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リミット ②

 ――そして迎えた、クリスマスイブ当日。


 その日はたまたま日曜日だったため、僕は朝からソワソワとした気持ちで小川先輩と一緒に渋谷のデパートへ出かけた。

 デート、ではない。この日招待されていた篠沢家のクリスマスパーティーに着ていく服を、先輩に選んでもらうためだ。


『――先輩、俺、絢乃さんのお宅のクリスマスパーティーにどんな格好で行ったらいいか分かんないんで、選んでもらっていいっすか?』


 あの日、電話で先輩に頼んでみると、「あたしも忙しいから、土日なら一緒に選びに行ってあげられるけど。っていうか当日って日曜だよね」と言われ、当日になってやっとこういう状況になったというわけだ。


「っていうかさ、桐島くんの部屋にある服見せてもらったけど。ハッキリ言って地味だね。っていうかモノトーン好き?」


「……そんなにバッサリ斬り捨てなくても」


 僕は情け容赦のない先輩のコメントに呻きながら、紳士服売り場で手にしていた黒のニットを棚に戻した。


「あんまり色で冒険したくないんですよ。それで失敗したら大惨事でしょ。だから無難にモノトーンを選んじゃうんです」


「誰に対しての大惨事よ? ……でも、色はともかくセンスは悪くないと思うな。パーティーって言ってもホームパーティーなんだから、あんまり気張ってオシャレする必要もないし。あれくらいの感じで行けばいいんじゃないかな? まぁ、色はあたしがチョイスしてあげるとして」


「そうっすか。じゃあ色は先輩にお任せします」


 そう言って頭を下げると、彼女は張り切って僕のコーディネートを選んでくれた。

 アイテムこそ普段の僕が好んで着るようなものばかりだったが、さすがは女性というか、シャツの色なんかは僕が選ばなそうな明るい色をチョイスしてくれた。


「――先輩、今日は俺の頼みを聞いて下さってありがとうございました!」


「いやいや、いいよぉ。誰でもない可愛い後輩の頼みだからね。あたしも、桐島くんを着せ替え人形にできて楽しかったし。でも、このこと絢乃さんには言わないでね? 嫉妬されるのイヤだから」


 小川先輩は、何だかんだ言って学生時代からの後輩である僕に頼られたのが嬉しそうだった。が、頼むから僕で遊ぶのはやめてほしい。……頼んだ僕が言えた義理ではないかもしれないが。


「着せ替え人形……って。言いませんよ、俺だって」


 僕だって、絢乃さんにあらぬ誤解をされたくはなかったのだ。


「うん、そりゃよかった。――じゃあ、あたしはこれで。パーティー楽しんでおいで。あと、絢乃さんにちゃんと異動先のことも話しなよ? これが最後のチャンスかもしれないんだからね?」


「分かってますよ。――じゃあ、お疲れさまでした」 


 先輩にしつこいくらいに念を押され、僕は半ばウンザリしながら頷いた。とはいえ、これが最後の機会かも……と思っていたのは僕も同じだった。

 どうにか絢乃さんと二人きりになれるチャンスを作って、打ち明けなければ――。この際、彼女にどう思われるか、とか泣かせてしまったら、とか考えている場合ではなかった。



   * * * *



 そして、夕方――。僕は先輩にコーディネートしてもらった服に着替え、アパートの駐車場で新車のエンジンをかけた。



〈当日、パーティーが始まるのは夕方六時からだからね♪ 待ってます〉



 その数日前に絢乃さんからスマホに送られてきたメッセージを見返す(もちろん、車載ホルダーにセットして、である)。その一行に、僕にも参加してもらえるんだという彼女の喜びがダダ漏れだった。

 篠沢家の豪邸にお邪魔するのは緊張するし、会長のご存じないところで絢乃さんと親しくしているという後ろめたさから敷居が高いとも感じていた。といって、別に疚しいことをしていたわけでもないのだが。

