう言うが早いか、地面からにゅっと雷獣らいじゅうが飛び出した。先ほどまで衝立ついたてに描かれていた、あの雷獣らいじゅうであった。


 がぶり。


「ぎゃぁぁあぁぁぁぁぁ!!」

 叫ぶ頓吉とんきちの左腕にかぶりついた雷獣らいじゅうは、右腕と右足の無くなった頓吉とんきちの体を大きく宙に振り上げ、そのまま地面の中に引き込んでしまった。


 バリ ガリ ガツガツ バリバリ


 今度は、頭蓋骨を噛み砕くような音が見世物小屋の中に響く。


 すずさんが叫ぶ。

「ちぃっ! やっぱり人喰ひとくいだね! りょうぞう、外に出るよ! あたいの手に捕まりな!」


 すずさんが、壁に手をつけて俺の方に反対の手を伸ばす。俺を連れて影を通り抜けて、開けた大通りに出るつもりなのだろう。


 しかし、俺はすずさんにおあきちゃんの化けた拳銃ベレッタの本体を渡してから、孔雀くじゃくのいる柵に向かった。


「りょうぞう! そんな奴のことなんて放っておきな!」

 すずさんの声を背中に受けるも、俺は孔雀くじゃくの柵から体を乗り出していた。


 そして、目の前で仲間が食い殺されて腰を抜かしている陳平ちんぺいに手を伸ばす。

「掴まれ! 助けてやるから掴まれ!」


 すると、孔雀くじゃくを抱えてガタガタ震えていた陳平ちんぺいは、孔雀くじゃくをそのへんに放り投げて俺の手を取った。


 すずさんが、後ろから叫ぶ。

「りょうぞう! 雷獣らいじゅうが近寄ってるよ! 逃げな!」


 良くない気配が、ぐんぐん俺の近くに寄ってきているのが感覚で理解できた。


 右手で陳平ちんぺいの手を握った俺は、左手に握られている拳銃ベレッタ弾倉マガジンに向かって叫ぶ。

「おあきちゃん! もう一度、ひとつの鉄砲に化けなおして!」


 すると、俺の体が陳平ちんぺいの体ごとふわりと宙に浮いた。


 左手に握られている弾倉マガジンという拳銃ベレッタのパーツが、再びひとつの拳銃ベレッタに戻ろうとしているのである。


 俺の左手に握られているおあきちゃんの化けた実体である弾倉マガジンは、すずさんの持っているもうひとつの実体である拳銃ベレッタ本体に引っ張られる。


 ガジリ!

 さっきまで俺のいた場所を、地面からにゅっと出てきた雷獣らいじゅうが大口を開けてかぶりついた。木の柵の一部は粉々になって、辺りに飛び散る。


「ひ、ひぃぃぃ!」

 その様子を見て、俺に掴まっている陳平ちんぺいが叫び声を上げた。


 すずさんに勢いよく向かっていった俺は、すずさんに陳平ちんぺいの腕を掴ませて、すぐさま化けなおされた拳銃ベレッタを右手に持ち替える。


「ケェェェェッェン!」

 雷獣らいじゅうは叫び声を発してけもの特有の敏捷びんしょうさで俺たちに跳びかかる。俺は間を置かず、銃口の向きを雷獣らいじゅうに向けて引鉄トリガーを引き絞る。


 タタタン! バス! バス! バス!

 俺が放ったオート連射の銃弾が三発とも、雷獣らいじゅうに命中した。


「グケェェェェッ!」

 雷獣らいじゅう拳銃ベレッタの弾丸をくらい、後退する。


「外に出るよ!」

 俺たちの手を取ったすずさんが叫ぶと同時に、俺と陳平ちんぺいは壁にできた影の中に吸い込まれる。


――外に出た。


 月明かりはないものの、夜空には星が輝き、大通りに置いてある灯篭とうろうが夜道を照らしていた。


 俺はすずさんに叫ぶ。

「すずさん! 雷獣らいじゅうは追ってきてますか!?」


 すると、すずさんが即座に返す。

「殺気をぴりぴり感じるよ! あたいらを皆殺しにする気だろうさ!」


 俺は、陳平ちんぺいの方を見た。赤土の上に腰を落としてぶるぶる震えている。


 俺は大声で陳平ちんぺいに伝える。

「おい! 今は逃げろ! このままだとお前も喰われるぞ!」


 その言葉に、陳平ちんぺいは両手を後ろ手に地面につきつつ、こくこくと頷いている。仲間が目の前で食い殺されたという、あまりにもショッキングな出来事に放心しているようであった。


