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第十五幕 水大蝦蟇との戦い


 九月の十五日から日付が変わっての深夜。夜空に明るく輝く満月は、白磁はくじのような月笠つきがさかぶり、湿り気を帯びた秋の夜の空を静かに照らしていた。


 俺は神職の見習いらしく白衣びゃくえはかまを身に着けて、頭には徳三郎さんから借りた付けまげをつけている。


 付けまげはしっかりと取り付けてあるので、そうそうは外れないだろう。ただ、足にはグレーのスニーカーでなくて江戸時代らしく足袋たびを履いている。


 すずさんはいつものように巫女装束である白衣しらぎぬ緋袴ひばかまを、そして、おあきちゃんはいつもの赤茶色の着物の上に綿入れと呼ばれる上着を着ている。


 俺の影の中には例によって例のごとく、二十一世紀から持ってきたスポーツバッグとナップサックが入ってある。


 深夜おそらくはうしの刻[午前二時ごろ]に、俺とすずさんとおあきちゃんの三人は稲荷社いなりやしろからずぅっと北、墨堤ぼくていと呼ばれている大川おおかわつつみの上にいた。


 土でできた堤防には桜が沢山植えられているものの、今の季節は晩秋であり、夏らしい緑の葉桜はざくらから秋らしく桜紅葉さくらもみじにすっかりと色づいていた葉っぱが落ちていて、地面をくすんだくれないのモザイクでいろどっている。


 ここは本所の北の果てに近く、人が住んでいる事を示す灯篭とうろう提灯ちょうちんの明かりは遠く南の方にぼんやりとしか見えない。


 周囲には田んぼが多く、稲を刈った後の田園が広がっている。


 俺たち三人は、足元に注意しつつ月明かりのもと多くの紅葉もみじが散る墨堤ぼくていから、河川敷かせんじきに降りる。


 近くには、昼間にはおそらくお茶屋を開いているのであろう小屋がある。


 両脇に狐火を携え、炎の灯を空中に浮かばせているすずさんが、俺に伝える。

「こんな夜更けだし、茶屋には誰も人はいないようだね」


 俺は返す。

「ええ、未来にある二十四時間営業のお店じゃなくて良かったです」


 おあきちゃんはというと、すずさんの穿いている緋袴をぎゅっとつかんでいる。

「すず姉ぇ、あやかしの気配はするの?」


「そうだねぇ、何かはまだわからないけど、いるのは間違いないようだねぇ」


 すずさんの言葉に、おあきちゃんは緋袴を掴んでいた手を離して俺に近寄り、その小さな両手で俺の右手をしかと握る。


「りょう兄ぃ、いつでもあたしが武具になるからね」

 おあきちゃんに応えるように、俺も右手で手をぎゅっと握り返す。


 すずさんが印を結び、何かの呪文を唱え妖怪を呼び寄せる。


 そしてその妖怪は月明かりの下、闇の中からのそりのそりと這い出るように現れた。


 その陰気な闇の中から現れた妖怪は、頭から尻までの大きさが2メートルはゆうにあろうかという、巨大な蝦蟇蛙がまがえるであった。俺は、ゲームのモンスターで似たようなのを見たことがあるのを思い出した。


 すずさんが得心がいったような顔をする。

「ふむ、大蝦蟇おおがまみたいだね。こいつは放っておいたら雨を長引かせて、疫病えきびょうを流行らせたり作物さくもつを駄目にしちまうんだよ」


 そのすずさんの声が聞こえているのか聞こえていないのか、巨大な蝦蟇蛙がまがえるは、げろりと顎下を膨らまし大きく鳴いた。


 すずさんが右のたもとから薙刀なぎなたを出し、流れるような仕草でつかを握り構える。そして左掌ひだりてのひらを開き、蝦蟇蛙がまがえるに向ける。


 ばひゅん! という音を立てて火球が撃ち出され、蝦蟇蛙がまがえるに激突する。しかし蝦蟇蛙がまがえるは火球の炎なぞなかったかのように、効いていないかのようにげろりと音を出して口を開ける。


「りょうぞう! 鉄砲で撃ってみな!」


 そうすずさんが言ってすぐにおあきちゃんが変化して、俺の右手にはオートマチック拳銃ベレッタが握られる。俺は巨大な蝦蟇蛙がまがえるに照準を合わせて引鉄ひきがねを絞る。


 タタタン! という音がして弾丸が三発発射されたところ、その全弾が命中したようであった。


 ボシュ! ボシュ! ボシュ!


