この夜は、八月の十五日からの深夜であった。
空にある仲秋の名月は、俺たち三人を煌々と照らしていた。暦がずれている関係で、江戸時代のお月見の日は九月ではなく八月の満月の日らしい。
白衣に緋袴の巫女装束を着たすずさんは、今回は家の物置から引っ張り出してきた薙刀に短刀、弓矢、それから徳三郎さんの部屋にいつも飾っている虎徹という日本刀を、巫女服の袂の影の中に隠している。
俺は巫女さんの従者らしく、神職風の白衣と藍色の袴を身に着けている。足には二十一世紀のグレーのスニーカーを履いているものの、後頭部には付けまげを付けている。おあきちゃんは、いつもの赤茶色の振袖着物を着ている。
ここは深川から小名木川を越えた北、南本所と呼ばれる地域の東の方にある廃寺である。
空では雲が風を受け、月影を時折隠しつつ流れている。
俺はすずさんに尋ねる。
「すずさん、ここですか？ 妖怪が現れたのって？」
「ああ、感じるねぇ。妖の気配をぴりぴり感じるよ」
何でもすずさんは妖狐の情報網を通じて、この廃寺を塒にしていて気ままに無辜の民を殺す、といった悪さをする妖怪の存在を教えられたのだとか。
屋根のある土塀が敷地を取り囲み、椿だか榊だかの常緑樹があり、広葉の茂った枝が塀の上を越えて外へ突き出ている。
目の前にあるお寺と思しき建物の、朽ちかけた扉の向こうにがらんどうの本堂が見える。
俺は確認する。
「あの兎の妖怪じゃなかったら、俺も退治に参加するんですよね？」
なお、葉月のバレー部合宿用荷物は何かの役に立つかもしれないということで、神社を出る前にすずさんの妖術で俺の影の中に入れてもらってある。
すずさんが俺たちに話しかける。
「ああ、あたいの武具は袂の影に隠してあるからさ。おあき、りょうぞうの手をとりな」
「うん！」
おあきちゃんが返事をして、俺に近寄り手を握る。
「りょう兄ぃ。刀を思い浮かべてみて」
おあきちゃんのその言葉に、俺は日本刀を思い浮かべる。
すると、おあきちゃんの姿が即座にその刀身が三尺、つまり９０センチメートルほどの日本刀に変わった。
剣道など中学や高校の体育の授業でしかしたことはないが、真剣を持っているという事実は若干に俺を安心させた。
俺は、時折雲間から現れる月の光を刃で冷たく反射する日本刀の、柄の部分を握って構え、腹を決めて声を出す。
「諸事万端です」
すると、すずさんが応える。
「じゃあ、呼び寄せるよ」
すずさんが手で印を結び、何やら呪文を唱える。すると本堂の軒下の朽ちた高欄ある縁の下から、のそりのそりと何ものかが現れた。
１０メートルほど向こうにいるそれは、体長四尺、つまり１２０センチメートルくらいの大きな猪であった。
しかし、一目で普通の猪ではないことがわかる。鋭く切れた赤く光る目が四つもあり、口から飛び出した牙が上下左右合わせて八本もあった。
すずさんが口を開く。
「ふむ、猪神かい？ ちぃと厄介かもねぇ」
すずさんが、左手を開き猪神に向ける。
そして、開けた地面にいる猪神に炎の塊を撃ち出した。
続けて何発か火球を打ち出し、猪神に浴びせる。猪神にぶつかった火球は赤く飛び散り、周囲をめらめらと焦がす。
猪神を包んだ炎が燃え盛っているというのに、本体にはまるで効いていなかった。
すずさんが口を開く。
「ふむ、やはり猪神は皮が厚いから、炎なんて効かないようだねぇ」
俺は尋ねる。
「じゃあ、どうするんですか？」
すずさんは問われるが早いか、袂の影から薙刀を出し、流れるような仕草で柄を掴み構えた。
「決まってんだろさ！ 皮を刻んで、そこから炎を流せばいいんだよ！ あたいに続きな！」
すずさんが、薙刀を掲げて猪神に突進する。俺も、日本刀を構えて後に続く。
日本刀を構えた俺は突進するも、猪神は動かない。
走っている最中にふと刀がずしりと重くなり、俺はバランスを崩す。
