十二月の二十五日は、相変わらず晴れ晴れとした冬の日であった。
昼過ぎの今、稲荷社の大鳥居の近くでは、大勢の群集の中にて、屈強な男達が
「せいや!」
ぺたん!
「はっ!」
ぺたん!
リズム
これは、『
江戸時代の人にとって、餅は年末年始に欠かせない食料であるのだが、その入手方法は様々だ。
お金持ちは、お抱えの職人に頼んで自宅の庭先で餅をついてもらうことが多い。
菓子屋に頼んで『
また、そんなにお金のない庶民は
俺の目の前で繰り広げられている『引きずり餅』というのは、
大勢の観衆の中で餅をつく様子は粋なものとして人を寄せるので、多くの店などがこの男達に頼むのだという。なお、もち米はこちらで用意する。
俺が白衣袴姿で頭巾を被りつつ眺めていると、さっきまで
「そこの見習いの
「え? えっと……」
俺が
「いい
すずさんに促されたので、俺は餅つきの
「じゃあ、やってみます」
俺が
「はっ!」
ぺたり!
餅をついてから
「よっ!」
ぺたり!
俺は、平成の世の中において、餅は買うものという認識しかなかった。
だから、こういう風に力を
俺は餅をついた後、神社の出入り口近くにある屋台で稲荷寿司を売っている竹蔵さんに近づいた。
竹蔵さんが、客をさばきながら俺に話しかける。
「ご苦労だな。りょうの字」
「ああ、でも楽しかったよ。竹蔵さんは稲荷寿司の売れ行きどう?」
俺の言葉に竹蔵さんは、屋台の正面を見る。
屋台の前には、餅つき見物ついでに稲荷寿司を食べようというお客さんの行列で、黒山の人だかりができている。
「みりゃわかんだろ、大賑わいでぇ。でも、もうすぐ
そう、徳三郎さんがここらを取り仕切っている任侠の親分さんと話し合ったところ、場所代を取らないでいてくれるのは子供が産まれるまでとの事だったのだ。それからも屋台を続けるには、それなりの対価を場所代として払わなくてはならない。
俺は言葉をかける。
「もし良かったら、場所代を払って屋台を続けたらどう?」
すると、竹蔵さんは照れくさそうな顔になる。
「こんな風にお
竹蔵さんはそこまで言い、ひと呼吸おいてから言葉を続ける。
「あ、そういや、おあきとかいうおじょうちゃん、風邪とか
その言葉に、俺ははっとする。
「お
「あ、いやいや。ちょっと熱っぽいだけだって言ってたしよ。心配するこたぁねぇよ」
でも、竹蔵さんの奥さんであるおいとさんはもう臨月だったはずだ。もし風邪のウィルスがおいとさんに感染してしまったら、母体も赤ちゃんも危険になる。
俺は、おいとさんに風邪が
十二月の二十八日も、冬晴れの気持ちの良い日だった。
年末年始の神社というのは、それはもう忙しい。
ここの所、用意していたお
おあきちゃんは御守りや破魔矢がちゃんと揃っているか、おみくじはきっちりと用意されているか、氏子の人たちが来たときの名前表は正しいか、などの確認。
俺は、年初儀式に関する氏子の人たちへの
その日の夕方に本殿にて俺は、来るべき年末年始に向けて、
神棚正面に向かって座りつつ、すずさんと一緒に
屋次郎さんが真剣な顔をして、神社の正面に下がっている
――まだ年は明けてないのに? 江戸っ子だから気が早いのかな?
俺がそう思った次の瞬間だった。
屋次郎さんは、手水桶を両手でふんと持ち上げ、その中に満たされていた水をざぶりと頭からかぶった。
「屋次郎さん! 何してるの!?」
俺は思わず叫んで、土間に置いてあった草履を履いて外に飛び出す。
近くにいた竹蔵さんも屋次郎さんに駆け寄っていた。
「ヤジさん!? 何してんだよ!?」
すると、屋次郎さんは心の底から搾り出すような声で叫んだ。
「決まってんだろ!
