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第十八幕 防壁鉄鼠との戦い


 本所深川の南端には、洲崎すざきと呼ばれる砂浜がある。


 俺の生まれ育った二十一世紀ではこの辺りの遠浅とおあさうみは埋め立てられ、もっと南にある海岸線はコンクリートで固められているのであるが、文政年間にはこの海岸は実際に漁師が漁に出て生計を立てるための自然海岸となっている。


 この時代では江戸えど内海うちうみと呼ばれている、目の前に月明かりと共に広がる東京湾とうきょうわんに、時折ときおり迷い込み捕らえられたくじらをこの砂浜で解体することもあるらしい。


 未来のものと変わらないオリオン座などの冬の星座が見える澄んだ星空に、十月十五日からの満月が掛かっている深夜、俺は神職見習いの白衣袴に藍色の半纏はんてんを羽織った格好で、妖怪退治のためにここ洲崎すざきの海岸に来ていた。


 隣にはもちろん、すずさんとおあきちゃんがいる。


 人魂ひとだまのような狐火きつねびを二つかたわらに浮かせたすずさんは、いつものように白衣しらぎぬ緋袴ひばかまの巫女装束姿、おあきちゃんは赤茶色の振袖着物姿であった。


 砂浜におもむくという事であったので、俺もすずさんもおあきちゃんも足袋たびを履いている。


 寄せては返す波の音のする南を向き、高い満月が照らす海の上の揺れる光を見ていると、背中から陸風が吹き当たる。


 ざぁぁぁん ざぁぁぁぁん


 打ち寄せる波の音を傍に俺は、すずさんに尋ねる。

「すずさん、今度の妖怪は海の妖怪ですか? 海坊主とか?」


「いや、どうも海をねぐらにするやつじゃないみたいだねぇ。だからこそ、あたいに調伏の依頼が舞い込んできたのさ。海坊主とかが暴れているんだったら、本所ほんじょを任されたあたいとはお役目が違うよ」


「そうなんですか、その辺りは俺は詳しくないんですけどね」


 すずさんはお稲荷様に仕える妖狐として、本所地域にて妖怪が起こす問題を引き受ける、見廻り同心みまわりどうしんのような役目を担っているらしい。


 おあきちゃんが口を開く。

「夜の海ってちょっとだけ怖いね。りょう兄ぃ、離れないでね」


「もちろん。おあきちゃん、妖怪が現れたら気を付けて」

 俺はおあきちゃんの傍で、そう問いかけに応える。


 そして、すずさんは両手で印を結び、妖怪を呼び寄せる呪文を唱える。


 しばらくすると、波の音の響く闇の中から、大きさ30センチメートルくらいの獣が現れた。


 しゃりしゃりと近づいてきたそれは、猫ほどの大きさのあるドブネズミのような生き物であった。しかし、ドブネズミにしては大きすぎる。


 いきなり、そのねずみは大口を開ける。


 口がワニのように横まで裂け、その内側にはサメのような仰々しいのこぎりの刃のごとき歯がいくつも生え、上顎うわあごにはとりわけ大きな一対の牙が生えていた。相当に凶暴そうなねずみだった。


