六月の四日の昼下がり、
境内には杉の高木が何本も天に向かって
このお寺は、名賀山稲荷社から東南東の方角に四町[約436メートル]ばかり歩いた所にある大きな寺院である。
俺たちのすぐ
そして、上を見上げて俺たちに告げる。
「おすずさん、ここにございます。ここの杉の木の上に、夜な夜な
その言葉に、俺もすずさんも上を向く。ただ、今は昼間なので当然の事ながら妖怪の姿は見えない。
すずさんが、上を見上げながら口を開く。
「ふぅん? 確かに
すずさんの言葉に
すずさんは、上を見上げながら目を細めた。しかし、人間である俺には当然のことながら何が起こっているのかわからない。
すると、すずさんは
俺の
杉の木々のうち、最も高い杉の木の近くを、奇妙な黒い鳥が飛びまわっているのが見えた。
その鳥は、体と羽は
隣にいる、いかにもお
「ありゃあ、
すると、和尚さんが応える。
「
その言葉に、俺が応える。
「じゃあ、今からでも
すると、すずさんが首を横に振る。
「ありゃ、
すると、和尚さんがこんな事を言った。
「そうでございますか。迷える魂を成仏させられぬのは僧として心残りでございますが、おすずさんにお任せいたします」
すると、すずさんが返す。
「でもさぁ、この
すずさんがそう言うと、和尚さんは小声で俺たちに伝える。
「
――
その聞いた事のあるフレーズにより、俺が中学生時代に歴史で習った微かな記憶が掘り起こされる。
「あっ!
俺が叫ぶと、すずさんが即座に俺の頭をぽかりと手刀で叩いた。そして、俺に顔を近づけ、
「りょうぞう!?
「す、すいません!」
俺が狐耳を生やした巫女服のすずさんに凄まれながら冷や汗をかいていると、和尚さんがいきなり笑い出した。
「ほっほっほ!
すると、すずさんが返す。
「でもさぁ、白河の松平さまが何でこんな江戸の外れのことを気にしているんだい?」
「白河の松平さまが
和尚さんの言葉に、俺はここ
そこで気付いた。ここは幼稚園のすぐ近くにあった、あの大きなお寺だ。
平成の世では、俺がいるこの南東の辺りには深川江戸資料館が建てられていて、すぐ近くには俺が通っていた幼稚園があったはずだ。
そして、幼稚園の
――そうか、この辺りは元々、俺の通っていた場所だったのか。
俺はそう気付くと、江戸時代の見知らなかった深川の町がなんだかとても懐かしいものに思えた。
その日の晩が過ぎて日付の変わった六月五日の深夜未明、俺とすずさんとおあきちゃんの三人は、妖怪退治のために
杉の木の高木の根元付近で、俺たちは上を見上げる。そして、狐耳と尻尾を生やしたすずさんが口を開く。
「りょうぞう、経を唱えるよ。おあきに鉄砲に化けてもらいな」
すずさんがそう言うので、俺は同じく狐耳と尻尾を生やしたおあきちゃんと目線を交わせ
俺は
そしてすずさんが
すずさん曰く、一字一句間違えずに明確に経を唱えないと、あの
すずさんが経を唱え始めてしばらくして、バサバサという羽音と共に杉の樹高30メートルはゆうに超えているであろう高さの木の先から、一羽の怪鳥が飛び出した。
――現れた。
月の光はないが、はっきりと見える。俺の目を
すずさんが経を唱えている間、あの
今、すずさんが経を唱えるのを止めた。
すると、
――今だ!
ダァン!!
俺は、
当然の事ながら、
しかし、そこにいたはずの
――あれ?
俺がそう思ったところ、顔のすぐ左、左耳からかすかに離れたその場所で、ふしゅうふしゅうという生臭い息遣いを間近に感じた。
俺は、左を見る。
首から下が烏の体である不気味な鼻のない顔が、空中にホバリングしていた。
「う、うわっ!」
俺は叫ぶ。
それと同時に、その
「がぁぁぁ!!」
俺は大きな声で叫ぶ。左耳をかじられ千切られた。
俺は、よろめきながら
バァン!
