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第二十幕 冬の日のふいご祭


 月が変わって十一月になった。もうすっかり真冬である。


 江戸の町中まちなか木枯こがらしがすさび、夏には緑の葉を彩っていた木々も、すっかりと冬の裸木となっている。


 落ち葉は掃除しなくて良くなったが、その代わりに洗濯や食器洗いなど、水仕事がつらい季節である。


 十一月八日の昼八つ[午後二時ごろ]を過ぎた頃、俺は神職見習いらしく白衣びゃくえはかま姿で、本殿の正面脇にある入口からの所の板の間を雑巾で拭いていた。


 ここのところ神社では頻繁に、三つから七つくらいまでの子供が親と共にやってきて、徳三郎さんにおはらいをしてもらっているのを見ることができる。これは、江戸時代での七五三であるらしい。


 俺はこの時代に来て知ったのだが、この時代では町人の七五三は十一月十五日と決まりきっている訳ではなく、十一月の吉日つまり好きな日に執り行うものらしい。


 また、『七五三しちごさん』という言葉自体が江戸時代ではあまり使われていないものらしく、三歳の『髪置かみおき』、五歳の『袴着はかまぎ』、七歳の『帯解おびとき』と、分けて区別しているらしい。


 俺が本殿の入口にある水をはった桶の横にて、冷たい雑巾で床を拭いていると、外から声をかけてきた少年がいた。


「兄さん? いいかい?」


 中学生が声変わりをしたばかりのような、そんな声であった。俺は雑巾を傍に置いてあった桶にかけ、振り向く。


「ああはい、どうぞ」


 振り向くとそこには、頭の上を月代さかやきとしてって後ろにまげを結った、小柄な少年がいた。


 長い黒羽織を羽織り、すその長い黒い着物を着ている裕福そうな少年であった。手には閉じた扇子を持っていて、の部分を俺に向けていた。


 少年が口を開く。

「絵馬が欲しいんだけどよ、このやしろにあるかい?」


 俺は「ああはい、ありますよ」と伝えて、近くにあった棚から何も書かれてない絵馬を一枚取り出した。


 絵馬を受け取った少年は、俺を見上げて口を開く。

「兄さん丈が随分と高いねぇ、天狗の子かい?」


 このいかにも裕福そうで垢ぬけた様の少年は、身長が150センチメートル強くらいで、二十一世紀に生まれ育った俺にとってはかなり小柄に見える。


 俺は返す。

「えっと……父がオランダから来た異人なもので……」


 この嘘も、もう慣れたものだった。


 俺の言葉に納得したのか、少年は銭を俺に手渡す。そして、鳥居の脇で何やらごそごそと腰に付けた道具を取り出した。


 俺は興味が湧いたので草履ぞうりいて外に出て、その裕福そうな小柄な少年の動きを目で追う。


 扇子せんす腰帯こしおびに挿して、替わりに腰元から取り出したそれは、小さな竹筒と墨が入っている墨壷すみつぼであった。


 小さな竹筒から細筆を取り出した少年は、墨壷すみつぼの墨に筆先をつけさらさらと絵馬の上に毛を滑らせる。こちらからは何を書いているかわからない。


 しばらくすると少年は願い事を書き終えたのか、俺に近寄ってきてこう伝えた。


「この絵を奉納したいんだけどよ、架けるとこってあるかい?」


――絵?


 俺はその、少年が手に持っている絵馬を見た。そこには願い事をしたためた字ではなく、墨で描かれた二匹の狐の親子が、お互いに周りあう姿が活きき活きと動いているかのように描かれていた。


