十月の二十四日の朝の事だった。
冬の朝の冷え冷えとした晴天の下、本所のどこかではトットコトントコトンという軽快な太鼓の音がリズムよく鳴り響いていた。
立冬もすっかり過ぎた冬の日の朝に、俺は南本所を南北に貫く広い道の雑踏の中、煙草入れを
透き通るような晴天の下、二階建て木造家屋が脇に立ち並び、あちらこちらへと行きかう人の群れ成す、活気の良い冬の朝の大通りであった。
目的地は、
俺は屋次郎さんのように、
今、俺たち三人は南本所と北本所を結ぶ、
なお、江戸時代の橋の多くが大きくアーチ型に反っているのは、下を運搬用の舟が通らなければならないからであるらしい。
そして、橋を渡った北本所の南西の
左から俺、屋次郎さん、竹蔵さんの順に並んで歩いている。
右隣を歩いている屋次郎さんが、俺に語りかける。
「りょうやもよぉ、江戸に来たんだったら、
テレビモニターの中にしか相撲を見たことがない俺は、返事をする。
「相撲は、
すると、屋次郎さんが不思議そうな顔をする。
「ん?
「あ、いや、話で聞いただけだから。それより、奢ってくれるの構わないの?」
屋次郎さんを挟んで、向こう側にいる竹蔵さんが口を開く。
「りょうの字、ヤジさんはな、てめぇで相撲をみてぇだけなんだよ。
「うるせぇよ! てめぇにいわれたかねぇや!」
屋次郎さんが笑いながら、笑っている竹蔵さんの肩を軽く叩く。
しばらく行くと、勧進相撲が行われる
進む方角の遠くからは、トットントコトントットコトントンという、軽快な太鼓の音が、リズム良く聞こえてくる。
俺の時代では、そこから道路を挟んで北には両国国技館があったはずだ。つまり、江戸時代に勧進相撲が開かれていた場所が、二十一世紀でもそのまま相撲が伝統的に行われる場所として存在し、両方が歴史的に連続していることになる。
西に曲がってから道なりに1キロメートルほど歩くと、回向院の門前市となり、ただでさえ多い人が更に多くなってきた。
かなり遠くに、人ごみから高く突き抜けるような木製の構造物が見えてきた。俺はあれを、二十一世紀でも見たことがある。
「
両国国技館に設置しているような、太鼓の乗った
櫓の上からは、先ほどから朝の本所に鳴り響いていた太鼓の音が、トットントコトントットコトントンと相変わらずリズム良く聞こえてくる。相撲がこれから始まるという合図である、いわゆる寄せ太鼓というやつだ。
寺の前に伸びる道と境内を区切る土塀が眼前に続き、向こうの方に人だかりが集まっている。その場所には
屋次郎さんが、俺に声をかける。
「
「ああ、凄いね」
両国国技館に備え付けられていた
「りょうや、おめぇ、焼き芋食うか?」
「あ、いや。
俺は屋次郎さんの気遣いにお礼を言いつつ、竹蔵さんとも一緒に
潜った先には寺に向かう道があり、大勢の男達が歩いている。この時代、相撲は男が見るものだということらしく、女子供が見ることはできないものであるらしい。おあきちゃんは歩いている力士は見たことはあるものの、実際に取り組みをしている相撲は見たことはないということを、昨日教えられた。
門を潜った玉砂利の道の右側には池があり、池の手前には『日本一』と書かれた酒樽が、いくつも積み上げられている。勧進相撲が開催中であることを示す、
そして、そこから左に視線を移すと、四角い形をした高さ5メートルくらいの
なんでも、早朝から仮設して一日でバラすらしい。そして、相撲がある度にまた組むのだとか。大工である屋次郎さんの兄弟子も、組むのに加わっているのだとか。
ちなみに屋次郎さんも竹蔵さんも、共に数え年での
屋次郎さんは、
竹蔵さんは、計算が強いのと足腰が丈夫だったので、気楽な
もちろん商品が売れ残るリスクもあることはあるものの、品物が売れてしまえばそのお金はどこか上に吸い上げられる事もなく、全て自分のものになるのである。しかも税金はないので、単身者ならば月に十日も働けば、充分に暮らしていけるものらしい。江戸の人達は十二、三歳で未来をさっくり決めてしまう。そのバイタリティは見習いたい。