 すずさんが、俺に叫ぶ。

「りょうぞう! 金物かなものを天に掲げるんじゃぁないよ! 雷獣らいじゅうすべは雷を落とすことさ! 金物かなものを天に掲げたら……ん!? ぐっ!」


 すずさんがそこまで言ったところで、別の男がすずさんの首に両方の腕を回した。

「おい、陳平ちんぺい! 女見つけた! 女!」


 その男とは、俺をリンチした三人のうちの一人、寛介かんすけであった。おそらくは外で見張り役をしていたのだろう。すずさんの首に回した右腕の先には、ぎらぎら光る匕首あいくちを持っていた。


 すずさんが叫ぶ。

「馬鹿! 今はそんな場合じゃないんだよ! 死にたいのかい!」


 すると、腰を抜かしていた陳平ちんぺいが叫ぶ。

「おい! 寛介かんすけ! そんなことしてんな! 逃げるぞ!」


 俺も続けて叫ぶ。

「何やってんだ! 刃物を捨てろ!」


 すると、寛介かんすけがこっちを見て叫ぶ。

「あっ! てめぇこないだの野郎じゃぁねぇか! 俺ぁ、はちに刺されて三日寝込んだんだぞ! ぶっ殺してやらぁ!」


 寛介かんすけがそう叫んで、刃物を高く掲げた次の瞬間だった。


 ドッカーン!


 空気を切り裂く轟音と共に天から閃光が走り、寛介かんすけの右肘から先が黒焦げの炭になってしまった。


 寛介かんすけは、ぽとりと地面に落ちた匕首あいくちと、自分の焼け焦げ崩れていく腕を交互に見比べていた。


 三秒か四秒くらい経って、すずさんがどさりと地面に倒れた。すずさんの白衣の袂からは、薙刀なぎなたや日本刀、短刀などがぼろぼろと現れていた。俺の横を見ると、影の中に閉まってあったスポーツバッグも地面に現れていた。


 すずさんは無傷なようであったが、落雷のショックで気絶してしまったのだ。


 呆然とする寛介かんすけの背後から、あの毛むくじゃらの妖怪が現れた。鼻を寛介かんすけの首筋にあてて、くんくんと臭いを嗅いでいるようであった。


 寛介かんすけが、生暖かい獣の息に振り返った瞬間だった。


「うわぁぁぁぁぁ! ぎゃぶっ!」

 雷獣らいじゅうは叫び声を上げる寛介かんすけの首筋を噛んで、そのまま地面に引き倒してしまった。雷獣らいじゅうは地面に仰向けに倒れたすずさんと寛介かんすけに鼻を当てて、交互に臭いを嗅ぐ。


「すずさん!」

 俺は叫んで、両手で持った拳銃ベレッタの銃口を雷獣らいじゅうに向ける。すると雷獣らいじゅうはこちらの方向を見てから、目をピカッと光らせた。そして、少しだけいてから眼前に稲光いなびかりが走る。


 ドッカーン!


 目を光らせてから二拍か三拍ほどの時を挟んで、拳銃を持っていた俺の両手を雷撃が貫いた。


 俺の両手は大電流の稲妻いなづまによって黒焦げになってしまった。拳銃ベレッタは無傷のまま、炭化して崩れた指と共にぽとりと地面に落ちる。


「ぐぅっ!」


 重度の火傷を負ったというのに、全く痛くない。その痛くなさ具合が逆に恐ろしかった。


「りょう兄ぃ!」

 すぐさまおあきちゃんが変身を解いて、俺の両手に治癒の妖術をかけてくれる。炭化していた両手はすぐさまもとに戻った。


 少し離れた所にいる雷獣らいじゅうはというと、地に倒れているすずさんと寛介かんすけを交互に鼻で嗅いでいたが、すずさんが妖狐ようこであるのが判ったのか、注意を示さなくなった。


 そして、寛介かんすけの喉元に喰らい付き、地面に引き込んでしまった。


 バリガリ! ガリガリ! ボリボリ!


