真冬の青空が澄み渡った、十二月の二十三日の事だった。
いつもの神職見習いとしての
大きさ七寸、つまり21センチメートルほどの柔らかいその贈り物は、深緑色の小さな風呂敷に包まれて、俺の手の中にある。
このプレゼントは元々スポーツバッグの中に隠していたのだが、朝方トランプを借りるため部屋に飛び込んできたおあきちゃんに危うく見つかりそうになったため、こちらに持ってきたのであった。
――せっかくのクリスマスプレゼントなんだし、サプライズしたい。
そう思って部屋から持ち出した俺だったのだが、竹箒を持って、更に布包みを持った俺は少しばかり
――こんな大きな布包みを持ったまま仕事をするのは、やはり少しやりにくい。
そこで俺はこの布包みを、本殿の正面脇にある入り口近くにある棚に置いておくことにした。
――ここならおあきちゃんもそうそう見ることはないだろう。それにたった一日二日のことなので、誰かが持って行くこともないだろう。
そう思っていたのが間違いだったということに気付いたのは、その日の午後のことであった。
道路や建物の掃除をあらかた済ませた後、昼前に竹蔵さんのために屋台を組んで、お昼ご飯を皆と一緒に頂いて、午後に洗濯を済ませ、昼八つ[午後二時ごろ]の鐘が鳴る少し前くらいになった所で一息ついた。
その昼八つの鐘が鳴ると、手習い所の子供達はちりぢりばらばらになって帰っていった。
俺は
すると、棚の真ん中あたりに置いていた、深緑色の布包みが消えていた。
「あれ?」
俺は、目をしばたかせる。
出入り口から出た俺は、すぐ
「ねぇ、竹蔵さん? ここに置いてあった緑色の布包み知らない?」
すると、酢飯を油揚げに入れて子供に提供している竹蔵さんが応える。
「いや? 知らねぇぜ?」
「あれ? おかしいな? 何でないんだろ?」
――確かにここに置いていたはずなのに。
俺が疑問に思っていると、草履を持ったおあきちゃんが本殿の中から現れた。
「りょう兄ぃ? どうしたの? 何か探してるの? なくした物があるとか?」
「あ! いや! 何でもないよ! 捨てるつもりだったから!」
おあきちゃんは、ふうん、といったお澄まし顔で土間に草履を置き、それを履く。
「まぁ、それならいいんだけどね」
外に出たおあきちゃんは屋台に近づき、四文銭を二枚取り出して竹蔵さんに声をかける、
「竹蔵さん! あたしにも
「なんでぇ? 神主さまの娘さんならお
「それは父さまが、商いをする人へのけじめだって言ってた。はい、お
おあきちゃんはそう言うと、四文銭を二枚、八文を竹蔵さんの屋台に置き、稲荷寿司を受け取ってかぶりつく。
俺はそんなおあきちゃんの近くで、布包みがなくなったことに戸惑っていた。
――あれぇ? おかしいな? スポーツバッグの中に置いたままだったかな?
俺はそう考えると、西の庭に通じる通路から、俺が寝泊りさせて貰っている西の客間に移動する。
そして、スポーツバッグの中身をひとつずつ畳の上に並べていく。
――おかしい、どこにもない。
念のため、ナップサックの中も調べてみたが、深緑色の布包みはどこにもない。
「あれ? どこいったんだろ?」
俺がそう
「りょうぞう、買出しの
「ああ、すずさん。
「ああ、なんだい?」
すずさんは、きょとんとして俺を見つめた。
すずさんの言う買出しの手伝いとは、年末に向けて
俺は、年の瀬の活気ある本所の町を、大きな風呂敷を背負ってすずさんと共に歩いていた。
すずさんが、隣を歩く俺に対して言葉をかける。
「ふぅん? おあきに
すずさんは、感心したような顔を見せるので、俺は応える。
「でも、そのプレゼントがどこにもないんですよ。せっかく、おいとさんに作ってもらったのに」
「『ぷれぜんと』? 未来では贈り物の事をそう言うのかい? まぁ、もう
「そうですね、もう一度調べてみます。すずさんも一緒に探してくれますか?」
「別にいいよ。でもさぁ、探し物でおあきの力を借りられないってのはわりかし苦しいね」
そんなことを話しながら、
もち米を台所に置いた俺は、すずさんに協力してもらって本殿にて布包みをくまなく探した。しかし、深緑色の布包みはどこにも見つけることができなかった。
念のため、本殿の隣り部屋である講堂も探した。しかし、布包みを見つけることはどうしてもできなかった。
もうそろそろ夕七つ[午後四時ごろ]だろうか。いつもなら徳三郎さんとおあきちゃんと一緒に湯屋に行く時間だったが、今日はこんなすっきりしないまま風呂には浸かりたくなかった。
すずさんが、口を開く。
「ひょっとするとさぁ、りょうぞう。これ、
「え?