俺も竹蔵さんも、その叫びに驚いた顔を見せる。
「お
俺の言葉に、屋次郎さんが返す。
「今日、奉公先から帰ってきていきなりぶっ倒れやがったんだ! 長屋で息も絶え絶えになってやがる! 無理すんじゃねぇって言ったのによぉ!」
すると、竹蔵さんが叫ぶ。
「ヤジさん! てめぇが水かぶったらてめぇまで
「てやんでぇ! 俺は生まれてこのかた、
そう言って、屋次郎さんは
それを賽銭箱に投げ入れようとする屋次郎さんの手を、竹蔵さんが大急ぎで止める。
「ヤジさん! 何してやがんだ! そんな
「うるせぇ! お稲荷様に
「りょうの字に診てもらえば良いだろ! な! りょうの字! お
竹蔵さんが叫ぶので、俺も
「わかった! 色々持ってくるからちょっと待ってて! 屋次郎さんはとりあえず
俺はそう言うと本殿に入り、黙々と作業をしているすずさんになんとか許可を貰って、スポーツバッグのある部屋まで急いだ。
スポーツバッグから風邪に役立ちそうな物をピックアップして、巾着袋に入れる。
そして俺は、稲荷社の前で屋台を営業している竹蔵さんに声をかける。
「竹蔵さん、ちょっと用意してもらいたいものがあるから、屋次郎さんが戻ってきたら伝えて欲しいんだけど」
「お、おう? なんでぇ?」
「さっきのお金があれば買えると思うんだけど……」
俺は、未来において風邪を引いたときによく作られているポピュラーな食べ物を告げた。幸いにも、その食べ物は江戸でも庶民がよく知っているものであるらしかった。
「すいませーん、屋次郎さんから頼まれて風邪を
俺がコンコンと引き戸の近くをノックして尋ねると、部屋の中から中年くらいの感じの女性が答える声がしたので障子を開く。
四畳半部屋には敷き布団が敷いてあり、顔を紅くした小さな体のお
傍には、お
お
「これはこれは、よくおこしいただきました」
「こちらこそ、お役に立てるかわかりませんが。ご主人さんはどうしたんですか?」
俺が尋ねると、お歯黒を口から覗かせつつお母さんが応える。
「主人は、
なんだかお母さんは、お医者さまを見るような目で俺を見てくる。俺は医者でもなんでもなく、弟の
しかし、この人たち、お
そして、巾着袋をまさぐり電子体温計ケースを取り出した。そしてその中の体温計をケースから外し、お母さんに渡す。
「じゃあ、これをお
「あの、亮哉さま、これはなんでしょうか?」
お
「さまはいいです。これで、体の熱を測るんですよ。こちらの銀色の部分を脇で挟むようにしてください」
その言葉に、お母さんはお
しばらくするとピピッピピという電子音が鳴り響く。お母さんは若干びっくりした様子だったが、恐る恐る電子体温計を脇から取り出して俺に見せる。
三十八度三分、かなりの高熱だ。
俺は巾着袋から冷却シートを取り出し、お
お母さんに訊いたところ、主な症状は喉の痛みらしい。俺は巾着袋から風邪薬を取り出し、細かく書かれた効能を確認する。
――ビンゴ! 上手いこと発熱と喉の痛みの風邪に効くタイプの風邪薬だった。
――葉月ありがとう。
俺は、風邪薬のカプセル錠剤をプラスチックケースから取り出し、畳の上に置かれた
「こちら、薬です。一日三回、毎食後に噛まずに、一度沸かしてから冷ましたお
「あらあらあら、これは……しかし私ども、お金のあるほうでは……」
「お金はいいですよ、俺からの
俺がそう言うと、お母さんは感極まったという風に涙ぐんだ。
そこへ、ノックも断りも入れずに、屋次郎さんが障子戸を勢い良く開けてきた。