 再び、全身の骨を肉と一緒に砕くような音が夜の大通りに響く。寛介かんすけもどうやら食べられてしまったようである。


 すぐ近くから、気の触れたような笑い声が聞こえてきた。

「あへへ……あげげ……そうだ……こりゃぁ、夢だろ……そうにちげぇねぇ……」

 陳平ちんぺいが、すこし変になってしまったようであった。


 おあきちゃんが、俺の手に触れて大声を上げる。

「りょう兄ぃ! 強そうなとらの姿を思い浮かべて! 高麗こまの生きてる虎を見たことあるんでしょ!?」


 そのおあきちゃんの言葉に、俺は小学生のときに訪れた動物園で見た、アムールトラの姿を心に思い浮かべる。


 瞬く間に、おあきちゃんの姿が体長2メートル半はある、勇猛ゆうもう果敢かかん大虎おおとらの姿に変身した。


「ガオォォォォォ!」


 とらに変身したおあきちゃんは、雷獣らいじゅう寛介かんすけを引きずりこんだあたりに駆ける。大きさ1メートル半くらいの毛むくじゃらの雷獣らいじゅうが、にゅっと地面から出てきて、ぺろりと舌を口元に這わせた。


 おあきちゃんが化けた大虎おおとらは、すずさんを守るように雷獣らいじゅうの前に立ちふさがる。


「すずさん!」

 俺は叫んで、すずさんの近くに駆け寄る。


 すずさんの近くに駆け寄って、すずさんを背負い、急いでその場から離れる。


 すずさんを背負った俺は、走りながらすずさんに話しかける。

「すずさん! 起きてください! すずさん!」


 しかし、すずさんは起きない。


 そこで俺は、すずさんの気付けをするための薬品がスポーツバッグに入っていたことを思い出す。


――あれならば、臭いで直接に気絶を覚まさせることができるかもしれない。


 スポーツバッグにたどり着いた俺は、急いでジッパーを開け、救急箱を開く。取り出したのは、アンモニア水が主成分になっている虫刺され薬だった。


――これなら、気絶したすずさんを起こすことができる!


 俺が虫刺され薬の蓋を開けたところ、すずさんを背負った首筋の後ろに、獣の生暖かい吐息が這い流れるのを感じた。


「フシュゥゥゥ、フシュゥゥゥ」

 その吐息は、雷獣らいじゅうのものであった。いつの間にか俺のすぐ後ろに来ていた雷獣らいじゅうが、今まさに俺の首筋にかぶこうとしていたところであった。


――喰われる!


 俺は咄嗟とっさに、アンモニア水が主成分の虫刺され薬のカバーを外した。


 バシャッ!


 雷獣らいじゅうの鼻っ先に、アンモニア水をぶっかけてやった。

「ケェェェェェェン!!」


 鋭い爪の生えた毛むくじゃらの雷獣らいじゅうは、アンモニアの強烈な臭いにのた打ち回って、転げまわった。


「ガォォォォォ!」

 おあきちゃんの化けた大虎が、のた打ち回る雷獣らいじゅうに飛び掛り、爪を突き立てようとする。


「ケェェェェッェェン!」

 すると、爪が突き刺さる寸前に雷獣らいじゅうは地面に吸い込まれるようにするりと消えた。


 俺はそこで理解した。この雷獣らいじゅうのもうひとつの妖術は、地面に潜ることではない。夜の地面には、絵となった雷獣らいじゅうの姿が浮き出ていて、駆けて移動していた。


 この雷獣らいじゅうのもうひとつの妖術とは、なのだ。


「ケェェェェェェン!」

 今、雷獣らいじゅうとらの背後に現れて、爪を突き立てようとした。おあきちゃんが化けた虎は、抵抗して大口を開け、雷獣らいじゅうの胴体に噛み付こうとする。


 二頭の巨大獣がんずほぐれつの死闘を繰り広げている。


――このままじゃいけない。


 そう思った俺は、すずさんをその場に寝かせてすずさんがたもとからばら撒いた武器の数々が落ちている場所に駆け寄った。


 そこで俺は、日本刀の柄を手に取り構え、叫びつつ雷獣らいじゅうに突っ込む。

「うぉぉぉぉぉぉ!」


 虎と格闘している雷獣らいじゅうが首をこちらに向け、目をピカッと光らせた。


 次の瞬間には俺は雷獣らいじゅうの背中に日本刀を突き立てていた。手を離した須臾しゅゆあとに天から霹靂へきれきが急転直下した。


 ドッカーン!