いや、刀だけではない。俺の体が全て重くなっている。猪神まであと５メートルかといったところで、俺は刀を持ったままその場にうつ伏せに倒れこんだ。
近くを見るとすずさんも腕を地面について倒れこんでいる。これもまた、妖怪の妖術であるようだった。
伏せったすずさんが声を出す。
「ふふふ……近くにいる奴の体を重くする疲怠神の術みたいだね……」
すずさんが何とか体勢を立て直そうとするも、うまく立ち上がれないようだ。俺も立ち上がれない。体全体の重さが二倍から三倍になったような実感だ。
猪神が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。ゆっくり、ゆっくり。一歩一歩と猪神がこちらに近づくたびに、体全体に１０キログラム近くの重りを付けられたような感覚が襲う。どうやら、猪神に近づけば近づくほど重くなるらしい。
明々白々に、俺たちをゆっくり屠るつもりだ。
すずさんが叫ぶ。
「りょうぞう！ おあきに鉄砲に化けさせな！ それで撃つんだよ！」
俺は戸惑った。近づく者を重くする術なら、鉄砲の弾は途中で重くなって地面に落ちてしまうのではないかと考えた。
しかし、高校生になってから物理の授業で教えられたことを思い出し、もし質量自体が増えているのならばそうではないことに気付いた。
俺は手に刀を握ったまま、頭の中で銃を思い浮かべる。
海外のニュースでよく警官が使っている、ＶＥＲＥＴＴＡと呼ばれる拳銃をしっかりと思い出す。
次の瞬間にはもう、俺の右手には映画や海外ニュースでよく見るオートマチック拳銃が握られていた。うつ伏せに寝転ぶ俺は、重さで震える両手で照準を猪神に慎重に合わせ、引鉄に指をかける。
タタタン！
俺がトリガーを引き絞ると、ずしりとした反動の感触の連続と共にオート連射の小気味良い炸裂音が響く。
どす！ どす！
「ぎゃぁぶぅぅぅ！」
猪神には銃弾が鈍く大きな音を出して二発命中し、派手な叫び声を上げて後ろに吹っ飛び、お堂の床下に消えていった。
質量が変化したからといっても放物運動は変化しないのは物理学の基本だ。もの凄い勢いで後に吹っ飛んだのは、おそらく質量が増えたために運動量が増え、衝撃も増えてしまったからだろう。
猪神が傷を負って術が解けたのか体が軽くなる。すずさんは立ち上がりながら言葉を発する。
「ありゃ、ただの猪神じゃないね。疲怠神の術を使える。いうなれば、疲怠猪神ってとこかい？」
すずさんが立ち上がり、薙刀を立てる。俺も拳銃を持ったまま立ち上がる。
「すずさん。傷を負ったので、炎でやっつけられるんじゃないですか？」
俺の言葉に、すずさんが首を横に振る。
「今、あの猪神はお堂の下にいるよ。お堂を燃やしちまって、町に飛び火したら大事さ」
木造の住宅が密集した江戸の町は火災に弱く、もし意図的に放火などしようものなら、奉行所にて問答無用で火炙りの刑に処せられる。
深夜のお堂の床下はとても入れるようなものではない。暗がりに入って、あの牙で突かれたら瞬く間に絶命してしまうだろう。
すると、ばき！ ばき！ という木が折れる音と共にお堂の柱が崩れ始めた。疲怠猪神が何かをしたようだった。俺たちは本堂から少し離れる。
ふと、床下に鋭い目が四つ光った。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぶぅぅぅぅ！」
猪神は構わずに猪突猛進という言葉に相応しく、俺に向かって猛スピードで近づいてきた。
そして、俺の体がまたもやずしりと重くなった。隣にいるすずさんも同様なようだった。
俺は即座に自動拳銃の照準を向かってくる猪神に合わせ、トリガーを引く。
タタタン！
しかし、弾丸は全て外れてしまった。対象物がこちらに向かって突進しているので、俺から見ると被弾面積が最小になっている。本能的にこれをわかっていたのか、猪神は俺に向かって八本の牙を突きたてようと向かってくる。
