三月十八日の、太陽がやっと昇ってきたという頃合いであった。
紺色の着物を着た俺は小三郎とおしのさんと一緒に、櫓がそびえ幟が掲げられた、看板絵がいくつも架けられている大きな建物の前にいた。
この建物は、江戸の町の様々な人たちが歌舞伎を楽しむための施設であり、平成の世では『歌舞伎座』と呼ばれているような建築物である。
その場所としてはだいたい京橋と新大橋の丁度中間地点くらい、未来の東京では日本橋人形町と呼ばれるはずの辺りに位置する、堺町という町にある。
ただ、目の前にある大きな建物は俺が平成の世で見たことがある歌舞伎座とは外観が違う。いつぞやの時代で建て替えることになるのかもしれない。
早暁の朝露はまだ庭木の葉に滴っているだろう。まだ随分と肌寒い。空を見上げると暁空を過ぎたばかりの空であり、東の空にある薄雲は昇ってきたばかりの太陽に照らされてだんだんと白みを増してきている。
朝ぼらけの白みの中でも、かなり大勢の人が歌舞伎座の前にて門が開くのを今か今かと期待の面持ちで並んでいる。並んでいる人たちは男も多いが、女の方が明らかに多い。
俺は、隣にいる頭一つ分背丈の低い、山吹色の着物を着たおしのさんに視線を下げて話しかける。
「おしのさんは、歌舞伎ってよく観るの?」
すると、おしのさんが俺を見上げつつ、にこやかに応える。
「はい。弟の亀吉は寄席が大好きでございますが、私はお芝居が大好きでございまして。お茶屋でのお務めで休みを頂いたら、よく参っております。今日は誘っていただき本に当に有り難うございます」
おしのさんを挟んで俺の反対側にいる、黒い着物に黒い羽織を纏った小三郎が口を開く。
「いやぁ、そこまで喜んでもらえると俺も、芝居茶屋に頼んだ甲斐があらぁ!」
おしのさんは、小三郎の方にも笑顔を向ける。
「うふふ、小三郎さんのお気遣いにも勿体なく存じておりますよ。しかも桟敷席を取って頂いたようで。いつもは私は、土間席でお芝居を観ておりますから楽しみでございます」
そのおしのさんの笑顔に、小三郎はにへらあと顔を崩した。
俺はそんな小三郎の破顔を横目に顔を上げる。歌舞伎座の建物には役者の絵が描かれた看板が八枚掲げられており、絵の傍には名前が書かれている。
俺は、おしのさんに尋ねる。
「あの看板の絵って、役者さんだよね? 並びに決まりとかあるの?」
すると、おしのさんは朗らかな表情で俺に教えてくれた。
「はい。一枚目の看板絵は主役の方で、二枚目が顔立ちの整った色男の方、三枚目が剽軽で面白いお方とお見受け致します」
そんな説明に、俺は納得してこんなことを呟く。
「ああそっか、つまり一枚看板、二枚目、三枚目って言葉はここから来てるのか」
おしのさんがほんのりと頬を染めつつ、若干上目遣いになりながら微笑んで口を開く。
「もし亮哉さんが一座にございましたら、きっと二枚目の看板に描かれるのでございましょうね」
すると、小三郎がおしのさんに話しかける。
「俺はなんだろうな。さしずめ座長あたりかな」
おしのさんが小三郎に対して応える。
「私、三枚目の剽軽な役者さんも観ていて飽きませんよ」
俺が思う限り、おしのさんの返しはどう受け取っていいのかわからない微妙な返しだった。
そんなこんなで歌舞伎座の前に並んでいる待機列でお喋りをしていると、ようやく門が開き、俺たちは歌舞伎の演目を観る運びとなった。
歌舞伎座の中は広いホールのようになっていて、天井の側には光を取り入れる為の天窓があり、朝の太陽光が斜めに差し込んでいた。
何でも、お上のお達しにより蝋燭などの炎で灯りをとる事は許されないらしい。こんな人がぎゅうぎゅう詰めの空間で火事が起こったら、それはもう大変なことになるからだという。
だから歌舞伎というのは太陽の自然光の下でしか観ることができず、朝早くに始まって夕方近くに終わるのが当たり前なのだという。
熱心な歌舞伎のファンの中には、歌舞伎座の前で徹夜をする人もよくいるらしい。二十一世紀に大物アーティストのライブ会場などでよくある光景が、この江戸時代には既に形作られていたということに俺は息を漏らした。
――この国って昔っからこんなんだったんだな。