なお俺は、中学三年生の時に進路志望調査書に、将来の目標を書くのでさえ相当に迷ったものだ。
そういえば、中学時代の進路を考えなければいけない時期に、
そういえば、俺はなんだったのだろう。中学生の時に、どんな将来を夢見ていたのだろうか。それを思い返して、自分の偏差値と親友の進路を見比べて、高校をなんとなく決めた事を思い出した。俺はおそらく精神年齢では、屋次郎さんと竹蔵さんの二歳下どころじゃないだろう。
屋次郎さんと竹蔵さんと共に、組み上げられた建物に入る。
相撲の
入口から入ると、外から大きな建物のように見えていたのは、三階まで
既に多くの人が二階席や三階席に入っており、今か今かと相撲が始まるのを待ちわびている。見物席には観戦客が
中心には一辺およそ4メートルほどの四角い台座すなわち土俵があり、その上に円く二重に
土俵の周囲には、見物人が座るために土の上に
俺たち三人は、
見物客が次々と入口から押し寄せ、しばらくすると周囲に組まれた三階建ての見物席にも土俵周りの土間席も、人でぎゅうぎゅう詰めになってきた。ざわめきの中には、誰かが喧嘩を始めたのか怒鳴っているような声も聞こえる。江戸の男達の相当な熱気が、土俵周りに立ち込める。
いよいよ格闘選手たる力士が入場する段取りになって、相撲場の熱気は嫌が応にも上昇する。
俺が力士を見た時の第一印象、それは『筋肉ダルマ』だった。二十一世紀の相撲取りは、まあぶっちゃけ太っている。あの脂肪の下にはもの凄い筋肉が隠れているということは聞いたことはあるが、パッと見ただけでは肉は脂肪の塊にしか見えない。
しかし、今俺たちの眼前に現れた江戸時代の力士達は
小柄な人たちしかいないこの時代にこんな
土俵入りなどの様々な行事が済み、初日の第一戦が今始まろうとしていた。
四隅の柱の下にそれぞれ紋付を羽織った人が座り、烏帽子をかぶって軍配を持った行司さんが土俵にあがる。支度部屋がないのか、土俵の周囲には力士が全員座っている。
文政五年の十月場所が始まる寸前、周りの人の目線が土俵に集中しているのを見計らって、俺は黒い
俺がこの黒い
右手で取り出したスマートフォンを、すぐさま左手に持ち替え、
――周りの人に見つかったとき、上手く誤魔化せるだろうか。
と、そんな事を考えたが、それは杞憂に過ぎないことがすぐにわかった。
周りの人の視線は土俵に上がり塩を撒く力士に注がれており、妙な挙動をする俺のような観客など、見ている暇はないようだった。
行司さんが軍配を構える。二人の力士が互いににらみ合い、腰を落として仕切る。
「はっけよーい……はっけよーい……」
行司さんの言葉に、是非もなく緊張感が高まる。
俺は、画面をタップして録画ボタンを押した。
「のこった! のこった!」
行司さんが声を発すると次の瞬間には、力士と力士の筋肉と筋肉が派手にぶつかる音が、相撲場に響いていた。
本所の町に、本日の相撲の試合が終わった事を示す跳ね太鼓が響いたのは、夕七つ[午後四時ごろ]を少し過ぎた頃であった。
俺の隣を歩く屋次郎さんと竹蔵さんは、満足げな顔をしていた。俺も、あんなに相撲観戦が燃えるものだとは思わなかった。
まあ、ひょっとしたら徳三郎さんがおあきちゃんの相撲観戦は止めるかもしれないが、すずさんは楽しんでくれるだろう。こういうの好きそうだし。
そんな事を考えながら、俺は屋次郎さんと竹蔵さんと共に回向院の門前市を歩く。陽は西に傾き始め、そろそろ夕焼けになりそうな雰囲気だった。
屋次郎さんが、口を開く。
「じゃあよ、腹減ったし
確かに、朝から昼飯も食べずにぶっ続けで相撲観戦をしていたのでもうお腹がペコペコであった。だが俺は、
「
俺の問いに、屋次郎さんも竹蔵さんもゲラゲラ笑い出した。
屋次郎さんは、隣にいる俺に告げる。
「りょうや、
すると、竹蔵さんがそれに応える。
「いや、りょうの字は神職目指して修行してんだろ? じゃあ
竹蔵さんも屋次郎さんも笑っているが、
「クジラの仲間じゃないの?