 迅雷じんらいの音が鳴り響き、天から日本刀に鋭い電光が走る。雷は刀を伝導して雷獣らいじゅうを直撃したはずだ。しかし、雷獣らいじゅうは雷に打たれたことなど意に介さないかのように大口を開け、俺に向かって牙を見せた。


「ケェェェェェッェェン!」

 雷獣らいじゅうが俺に飛び掛ろうと身をしならせた直後であった。


「ガルルルルルル!」

 アムールトラの前脚の爪が、雷獣らいじゅうを捉えた。雷獣らいじゅうは獰猛な虎の勢いに押され、体勢を崩す。日本刀はぽとりと地面に落ちた。


「ケェェェェェン!」

 大型のとらと小型の雷獣らいじゅう、二頭が二頭とも決死の形相ぎょうそうで攻防を繰り広げている。雷獣らいじゅうはその鋭敏えいびんな爪で、大虎おおとらはその鋭利えいりな牙で、互いが互いに傷を負わせようと攻守を奪い合う。


 しかし、少しだけおあきちゃんの化けた大虎おおとらの方が分が悪いようであった。何せ、雷獣らいじゅうは自在に地面の中に入り込み逃げ、また虎の死角から現れることができるのだ。


 そこで俺は、すぐ近くに落ちていた薙刀なぎなた小刀こがたなを手に取る。そして高く掲げないよう注意しながら、スポーツバッグと、その近くで座り込んでよだれを垂らしながら笑っている陳平ちんぺいの元へ駆け寄る。


 陳平ちんぺいは目を泳がせつつ、壊れたプレイヤーのように譫言うわごとつぶやいている。

「うへへ……これは夢だ……夢だ……俺は今、あったけぇ布団の中に……」


 俺は手を開いて、おもいっきり陳平ちんぺいの頬を張り倒した。


 バッシーン!


 ビンタの音が、夜の本所の大通りに響く。


 陳平ちんぺいは、我に返ったように目をしばたかせる。


 俺は言い聞かせるようにしっかりと声を張り上げる。

「これは夢じゃない! れっきとしたうつつだ! お前は死にたいのか!」


 すると、陳平ちんぺいが小さな声を搾り出し、やがて大きな叫び声となる。

「……しにたくねぇ……俺ぁ……死にたくねぇ!」


 陳平ちんぺいの顔色に生気が戻ってきた。生に執着する意気込みが、ありありと伝わってくる。これならいけるかもしれない。


 俺は大声で続ける。

「ならば力を貸せ! 死にたくないなら力を貸せ! 男なら震えてんじゃない!」


 俺の叫びに、陳平ちんぺいがこくこくとうなずく。


 俺が振り返ると、おあきちゃんの化けた大虎おおとらと毛むくじゃらの雷獣らいじゅうが牙と爪による肉弾戦の応酬を繰り広げている真っ最中であった。


 俺はすぐ近くにあったスポーツバッグからテーピングテープを取り出して、薙刀なぎなたの柄の先に小刀を固定した。小刀の刃が薙刀なぎなたの刃のちょうど反対側に突き出るように固定する。