――殺される！
俺が恐怖に足が竦み、鳥肌が立った瞬間だった。
「りょうぞう！」
すずさんが、俺に横から抱きかかえるように飛びつき、共に地面に転がりながら倒れこむ。猪神は俺達の脇を駆け抜け、すんでのところで衝突は免れた。
「馬鹿！ 何で避けないんだよ！」
情けない事に、俺はすずさんの小さな体に抱きかかえられながら地面に寝転んでいた。
すずさんは女性なのに、その気迫は屈強な偉丈夫の如しであった。
すずさんが立ち上がり、俺の手を引っ張る。俺も手を引っ張られて立ち上がり猪神が向かった先に目をやる。
どっかーん！ という派手な轟音が弾ける。
大きな音がしたと思ったら、土塀の一区画がトラックの追突を受けたかのように粉々になっていた。あれが俺の体に激突していたらと思うと恐ろしい。
以前におあきちゃんが教えてくれたように、悪い妖怪が出す瘴気には音を外に逃さない作用があるとのことなので、夜の町にて寝静まった市井の人らにはその轟音は聞こえないらしかった。
ふしゅぅ、ふしゅぅ、という獣の息づかいが聞こえる。
そして満月の光の中で傷ついた猪神は姿を見せ、再び突進を試みようとしている。
俺は、自動拳銃を落ち着いて構える。
右手でしっかりグリップを握りしめて拳銃を構え、照準器の手前にある照門と、向こう側にある照星との延長線上に、猪神の姿がくるようにする。
慌てず、焦らず、ゲームセンターで銃撃筐体のゲームをしている時のように落ち着いて構える。
俺が引鉄を絞ると再び弾丸が、タタタン！ という火薬の炸裂音と共に発射される。
しかし、全ての弾は猪神に当たらなかった。猪神の手前の地面にいくつもの弾痕が音と共に現れる。どうやら、全ての軌道が猪神の手前で下に折れ曲がっているようであった。
――質量を増やさずに、重量だけを増やしているんだ。
俺が直感的に理解したのは、あの疲怠猪神は弾丸の質量を増やさずに下に向かう力だけを大きくすることもできる、ということだった。
だが、さっき食らった二発の銃弾の傷は相当なダメージであるようで命の明滅が盛んに傷口から蒸発している。これを好機と見たすずさんが叫ぶ。
「りょうぞう！ 後はあたいにまかせな！」
すずさんの左手が火炎放射器になったかのように、赤い炎が勢いよく噴き出す。しかし、その炎は猪神に当たる前に上に逸れて消えてしまう。
「当たらないよ！ なんでだい！？」
すずさんが戸惑うが、俺は何故炎が直進しないのかを理解する。
「そうか！ 空気を重くしているんです！ 空気を重くしているから浮力が大きくなって炎が上に逸れてしまうんです！」
「ちぃっ！ 小賢しいねぇ！ ともかく、炎で斃そうとするのは見通しが立たないみたいだねぇ！」
すずさんの言下に、猪神は俺たちに向かって突進をする。
今度は躱せるかどうか判らない。俺たちは後ずさるも、後ろには寺の堂があり縁の下には闇が広がっている。
猪神は目を光らせながら、加速しつつ突っ込んでくる。
もし激突したら即死は間違いない。おそらくは横に避けても、猪神は向きを変えて突っ込むだけだろう。相手はランダムに進行方向を変える暴走トラックの類ではなく、俺たちを轢き殺すことを目的としていて向かっているのだから。
「りょうぞう！ こっちだよ！」
すずさんが俺の手を掴んだ刹那、俺達のいたところに弩級の衝撃が加わる。
バゴン！
大きな音を立てて、お堂の床柱が粉々になった。おそらく、あの猪神は己の質量をも増大させる事で衝撃を何倍にもしているのだろう。
すずさんに手を引っ張られてお堂の影の中に隠れた俺は、猪神がいる場所とお堂を挟んで反対側に体を出した。すずさんの、影の中に入り込む妖術を用いて避難したのであった。
すずさんが口を開く。