 しかし、弾丸は水の塊を通り抜けるかのごとく蝦蟇蛙がまがえるに波紋を生じさせ通り抜ける。まったく効いていないようであった。


「ぐえっ! ぐえっ!」

 蝦蟇蛙がまがえる浩然こうぜんと泣き喚く。そして、口からいきなり10メートル以上あろうかという長い舌を伸ばした。


 間髪を入れるすきのないくらいのあっという間だった。蝦蟇蛙がまがえるの伸ばした長い舌は、おあきちゃんの化けた拳銃ベレッタに巻きつき強靭な力で引っ張る。そして不意をくらった俺は力を入れる間もなく、手からは拳銃ベレッタが離れてしまい蛙の腹の中へと向かっていった。


「おあきちゃん!」

 俺は叫ぶ。


 ズバリ!


 瞬きもしないうちにすずさんの薙刀なぎなたが、肉を切り裂く音を立てて蝦蟇蛙がまがえるの舌を切断していた。


 すずさんにげきを飛ばされる。

「間抜け! なにぼうっとしてんのさ!」


 拳銃ベレッタの巻きついた蝦蟇蛙がまがえるの舌の切れ端は、地面にふわりと落ちるとぱしゃりという音を立てて水に変わった。


 おあきちゃんが変化を解いて、元の女の子の姿に変わる。


「すず姉ぇ、あぶなかったね」


 薙刀なぎなたを構えたすずさんが再びげきを飛ばす。

「りょうぞう! おあきを手放すんじゃないよ! あいつは音に応えて舌を伸ばすみたいだからさ!」


 そしてすずさんは、薙刀なぎなたを振りかぶり蝦蟇蛙がまがえるに音を立てずに疾風のごとく駆け寄る。


 一歩、二歩、三歩、四歩と獲物を狙う猛獣のように蝦蟇蛙がまがえるに近寄ったすずさんは流れるような動作で薙刀なぎなたを振るい、斬り付ける。


 ずばり! と先ほどのような肉を切り裂くような音と共に蝦蟇蛙がまがえるの胴体が切り裂かれる。しかし蝦蟇蛙がまがえるは、おのれの体の肉がざっくりと二つに裂けたことなど気にもしてないように大きく鳴き声を上げる。


「げぇっ! げぇっ! げぇっ!」


 大きな裂け目ができた蝦蟇蛙がまがえるは、その裂け目から水の塊を出し、すずさんの頭を閉じ込んでしまった。つまり、すずさんの首から上がまるごと水の塊の中に入り込んでしまった。


「がぼっ! がぼっ!」


 すずさんは水の塊に顔を包まれ、口から大量のあぶくを吐き出している。


――まずい、窒息させられる。気を失ったら狐火も使えない。


 その様子を見て、蝦蟇蛙がまがえるはたくましい後ろ足で大きく跳躍しすずさんから離れる。


 緊急事態を察知した俺は、おあきちゃんに別の道具に変化してもらい、すずさんの下へ急いで駆け寄った。


「すずさん!」

 すずさんに駆け寄った俺は、すずさんの顔を包んでいる水の塊に手を突っ込む。そして水で窒息しかかっている、すずさんの口に道具をふくませる。スキューバダイビングなどで使う弁付きのシュノーケルだ。


 シュノーケルは充分に長いので、空気口は水の塊の外側まで届く。呼吸を確保したすずさんは、落ち着いて空にある月の明かりとは反対側にてのひらを向けて影をつくる。そしてその影とすずさんの顔を包んでいる水の塊を接触させ、あっというまに水をてのひらの影の中に吸い込ませてしまった。