 すずさんが、俺に伝える。

「どうやら鉄鼠てっそのようだね。りょうぞう、かじられるんじゃないよ。腕の骨くらい容易たやすく噛み千切るからさ」


――頼まれたって、えてかじられたりはしたくない。


 すずさんは左掌ひだりてのひらをすっと前に掲げ、鉄鼠てっそに向ける。

「どれ、動きはどうだい?」


 ひゅん


 すずさんのてのひらから炎の玉が打ち出され、鉄鼠てっそに一直線に向かう。


 ぶつかる直前で、鉄鼠てっそはすばやく身をかわした。遠くの砂浜で炎が弾け、消える。


 すずさんが、口を開く。

「中々素早いねぇ、二発ならどうだい?」


 すずさんが、左手の前に二つの火球を浮かばせる。そして、すずさんが気合を入れた声を出す。


「せいっ!」

 ひゅん ひゅん


 二つの火球が続けざまに、わずかにずれた方角から鉄鼠てっそに迫る。


 しかし、鉄鼠てっそは完全に見切っているかのように、猫くらいの大きさはあろうかというのに鼠の俊敏さにて動き、二つの火球を避けてしまった。


 火球が砂浜に当たると炎は赤く弾けとび、瞬く間に消滅する。


 すずさんが両掌りょうてのひらを立てて、鉄鼠てっそに向けた。

「なら、これでどうだい!」


 立てた両掌りょうてのひらの前に、長い棒状の炎が浮かび現れる。長さは6メートルはありそうだ。赤い棒状の炎は今度は縦に長くなり、板のような壁になった。


「せいっ!」


 すずさんのげきと共に炎の壁が、鉄鼠てっそを包み込むかのように突進する。


 めらめらと燃える炎の塊は鉄鼠てっそを巻き込み包み、周囲を炎に飲み込んでしまった。


 俺は倒したのかと思い、叫ぶ。

「やった!?」


 すると、すずさんが返す。

「いや、あやかしの気配は消えてない。まだ、生きているよ」


 すずさんが、冷や汗をかいたような気がした。


 砂浜の上の炎が鎮まると、そこには相変わらず鉄鼠てっそが何事もなかったかのように構えていた。


 すずさんはたもとの影から薙刀なぎなたを出し、柄を握り締めて鉄鼠てっそに向かう。


 俺はおあきちゃんの手を取り、いつものように拳銃ベレッタに変化してもらう。


 すずさんが、鉄鼠てっそに向かって薙刀なぎなたの刃を容赦なく振り下ろす。


 ガッキーン!!


 金属同士を打ち鳴らすような音がし、俺は驚きと共に敵の妖怪を見る。


 鉄鼠てっそを守るように半球状の半透明バリヤーが現れ、すずさんの振り下ろした刃を防いでいた。


 金属を打ち据えた感触に戸惑ったすずさんは、油断したのだろうか一瞬だけ動きが止まった。バリヤーを解いた鉄鼠てっそは、瞬く間に、地面から薙刀の柄、柄から手、手から腕、腕から肩へと飛び移った。


 がじり。

「あぁぁぁぁっ!!」


 鉄鼠てっそがすずさんの肩を、肩甲骨ごと食い千切ってすずさんが悲鳴を上げる。すずさんは太い血管を損傷したのか、血がどくどくと溢れ出す。


「すずさん!」


 俺はそう声を出すと、拳銃ベレッタを構えて叫ぶ。

「おあきちゃん! 変化へんげしなおして!」


 すると、目の前に構えてある拳銃ベレッタにレーザーポインターが現れた。


 外してはいけない。すずさんに当てたらすずさんが死ぬ。そして何もしなくても死ぬ。


 俺は慎重に鉄鼠てっそに赤いレーザー光を当て、トリガーを引き絞った。


 タン!


「ぎゅぅぅぅぅ!」

 上手く鉄鼠てっそだけに当たってくれた。鉄鼠てっそがすずさんの肩から砂浜に崩れ落ちる。


 タン! タン!


 俺は拳銃ベレッタを撃って鉄鼠てっそを威嚇しながら、すずさんに駆け寄る。鉄鼠てっそは、すずさんから離れる。


 すずさんの傍に駆け寄った俺は、叫ぶ。

「おあきちゃん! すずさんを治して!」


 すぐさま、拳銃ベレッタがおあきちゃんの姿に戻り、膝をついたすずさんの肩に手をかざす。すると、さっきまで血がどくどくと溢れ出ていた肩は、肉と骨が形成されて瞬時に再生した。


 しかし、巫女装束の白衣しらぎぬは戻らないので、肩の部分だけ破け露出した格好になっている。


 俺は羽織っていた半纏を脱ぎ、すずさんに渡す。

「すずさん、これを」

「ああ、済まないねぇ。……りょうぞう! 鉄鼠てっそはどこだい!?」


 半纏を受け取る前にすずさんが立ち上がり、辺りを見回す。


 俺も見回すと、鉄鼠てっそがいない。どこかに逃げてしまったのか?


「いえ!? 逃げたんでしょうか!?」


 すずさんが良くないことになったという顔になりつつ、半纏を肩にかける。

「いや、気配は消えてないよ。どこか、その辺にいるよ」


「おあきちゃん、念のため拳銃に変化へんげしておいて」


 俺の言葉におあきちゃんはこくりとうなずき、拳銃ベレッタに化け、俺の手の中に納まる。


 俺とすずさんは互いに背中を合わせ、臨戦態勢をとる。どの方角から鉄鼠てっそが襲ってきても、対応しなければならないからだ。


 三十秒くらい経ったろうか、俺が言葉を発する。

「すずさん、敵のいる方角はわからないんですか?」


「どうにもわからないねぇ、遠いような、近いような、だけど殺気だけは感じるよ」


 再び沈黙。砂浜を照らしていた空の満月の光が、雲に隠れる。


 殺意は不意に襲ってきた。


 ザシュリ!!