 でも、そこで「行くのやーめた」ってなワケにもいかなかった。お義理で行くわけでもなかったが、絢乃さんをガッカリさせたくなかったし、僕には彼女に伝えておかなければならないことがあったのだ。


「――さて、絢乃さんはこの服を見てどう思われるかな……」


 思えば、彼女に僕の私服姿を披露するのはこの日が初めてだった。彼女にお会いする時はいつもスーツ姿だったからだ。初めてご覧になった語句の私服姿にどんな反応を示されるか、僕は不安と楽しみが半々だった。

 そういう僕も、彼女のドレス姿と制服姿は見ていたが、普段の姿は見たことがなかった。――果たして彼女の私服は一般的な女子高生と変わらないのか、それともいかにも「お嬢さまでござい」みたいな感じなのか?


「でも絢乃さん、『ブランドものは好きじゃない』って言ってたような……」


 ということは、私服もゴージャス系ではなく一般的な女子高生スタイルなのだろうか。どちらにしろ、恵まれたプロポーションをお持ちの絢乃さんは何を着ていてもお似合いだろう。


「……って、一体何の想像をしてるんだ、俺は」


 自分で自分にツッコミを入れつつ、僕は自由が丘へと真新しいセダンを走らせたのだった。



   * * * *



 ――夕方六時少し前。緊張に震える指で篠沢邸の門に取り付けられたドアチャイムを押すと、応答してくれたのはお手伝いさんなどではなく、なんと絢乃さん本人だった。


『――はい』


「あ、桐島です。今日はお世話になります。――クルマ、カーポートに勝手に停めさせて頂きましたけど」


 この家のカーポートはかなり広く、そこに停められていたのは黒塗りの高級セダンと小型車、そして僕にも見覚えのある紺色の〈L〉のセダン――これは源一会長の愛車だ――の三台だけだった。

 来客用かどうかも分からず、とりあえず空いているスペースにクルマを停めてしまったのだが、よかったのだろうか?


『いらっしゃい、桐島さん! 全然オッケー☆ 門のロック開いてるからどうぞ入って』


 ところが、そんな僕の心配はただの杞憂だったようで、絢乃さんはとびっきり元気な声で僕を歓迎して下さった。でも、その声からは彼女がかなりムリをして明るく振舞っていることも窺えた。


「――絢乃さん、今日はご招待、ありがとうございます。おジャマします」


「いらっしゃい! 来てくれてありがとう。どうぞ、これに履き替えて。会場はリビングダイニングなの」


 ニコニコしながら僕を出迎えて下さった絢乃さんは、タートルネックの赤いニットに深緑色のジャンパースカートという少しピッタリとした服装だった。それまで見てきた制服姿やドレス姿はわりとゆったりしていて体型がよく分からない感じだったので、彼女の恵まれたプロポーションが見た目にも分かる私服姿に僕は内心ドキッとした。この時ほど「自分は男なんだな」と意識したことはなかったかもしれない。


 玄関には僕が履いていった茶色のレザースニーカーの他に、女性ものと思われるカーキ色のウェスタンブーツが一足揃えて置いてあった。絢乃さんをはじめ、ご家族の靴はシューズクローゼットにしまわれていただろうから、このブーツは一体誰のものだろうと僕は首を傾げた。

 勧められた来客用のモコモコスリッパ(色はネイビーだった)に履き替え、リビングへ向かう廊下を進んでいる途中で絢乃さんにブーツの主について訊ねてみると、親友の中川なかがわ里歩りほさんという方のものだと教えて下さった。彼女は早くから篠沢家に来ていて、パーティーの準備を手伝って下さっていたのだと。


 絢乃さんからは柑橘系とは違う甘い匂いがしていて、思わず「何の匂いですか?」と訊ねてしまったが、この問いにも屈託なく「さっきまでケーキを作ってたから、多分その匂いだよ」と答えて下さった。

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