歌舞伎座に入った俺たち三人は、案内を受けて桟敷席という所に導かれた。
桟敷席は客席の両サイドに二階分あり、俺たちが今いるこの一階席は『下桟敷』と呼ばれているらしい。下は畳敷きであり、仕切りの中にはきっちりと三枚の座布団が用意されている。
桟敷席の方から舞台を見ると、落下防止用なのか横木が視界の邪魔にならない位置に架けられている。この桟敷席は、客席から舞台に向かっての右側にあり、斜め右に舞台を眺める格好となっている。
幕はまだ閉じられており歌舞伎の舞台があり、その舞台は客席に向かって大きくせり出している。そして客席から見て左側の隅から客席の後方にかけては、花道と呼ばれる通路のような道が走っている。
舞台や花道から一段下がったところには、座布団が置かれている土間席が四角い桝目状に区切られており、大勢の客がそれぞれの場所に座っている。土間席も一様ではなく、両脇の桟敷席に近いところの土間席は一段高くなっている。
歌舞伎の内容についての期待を込めたお喋りの声が場内に木霊し続けている。
以前に相撲を見物していたときのような誰かが喧嘩をしている怒鳴り声の混じった喧騒は聞こえない。平成の時代で言うならば映画館で映画が始まる前の、あのざわめきに似ている。
そして始まりの笛が鳴り響き、黒子の手により幕が横に開き、口が閉じられた大勢の観客の目の前で待望のお芝居が始まった。
歌舞伎とは、平成の世の中では伝統ある格式高い古典芸能とされているが、この江戸時代においては庶民が楽しむ低俗な娯楽であるのだという。
武士などは、低俗な歌舞伎を観ると公言することすらできないらしい。
桟敷席にて俺は芝居を観ており、後ろ隣にはおしのさん、その向こう側には小三郎がいる。
芝居の演目内容というと、題はよくわからないが、正義の主人公が悪に踏みにじられて苦しみを持つも、様々な情け深い人たちに支えられて助けられ、悪を討つという勧善懲悪劇であるらしい。
お芝居は朝から夕方までたっぷり六時間から八時間は続けられ、途中にて何度も幕間という休憩が入る。芝居を観ながらお茶を飲むことも、音が立たない程度のお菓子を食べることもできる。
昼には長い休憩があり、この幕と幕の間の時間帯には歌舞伎を見ている観客に、ご飯とおかずがコンパクトに詰められたお弁当が振舞われる。
つまり、これが『幕の内弁当』の大元なのである。
歌舞伎のストーリーを追っていた俺は、あることに気付いた。
正義の主人公は、悪の組織に酷い事をされて、悔しさを背負う。
そして、大勢の人に助けられて立ち上がる。
女性を虜にするような色男や、面白可笑しい道化が現れて場を盛り上げる。
主役はその格好良さを示すようなあまりにも大げさなポーズをとって、それと同時に紙ふぶきが吹き舞い散る。
戦いのシーンでは、まず悪の手下たちが主役と戦い大立ち回りを見せ、最後に大悪たる大親分が主役に打ち負かされる。
そして、ハッピーエンドで大団円。
芝居が終わり、幕が閉じたところで俺は小声で呟く。
「変身ヒーローものと、全く一緒だった……」
俺が小学生の時に、毎週日曜日の朝に欠かさず見ていたテレビ番組とそっくりであった。
振り返って後ろ隣を見ると、おしのさんが目に涙を浮かべている。その向こうでは、小三郎も劇に見入っていたようであった。
――そうか、俺たちがよく知っている日本文化は、こんなところから既に始まっていたんだ。
歌舞伎の演目も勿論面白かったが、そういうふうに歴史の繋がりを実感できた有意義な一日であった。
歌舞伎座の建物から外に出ると、既に太陽は西の空に傾き始め、雲を漂わせた天が朱の色合いを浮かべているところであった。
俺は、おしのさんと小三郎と共に歌舞伎の内容を話しながらお喋りして、人の大勢歩く江戸の町を往く。京橋の魚屋までおしのさんを送り届けなければならないからだ。
小三郎も笑顔でおしのさんと歓談している。きっと、小三郎にとっても最良の日になっただろう。
俺がそう思ったところ、俺の着ている紺色の着物の裾の後ろを誰かが、弱い力で引っ張った。俺は立ち止まる。
俺が振り向くと、そこには二歳くらいの小さな男の子がその小さな手で俺の着物を掴んでいた。
子供は泣きそうな声で叫ぶ。
「おっ父ぅ!?」
――え?