「りょうや! 手に入れてきたぜ! 生卵と、砂糖と酒! これで
屋次郎さんが、風呂敷包みと
「ああ、そうだよ。風邪にはぴったりだからね」
俺は、巾着袋から更にハンカチを五枚取り出す。
「それじゃあ、この布を広げて口に当てて三角巾で息ができる程度に軽く覆っておいてください。そして汚れたら替えて、洗ってからよく乾かしてまた替えてください。マスク代わりです」
「『ますく』?」
お母さんが、きょとんとした顔になる。
「あ、いえ。喉の風邪が悪くなるのを防ぐことができるんですよ。あと、なるべく多くお
「そうでございますか。本に当に有り難うございます」
再びお母さんが、正座をしたまま深々とお辞儀をする。
そこで、
「りょうや! 俺、卵酒の作り方わからねぇ! 来てくれ!」
「ああ、わかった!」
俺は、急いで土間に向かう。
そんなこんなで作った卵酒をお
そう、確かにその時は、そう思っていたのであった。
その翌々日の、十二月三十日、つまり大晦日の事であった。
すずさんとおあきちゃんは、普段の地味な着物と比べて見違えるような余所行きの着物を着て、王子稲荷にて妖狐の集まる
二人は
以前も聞いた事があるが、そこでは毎年大晦日になると、武蔵野一円の妖狐が集まり
着飾って小舟に乗ったすずさんは「初日の出までには帰ってくるよ」と言っていた。同じく余所行きの着物で着飾ったおあきちゃんは、小舟が俺から見えなくなるまで手を振ってくれていた。
白衣袴姿の俺が、二人を見送って
俺は声をかける。
「ああ、屋次郎さん。お
俺がお
「りょうや! お
「え? それって……どういう事!?」
屋次郎さんに両肩を掴まれた俺は、戸惑う。
「俺にもわからねぇんだよ! 昨日まで段々良くなっていったと思ったら、今朝になっていきなり、子供みてぇに
――どういうことだ? お
俺は、落ち着いて屋次郎さんをなだめ、一緒に
お父さんは俺に感謝の言葉を述べて、深く頭を下げた。薬を恵んでくれたお礼がしたいという。
寝床に寝込んだままのお
俺は、近くにいる屋次郎さんを脇目で見る。以前、竹蔵さんが俺に言ってくれたところ、お
俺は、お
そして、俺と床についているお
「あの、お
すると、お
「なんだよ。薬貰ったのは礼しとくけどな。ありがと」
「えっと……何故、今朝になってから薬飲まないって言ってるのか教えて欲しいんだけど……」
たかだか十六年しか生きていない俺が、慎重に慎重に、一人の少女の心の糸を解そうとする。
「……お
「何聞いても言わないって! 絶対! 約束するから!」
「……どうだかな」
お
「うーん……こういう時は」
俺は、頭の中で必死に、平成の時代に読んでいた小説の内容を思い出していた。
自分の友達を好きな少女。何かが引っ掛かっている少女。そして、口を閉ざした少女。
そこで俺は、ベタでありふれているけれど、王道ともいえる手法を試してみた。
「じゃあ、無理には聞かないよ。その代わり、俺の話を聞いてくれる?」
お
「俺はね……故郷に好きな
お
「その
お
「俺は、実はその友達の事をわりと尊敬していてさ……俺が昔、別の苛められっ子だった友達を助けて、俺も苛められるようになって、それを助けてくれたのがそいつだったんだ」
お
「それから、本当に仲の良い友達になってさ……この楽しさがいつまでも続いたらいいなって……心の底からそう思ってたんだ」
お
「それで、俺はその
お
「でも、その尊敬している友達ってのはその
お