 鋭い痛みを感じた俺は足元を見る。砂の中から現れた鉄鼠てっそが、俺の右足の甲の前半分を食い千切っていた。


「がぁぁっ!!」

 俺はバランスを崩し倒れかける。激痛の中、俺はかかとでバランスを保ち、足元にいる鉄鼠てっそに銃口を向け引鉄トリガーを引き絞る。


 タタタン!!


 しかし三発の銃弾は、かかかきん! といった乾いた金属音と共に、半球状のバリヤーに防がれ宙に留まる。おあきちゃんの妖術として役目を終えた弾丸は、妖力を失い虚空に掻き消える。


 鉄鼠てっそがぐわっと口を開けてギザギザの歯を見せ、次は俺のすねをかじろうとする。


 しかし次の瞬間にすずさんがいだ薙刀なぎなたの刃が、鉄鼠てっその体を打ち据えた。

「ぐぎゅぅぅぅぅ!!」


 鉄鼠てっそがゴルフクラブで打たれたボールのように、明後日あさっての方角に飛んでいく。


 俺は右足を負傷し、砂地に左膝をつく。


 すると拳銃ベレッタに変化していたおあきちゃんが、女の子の姿に戻る。

「りょう兄ぃ! すぐ治すから!」


 おあきちゃんが俺の右足の甲に手をかざすと、噛み千切られた俺の足が再生する。足袋の前半分が食い千切られているので、右足の指全てがあらわになった。


「おあきちゃん! 危ないからすぐに銃の姿に化けなおして!」


 俺が叫ぶとおあきちゃんはすぐさま俺の手をとり、拳銃ベレッタの姿に化ける。


 鉄鼠てっそは砂浜に投げ出されると、すぐさま体勢を立て直し砂の中に潜る。


 あいつのもう一つのじゅつは、砂浜に潜ることができるというものだ。いつ、足元から襲ってくるか判らない。


「りょうぞう! 鉄鼠てっそはまた、砂に潜ったよ! 用心しな!」


 すずさんのその言葉に、俺はふと思いついたことを尋ねる。

「すずさん! おあきちゃんって砂には化けられますか!?」

「砂ぁ!? いや、試した事はないけどさ! 火薬ひぐすりに化けられるからおそらくいけるだろさ!」


「おあきちゃん! 聞いた!? 大量の砂に化けて!」

 俺がそう言って拳銃をぽいっと放り投げると、おあきちゃんの化けた拳銃は放物運動を描きながら一斗いっと、すなわち18リットルほどの砂に変わり、砂浜に広がる。


「すずさん! おあきちゃんの化けた砂の上に乗っかってください!」


 俺が言葉を発すると、すずさんは俺と共にこんもりとした砂の上に足を運ぶ。


 再び俺はすずさんと背中を合わせると、後ろから声をかけられる。

「りょうぞう! おあきを砂なんかに化けさせてどうするつもりだい!?」

鉄鼠てっその動きをしばらく止めます! その間に、すずさんが炎で攻撃してください! おあきちゃんは、俺が合図したら、俺が思っているものに変化へんげして!」


 俺は、半分だけ破れた足袋の穴から出た足の指先で砂に触れている。触れているので、俺が思ったものに化けられるはずだ。


 それから二十秒も経っていなかった。鉄鼠てっそは再び足元の砂地から現れ、今度は俺の左足の甲をがぶりという音と共にほとんど噛み千切ってしまった。


「がぁぁぁぁ! おあきちゃん! 化けて!」

 俺が叫んで合図すると、足元の砂は鉄鼠てっそを捕らえる罠に変化へんげした。


 ガシャン!