「りょうの字、
竹蔵さんの言葉に、俺は驚きの声を上げる。
「えっ!?
――江戸時代は牛とかの
俺の言葉に、屋次郎さんが返す。
「まぁバチ当たるのが
次いで、竹蔵さんも口を開く。
「なんせ、ももんじは精がつくからよ。
「おっ! じゃありょうやをそのうち、
屋次郎さんのそんな発案に、竹蔵さんが笑いながら応える。
「そうだな! りょうの字もそろそろ、夜の女の遊びを知って良い
俺は、二人の提案を丁重にお断りした。
結局俺たち三人は、回向院の門前市にある食事処に入った。屋次郎さんの話によると、この店は
カウンターのようなものはなく、炊事場は食事を取るスペースとは完全に区切られているようだ。土間の上には木製の四角い長椅子に見える縁台がいくつも並べて置いてあり、何人もの男がその上で食事をしている。障子が張ってある明るい窓際には履物を脱いで上がる座敷のような高台もある。
店内を見渡した俺は、二十一世紀の食事処とは明らかに異なる特徴に気付いた。
テーブル机がない。
食事を取っている男達は、縁台、あるいは座敷の上に直接置いてある盆の上から、食器を手に持って食べている。
俺たちは、
しばらくするとタスキで着物を纏めたお爺さんがやってきて、注文をとる。向こうのほうでは、若い娘さんが食事の乗ったお盆を運んでいる。
屋次郎さんが、口を開く。
「俺は、
竹蔵さんも、それに続く。
「じゃあ、俺も同じのでいいや。りょうの字、おめぇはどうする?」
「あ、じゃあ俺も同じので」
一応すずさんから小遣いは貰っているので、俺も食事代くらいは払う事ができる。屋次郎さんと竹蔵さんは奢ってくれると言っていたが、すずさんの顔を立てて割り勘ということになった。
なお、この時代では割り勘の事を
お爺さんが煙草盆を持ってきたところ、屋次郎さんは
竹蔵さんが、俺に話しかける。
「りょうの字はよぉ、
「あっと……俺はちょっと、
すると、竹蔵さんが返す。
「そっかそっか、
「竹蔵さんは、
俺がそう話しかけると、屋次郎さんが軽快に笑ってこんなことを言う。
「りょうや、タケさんはよ、もうじき
「ヤジさん! まだ言うなっつったろ!」
その屋次郎さんと竹蔵さんのやり取りに、俺は驚く。
「竹蔵さん!? ひょっとして結婚してたの!?」
すると、屋次郎さんが返す。
「ああ、タケさんはよ、こないだの六月初めに所帯持ったばかりだぜ。隣り町のお針子の娘さんとちんちんかもかもしてたら、折れこましやがってよ」
ちなみに『折れこます』というのはこの時代の言葉で『妊娠させる』、という意味らしい。
そう言われて、俺は納得する。
「ああ、だから夏の暑い盛りに、天秤棒持って働いてたの」
竹蔵さんは、若干照れた様子になっている。
「まぁな。
――っていうか、この時代からデキ婚ってあったんだな。そりゃあるか。
俺たちが座っている座敷のすぐ横には、
その男達に、若い娘さんがお盆を持って料理を運んできた。
その内の男の一人が、娘さんの尻をするっと撫でた。
給仕の娘さんは黄色い悲鳴を上げてのけぞり、俺のいる場所に倒れ込んできたので護るように両肩を掴む。
俺にもたれかかった娘さんが、ガラの悪い男たちに対して非難の声を上げる。
「尻を触るのはおやめ下さい!」
すると、粗暴そうな男の一人が娘さんの手を掴んで引っ張る。
「いいだろ? 減るもんじゃねぇしよ。おい兄ちゃん、その女寄越せ」
男達がにやにやと娘さんの姿を目で舐めまわし、抱き寄せようとするも、俺は娘さんの両肩を掴んで離さなかった。
「ちょっと、セクハラはやめてあげてくださいよ。嫌がってるじゃないですか」
俺が娘さんの肩を抱きかかえながらそう言うと、男は娘さんの手を掴んだまま目をきっと俺に向け、そして放るように娘さんの手を離す。
そして男は、仲間に告げる。
「おい、この兄ちゃん、『せくはら』とか訳わかんねぇ事言ってっぜ。なんかの
ガラの悪い男が立ち上がり、同時に仲間らも立ち上がる。チンピラのごとく、威嚇しようとしているのだろう。
すかさず、俺も立ち上がる。このガラの悪い男達は全員が身長が160センチメートル台前半であり、俺は身長が174センチメートルある。男達は俺のでかさに一瞬たじろぐ。