「それは知らないけどさ。こんだけ探してないってことは、誰かが持って行ったって考えた方がいいよ。残念だけどさ」
「えぇ? じゃぁ、もう見つからないって事ですか!? クリスマスは明日なのに!?」
俺の言葉に、すずさんが応える。
「『くりすます』ってのは知らないけどさ。だったら家捜しするよか、竹蔵にでも出入りした者がいたかどうか訊いた方がいいんじゃないかい?」
――そうか、あの棚のある出入り口の近くにはずっと竹蔵さんがいたんだった。
すずさんは言葉を続ける。
「確かさ、
俺は返す。
「ってことは、その
すると、すずさんが応える。
「竹蔵が来たのと同じくらいに父さまが住処に引っ込んで、それから昼八つごろにりょうぞうが棚を見たら『ぷれぜんと』とやらが無かったんだからさ。竹蔵は入口から入って盗った奴の顔を見ているはずだよ」
「そうですね、じゃあさっそく訊いてみます」
俺は講堂から外に出て、屋台をしている竹蔵さんに近寄る。中途半端な時間であるためか、客足は一時的に途切れている。
「竹蔵さん、ちょっといい?」
俺が竹蔵さんに尋ねかけると、竹蔵さんは笑顔で振り向いた。
「おお、りょうの字。どうしたんでぇ?」
「今日、竹蔵さんがここに来てから、あの脇の入り口に入って何かを持ち出した怪しい人って見かけなかった?」
俺がそう言うと、竹蔵さんは応える。
「んー? 怪しい奴? いや、別にいなかったなぁ。あ、でも覚えてんので
「それって、どんな男!?」
俺が勢い良く尋ねると、竹蔵さんはポカンとした顔をする。
「いや? 男じゃねぇぜ。手習い所に通っている女の子だよ。入口に入ったのは
「そ、そう……で、他に誰か怪しい人とかいなかった?」
「そうだなぁ、覚える限り大人は近づかなかったようだけどなぁ。子供は何人か出入りしてたかもしれねぇけどよ。こっちも、
「あ……ああ、実はおいとさんに作ってもらったおあきちゃんへの贈り物だったんだ」
俺は、気まずそうに頬を指で掻く。
すると、竹蔵さんが俺に伝える。
「じゃあよ、手習い所の
竹蔵さんにそう言われて、俺は
手習い所の講堂と本殿は、中で戸を挟んで繋がっている。すずさんが昼飯を食べに住処に戻っている間に誰かが持って行ったのかもしれないという予想は、望ましくないが的を得ているものだった。
俺は講堂に入ると、おあきちゃんに秘密にしてもらいつつ子供達に探りを入れてもらうよう、状況を説明してすずさんにお願いした。
翌日、十二月の二十四日。
相変わらず冬の空は、地上の喧騒など気に存せずとでも言いたげに
正午になって、すずさんが住処に戻ってきたところで俺を呼び出し、二人きりになったところで告げてくる。
「りょうぞう、子供たちにきちんと訊いてみたけどね、己が布包みを持ち去ったなんて誰も言わなかったよ」
「そうですか……子供の誰かが持っていったと思ってたんですけどね……」
俺は気持ちが重くなって
「でもさ、あたいの勘は誰かが持って行ったって告げてんだよね。一応、忍び込んで盗ることができた子供の話聞いてきたから、聞くかい?」
「ぜひお願いします!」
俺が応えると、すずさんは子供から聞き取った情報を話してくれた。
何でも、昼休みに本殿に入った子供は四人いるらしい。
みんな数え年で十一歳の、
それから、竹蔵さんが見たという一瞬だけ正面脇の出入り口に入って棚に近づいた女の子は、数え年で十歳のお
すずさんが聞き取りを行ったところによると、男の子三人は昨日、昼ごはんを食べに家に帰らず、竹蔵さんの屋台で稲荷寿司を食べて昼飯代わりにしたのだとか。同じように稲荷寿司で昼飯を済ませた子供も他に何人かいたらしい。
その際、時間が余ったので本殿に入り、丸めた紙を使って三人で剣術ごっこをしていたらしい。なお、どうでもいい情報だが、この時代には『チャンバラごっこ』とは言わないらしい。
三人の言い分を整理すると、次のようになる。
文八くん、久助くん、藤吉くんは本殿に誰もいないのを見計らって本殿に入り、しばらくの間、剣術ごっこで遊んでいたらしい。