 ばねが縮む音と共に、鋭い金属の爪が動物の肉を挟む音が響く。


 猪や鹿の足さえも捕らえられそうな巨大なトラバサミが、鉄鼠てっその体を金具の間に挟んでいた。


「すずさん!」

 俺は、すずさんに呼びかける。


「任せな!」

 すずさんは罠に挟まった鉄鼠てっその胴体を、薙刀なぎなたを持っていない左手でがしりとつかむ。


「燃えちまいな!」


 トラバサミの金具に挟まったままの鉄鼠てっそは、炎に焼かれ、ぶすぶすといった音と共にもがく。


 しかし、おあきちゃんが変化を解いてしまった。女の子の姿になったおあきちゃんは、俺の近くでしゃがみ、俺のほとんど無くなっていた左足の甲を治した。


「おあき!」

 すずさんが叫ぶと、すずさんの片手の力だけで制されていた鉄鼠てっそは、身をよじらせ砂地に降り立ってあっというまに砂の中に潜る。


「ごめん! すず姉ぇ! りょう兄ぃが痛そうだったから! 我慢できなくて!」


 おあきちゃんが叫ぶと、すずさんが応える。


「……怒ってなんかいないよ! それより、身を守りな!」

 すずさんが再び薙刀なぎなたを握りしめ、砂浜に向かって構える。俺も、再びおあきちゃんに拳銃ベレッタになってもらう。


 しかし、鉄鼠てっそは三十秒経っても、一分経っても現れなかった。


 俺はすずさんに尋ねる。

「襲って来ませんね?」


「おそらくは、さっきので懲りたんだろうさ。二人一辺に食い千切るのは分が悪いとかで、離れたところを襲うつもりなのさ」


 その言葉に、俺はある策を考え付き、すずさんに伝えた。




 西に傾きはじめた満月の光を正面に仰ぎ、俺は一人で砂浜の上を駆けていた。手にはおあきちゃんが化けた刀を持っており、肩には半纏はんてんをかけている。


 あの鉄鼠てっそは、さっきトラバサミに挟まれたのを警戒して、俺が待ち構えている所は襲ってこないはずだ。そう思っての行動だった。


 月の光が浮かび上がらせた影は、俺の背中から砂浜に伸びている。


 俺は立ち止まる。そして大きく呼吸をし、耳を澄ます。


 がさり

 後の方から砂がすれる音がしたと思い振り向く。


 鉄鼠てっそが砂から現れ、俺の頭めがけて飛びかかってきた。


 俺は瞬時に刀を振り、鉄鼠てっそを切りつける。


 ガキン!


 宙にいる鉄鼠てっその周りを球状のバリヤーが覆い、刃を防ぐ。


 鉄鼠てっそはすたりと砂地に降り、そのワニのような裂けた口を大きく開けた。


――今だ!


 俺は、肩にかけていた半纏はんてんを掴み足元にいる乱暴に鉄鼠てっそに被せる。ほんの少しだけ、鉄鼠てっそが油断してくれればそれでいい。


 俺は刃の切っ先を下に構え、足元の膨らんだ半纏に振り下ろす。


 ガキン!


 半球状のバリヤーが鉄鼠てっそのいる半纏の膨らみの周囲に現れる。


 鉄鼠てっそが身をよじらせ、半纏はんてんの布の中から爛々らんらんとした顔を出す。そして機を見出した俺は叫ぶ。

「今です!」


 半纏はんてんの影の中からすずさんの両手がぬっと現れて、今度は逃さないようにと鉄鼠てっその胴体を、しかと掴んだ。


「つーかまーえたー」

 すずさんの声が半球状のバリヤーの中から木霊する。その半透明の防御壁は衝撃は防ぐもどうやら音はさえぎらないようであった。もはや鉄鼠てっそに逃げ場はない。


 すずさんが言葉を続ける。

「今度こそ、燃えちまいな!」


 すずさんの両手から出た炎はゼロ距離で鉄鼠てっその全体を赤く包みこみ、ぶすぶすという音を出す間もなく、あっというまに燃やし尽くしてしまった。


 十秒ほど経っただろうか、鉄鼠てっそは、もとがなんの動物だったのかわからないような消し炭になってしまった。


 半纏の燃えカスの影から、にゅるりとすずさんの体が現れた。手には消し炭になった鉄鼠てっそを掴んでいる。


 そして、消し炭の中からは一際大きな光点が、しゅっと現れた。調伏が完了したという事だ。


 すずさんは、白衣しらぎぬの片方の肩の部分が破れ半分あらわになったふところから和紙を取り出し、その光点をうやうやしく折り畳み包んだ。


 肩を片方、色っぽい感じでせた格好になっているすずさんが口を開く。

「ふぃー、今回は中々大変だったねぇ。白衣しらぎぬなんか、肩のところぼろぼろだしさ」


 その言葉に俺は返す。

「とりあえず、すずさんの着物はおあきちゃんに化けてもらったらいいと思いますよ。俺はまあ、裸足はだしでも帰れます」


「そうかい? それならいいけどさ。江戸の町にはどこに犬のくそが落っこってるかわかんないからさ、用心しなよ? 足元くらいは照らしてやるけどさ」

 すずさんが、口角を上げてにっと笑う。


「まあ、気をつけます」

 俺は、あわせて笑う。


 十月の満月は、二十一世紀と変わらず彼方かなたまで広がる冬の海を、水平線の向こうまで明々あかあかと照らしていた。


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