四月の十五日からの初夏の低い満月が、南から西のほうへと架かり始めた深夜のことであった。
神職の
俺たち三人は、地面が柔らかい雑木林にて木々の間を抜けつつ歩いている。
両脇に狐火を一対浮かべたすずさんのすぐ後ろを、俺とおあきちゃんで手を握ってついていくと、当のすずさんが声を発した。
「りょうぞう、おあき、いたよ。ありゃぁ
雑木林の少しだけ木が
そこにいた化け物は、俺たちの方にゆっくりと振り返り立ち上がる。
その
そして
鬼に金棒。
そんな慣用句を思い出した俺は、手を繋いでいるおあきちゃんと目配せする。そして、おあきちゃんに
すずさんも、
するといきなり、俺たちの殺気を感じたのか、
「ごぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺たちは咄嗟に、鬼から視線を外さずに手近にある木の影に隠れる。
バキッ!
太さ
俺は、5メートルくらい離れた所にいる
――この距離なら外さない!
タタタン! ガキキキン!
脇目では、すずさんが
ガキン!
すずさんの刃もまた、
しかしすずさんは、そんな事は想定内だといった余裕の表情で、左手を鬼に向ける。
ボワワワァァ!
すずさんの左手から、炎が勢い良く噴き出す。
しかし、鬼はそんなことなぞ予見していたかのような表情を見せ、その場から消える。
俺は叫ぶ。
「すずさん! 上です!」
鬼はその場から垂直に3メートルほどの高さまで跳躍し、すずさんに向かって金棒を突き立てようとした。
俺は、
タン! ガキーン!
金棒の切っ先に銃弾が当たり、金棒の先がぶれて地面に突き刺さる。鬼が着地する寸前にすずさんはバックステップで鬼をかわす。
すずさんは即座に後ろに
すずさんが、俺に向かって
「りょうぞう! 広場だよ! 広場に誘い込むよ!」
その言葉に俺は承知して、威嚇射撃を続けながら木の影に隠れつつ、後退する。
木の影に隠れながら銃弾を
雑木林では、双方が攻め
だから、広場にて炎で包んで一気に焼き殺す。それがすずさんの作戦だろう。
俺とすずさんは、
深夜であり、満月の月明かりが道や畑を照らしているだけである。
雑木林を出た俺とすずさんは、10メートルくらい離れた所にて、鬼が木々の間から出てくるのを待っていた。おあきちゃんにも、拳銃から自動小銃に変化しなおしてもらった。
すずさんも目の前に赤い狐火を渦巻かせて、
出てきたところを銃弾と炎で
やがて、鬼が出てきた。まさに鬼のような形相で。俺たちが攻撃を加えようとした瞬間に、金棒を握っていない左手を俺たちに向けて開き
どくん。
その時、異常が起こった。
俺が手に持っていた自動小銃は、しゅるりとおあきちゃんの姿に戻ってしまった。おあきちゃんは、戻ってしまった自分の両手を見て、目をぱちくりさせている。
横を見ると、すずさんの目の前に浮いていた炎も消えてしまっていた。
俺は叫ぶ。
「まさか!?」
月の浮かぶ反対側の地面に浮き出た俺の影からは、中に閉まってあったはずのスポーツバッグが地面の上に現れていた。横を見るとすずさんの
すずさんは、冷や汗をかきながら口を開く。
「ふっ! ふふっ! 相手の
俺は、あの屈強な
――
と、いうことは、おあきちゃんの治癒の妖術も使えない。あの金棒で打ち据えられたら相当な重症を負うだろう。しかも、あの
俺は、おあきちゃんの手をとって背中に回し叫ぶ。
「おあきちゃん! おあきちゃんは下がっておいて!」
その言葉におあきちゃんは何も言わず、スポーツバッグの傍に寄る。
雑木林の近く、8メートルくらい離れた所にて
いきなり、すずさんは地面に落ちていた
ガッキーン!
すずさんの持つ
鬼は金棒に、すずさんは
すずさんの方が力比べでいえば分が悪く、
シュッ
するといきなり、鬼がその手に持つ金棒を大きく横に振りかぶり、俺の頭を打ち据えようとする。
ヒュン!
俺は咄嗟にしゃがむ。俺の頭の数センチメートル上を金棒が通過した。頭頂にある髪の毛が、鋭い牙のような風を感じた。
頭をかち割り損ねた
ざくり。
俺が手に持つ刀で突き立てたのは、鬼の金棒を持っている右腕の外側であった。
――浅い!
その刹那だった。
ザクリ。
すずさんの
しかし、
「がぁっ!!」
鬼は、怒号と共に
――こいつ、強い!
俺がそう思ったところ、直近にいる
そして、鬼は咆哮を響かせ俺の頭に振り下ろさんとする。頭蓋骨を叩き潰すつもりだ。鬼が叫ぶ。
「ぐぁぁあぁぁぁあぁ!!」
――死ぬ!
俺がそう思い、気休めに刀でガードしたところ、ひゅるるるという音を出して鬼の顔に何かが当たった。
パン!
その何かは、鬼の顔のすぐ近くで爆発した。どうやら打ち上げ花火のようであった。
ヒュルルルルル。パン! パン!