しばらくすると、久助くんがもよおしたので、
そこからの三人の言い分はこうだ。
文八くん曰く「久助の奴が、
神社の神棚とは、本殿の正面から見える神棚のことだ。そちらを向いて座ってたってことは、探している布包みの置いてあった棚は、見てなかったということだ。
久助くん曰く「
藤吉くん曰く「久助が
そこまですずさんが伝えたところで、俺は口を開く。
「ってことは、三人のうち誰でも一人だった時があったってことですか?」
すると、すずさんが答える。
「まぁそうだね。でもりょうぞう、勇み足をしちゃいけないよ。お
俺はそう言われ、改めてすずさんの話を聞く。
お
お
すずさんが、俺に語りかける。
「りょうぞうは、どう思う? 他の子供の話によるとさ、男の三人組は本殿に出入りしていたとき、手に袋も包みも何も持ってなかったんだとさ。剣の代わりに使った、紙を丸めたやつしか持ってなかったんだとさ」
その言葉に、俺は考える。
「普通に考えれば、袋に物を入れる事ができた、お
俺は江戸に来る前、平成の世の中では推理小説をよく読んでいたが、推理小説の名探偵のような頭脳は持ち合わせていないことは自分でも良くわかっている。
すると、廊下の向こうの方からおあきちゃんが不機嫌そうな声と共に、とことことやってきた。
「もう! すずねぇ! お腹空いた! 二人で何してるの!?」
すると、すずさんがきまりの悪そうな顔をして取り繕う。
「ああ、すまないねぇ。ちぃと、りょうぞうの相談に乗ってやったんだよ」
「りょう兄ぃの? どんなこと?」
「ちょっとした忘れ物の事だよ。りょうぞう、後は
すずさんは、そう言うとおあきちゃんを連れて台所に向かって去っていった。
一人残された俺は、腕を組んで難しい顔をする。
「……探偵役なんて、ガラじゃないんだよな」
俺はそうつぶやくと、すずさんと一緒に昼飯の用意を手伝うため、廊下の板の上を伝った。
それから二時間くらいが経っただろうか。白衣袴姿のままの俺は、本殿にて神棚に向かって
俺は、この二時間くらいで、四人の言い分を懸命に整理しようとしてた。
まず気付いたことは、お
男の子三人が、この本殿にて向かい合って座っていたのならば、正面脇口を入ったところで三人の誰かに見つかるはずだ。
本殿からは、棚のある出入り口がまる見えなのだから。
つまり、お
ということは、やはりお
でも、年端もいかぬ女の子が戸惑いもせず一瞬で、バチが当たることも怖がらず、速やかに盗みを実行できるのか。
ただでさえここは、神社なのだから。その神社で物を盗むなんて大それた真似が年端もいかない女の子にできるのか。
久助くんと藤吉くんにしてもそうだ。いくらそれぞれ一人でいる機会があったとはいえ、竹蔵さんの目を盗んで出入り口に入り、こっそりと布包みを持ち去る真似ができたのか。
文八くんはずっと本殿にいたとはいえ、講堂と本殿を行き来していたときには何も持っていなかったということが他の児童によって確認されている。
それとも、男の子三人全員が示し合わせて嘘をついているのか。
俺は考えがまとまらず、頭を掻く。
あのプレゼントは、おあきちゃんに渡すために、おいとさんが丹精込めて作ってくれたものだ。その
俺が頭を悩ませていると、徳三郎さんが本殿に入ってきた。
神職の白衣袴姿ではない、正式には
「
徳三郎さんの柔和な笑顔に、俺は若干安心する。
そして、事のあらましを全て伝えた。
徳三郎さんは、俺の説明を聞いている最中に何度も頷き、明朗な顔つきになる。
「なるほど。では
俺はその言葉を聞き、神社のすぐ近くで稲荷寿司の屋台をしている竹蔵さんの元に赴き、尋ねた。
どうやら確かに、あの布包みが無くなってから、竹蔵さんは
俺は、不思議がって徳三郎さんに尋ねる。
「何故、竹蔵さんがあの後に
すると、徳三郎さんは超然とした態度でこう答える。
「いやなに、思う所があってね。では次に、布包みがなくなった棚の一番上を見てくれないかね? 私の考えが正しければ、