しかし、目の前に
――どこだ、どこに消えた。
左耳のあった場所から血を流したままの俺が、銃を持っている右の方に振り返る。
するとそこには、大口をぐわっと開けた
――頭をかじられる!
俺がそう思うが早いか、すずさんの
俺は、すんでのところで助かった。
「りょうぞう! その耳、おあきに治してもらいな!」
すずさんが俺の近くに来て、
俺は、
すずさんが、口を開く。
「りょうぞう、見たかい? 銃を撃ったと思ったら、
俺は、すずさんに背中を預けながら応える。
「つまり、
俺がそう言うと、俺の背中に背中をつけているすずさんが俺に告げる。
「気配は消えていない。周りを飛び回って隙をうかがっているようだね。りょうぞう、用心しなよ」
「はい!」
俺は、気味良く応える。
そして、考える。
――あの空を飛ぶ妖怪、
俺は、小声でおあきちゃんの化けている
「おあきちゃん。今から俺の思ったものに化けなおして」
すると、俺の手に持つ
――気休めかもしれないが、やるだけのことはやる。
そう思った所、すずさんが叫んだ。
「りょうぞう! 上だよ!」
その声に俺も上を見上げる。すると、つるりと禿頭が膨らんだぎょろ目の化け物が、星空をバックにこちらに急転直下している様が目に入った。
俺は、サイレンサーのついた
シュ! シュ! シュ!
空気の抜けるような連続音が、寺の境内に響く。
そして、上空にいたはずの
ザリッ
いつのまにか足元に移動してた
しかし、すずさんはその好機を逃さなかった。
ガシリ
「捕まえたよ!」
すずさんが、
そして、すずさんが今まさに炎の渦を
そして、俺たちから少し離れたところにて、余裕の面持ちにて飛び回っていた。俺とすずさんは、並んでそちらの方を見上げる。
「くそっ!」
俺は思わず、そう口に出した。
――瞬間移動する能力がこれほど厄介だとは。
しかし、何故に二度の瞬間移動で俺の傍へやってきたのだろうか。あきらかに強敵であるはずの、最初に倒さなくてはいけないはずの、武器をまだ持っていなかったすずさんではなく、武器を持っている俺の近くへと。
――
俺はそう思うと、頭の中にある仮説が浮かび上がった。
隣にいるすずさんに伝える。
「すずさん? 俺が合図したら、妖怪を弓矢で狙って射ってみてくれませんか? 射抜いてやっつけるつもりで」
俺の言葉にすずさんは了承し、
「おあきちゃん、化けなおして」
すると、手元に握られた
俺は上空に銃の発射口を向けて、引き金を引き絞った。
タタタン!
乾いた火薬の炸裂音が、深夜の境内に響く。しかし、空を飛び回っている
俺は叫ぶ。
「すずさん! 妖怪を射抜いてみてください!」
「あいよ!」
すずさんが、矢をつがえて弓を引き絞り、手を離す。
すると、飛矢は放物運動を描きながらまっすぐ
俺はそれにタイミングを合わせ、上空に向かって銃口を向けつつ、引き金を絞る。
タタタン!