何度も何度も、打ち上げ花火の炸裂音が鬼の顔の間近にて響く。
後ろを見なくても、後ろで誰が何をしているかはわかる。おあきちゃんが、花火とライターを使って援護してくれているのだ。
「ぐがぁぁあぁぁ!」
火薬の音と煙に油断した
ざくり。
刀の切っ先で、
「ぐがぁぁぁぁぁ! ごぉぁぁぁぁぁ!」
相当に痛いのだろう、鬼は手で顔を覆い、叫ぶ。もう片方の目もつぶり、絶叫する。
その隙に俺は後退し、花火セットとユーティリティライターを持っているおあきちゃんの方向へ駆けようとする。
俺の後ろから、どす! どす! という鈍い足音が近づいている。おそらく鬼は俺を追いかけて金棒を振りかぶっているのだろう。だが、俺は後ろを振り返らずにおあきちゃんの下へ駆ける寄る。
ばきり!
後ろから、鬼の脳天を揺さぶるような肉の音が響いた。すずさんがおそらく何かしてくれたのだろう、頭への飛び蹴りあたりか。
俺は、花火セットとライターを持っているおあきちゃんを抱えて、大急ぎで
視界の中では、すずさんが
少し離れた場所にて俺は、日本刀と引き換えにおあきちゃんからライターと花火セットを受け取る。そして、ヘビ花火をありったけ出し、全てに火をつける。
そして火のついたヘビ花火を、鬼の足元に次々と投げる。
もくもくと煙幕が出てきて、鬼の周囲をすっかり煙で隠してしまった。
すずさんは、煙にくらまされた
俺はおあきちゃんに、花火の種類を少しだけ教えてから、すずさんに加勢するため
「すずさん!
俺が叫ぶと、すずさんが大声で応える。
「あいよ!」
すずさんが
満月の光の下、もくもくと立ち込める煙の中に
ひゅん! ひゅん! ひゅん!
打ち上げ花火の玉が何発か鬼に当たる。鬼の正面からは、すずさんが
俺はその隙に
すると、
「がぁあぁ!」
ばきり!
叫んだ鬼の金棒が、俺の脇腹にクリティカルヒットした。俺は五メートルほど空を舞い、宙を抜けて吹っ飛ばされる。
「あぁぁぁっ!!」
俺は地面に寝転んで叫ぶ。腰から下がまったく動かなくなった。
おそらくは背骨ごと
俺は地面に横倒しになったまま
喉を締められて息ができない。死ぬ。このままだと間違いなく死んでしまう。
俺がそう思ったところ、足元にて火薬の炸裂音が鳴り響いた。
シュルルルルル! パン! パン!
それは、ネズミ花火の大群だった。おあきちゃんが投げ込んでくれたものだ。
――今だ!
そう思った俺は、先ほど地面に倒れたときに握り締めていた手を開く。
ばさっ!
袂の中には、花火から取り出した火薬を入れていた。そしてその握り締めていた火薬を、油断した鬼の左目にばさっと振りかけた。
「ぐがぁぁぁあぁぁぁ!!」
鬼が叫び、手で左目を隠す。花火の火薬にはアルカリ性薬品が入っているので、目に入ったら激痛を引き起こす。幸いなことに、それは鬼の目でも同じようであった。
鬼の手から開放された俺は、下半身が麻痺したままどさりと地面に落ち、そのまま寝転ぶ。
ざくり。
肉を引き裂く音と共に、鬼の動きが止まった。そして
どさりと
鬼の
そして、そのあまりにも大きな体躯は、幻のように消えてしまった。
すずさんは、胸元から取り出した和紙にて、その
すぐにおあきちゃんが俺の近くに駆け寄ってきて、俺の腰元に手をかざしてくれた。腰から下に
俺はすぐさま立ち上がり、おあきちゃんに感謝の意を込めて頭をぽんぽんと軽く叩く。
すると、おあきちゃんは俺の胴体を抱きしめて、泣いて叫ぶ。
「よかったぁ! りょう兄ぃが死ななくてよかったぁ!」
俺もおあきちゃんの両肩に手を回して、軽く抱き寄せる。
すると、すずさんが俺に向かって言い放つ。
「りょうぞう、女を泣かせるなんて、おまいさんも随分と罪作りだねぇ」
すずさんは、少し茶化しているようであった。
ぼろぼろと涙を流しているおあきちゃんを抱き寄せながら、俺は空に低く架かる満月を見上げていた。
俺が江戸に迷い込んでから、俺を好きだった
いくら月に祈っても問いかけても判らない想いが胸を貫く。
まだアポロ計画で人が降り立ったことのない無垢な満月は、そんな俺の疑問など気にしないかのように
――
――今はまだ、江戸時代だから。
「I LOVE YOU」を「
――あの月明かりの下に、
俺はそう思うと、腰の辺りで泣き続けているおあきちゃんを抱き寄せつつ、背中を優しくぽんぽんと叩いた。
それは、俺の事を大切に思ってくれている、かけがえのない家族同然の幼い女の子に対する、俺なりの愛情表現であった。