「すずさん! 大丈夫ですか?」


 俺が尋ねると、すずさんはシュノーケルを口から外して応える。


「ああ、平気さ」


 シュノーケルがおあきちゃんの姿に戻る。そしてすずさんは言葉を続ける。

「だけどあの蝦蟇がま、どうやって退治しようかねぇ。見た所、鉄砲も効かない、炎も効かない、薙刀なぎなたも効かないようだしさ」


 そこで俺は考える。水の怪物を倒す場合には、凍らせてからというのが定石だ。


 どこかの冷凍室へ連れて行って――

 冷凍室なんかあるものか。


 では、電気分解して水素と酸素に――

 電力が確保できない。


 俺が考えていると、すずさんが叫ぶかのように声を発する。

「ああいうのはね、沸かして湯気にしちまえばいいんだよ!」


 なるほどそうか。しかしこんな川辺でどうやって沸騰させれば――


 そこで、俺は以前テレビでやっていた湯を沸かす方法を思い出す。

「すずさん! 焼けた石ってすずさんの妖術で作れませんか!?」


「焼けた石ぃ!? そんなの、そこらにある石を炎で熱すれば容易たやすく作れるよ? あの蝦蟇蛙がまがえるの体の中に入れてやろうってことかい?」


 そう、宙を飛ぶ炎なら蝦蟇蛙がまがえるの内部まで熱は通らないが、熱量をたっぷりたくわえた赤く焼けた石なら充分に沸騰させることができる。


 15メートルほど離れたところにはあの蝦蟇蛙がまがえるがいて、俺たちをじっと見ている。


 すずさんが立ったまま、足元に転がっている大きさ20センチメートルほどの石に上から手をかざすと、その石の周りを炎の渦が駆け巡り、みるみる灰色だった石の様子が熱を持った赤色に変わる。


「なるほどねぇ。こいつをあの蝦蟇蛙がまがえるの傷口のなかにねじ込んでやったら良いってことだねぇ」


 すずさんが舌をなめずる。


 すると、蝦蟇蛙がまがえるはその様子を見て不穏な空気を察知したのか、両前足を天に掲げ、大きく泣き喚く。


「げこっ! げこっ! げこっ!」


 蝦蟇蛙がまがえるが、月の白い光をプリズムのように分ける虹色の息を吐き出したと思ったら、瞬く間に霧が立ち込め、月光を浴びた白い霧の中に蝦蟇蛙がまがえるの姿が消えてしまった。1メートルどころか、50センチメートル先も見えないくらいの深い霧だ。


 すずさんが叫ぶ。

「ちぃっ! これは、大蝦蟇おおがま本来ほんらいすべだよ! りょうぞう! 離れるんじゃないよ! 舌が伸びてくるから……」


 その言葉が終わるが速いか、霧の中から飛んできた舌がすずさんの右腕に巻きつき、すずさんを引っ張る。


「すずさん!」

 俺は、咄嗟に宙に浮いたすずさんの左腕を引っ張る。すると蝦蟇蛙がまがえるの舌はすぐさまほどけて霧の中に消えていった。


 すずさんが、どさりと地面に落ちて腰をつく。そして言葉を発する。

「二人一辺には食おうとしないみたいだね。一人ずつ寄せて片付けるつもりだね」


 すずさんがはかまの泥を払って立ち上がると、おあきちゃんが提案を出す。

「すず姉ぇ! あたしが焼けた石になってわざと食べられるよ!」


 その言葉に、すずさんがすぐさま否定する。

「おあき、胃袋に入っちまったら術が解けるかもしれないんだよ? そんな危ない目にはあわせられないよ」


「俺も同意見だよ、おあきちゃん。おとりが必要なんだったら俺がなるから」


 すずさんと俺の言葉におあきちゃんはしぶしぶうなずく。


 俺は作戦を考える。あの蝦蟇蛙がまがえるに、なんとか焼けた石を食わせるには――


 そして、俺は思いついた作戦をすずさんに伝えた。





 俺はすずさんの傍でおあきちゃんの化けた銃を構えていた。上空に銃口を向けて引鉄ひきがねを引く。


 タタタン! という軽快な炸裂音が夜霧の中に響く。


 銃はここにあるぞ、武器はここにあるぞ、という蝦蟇蛙がまがえるへの誇示であった。


 おまえは、おそらく音を出すこの銃を飲み込みたくて飲み込みたくてしょうがないのだろう。飲み込んでみろ、霧の中から舌を出して飲み込んでみろ!


 霧の中から舌がひゅるりという風切り音と共に伸びてきて、銃に巻きつく。


 かかった!