「背丈あんな兄ちゃん、力士の見習いとかか?」
「さぁ……どうでしょうかねぇ……」
貧弱な二十一世紀の少年である俺は慣れないものの、娘さんのために虚勢を張って懸命に威嚇する。
後では、屋次郎さんと竹蔵さんも立ち上がったようだ。屋次郎さんが、ぽきりぽきりと拳を鳴らす音が聞こえる。
目の前の男は一息つくと、後ろにいる仲間に声をかける。
「おい、店出るぞ」
男達は食事も取らず、草鞋を履いて店を出て行った。
俺は、安堵の息を漏らすとその場に座り込んだ。
「ふぅ、何も起こらなくて良かった」
すると、屋次郎さんにこんなことを言われる。
「ははっ! りょうや、お前ぇ中々度胸あんじゃねぇか!」
そして、竹蔵さんも続く。
「まったくだぜ! りょうの字、お前ぇさんの
その後
俺たち三人は食事を済ませ、赤く染まった夕日を背に、
屋次郎さんが、俺に話しかける。
「りょうや、
「ああ、美味かったよ。クジラ食べるの、実は初めてだったんだ」
「ほう? 長崎生まれなのに
屋次郎さんが鼻をすする。
――俺の時代では、
なお、クジラといっても赤身肉ではなくて、『シロデモノ』と呼ばれる皮下脂肪を煮込んだものであった。食べたことの無い食感で、脂分が非常に美味かった。
気のせいか、人がだんだんまばらになってきた。門前市から大分離れたからだろう。
すると、後の方から何か気配がした。こないだ鼠の妖怪と戦った時のような、そんな良くない気配だった。
俺は後ろを何気なく振り返る。
「危ない!」
俺は屋次郎さんと竹蔵さんの動きを気にしつつ、身を避ける。
さっきまで俺がいたところの宙を、
「ほぅ、いい勘してんじゃねぇか」
ごろつきの男はにやりと笑うと、あとずさりする。屋次郎さんと竹蔵さんも、男に面と向かう。
「てめぇ! 根に持ってんのかこの野郎!」
屋次郎さんが叫ぶと、竹蔵さんも口を開く。
「あの野郎、
竹蔵さんの言葉に、屋次郎さんは
真正面には冬の
――太陽を背にしてこっちからは見え辛くしているのか、喧嘩慣れしているな。
ただ、刃物を持っているのは、真ん中の男だけのようだった。
と、そこで俺はある策を考えたので、隣にいる屋次郎さんに小声で伝える。
「屋次郎さん、俺が真ん中の男の目を
「お? ああ、でも目を
「手鏡を持ってきてるんだ。いち、にの、さんで目を
俺の言葉に屋次郎さんは合点がいったという顔をして、その隣にいる竹蔵さんに何かを伝える。
俺は、左の
「いち……にの……」
俺は、左の
「さんっ!」
俺は、スマートフォンの画面を反射する太陽光が、真ん中の男の目に当たるように構える。
「ぐわっ!」
真ん中の男の目の部分には四角い光が当たり、刃物を持ったまま身をよじらせる。
すかさず、駆け寄った屋次郎さんが
すると、同じく駆け寄った竹蔵さんがすかさず
「ふぅ、形勢逆転だな」
さっきまで威勢を張っていた男達は、たじろぐ。
すると誰かが呼んだのだろう、十手を持った岡っ引きが俺たちの元へ走ってきた。
「てめぇ! 御用だ! 御用だ! 神妙にしやがれ!」
俺は、安堵して口を開く。
「ああ、良かった。こっちです」
すると岡っ引きは、俺の刃物を持っている腕をがしりと掴んだ。
「刃物を持って暴れてるってのはてめぇだな! 大人しくしろい!」
「えっ! ちょっと! 違います! 俺は襲われた方で!」
俺が弁明していると、さっきの三人組が口々に叫ぶ。
「俺たちゃ、そいつに襲われたんでさぁ!」
「さっさとふんじばってくだせぇ!」
「その
その言葉に屋次郎さんは激昂し、男達の内の一人に詰め寄って殴ろうと
「ヤジさん! 殴んな! 殴ったら
岡っ引きに捕まった俺は非常に動揺していた。この時代には拷問とかもあるということを思い出し、心臓が早鐘のように鳴り響く。
すると、近くから別の岡っ引きか誰かの声がした。
「お侍さま! こちらでございます!」
その言葉を発した岡っ引きと共に、刀を二本腰に挿し羽織袴を纏った、二十代半ばくらいの
――ああ、終わった。この時代で死ぬ事になりそうだよ、ごめん葉月。
そう思ったところ、その
「む? そなたはいつかの!?」
――え?