「えっ!? これ絵!? 凄い! 上手い!」

 俺は思わず叫ぶ。


 すると少年が照れたようになる。

「恥ずかしいからさ、俺が書いたって誰にもいわねぇでおくれよ」


「いや、そりゃ広めたりはしないけど。でも、この絵本当に上手いな。躍動感やくどうかんが凄い」


「『躍動感やくどうかん』? それってなんだい?」

 少年が尋ねるので、俺は返す。

「あ、いや。狐の親子が活き活きしてるってことだよ」


「へぇ、そうともいうのかい。ひょっとして兄さんも絵とかは好きな方かい?」

 その言葉に、俺は返答に若干詰まる。

「えっと……絵が好きな友達が故郷にいて……よく、描いたのを見せてもらったりはしてたかな」


 中学時代からの親友であるたかしは漫画やイラストを描くのが趣味で、俺と忠弘ただひろはよく作品を見せてもらっていた。プロに較べれば見劣りはするものの、中学生ということを考慮すればかなり上手いほうだった。


 少年は、俺に告げる。

「そっかそっか。俺は小三郎こさぶろうっていってな、こうやって色んなところやしろに絵を描いた絵馬を奉納すんのが好きなんだよ。あ、よわいは十七だ」


 小三郎こさぶろうと名乗った少年は、歯を見せてニッと笑う。


――っていうか十七だったのか。数えで十七ってことは、俺と同齢か。


 ということは、たかしを比較対象にしてもそう間違ってはいないかもしれない。


 まあ、名乗ってくれたのであれば、俺も名乗るのが礼儀ってものだろう。

「俺は、亮哉りょうや。ここで神職の見習いをしていて、齢は……」


 俺は、再び言葉に詰まる。俺は何歳といえば良いのだろうか。九月九日の誕生日を過ぎたので十六歳というべきか。それとも、当初のまま十五歳で通すべきか。それとも数え年で妥当する十七歳というべきか。