「さて、まいったねぇ。炎は効かない。近づいてもこちらの体を重くされたら刀を振れない。更には鉄砲も効かなくなっちまったよ」
「地面に油を撒いて、下から炙るというのはどうですか？」
俺は提案するも、すずさんに却下された。
「油なんか持ってきてないよ。菜種油にしろ、魚油にしろ、そこらへんにあるもんでもないしさ」
「平成の世だったら、そのへんの車のガソリンタンクから調達できるんでしょうけどね」
俺もすずさんも考える。すると、すずさんがぱちりと指を鳴らす。
「そうだよ！ 上から刃を突きたてりゃいいよ！」
すずさんの言葉に俺は反応する。
「でも、それなら妖怪の足を止めないと。それも、待ち構えている場所じゃなきゃ無意味です」
「ううん、そうだねぇ。何とか転ばせられないかねぇ」
すずさんがそんなことを言うので、俺はスポーツバッグの中に入ってあった荷物を思い出す。
「すずさん！ 俺の荷を影から出してください！」
「わかったよ！ でもどうするつもりだい！？」
すずさんの承諾と共に、月の光が浮かび上がらせる俺の影の中から、荷物がにゅるりと出てきたので俺は応える。
「俺が囮になります！」
俺は自分の考えた策をすずさんに伝え、あの猪神を倒す作戦を共有した。
俺は、猪神がうろつく場所に駆け込んだ。手には拳銃を持っている。
怖いけど――
――恐怖を克服しなきゃな。
俺がミスをしたら、俺だけじゃなくてすずさんやおあきちゃんの命まで危険に晒してしまうというシビアな事実が頭を冷ます。
拳銃の銃口を猪神に向け、引鉄を絞る。
タタタン！
小気味良い音が鳴るも銃弾は全て地面にぶつかり、妖怪には当たらない。判っていたことだった。これは威嚇でしかない。
猪神が、ふしゅぅ、ふしゅぅとくぐもった息をして、俺を四つの目で睨む。
「来い！」
俺は威嚇射撃を続けながら、猪神が土塀に空けた大穴に駆け出す。
猪神が俺に向きなおっている様子であった。
「ぐるぅぁぁぁぁぁ！」
猪神が突進してくるか否かという頃に、俺は土塀の穴を抜けた。
寺の外にも、多くの寺の影が反対側の土塀の向こう側に見える。この辺りは寺が多い町なのである。
俺は土塀から道に出るとダッシュした。目論見通りなら猪神は俺を追って土塀の穴を抜けるはずだ。それまでに、打ち合わせた場所まで行かないといけない。
忠弘ほどは速くはないが、走るのはそんなに苦手ではない。俺は江戸には似つかわしくないスニーカーを履いた足で懸命に走る。
土塀に沿って走っていると、俺の体が幽かにずしりと重くなった。何事もそうだが、謀なぞそうそう思い通りには行かない。そもそもからして俺は歴史小説に出てくる韓信や黒田官兵衛のような智将ではないのだ。
俺は、力を入れて走る速度を速めた。
忽ちに近くの土塀が、ばごん！ という音を出して粉々に砕け、先ほどまで俺のいた所を猪神が突き抜けた。
俺が加速しなければ間違いなく即死だったであろう。道を横切った猪神は、俺のいる方向に大きな弧を描きつつ旋回し、俺に突撃してくる。
ボガン！
次に猪神が衝突したのは、俺が廃寺の土塀に沿って曲がる前の直線状にあった向かい側の寺の土塀であった。道が曲がりくねっているのは好都合だった。
俺は激しく呼吸をして、猪神の追撃から逃げようと懸命に走る。
呼吸が荒くなり、筋肉が悲鳴を上げ、心臓が烈しく鼓動している。後からは俺を今にも殺戮しようとするどす黒い敵意の塊が向かってくる。しかも、その敵意の塊が俺に近づけば近づくほど、俺の体は重くなるのだ。悪夢であってもおかしくない状況だ。
「ぐぎゃぁぁあ！！」
猪神が叫びながら俺に追いつこうとする。
俺の体がずしりと重くなる。後ろからは狂暴な猪神が妖術の射程距離内まで迫っているということだ。
――追いつかれる。
そう思った俺は、スポーツバッグから持ち出していた荷物を袂から取り出す。