「だから……えっと……俺が言いたいことは……人間同士なんて、いつ会えなくなるかわからないってことで……」
――言葉が上手く出てこない。
すると、やおらお
「おめぇ、何泣いてんだよ」
「え?」
自分でもやっと気付いた。
俺はぼろぼろと涙をこぼしていた。
「あ……ごめん」
「まったく、説き伏せるつもりが泣いてどうすんだ。お
お
「オレはさ、屋次郎にぃちゃんに惚れてるんだ。それは知ってるよな?」
俺は頷く。
「オレ、屋次郎にぃちゃんが
「うん。俺はそれ、目の前で見たよ」
俺が応えると、お
「オレ、それ聞いて嬉しくってさぁ。ひょっとして、屋次郎にぃちゃんもオレのこと悪く思ってねぇかもしれねぇって思っちまったんだ」
「そんなの、大切に思ってるに決まってるだろ。屋次郎さんがどれだけ心配したと……」
俺がそこまで言った所で、お
「そうなんだよ。でも、それだけなんだ。オレは屋次郎にぃちゃんと
お
「オレはそれだけなんだ。にぃちゃんがオレの事思ってくれて嬉しいって思ったからこそ、
お
「……オレは体もこんなに
そこまでお
「……だから、薬を飲まずに……食べ物も食べずに……このまま死のうと?」
「……自ら命を絶って、親不孝したら
その言葉に、俺は少し感情が昂ぶった。しかし、それを外に出すことはしなかった。
「……もし、屋次郎さんが……君のことを妹のような存在としか思ってなくても……」
不思議と、俺の口が独立意思を持ったかのように動き出す。
「……それでも、君は伝えるべきなんだよ。……自分の気持ちを。……そして、それがどういう結果になっても……それから前に進むべきなんだ」
そう、これは俺が、俺そのものが、以前の俺自身に言いたい言葉に他ならなかった。
東京から江戸に飛ばされる、ほんの一分前でも良かった。
たとえどんなに離れていても、同じ時を生きている限り俺の気持ちは葉月に伝えられたはずであった。
いつでも繋がることができるという事実が、かえって俺を臆病にしていた。
――気持ちや思いは、伝えようとしなければ伝わらないのに。
俺がお
苦しんでいる者が、自らうごめいている泥沼の中から伸ばした手だ。
幸いにも、それはお
お
――もしその約束がなければ、俺はずっと心の中で泣いていたかもしれない。
◇
大晦日の昼下がり、屋次郎は一人布団の上で寝ているお梅に近寄った。
「お梅、りょうやから聞いたけどよ。話がしてぇってなんだ?」
屋次郎の言葉に、お梅は口を開く。
「屋次郎にぃちゃん。
屋次郎は、応える。
「死にてぇなんて思うなよ。言いたい事があるなら何でも言え」
そして、お梅は若干目を潤ませる。
「屋次郎にぃちゃん、オレ、にぃちゃんの事が好きだ」
そして、屋次郎も応える。
「ああ、俺もお前の事は好きだぜ。
「違うんだよ。オレは違うんだよ……オレは、にぃちゃんと
その言葉に、屋次郎は一瞬たじろぐ。
「あー……そうなのかよ。なるほど……そうだったのか……そりゃ悪かったな」
お梅は応える。
「にぃちゃんはどう思ってんだ? 聞かせてくれよ」
屋次郎は顔を引き締める。
「俺はよ、まぁ嬉しくなくはねぇよ。でもよ、俺はまだ大工として半人前だろ? まだ修行始めて五年しか経ってねぇしよ。所帯持つのはせめて十年くれぇは修行して
その言葉に、お梅が返す。
「じゃぁさ、屋次郎にぃちゃんが一人前になって、そんときオレがまだ
その言葉に、屋次郎は驚く。
「俺、年が明けたら二十になるぜ!? あと五年修行したら二十五だぜ!? そん時になったらお梅は二十三だろ!?