 俺が悩んでいると、それを見抜いたように後ろから小さな女の子の声がする。


「りょう兄ぃはね、初めは十五と勘違いしてたんだけど、実は十七だったの」


 おあきちゃんが、西の庭に通じる隙間からとことこ歩いてきた。


 おあきちゃんの言葉に、小三郎こさぶろうくんは驚いた顔をする。

「同じとしかよ! 何食ったらそこまででかくなんだ!? 教えてくれよ!」


 絵馬を持ったまま、小三郎くんが俺を見上げつつ詰め寄る。


 すると、おあきちゃんが小三郎くんの持っている絵馬を手に取る。

「奉納は後でしとくね。そこの棚に置いといたら父さまがしてくれるから」


 おあきちゃんはそう言って、俺の手を取り一緒に脇口から本殿へ入る。


 棚に絵馬を置いたところでおあきちゃんが俺を手招きし、内緒話があるかのように口の前に手を立てる。


「おあきちゃん、どうしたの?」

 俺が軽くしゃがんで、耳をおあきちゃんの口元に添えると、おあきちゃんは小声で俺に伝える。

「あの男の子をあやかしの目で見てみたんだけどね。あの子、つかれてるよ」


――つかれてる? 元気なように見えるけど。


 すると、外から聞き覚えのある少女の声がした。

亮哉りょうやさーん! 亮哉りょうやさーん!」


 俺が顔を出すと、山吹色の着物を着て、手に風呂敷包みを持っているおしのさんがそこにいた。


「ああ、おしのさん。こんにちは」

亮哉りょうやさん。ご機嫌麗しく存じます」


 おしのさんは、若い娘にしかできないような、朗らかさに満ちた表情で微笑んでいる。


 なんか目下もっかにいるおあきちゃんが、ほっぺたを膨らました気がしたが、深くは考えない事にした。


 しかし、俺はあることに気付いた。


 鳥居そばにいる小三郎くんが、口をぱくぱくさせておしのさんを見ている。何かの物まねだろうか。


 おしのさんが、俺に近づき手に持っていた風呂敷包みを掲げる。

「こちら、ひじきの炊き込みご飯を作ったのでございますが、作りすぎたのでお裾分けにまいりました。どうか、やしろの皆様でお召し上がりになってください」


 おしのさんが満面の笑顔を見せるので、俺もお礼を言って風呂敷包みを受け取る。

「ああ、有り難うございます。炊き込みご飯って、おしのさんが作ったの?」

「はい! わたくし、料理には少しばかり自負じふがあるのでございますよ! おっしゃって頂いたら、いつでもお作りいたしますよ?」


――京橋からここ深川までは、歩いて一里[約4キロメートル]はあるのに。江戸時代の女子じょしの行動力って凄いな。


 俺がそう思い、愛想笑いをしていると、小三郎くんが口を開いた。

「おしのと知り合いなのかよ!?」


 その言葉に、おしのさんが小三郎くんの方を振り向く。

「あら? あなたは確か……虎屋とらやさんのおせがれさんではございませんか。あっ! ひょっとして、亮哉りょうやさんのお友達なのでございますか!?」


 俺が、「いや、さっき知り合ったばかりでして」と言おうと思ったら、その前に小三郎くんが俺の隣に回りこみ、背中に手を回した。


「いやぁー、そーなんだよ。俺とりょうの奴は知り合ってすぐに気が合ってよ。こないだから、ともがらなんだよ」


――何を言ってるんだこの少年は。


 小三郎くんは、話を合わせろといった感じで俺の目を見る。そしておしのさんを見て、にへらあと笑う。


――ああ、なるほどね。


「あ……まぁ、同い齢ってことでね。ちょっと前に知り合ったっていうか……っていうか、おしのさんの知り合いだったの?」


 俺が尋ねると、おしのさんが返す。

「はい。わたくしの家と同じく京橋にある、大きなお菓子屋さんのおせがれさんでございまして。よく私もお菓子を買わせて頂いておりますよ」


――ん? 『とらや』? お菓子屋?


 俺は尋ねる。

「あの……ひょっとして、あの有名な皇室こうしつ御用達ごようたしの『寅屋とらや』の息子さん?」


――寅屋とらやといったら、平成時代には東京の銀座に店を構えている日本一格式の高いお菓子屋さんだ。


 すると、小三郎くんが応える。

「あー、きょうみやこ御所ごしょ相手あいて菓子かしおさめてる本家ほんけ本元ほんもとの『とらや』じゃぁねぇよ。京橋きょうばしにある菓子屋かしやってことで、縁起えんぎかついで『虎屋とらや』って屋号やごうにしてるってぇだけよ」


 おしのさんも口元に手を当て、微笑みながらそれに続く。

「うふふ、それに亮哉りょうやさん。きょうみやこ御内裏おだいりさまをお相手におあきないをしているようなお菓子屋さんが、きょうを離れて江戸にお越しになるわけはございませんよ」


――その御内裏おだいりさまが江戸に来るとは考えられないところが、江戸の人たちの想像力の限界なのだろう。


 俺は、おしのさんから貰った風呂敷包みを講堂の土間段まで持っていき、ほどこうとする。


「じゃあ、ちょっと待ってね。今、風呂敷を返すから」


 すると、おしのさんが微妙に頬を赤らめて手を振る。

「あ! いえいえ! また取りに参りますので! お気になさらず!」


――また来たいってことですか。


 俺が微妙な顔をしてると、講堂の中の方にいた深紫色の着物を着たすずさんが、ひょいと声をかけた。

「りょうぞう、それ貰ったのかい? おしのさん、有り難うね」


 すずさんは、おしのさんの隣で彼女の横顔を見ている小三郎くんを見て、何が起こっているのかを承知したのかこんな事を言った。


「りょうぞう、そこの影に隠れてるおあきと四人で蜜柑みかんでも拾いに行ったらどうだい? 江戸では今日は、職人という職人が仕事を休んで、二階から蜜柑みかんをばら撒くのさ」


「え? 蜜柑みかんを? 祭りか何かですか?」

 俺が尋ねると、すずさんは返す。

「ああ、今日の十一月八日は『ふいご祭り』って言ってね。初めは鋳物屋いものや鍛冶屋かじやのような火を使う職人が無病息災を願って始めたんだけど、今は江戸中の職人がやってるねぇ」