 蝦蟇蛙がまがえるは、舌の筋肉を収縮させて舌が巻きつけた銃を飲み込もうとする。


 しかしここで飲み込むのは銃でない。スポーツバッグから取り出し、銃に巻きつけてあったハンドタオルだ。


 銃をすっぽりと覆うように巻きつけてあったハンドタオルは、かえるの粘着性ある舌にからみつき、銃からほどかれ長い舌に引っ張られて夜霧の中に消えていった。


 おそらくあの蝦蟇蛙がまがえるは、即時にハンドタオルを飲み込んだところだろう。


 俺は隣にいるすずさんに叫ぶ。

「すずさん! 術を解除してください!」


「あいよ!」

 すずさんは目をきっと睨ませる。


 あのハンドタオルを飲み込んだのなら、仕込んであった罠が術の解除とともに発動するはずだ。


「ぐえぇぇぇぇぇ!」


 夜霧の中からかえるの悲鳴が聞こえる。周囲の光景が白く溶けた世界から満月の明かり照らす開けた河原に変わった。


 8メートルほど離れた場所にいた蝦蟇蛙がまがえるは、内部から熱せられたようにぶくぶくと表面が泡立っていた。


 あの蝦蟇蛙がまがえるが飲み込んだハンドタオルの影には、すずさんの妖術で赤く焼けた石を潜ませてあったのである。


 すずさんが術を解除し、ハンドタオルの影からちりちりに熱せられた石が出てきて、蝦蟇蛙がまがえるは内部から沸騰しているのである。


 蝦蟇蛙がまがえるは俺たちをにらむ。

「ぐえぇぇぇ!」


 最後の力を振り絞ったのか、蝦蟇蛙がまがえるの術は再び辺りを夜霧に包んだ。白い霧に紛れて逃げるつもりか、それとも決死の覚悟で俺たちをあやめようとしているのかは分からない。しかし、そのどちらもすずさんは許しそうにはなかった。


 俺はおあきちゃんの手を取る。

「おあきちゃん! 変化して!」

「うん!」


 おあきちゃんはそう言うが早いか、俺の思い描いた道具に変化へんげする。


 かえるは両生類で変温動物だからさっきまでは使えなかったが、焼けた石で充分に体温が上昇した現時点なら使えるはずだ。


「すずさん! これをかぶってください!」

 俺は、その道具を隣にいるすずさんの頭に取り付ける。


 おあきちゃんの変化した道具は、体温を赤く表示してくれるサーモグラフィ機能のついた赤外線スコープだ。すずさんはスコープを頭にかぶり、口元をにやりと歪めたようであった。


「おうおう! こりゃ都合つごうい道具だねぇ! 蝦蟇がまの姿がまるわかりだよ!」


 すずさんはさっきまで蝦蟇蛙がまがえるがいた方向とは左に90度ずれた方向、俺のいる方向とは反対側の上空に薙刀なぎなたを突き上げると、ざくりという音と「ぐぇっ!」という鳴き声が夜霧の中に響く。


――そんなに近くに来ていたのか。


 薙刀なぎなたの先に巨大な蝦蟇蛙がまがえるを刺し上げ掲げつつ、すずさんは叫ぶ。

「傷口から炎を注いでやるよ!」


 赤外線スコープをつけたすずさんは、薙刀なぎなたを介して薙刀なぎなたの刃に刺さった蝦蟇蛙がまがえるに溢れんばかりの熱量を注ぎ込む。蝦蟇蛙がまがえるの体表面がぶくぶくと沸き立ち、悲痛な叫びをがなり立てる。


「ぐぁっ! ぐかっ! げげぇ!」


 術が解けたのか霧も晴れ大気がクリアとなる。すずさんの持つ薙刀なぎなたの先に刺さったままの蝦蟇蛙がまがえるは、ぼこぼこと泡を立てて沸騰している。


 そのまま一分くらい経っただろうか。蝦蟇蛙がまがえるはしなびた干しかえるになり、その干物ひもののような体の腹が破れ、すずさんの妖術で赤く熱せられていた先ほど石がごろりと地面に落ちた。


 蛙の巨大な干物からは命の明滅が蒸発している。妖怪退治が完了したということだ。


 すずさんが赤外線スコープを外すと、その道具はおあきちゃんの姿に戻る。


 一際大きな光点、つまり大蝦蟇蛙おおがまがえる御魂みたまが蛙の巨大な干物から現れた。すずさん手で手繰るように御魂みたまを操作して、懐から出した和紙で大切なものを扱うかのように閉じ込み畳む。


 すずさんが口を開く。

調伏ちょうぶく、終わりだね」


 この場所は数日前にお祓いを頼まれた場所であり、いずれ徳三郎さんがここに来てお祓いをする手筈てはずとなっている。


 そして、お足として稲荷社いなりやしろ金子きんすいただくことになる。


――俺も、少しぐらい権利を主張してもいいよな。


 俺は、今度すずさんにお小遣いを要求してみようと思った。


 せっかくの江戸時代だし、いつ帰れるかわからないから色々みて回りたい。


 いつか未来で、何もかも話せる相手に思い出話ができるように――



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