「……もし、オレも屋次郎にぃちゃんも
そのお梅の純真な言葉に、屋次郎は少し困った顔をするが、すぐに意を決したような顔になる。
「わかったよ。俺が二十五になったとき、お互い
「……うん、わかった」
その屋次郎のした約束に、お梅はほんのりと笑顔になった。
◇
お梅さんと屋次郎さんが今いる部屋は、竹蔵さんの暮らしている長屋部屋のお向かいである。その部屋の一つ左、つまり鉄蔵さんというお爺さんの住んでいる部屋に、俺は竹蔵さんと一緒にお邪魔をしていた。
俺たちは長屋の薄い壁に耳を当てて、先ほどからの会話を一部始終聞いていた。
竹蔵さんが、口を開く。
「とうとう、お
「ああ、でもこれで生きる気力が湧いてくるといいんだけどね」
俺たちがそう話していると、後ろの方から鉄蔵さんの娘さんであるお
「大晦日に盗み聞きたぁ、
すると、大晦日だというのに富士山の下絵を描いている鉄蔵さんが横顔で応える。
「別にいいじゃぁねぇか。長屋の
鉄蔵さんは、こちらを向かずににんまりと口角を上げる。
そして、竹蔵さんが俺に伝える。
「まぁ、これでヤジさんも安心して年を越せるな。りょうの字のおかげだぜ」
「いや、俺は大したことをしてないよ」
俺が少し照れると、鉄蔵さんが俺に告げる。
「でもよぅ、兄ちゃん神職見習いなんだろ? きっと今頃、
その言葉に、俺は焦る。
「あっ! そうだ! 徳三郎さんの手伝いに行かなきゃ!」
俺は慌てて
それはもう、大急ぎで。
てんやわんやの年末年始がすっかり過ぎて、一月の三日になった日の事であった。
本殿にて
俺のすぐ隣には、徳三郎さんが同じく神職の白衣袴姿で座っている。
屋次郎さんは紙に包まれた小判を出し、それを俺の前に置いている。
小判で八枚、すなわち八両あるという。平成の物価でいうところの四十万円くらいの大金だ。
「頼む! りょうや! 受け取ってくれ! これは俺のけじめなんだ!」
屋次郎さんが懇願するも、俺はどうしていいかわからない。
「えっと……どうしたの? 屋次郎さん、こんな大金?」
「親方や兄弟子から正月中に
――そう言われても、俺はそんなものを受け取る道理がない。
「えっと……そう言われても……受け取れないよ」
俺がそう言うと、屋次郎さんは今度は徳三郎さんの方に向き直り、小判の包みを置き直した。
「じゃあよ、神主さまに渡すぜ! この金は俺がこの
すると、徳三郎さんは目を細める。
「ふむ、なるほど、お
「そうでやさぁ! りょうやに薬を貰ったってことは、ここのお
屋次郎さんは小判の入った紙包みを改めて、徳三郎さんの近くに置く。
すると、徳三郎さんはその紙包みを摘みあげる。
「そうだな。
徳三郎さんは手に持った小判の包みを持ち替えて、再び屋次郎さんの目の前である床に置く。そして言葉を伝える。
「では、こちらは私から屋次郎くんへのお祝い金だ。お
その言葉に、屋次郎さんは目をぱちくりさせる。
「え? でもそしたら神主さまは……」
「おや? 男の
徳三郎さんが少し微笑んだ気がした。そして、言葉を続ける。
「
その徳三郎さんの言葉に、屋次郎さんは感極まったという表情を見せた。
「ありがとうごぜぇやす! ありがとうごぜぇやす! 俺はこれから死ぬまで、神仏に対する
屋次郎さんが男泣きをする姿を、俺はしっかりと見ていた。
徳三郎さんの有り難い話が終わって、俺は屋次郎さんと一緒に竹蔵さんの店で稲荷寿司を食べていた。
竹蔵さんが、屋次郎さんに問いかける。
「でもよう、ヤジさん。大晦日にお
「え? あれお
屋次郎さんが、少し照れたようにびっくりした顔をする。俺は応える。
「あっと……実は隣の部屋で聞いてたんだ」
すると、屋次郎さんは腕を組んで鼻息を鳴らす。
「へっ! 俺が
すると、竹蔵さんが囃し立てる。
「なんでぇヤジさん!? 約束
「それは
屋次郎さんは額に手のひらを当てて豪快に笑い、鼻歌を歌いながら
残された竹蔵さんが、同じく残された俺に伝える。
「なぁ、りょうの字。お
「いや……? しないんじゃないかな? そもそも二十三で結婚って、少し早い気もするし」
すると、竹蔵さんが返す。
「いや、女で二十三は早くねぇだろ。でもよ、おそらくお梅は待つと思うんだよな。勘だけどよ」
「そうだね、おそらくそうだろうね」
そんなことを話して、俺は徳三郎さんの手伝いをしに本殿に向かった。
春の兆しが芽生えたか芽生えてないかという新春。
新しい年の春の季節、文政六年正月の事であった。