焦った俺は、おしのさんと小三郎を見る。
おしのさんは、両手を顔に当てて、なんだか目を潤ませている。
小三郎は、なんだかにやにやしている。
――いや違うから。俺はこの子の父親じゃないから。
すると、俺の着物の裾を掴んでいる男の子が、泣き叫ぶ。
「ちげぇ! おっ父ぅじゃねぇべ! おっ父ぅ! おっ母ぁ!」
俺はしゃがんで、泣いている男の子をあやそうとする。
「どうしたの? お父さんとお母さんとはぐれたの?」
すると、誤解の解けたおしのさんも腰を落として目線を坊やに合わせて、問いかける。
「帰れないの? 道はわかる?」
すると、二歳くらいの小さな男の子は涙声で応える。
「弥太郎、弥太郎だんべ。郷里からでてきたんで道はわかんねぇべ!」
どうやら、弥太郎くんという名前らしく、土地勘はないらしい。
俺は、子供の頃に初恋のお姉さんに優しくあやされた時のことを思い出し、できるだけ柔和に告げる。
「弥太郎くん、お兄ちゃんたちがお父さんとお母さんの所へ連れてってあげるから。泣き止んで」
すると、弥太郎くんは泣き止む。
おしのさんが、弥太郎くんの手を握り優しく問いかける。
「お父さんとお母さんの名はわかる?」
すると、弥太郎くんは二歳くらいの子供にできる精一杯の範囲で応える。
「おっ父ぅは、金治郎。おっ母ぁは、お波」
――金治郎さんに、お波さんか。それだけの手がかりで、この人ごみの中から見つけ出すことができるのだろうか。
すると、小三郎が俺たちに話しかける。
「亮を親父と間違ぇたってこたぁ、随分と丈が高い親父さんなんだろうよ。亮よ、お前ぇ、肩車してやれよ」
――なるほど。俺がこの子を肩車してあげれば、お父さんとお母さんが見つけてくれるかもしれない。
俺は弥太郎くんに背中を見せてしゃがみ、俺の肩に足をかけられるようにした。
弥太郎くんが肩に足をかけた時点で俺は立ち上がる。すると弥太郎くんが感激の声を出した。
「たけぇ! おっ父ぅのかたぐるまみてぇだべ!」
弥太郎くんを肩車した俺は江戸の町を歩きながら、腹の底から叫ぶ。
「金治郎さーん! お波さーん! 弥太郎くんはここにいまーす! いたら返事をしてくださーい!」
俺の叫び声に大勢の人たちが俺の方に視線を向けるも、その中にこの子の両親はいないようだった。俺の叫び声など、夕方の繁華街の中では無残にかき消されてしまうのである。
俺が歩く隣では、おしのさんも小三郎も、弥太郎くんの両親を探そうと群集に大声で問いかけている。しかし、それらの声も雑踏のざわめきの中に消え入ってしまう。
そこで、俺は一つの案を思いついた。
以前に相撲を観に行ったときに、ガラの悪い男たちに殺されかけた反省から、おしのさんを無事送り届けなければならないという使命感から、持ってきたものがあったのだ。
俺は着物の袂に手を入れて、それを取り出す。
そして、その取り出した勾玉のような形の笛を、頭上にいる弥太郎くんに手渡す。
俺は、弥太郎くんに伝える。
「弥太郎くん、この出っ張った穴が開いている所に口をつけて思いっきり吹いてみて」
すると、弥太郎くんが返す。
「これ、なんだべ?」
「ホイッスルっていう西洋の笛なんだ。吹いてみて、かなり大きな音が出るから」
ホイッスルを受け取った弥太郎くんは、子供の肺活量で懸命に息を笛に吹き込む。
ピ――――!! ピ――――!!