その言葉に、俺は布包みが置いてあった棚に近づき、棚で体を支えつつジャンプする。
棚の一番上、俺の背では普通は見えない高さに、確かに
――あ、これって、そういうことか。気付かなかった。
俺は徳三郎さんに向き、告げる。
「俺がなくなったって思ったときは、まだ棚の上にあったんですね」
「そうだな。盗っていった者は、おそらくは当初は盗るつもりなどなかったのだろう。
――あ、そういえばおあきちゃんが現れて『捨てるつもりだった』って言ってたな俺。あのとき稲荷寿司を食べてた子供達の耳に入ってたんだ。
「となると、それをすることができたのは一人しかいませんね」
俺の言葉に、徳三郎さんが応える。
「そうだな、一人しかいない」
「文八くんですね」
俺が伝えると、徳三郎さんは
深川にある、とある長屋まで来た俺とすずさんは、大根を洗っている二十代後半くらいの女性に近づいた。この女性は文八くんのお母さんらしい。
すずさんが、その女性に声をかける。
「こんにちは、おかみさん。
すると、大根を洗っていた文八くんのお母さんが、笑顔になる。
「あらあら、手習い所のお師匠さまではございませんか!? 文八なら、部屋にいますよ。今日は何の御用で?」
「ああ、ちょっと訊きたい事があるんだけどね。
すると、おかみさんは笑顔のまま答える。
「あー、はいはい。人形のようなものを拾ったようで。うちの下の娘がたいそう喜んでましたよ」
「実はさ、その人形だけどさ、落とし主が見つかったんで、返すよう言ってくれないかい?」
「あらあら、そうなのでございますか。少し待って下さいね、すぐ呼んで参りますから」
おかみさんが長屋に戻ると、緑色の布包みを持った
すずさんは、すぐさま文八くんの両肩を掴む。
「文八、ちょっとあたいと一緒に、
すずさんが、腰を落として文八くんの眼前で微笑みかける。
――顔は笑っているけど、声は笑っていない。
少なくとも俺には、そう聞こえた。
結局、文八くんは
この時代には体罰は
それに、そこらへんを歩いている大人が
ましてや、手習い所のお師匠さまであるすずさんにとっては、悪い事をした子供を
文八くんが
俺が、すずさんに告げる。
「でも、一つだけ謎が残ったんですけど」
すずさんが返す。
「謎ってなんだい?」
「お
すると、すずさんは大きく息を吐き、両手を頭の後ろに回す。
「そりゃあれだよ。惚れた男が何か棚でごそごそ
――え?
「あ……じゃぁ、お
「ま、そういうことだよ」
すずさんは、あっけらかんと事も無げに言う。
俺は言葉を返す。
「それにしても、徳三郎さんって本当に聡明なんですね。俺がちょっと説明しただけで
――まるで、推理小説の名探偵みたいな推理力だった。
すると、すずさんがどこか得意げな口調で返す。
「
そして、言葉を続ける。
「それよりさ、おあきへの贈り物って人形だったのかい? あたいにも見せておくれよ」
「いいですけど、おあきちゃんには内緒ですよ。二十四日の夜に枕元にそっと置いて、翌朝にびっくりさせるつもりですから」
俺は、深緑色の布包みを
俺が包みを解いてすずさんの目の前に出したのは、黄色い布を使って
すずさんが、物珍しそうな表情で
「へぇー、なんだいこれ?
「ええ、『
すずさんが、感心したように口を開く。
「中に
すると、住処の方からおあきちゃんの声が響いた。
「すず
俺とすずさんは、慌てて狐の
おあきちゃん戸を開けてが講堂に現れる直前に、
「ああ、おあきちゃん、どうしたの?」
俺の心臓がドキドキと鳴っている。
すると、おあきちゃんが応える。
「雪降ってるよ! こんなに晴れているのに!」
すると、すずさんは口を開く。
「へぇ、
俺は思わず、言葉を発する。
「ホワイトクリスマスだね」
すると、おあきちゃんが興味津々といった風に尋ねる。
「未来では、
「あ……いや、そうじゃなくてね……」
俺は、おあきちゃんに、今日の十二月二十四日は未来でどんな日と呼ばれているかを説明した。
もちろん、西洋に伝わる伝承、寝ている良い子の元へ贈り物をしてくれる、サンタクロースの伝承と共に。