 その言葉に、おしのさんが反応する。

「楽しそうでございますね! 京橋には職人さんが少ないので、拝見はいけんしとうございます!」


 そして、小三郎くんも口を開く。

「へぇ、じゃあ俺もご一緒するかな」


 おしのさんについて行きたいのがバレバレだった。


「りょうぞう、蜜柑みかん入れるかご貸すから上がりな」

 すずさんに手招きされた俺はかごを借りるために草履ぞうりを脱ぎ、すずさんと共に講堂をつたって台所まで行く。


 廊下の途中にて二人きりになったところで、こんな事を言われた。

「りょうぞう、あの小僧こぞうだけどさ。どうやら、つかれてるみたいだね」

「ああ、おあきちゃんも言ってました。でも、元気なように見えますけど」


 すると、すずさんが俺の頭を手刀で軽くぽんと叩いた。


「ま、ぬ、け。つかれてるんじゃなくて、かれてるんだよ。昼間なのでうっすらとしか見えなかったけどさ、おそらくはばくあたりだね」


 台所に到着した俺は、呆れたように言うすずさんから籠を受け取る。


ばくですか? 夢を食う妖怪だって聞いたことはありますけど」

「ああ。それだけじゃなくて、何か人をまどわす悪いすべも持っているようだねぇ。まあ今はそれはどうでもいいからさ。四人で一緒に、蜜柑みかん拾ってきなよ」


 すずさんはそこまで言ったところで、ひじで俺のわき腹を軽くつつき、言葉を続ける。


「それにさ、齢の近い友達は、つくっといた方がいいよ?」


 にやけるすずさんの顔を見て、この人も手習い所では子供達が頼りにする教師をやっているのだな、ということを改めて認識した。





 俺は白衣袴姿のまま、かごを持って深川の町を西に歩いていた。8メートルほど前方には、おあきちゃんとおしのさんが並んで歩き、今の俺の隣には小三郎くんが歩いている。


 黒い着物に黒い羽織りを着た小三郎くんが、険しい顔で俺に話しかける。

「なぁ、おめぇよぅ。おしのとはどういう仲なんだい?」


「いや、仲っていうか。時々一緒に話したりする、友達だよ」

 それを聞いて、小三郎くんは小声になる。

「ふぅむ……まわりくどい事なしにぢかに訊くけどよ。おめぇ、おしのに惚れてんのかい?」


 俺も自然と、小声になる。

「いや……えっと……おしのさんは俺に惚れてるように見えるけど……俺には故郷に惚れている女がいるから、おしのさんとどうこうなりたいとは思ってないよ」


 その言葉を聞いて、小三郎くんの顔色が気のせいか柔和な感じに変わった。

まことか? 唐辛子とんがらし食わせたら承知しねぇぞ」


「ああ。とはいっても、おしのさんを傷つけたくないし……どうしようか迷ってるんだよ」

 俺の言葉に小三郎くんが笑顔になり、俺の背中を何度も叩く。


「そっかそっか! おめぇ、ひょっとして良い奴だな!? これからもよろしくな、りょうよ!」


「ああ、よろしく。小三郎くん」


「はぁ? くんだぁ? 呼び捨てでいいぜ!」

「ああ、わかったよ。小三郎」


 そんな事を話しながら歩いていると、ちょうど、とある建物の二階から職人さんが、蜜柑みかんをばら撒こうとしているところにやってきた。


 職人さんは「蜜柑みかんまくぞー! 集まれ集まれー!」と叫んでいる。


 その言葉に、小学生くらいの年齢の子供達が軒先に集まる。


 下にいる子供達は口々に「ほたけぇ! ほたけぇ!」と叫んでいる。


 そして、職人さんがかごいっぱいの蜜柑みかんを次々とばら撒くと、下にいる子供たちが一斉に拾い集める。近くにいたおあきちゃんももちろん、夢中で蜜柑みかんを拾い集めている。