耳を劈くような高周波音が、江戸の町に鳴り響く。
隣にいるおしのさんと小三郎は、両手で両耳を塞ぐ仕草をした。
おしのさんは両耳を塞ぎつつ、片目を瞑って俺に伝える。
「私このように大きな笛の音、聞いたことございません」
小三郎も、しかめっ面で俺に告げる。
「五町[約545メートル]くれぇ向こうまで音が届くんじゃぁねぇか!?」
そんなことを聞きつつ、俺は自分の耳の近くで鳴り響く音を我慢していた。
ピ――――!! ピ――――!!
しばらくすると、人ごみの中からあからさまに丈が抜きん出た背の高い男が、こちらに向かってくるのが見えた。
その男は、こう叫んでいる。
「弥太郎! 弥太郎! 父ちゃんだぞ!」
――ああ、良かった。弥太郎くんのお父さんが見つけてくれたようだ。
三十代半ばくらいの男が俺たちの傍に駆け寄ろうとしている。身長は180センチをゆうに超えていて肩幅も広く、相撲取りかと見まごうほどの堂々たる巨漢であった。すぐ後ろには、十八歳くらいの若い女の人が小走りでついてきているようであった。
弥太郎くんのお父さんの金治郎さんとお母さんのお波さんだろう。
そう思ったところで、俺の肩に乗っかったままの弥太郎くんがホイッスルから口を外して喜びの声を上げる。
「おっ父ぅ! おっ母ぁ!」
金治郎さんが俺の傍に駆け寄ってきた。そこで俺は、肩車していた弥太郎くんを地面に降ろさずに、そのまま金治郎さんの伸ばした両腕に渡した。
抱っこされた弥太郎くんも、息子に会えた金治郎さんも、その近くにいるお波さんも再会の笑顔を溢れさせる。
そして、金治郎さんとお波さんは、俺たちにささやかなお礼がしたいと、お茶屋にて団子を御馳走したいと言ってくれた。
赤い夕刻の町の中にて、俺たち三人は赤い布のかけられた縁台に座り、金治郎さんにお団子とお茶を御馳走になっていた。
今俺が座っているこちらの縁台には俺と金治郎さんと小三郎。向こうの縁台にはおしのさんとお波さんと弥太郎くんという格好であった。
色々話を聞いてみると、金治郎さんは元々は小田原に住んでいたお百姓さんであったのだという。だが、今月に家屋敷を売り払ってしまい、江戸に数日滞在した後にはまた家族で旅をして、下野の桜町というところに移り住むらしい。
なんでもそこでは、百姓がことごとく堕落し博打ばかりしていて、田畑がぼろぼろに荒廃しているらしく、金治郎さんはその村を立て直すという大役を仰せつかったのだとか。
俺が「故郷を離れて、不安はないんですか?」と訊くと、金治郎さんは毅然とした態度で腕を組んでその大きな体躯の胸を張りこう言った。
「不安なんざ、ねぇわけねぇべ。だけんど、あの村を立直せるのはオラしかいねぇんだべ。だから、オラがやんなきゃなんねぇんだべ」
その態度に、俺は感銘を受けた。住み慣れた故郷を離れて生きて行く不安と焦燥を、俺は嫌というほど味わってきたからだ。
ひょっとしたら俺の持っている悩みに対してこの人ならば答えを出してくれるかもしれない。そう直感的に感じた俺は、金治郎さんに問いかける。
「金治郎さん。もし変えたい昔があるならば、それにどうやって向き合えば良いんでしょうか?」
金治郎さんが応える。
「そりゃぁ、ほぼ全ての者が抱く悩みだべ。前に悔いた事があれば、それを変えたいって思うのは人として当たり前のことだべ。でもよぅ、どんだけ手を伸ばしたって昔には手は届かねぇんだ。だけんど、これからのことにはいくらでも手を伸ばせるんだから、これからのことを考えるべきだべな」
「そっか……そうですよね」
俺の声のトーンが若干沈んだ様子を見て、金治郎さんが言葉を続ける。
「人ってのは皆、芝居の役者だべ。予め定められた天命があって、それに従って生きてるんだ。ただ芝居と違うのは、誰も彼も行く末を知らねぇってことだけだべ」
その言葉に、俺の頭の中に思いが巡る。
俺が、この江戸に、東京から江戸に飛ばされたのが天の神様が俺に命じた天命だったのだとしたら、それは一体何のためだったんだ?