再び火薬の炸裂音が境内に響く。
すると、俺が天に掲げた右腕の先には既に
先ほどまで
しかし、その炎は
すぐ近くにいるすずさんが、しかめっ面をする。
「まいったねぇ! 弓矢はおろか鉄砲の弾も当たらないし、炎で焼こうとしても逃げられちまうよ! どう退治してくれようかねぇ!」
だが、俺はもう既にあの妖術の正体を把握していた。火薬の爆発音が届くと、その音がした場所にテレポートする能力なのだ。
俺はすずさんに伝える。
「大丈夫ですよすずさん、あの妖怪の弱点がわかりました。今日は無理ですけど、明日の夜なら
俺がそう言うと、すずさんは目をぱちくりさせた。
結局その日の夜は
◇
ここ、
この妖怪は元々は人間だったはずなのだが、生きていたときの記憶など前世の記憶のように
この寺の周りを巡る
また、この
昨日の夜にも嫌で嫌でたまらない経を読む
そう考えていたところ、杉の木の上で留まっていた
またか、今度こそ喰らってやる。
しかし、周辺には己の仲間である
おかしい、どこだ。
ええい、いっそのこと、あのお供の小僧が己に向けて鉄砲でも撃ってくれればよいのに。
この
鉄砲から発せられた火薬の
また、相手から逃げたいときは、逃げたい、と思うだけで
弓で
つまり、この
己は無敵なり。
そう、
そして、
丁度良い、喰ってやる。
そう思い、
◇
すずさんとおあきちゃんとは別個に、俺は一人で
手に持っているのは、この前鬼と闘ったときに使ったロケット花火の残り少ないストックであった。
――もうそんなに数はないけど、間に合ってくれよ。
すずさんから預かった膏薬を
俺はお稲荷さまに祈りながら、
まるでジェット戦闘機のように急降下して、
カチ ピカッ
俺は、手に持っていたLEDハンディライトのスイッチを入れ、至近距離に迫ろうとしていた
シュン!
――これで、あいつはほんの数十秒だけ、目が眩むことになる。
その数十秒が勝負である。
俺は、手に持っていたロケット花火の束のうち、ひとつだけにユーティリティライターで火をつける。
シュルルルルル パン!
手元から離れたロケット花火は宙高く舞い上がり、夜の闇の中にて炸裂音を響かせる。
上空を見上げると、ロケット花火の火薬が爆発したすぐ傍に、
――よし、目論見通りだ。
俺はそう思うと、地面に転がっている蚊取り線香の切れ端が燃え尽きたのを確認する。
この蚊取り線香の切れ端は、タイマー代わりに利用した。俺とすずさんで同じ長さに蚊取り線香を折り、その端っこに火をつければ、燃え尽きるまでの時間はほぼ同じとなる。つまり、蚊取り線香の燃える早さを利用して簡易のタイマーを作ったわけだ。
何故に、こんなタイマーを作ったかというと、離れた所にいるすずさんとおあきちゃんがあの怪鳥、
すずさんに経を読んでもらい、その読経をスマートフォンにて録音する。
そして、俺がそのスマートフォンを杉の木の近くに設置して、時間と共に読経が開始されるようにする。
何のために打ち出すか。それは
遥か遥か数百メートルは離れたところにある
ビシィ!
今、上空にいる
ライフルの弾が飛ぶ速度は音速より速い。そして、あの妖怪が鉄砲の音を頼りに瞬間移動してしまうのならば、
俺は、ライターを持っている右手を袂に突っ込んで、オペラグラスを取り出した。
オペラグラスを除いて夜空を見てみると、
ヒュルルルル ヒュルルルル パン! パン!
俺の手元から勢い良く駆け上がった花火は、宙をきりもみする
何が起こっているのか、まったくわかっていないという感じだ。500メートル以上離れた場所から狙撃されるなんて事実、この時代の妖怪が知る
ビシィ!
今、俺の上空で
ターン
一拍遅れて、スナイパーライフルのショット音が夜の深川に響く。
俺はロケット花火を上空に打ち上げてる最中に、もうあの妖怪の命運も長くないことを悟った。
すると、
俺は、
ボワァァァァァ!
この時代なら妖術使いにしか出せないような赤々とした炎が闇夜に広がる。
パスン!
その哀れな妖怪は、腐った木の実が落ちるかのように、羽をすぼませて上空からぽとりと地面に落ちてしまった。
――調伏完了だ。
俺が近づくと、その
――でも、俺はこの妖怪の御魂なんて出せないしな。
そう思ったところ、一際大きな光点がしゅっとその
そこで俺は
すずさんがいつも紙で包んでいるけど燃えないってことは、ポリ袋で包んでも多分溶けないだろうと思って
ポリ袋の中に収めた
――この綺麗な光、葉月にも見せてあげたかったな。
俺はそんな叶えられない願いを思うと、すずさんとおあきちゃんがここに来るまで、その御魂の明かりを眺めていた。
天の川輝く夜空の