 職人さんがかごいっぱいの蜜柑みかんをばら撒き終わったところで、また子供たちが「ほたけぇ! ほたけぇ!」と叫ぶ。どうやらこの叫び声は、蜜柑みかんを催促する囃し声のようであった。


 おあきちゃんは両手に抱えた蜜柑みかんを俺に渡すと、また別の職人さんの手でばら撒かれた蜜柑みかんを子供達と一緒に拾い集めに行く。


 そんなことが、そこらへんの軒先で行われているので、俺たちが稲荷社いなりやしろに戻った頃にはかごいっぱいに蜜柑みかんが盛られていた。




 稲荷社いなりやしろに帰った俺たちは、土間段の上でかごに盛られた蜜柑みかんの前で話していた。


 俺が口を開く。

「この蜜柑みかんどうする?」


 すると、おしのさんが柔和に返す。

亮哉りょうやさんのお好きになさってください」


 そして、おあきちゃんが口を開く。

「あたしは、お菓子とかに使えたらいいと思うけど。使えないかな?」


 それを聞いて、俺が返す。

「お菓子? まあ、みかんゼリーとかになら使えるかな?」

 そこで俺ははっとする。


 おあきちゃんが、俺に尋ねる。

「りょう兄ぃ。『ぜりぃ』って何? お菓子の名のこと?」


「あ……えっとね。西洋の寒天かんてんみたいなものでね。みかんゼリーはまあ無理でも、みかん寒天かんてんなら江戸の材料でできるかもね」


 すると、おしのさんがぱちんと両手を合わせる。

亮哉りょうやさんの故郷の長崎のお菓子でございますね! わたくし、その『みかん寒天』というのを、いただいてみとうございます!」

「でも俺、お菓子なんか作ったことないんだけど。大体どうすればいいかはわかるけど」


 俺がそう言うと、小三郎が反応する。

「おっ! じゃあ、俺が作ってやるよ! そんで、明日にでもりょうと一緒におしのの元へ届けに行ってやらぁ!」


「小三郎、お菓子とか作れるの? ……って、ああそうか。お菓子屋のせがれだったね」

 結局、明日に小三郎がやしろに来て、一緒にみかん寒天を作る運びとなった。





 翌日の昼過ぎ、小三郎がやしろにやってきた。黒い豪華な羽織ではなく、防寒の茶褐ちゃかっ色のあわせの下には灰色の作業着っぽい着物を着て、風呂敷に寒天の棒と木の枠を持ってきた。


「じゃぁ、始めようかい」


 小三郎がやしろの台所の前で、活き活きした顔でたすきをかけて袖をまくる。


 俺も同じくたすきをかけて、白衣袴姿で小三郎と共に蜜柑が盛られたかごと、昨日薬屋で買ってきた黒砂糖の袋のある台所に立つ。この時代は砂糖は、薬屋で薬として売られているものであるとのことだった。


 そして小三郎に伝える。

「じゃあとりあえず、蜜柑みかんの皮剥きからだね」

「皮はそりゃ、剥かなきゃなんねぇだろ」


「いや、上の皮をむいてから、更に薄皮も全部剥くんだよ。そして、を砂糖で甘くして寒天で固めればできあがりだから」

「ほぅほぅ、そりゃ聞いた事ねぇな。長崎ではそういうのが流行ってるのかい」


 そんな事を話しながら、小三郎と作業をする。


 正直言って、お菓子作りは楽しかった。


 一刻いっとき、つまり二時間ほどかけて、未来のものと比べて随分ずいぶんたねおお蜜柑みかんからだけをより分け、二人でなんとかお菓子を作り上げた。冬なので、寒天が固まるのも早いようだった。