――教えて欲しい。教えて欲しい。
そんな俺の憂いを見抜いたかのように、金治郎さんが言葉を続ける。
「だけんど、天ってのは意地が悪ぃからな。良いと思った事が悪い実の種だったり、悪いと思った事が良い実の種だったりすんだべ。ま、腐らずに、悪かった事も良い実をつける種だったんだと思って天と向き合え。そんで常に天の定めた道を前を向いて進め。そんだらな、いつだって天はお前ぇさんに報いてくれるべ。天の意のねぇ事なんざ、この世にもあの世にも一つとしてねぇんだからよ」
そう言って、金治郎さんは俺の背中を力強く叩いてニッと笑う。
俺が思うに、この人も相当苦労して来たのだろう。だから、こんなにも人に優しくできるんだ。
俺がこの江戸に来たことにも、想い人である葉月と離れ離れになったことにも、何か意味があるとすれば。
意地の悪い、天の神様の采配だとすれば。
――俺は、それを見つけたい。
――この江戸に来た意味を知りたい。
そう思い、俺は金治郎さんに笑顔を返した。
金治郎さんたちと別れて、おしのさんを自宅の魚屋まで送り届けて、俺は小三郎と二人で京橋の町を歩いていた。
小三郎は、俺に告げる。
「亮よ、お前ぇも随分と人生に迷ってんだな」
俺は返す。
「まぁ、この年頃なら大抵が迷ってるんじゃないかな?」
すると、小三郎が応える。
「俺もよぅ、良い話聞かせてもらったぜ。志を成し遂げるには『積小為大』の心持ちが要るんだってな」
「小さきを積みて大きを為す、だったっけ? 大きな夢を叶えるには、小さな事をひとつひとつ積み上げていくってことが必要だって意味って言ってたね」
俺が返すと、小三郎が俺の方を向く。
そして告げる。
「亮よ、お前ぇさん、葛飾北斎の師匠らしき爺さんと知り合いだとか、前言ってたよな」
「ああ……まぁ、多分ね」
俺が応えると、小三郎が両手を合わせて俺に頼み込む格好をとる。
「その爺さんに、今度会わせてくれ! 俺はやっぱり絵で身を立てぇんだ! おしのにもすっぱりと俺の気持ちを伝えるぜ! そんで、はっきりと答えを聞く! 俺は、おしのと一緒に芝居を見に行けて、互いに笑いながら話ができたってだけで一生やってけるからよぅ!」
その言葉に、俺は勿論頷いて答える。
「わかったよ。今度必ず伝えとく」
すると、小三郎が明朗な顔つきになる。
「おう! 約束だぜ! 男と男の約束だ! 破んなよ!?」
そう言って小三郎が拳を突き出したので、俺はその拳に自分の拳を突き出し重ねる。
「わかった。友達として約束するよ。その代わり小三郎も、ちゃんとおしのさんに想いを伝えてよ」
夕日照らされる京橋の町にて、俺たちは拳を付き合わせていた。
俺は、この江戸にて大勢の知り合いや、友達ができた。
俺にどんな運命が待っているか、どんな天命が与えられているかは、まだわからない。
――しかしどうあっても、一度できてしまった人と人との縁は大切にしよう。
心の内を照らしているかのような赤い光のある夕刻の空の下で、俺は固くそう誓った。