――重さのない飛び道具なら！
俺は後ろに迫る猪神の目にＬＥＤハンディライトの光を当てる。
「ぶぎゃぁぁぁ！」
猪神の足がやや緩やかになったが、子供だましであることは判っている。
廃寺の土塀に沿って走っている俺は、上のほうに秋の緑葉を飾った枝が月の光を隠すように突き出ているのを確認し、その下を走り抜ける。その木の根元は土塀の内側にある、常緑広葉を携えたあの高木だ。月の光でできた枝葉の影が道に映し出されていた。
しかし、追いかけっこはそこで終わりだった。何しろ道がもうないのだ。
袋小路に追い詰められた俺は後ろを見て、猪神の姿を確認する。
猪神も俺を追い詰めた事を判っているかのように、呼吸を嬉しそうに繰り返している。
「ぶしゅぅぅぅ、ぶふぅぅぅ」
顕然と、俺を袋小路の土塀に押し潰してカタをつけるつもりなのだろう。
「ぶぎゃぁぁぁぁぁ！！」
そして猪神が俺に向かって突進する。
俺は前方をＬＥＤライトで照らし、その光を猪神の目に当てる。しかし猪神はお構い無しに俺に向かって真っ直ぐに突進してくる。
猪神が枝葉の影に差し掛かろうとした直前に、俺は叫んだ。
「今です！ 袋を出して下さい！」
月の光が落とした枝葉の影からビニール袋が十組するりと現れる。十組二十枚あるビニール袋は、葉月のスポーツバッグの中に入ってあったビニール袋である。滑りやすいように二枚重ねて一組とし、間には液体のシャンプーを垂らして挟んでいる。
すずさんが木の影の中に入れたものを合図と共に出すという算段であった。
摩擦係数が殆どゼロのビニール袋に乗った猪神は、時を移さずに足を滑らせる。
ずるり、という派手な音を立てて猪神は重心バランスを崩し、俺の近くまで倒れこみながら滑り込む。
当然の事ながら、猪神に近づいた俺の体がずしりと重くなる。
そして土塀の上の屋根、空に仰ぐ月影が屋根に映す木の影の中から白衣に緋袴姿のすずさんが現れる。手には月の光を冷たく金属反射する短刀を持っている。
そしてそのまま土塀の屋根の上を走り、倒れこんでいる猪神に向かって、両手で握り締めた短刀の刃を下に向けて飛び降りる。
猪神に近づけば近づくほど落下加速度が増大するので、放り投げられた磁石のＳ極が地面に固定されているＮ極にくっつくかのように破壊的な加速度増加で猪神の体に激突する。
ざくり！！
刃は一目瞭然に、猪神の体に音を立てて突き立てられた。
すずさんが両手で握り締めた短刀の刃は、寝転んだ猪神の腹から反対側の腹にかけて完璧に貫かれていた。
「ぐぎゃぁぁぁぁぁ！」
猪神が叫ぶも、猪神に飛び乗ったすずさんは無慈悲に応える。
「燃えちまいな！」
すずさんが炎を出したのだろう、短刀による傷口から炎が溢れ出す。やがて、先ほど空いた二つの銃創や口、鼻の穴からも炎が漏れ出した。
「ぐ……ぐぎゅぅぅぅ……」
横に倒れた猪神が、弱々しい鳴き声を出してぐったりとなった。
命の動きが切れたらしく術も解け、俺の体が軽くなる。
すずさんが飄々とした態度で、口を開く。
「調伏終わり、だね」
猪神の骸からは、命の明滅が盛んに蒸発している。
すずさんは立ち上がり、いつものように指で何かを手繰る仕草をする。すると、亡骸から一際大きな光点が現れた。
そしてすずさんが、その御魂を懐から出した和紙で恭しく包む。
俺はすずさんに伝える。
「タイミングが合って良かったです」
「『たいみんぐ』？ ああ、間を合わせるってことかい？ そうだねぇ、りょうぞうも随分と頼もしくなったじゃないのさ。いっそのこと江戸に留まって、あたいらと一緒にずっと暮らさないかい？」
すずさんの冗談めいた口調に、俺は愛想笑いをしつつ冷静に返す。
「その提案には乗れません」
猪神の大きな亡骸は、いつの間にかその場から消えてしまっていた。
月明かりの下、どこからか鈴虫の声が鳴り響いていた。