 みかん寒天のできあがりだ。ぷるぷるとした透明な寒天の中には、オレンジ色の蜜柑みかんが散りばめられ鮮やかに彩られていた。


 できたのを見計らって、おあきちゃんが台所の土間段に降りてくる。

「りょう兄ぃ! お菓子できた!?」


 俺は応える。

「ああ、できたよ。上手くいったみたいだね」


 そして小三郎が包丁を持って、できたばかりのみかん寒天を切り取る。

「待ちな。今切り分けてやっからよ」


 器用に寒天を切り分けた小三郎はその一切れを小皿に乗せて、近くにあった楊枝ようじと共におあきちゃんに渡す。


 小皿を受け取ったおあきちゃんが、感激の声をあげる。

「へぇぇ! だいだい色の実が綺麗きれい! 寒天の中に紅葉もみじが入っているみたい!」


 そして、楊枝ようじで刺してぱくりと食べる。


 おあきちゃんが、ご満悦といった笑顔を見せる。

「甘酸っぱくて美味しい! 小三郎さんってお菓子作るの上手いんだね!」


 すると小三郎が返す。

「いやいや、俺なんざ兄貴に較べたらてぇしたことねぇよ」


 少し、笑ってそんな事を言っている小三郎の表情が暗くなった気がした。




 できあがったみかん寒天の半分はやしろに残し、半分をおしのさんの元に持っていくため、笹に包んで木の容器に入れて昨日の風呂敷で包む。


 俺は白衣袴姿のまま黒いあわせを羽織って、小三郎と一緒にやしろから出た。


 風呂敷包みを持った俺が、道すがら小三郎に話しかける。

「さっき言ってたけど、お兄さんがいるの?」


「ああ、俺は三男坊だからよ。二人いらぁ」

 そこでまた、小三郎の顔が暗くなる。そして言葉を続ける。

「上の兄貴はそつがなくてよ、頭が冴えてて算盤そろばんあきないの才があんだよ。下の兄貴は菓子作りがこれまた上手くてよ、江戸中捜してもあんな見事な菓子作れる奴ぁ、そうそういねぇよ」


 小三郎は、深くため息をついて続ける。

「でもよぅ、俺は何しても半端なことしかできなくてよ。親父は菓子の修行して上達したら暖簾分のれんわけさせてやるって言ってんだけど、菓子作りは今一いまひとつ気が乗らねぇんだよ」


 その言葉に、俺は返す。

「でもさ、絵は上手かったじゃない? 絵の修行とかならできるんじゃない?」

「あぁ? 馬鹿いえよ。絵ぇなんか描いて金にできんのはな、天賦てんぷさいのある一握りだけだぜ? 絵描きで身を立ててぇ奴が、この江戸にどんだけいると思ってんだ?」


――平成時代の漫画家志望者みたいな人が、この江戸時代にも大勢いるのか。


 俺は口を開く。

「でも、あの絵馬に描いたきつねの親子、随分と上手かったけどな。才能あると思うけど?」


「あぁ? そう言ってくれんのは嬉しいけどよ。無理だよ、俺には無理。つとめるだけ無駄だよ」

 小三郎はそんな投げやりな態度で手をひらひらさせる。


 そこで、俺はあることに気付いた。


 夢を追えないのは小三郎に取り憑いているという夢を食う妖怪、ばくの仕業なのじゃないか。


 俺は小三郎に伝える。

「あのさ。また今度、すずさんに会ってもらえないかな?」


 すると小三郎が応える。

「ああ、あの子のおふくろさんだろ? 別にいいぜ」


――え?


「おふくろさんって? どういう意味?」

「だからあの、おあきとかいう女の子のおふくろさんだろ? お歯黒してなかったのが謎だったけどよ」


――すずさんを、おあきちゃんの母親だと勘違いしてらっしゃる。


 俺は小三郎の間違いを訂正する。

「すずさんはおあきちゃんのお姉さんで、母親じゃないよ」

「そうなのか!? あれぇ? 確かに母娘おやこに見えたんだけどなぁ。やっぱ俺、人を見る目ねぇなぁ」


 小三郎は、再び深くため息をつく。


 取り憑いているばくをどうするか。そんな事を考えながら俺は、小三郎と共に京橋に住むおしのさんの家に向かっていた。


 寒さが身に沁みる、十一月の上旬の晴れた日の事であった。



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