俺はそのお侍の顔を見て、誰かを思い出した。
「あっ!? 大川端で溺れてた亀吉くんを助けた!」
――亀吉くんを、泳いで助けたあのお侍さまだ。
俺を捕まえている岡っ引きが、お侍に尋ねる。
「お侍さま、この者と知り合いで?」
「ああ、この者はな、拙者の命の恩人でな」
そういえば
そのお侍の言葉に俺を掴んでいる岡っ引きの顔色があからさまに変わり、握る力が若干弱くなる。俺を掴んでいる岡っ引きが伝える。
「お侍さま。そこの奴らは、この
すると、亀吉くんを助けた精悍な顔つきのお侍がこう言う。
「ならば、この短刀の
その言葉に三人組はやばい、といった顔をして夕日の方角に一目散に逃げていった。
二人の岡っ引きはすぐさま俺たちから離れ、その後を追いかけていく。
俺は今度こそ本当に、安心して息を吐く。
「あー、心臓止まるかと思った」
屋次郎さんが後ろから近寄ってきて、俺の肩に腕を回す。
「りょうや、お
竹蔵さんも、俺に近づく。
「情けは
「じゃあ、この刃物は俺のじゃないんで、お渡しします」
「うむ、この
お侍さまは匕首を受け取り、満足そうに頷く。
俺は応える。
「
すると、屋次郎さんが俺の
「おい、りょうや。お侍相手に
「えっ!? そうなの!?」
――名前の後に「さん」って付けるのはこの時代じゃ馴れ馴れしい呼び方なのか。
お侍は、気にしていないといった風に温厚な顔で笑い飛ばす。
「別に構わんよ。
「あ、そうですか。なんかすいません」
すると、
「改めてこの
「俺は、
俺が自己紹介と共にお礼を言うと、お侍さんは、心なしか顔を綻ばせた。
相撲観戦をした翌日の、十月二十五日朝。手習い所が休みなので、すずさんはおあきちゃんと共に西の縁側に座っていた。
俺は昨日再び手回し式充電器でスマートフォンの電源を満タンにしておいたので、すずさんとおあきちゃんの前で操作して見せた。
「じゃあ、再生しますよ」
そう言いつつ、俺はスマートフォンの動画再生ボタンをタップした。
「のこった! のこった!」
スマートフォンから音声が流れ、行司の掛け声と共に力士同士の肉弾戦の音が弾ける。
すずさんは食い入るようにスマートフォンの画面を見つめ、おあきちゃんは目を丸くしている。
ひと試合が終わり、動画再生待機画面に戻る。
俺は口を開く。
「これが回向院での相撲です。
俺が、本場所での相撲を見たことがないおあきちゃんの為にしたサービスであったのだが、楽しんでくれただろうか。
「なぁ……りょうぞう……訊いていいかい?」
すずさんが問いかけるので、俺は「何ですか?」と返す。
「おまいさん、
「りょう兄ぃ! お相撲さんを小さな板から出してあげて! 閉じ込められてて可哀想だよ!」
スマートフォンを初めて見た反応が昔の人のそれであったことに、俺は冷めた目線を向けることしかできなかった。