 そして俺は、別の小道具を取り出し、もうひとつの小道具と組み合わせる。


――これでよし。


 そう思った俺は、そのできあいの組み合わせた小道具を陳平ちんぺいに渡す。


 俺は陳平ちんぺいに、しっかりと伝える。

「俺が合図したら、これを天に向かって放り投げてくれ! なるべく、できるだけ高くだ! いいな!?」


 陳平ちんぺいはこくこくと頷いて、腰を落としたままそれを受け取る。


 その小道具を陳平ちんぺいに握らせたので、次に薙刀なぎなたやいばの近くに別のものをテーピングテープで固定する。これで準備は万端だ。


 俺は小刀が柄の先に固定された薙刀なぎなたの柄を握る。そして、雷獣らいじゅうに面と向かって立ち上がる。


「お前の相手は俺だ! うおぉぉぉぉぉ!」

 薙刀なぎなたの切っ先を天に構えながら、俺は雷獣らいじゅうに向かって突っ込む。


 当然のごとく、雷獣らいじゅう雷撃らいげきを落とすためにこちらに顔を向け、ピカッと目を光らせた。


 即座に俺は叫ぶ。

「今だ! 投げろ!」


 俺の言葉に、陳平ちんぺいがその持っていた小道具を天に向かって放り投げたようであった。その小道具とは電化製品であるドライヤーであり、ドライヤーから伸びたコードには蛸足たこあしコンセントとなっている延長コードが繋がれ、延長コードのコンセントプラグは地面に突き刺されている。


 ドッカーン!


 天から落ちてきた電撃でんげきは、俺が今掲げている薙刀なぎなたの刃の切っ先にではなく、高く放り投げられたドライヤーに直撃した。


 そしてドライヤーへの落雷電流はそのまま絶縁体にて被服されたコードを伝導して、延長コードを介して地面に刺されたコンセントプラグへと流れる。つまり、あのドライヤーと繋がれた延長コードが、避雷針ひらいしんとアースの役目を果たした訳である。


「ケェ?」

 雷獣らいじゅうは、何が起こったか一瞬わからなかったようだった。俺はその一瞬を見逃さなかった。


 ガズッ!


 この忌々いまいましい雷獣らいじゅうの口の中に、薙刀なぎなたの刃をぶち込んでやった。雷獣らいじゅうの口の中から血が溢れてきて、相当なダメージになったことがわかる。


「ケェェェェェェン!!」

 雷獣らいじゅうが叫んで苦しがるも、俺は薙刀なぎなたの柄を離さない。両手でしっかりと握りつつ、口の中にぐさりと捻じ込んだまま力を込める。


 雷獣らいじゅうは、俺が薙刀なぎなたの柄を握ったままであることを見定めて、もう一度目をピカッと光らせた。その目を光らせた瞬間を狙って、俺はすぐさま手を離した。


 俺が手を離してから一拍の間を挟んで、殺人電流の光が薙刀なぎなたに向かって走る。


 ドッカーン! ボッガァアァアァァン!!


 雷獣らいじゅうの口の中で轟音と共に爆発が起き、雷獣らいじゅうの頭が綺麗さっぱり吹っ飛んだ。薙刀なぎなたの刃にはテープでコールドスプレーを固定してあったのだ。そして、そのスプレー缶に大電流が流れて瞬時に熱せられ、爆発したという寸法であった。


 顔というか首から先が爆発によって吹き飛んでしまった雷獣らいじゅうは、四本足をゆっくり折り曲げて地面に胴体を下ろし、そのまま横向きに倒れてしまった。


 そして、その妖怪の胴体からは命の油が蒸発するように、明滅が飛び出していた。


 俺は安心して大きく息を吐く。

「ふぅ、なんとか調伏完了できたか」


 すると、かたわらにいたアムールトラがすり寄ってきて、大きな猫が飼い主に甘えるかのようにその大きな体を俺に対して傾けてきた。


「おあきちゃん、その格好で甘えるのはちょっと」


 そこで俺が後ろを向くと、陳平ちんぺいが口から泡をふいて気絶していた。すずさんはすやすやと寝息を立てている。


「えっと……どうすればいいんだろうね? こういうとき?」


 俺の言葉に、おあきちゃんが化けたアムールトラが首をかしげて「グルゥ?」と鳴いた。


 雷が落ちたことなど嘘であるかのような、夏の銀河が横たう満天の星々の下でのことであった。





 そして後日談。


 結局あのごろつき三人組のうち一人だけ生き残った男、陳平ちんぺいは、口封じを兼ねたすずさんの紹介でお寺の修行僧になったらしい。これまで人に迷惑をかけてきた半生はんせい真摯しんしに見つめ直し、毎日毎日厳しい修行にふけっているとのことだ。


 きっちり修行して僧侶となって、これまで背負ってきたごうすすげるようになって欲しいと俺は思った。



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