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リミット ①

「……で? どうだったのよ、昨日?」


 そうだった。僕と先輩はその話をしていたのだ。先輩が急に変なことを言い出したから話が脱線したのだった。


「昨日は世界一のタワーに行きました。そのあとクリスマスイブの話題になったんですけど」


「うんうん。それで?」


「昨夜、絢乃さんからお電話があって。『イブの夕方六時からウチでクリスマスパーティーをやるんだけど、あなたも来ない?』ってお誘いを受けました。……何でも、源一会長が俺も招待したいっておっしゃったそうで」


「…………へぇ。いいじゃん! で、あなたは当然参加するんでしょ?」


 僕の話を聞いて、先輩は大はしゃぎだった。が、最初の溜めは多分、自分にお誘いがかからなかったことを残念がっていたのだろう。


「ええ、最終的には。でも、最初は渋ってたんですよ。『俺が言ったら場違いなんじゃないか』って思って、お断りしようとしたんです。最初は会長からのご招待だとは知らなかったんで」


「えっ、そうなの? もったいない」


「なんか、絢乃さんと個人的に親しくさせて頂いてることを後ろめたいっていうか……。付き合っているかどうかは別としても、俺が彼女に好意を抱いてることは事実ですし。相手がまだ高校生だから、とか年の差とかやっぱり気にしちゃって。…………ただでさえ体調がすぐれない会長のご気分まで害してしまったら、とか思うと」


 一般的には、父親というものは自分の娘と親しくしている男の存在が気に入らないらしい。ウチの父親には二人の息子しかいないので何とも言えないが。


「桐島くんってばそんなこと気にしてるの? あたしが思うに、会長はあなたのこと気に入ってるはずよ? あたしの知ってる限りじゃ、あの人は世間一般の父親とは違うから。だからクリスマスにもあなたを招待したんじゃないかな」


「ああ……、そっか。そうですよね。気に入らない相手を招待なんかしませんよね」


「そうそう。まぁ、あなたに下心があることまでご存じかどうかは分かんないけどねー」


「したっ……!? だからそんなんじゃないって言ってるじゃないですか!」


 僕は顔を真っ赤にして猛抗議した。絢乃さんへの恋心は事実だし、それは百歩譲って認めるとしよう。だが。決して恋心=下心ではないのだ。別に僕は、絢乃さんをどうこうしようなんて思ったことはなかった。ただ僕が勝手に想う分にはいいじゃないか、と思っていただけで……。


「――そういえば会長、最近会社であまりお見かけしませんね」


 少し前まで、車いすになっても無理をおして出社されていたのだが。それもできないくらい弱られていたということだろう。


「うん……。あたし、奥さまから連絡頂いたんだけど、このごろは朝起きられないくらいつらそうなんだって。でも起きられないわけじゃないらしいの。お昼くらいに起きて、ご自宅の書斎でお仕事されてるらしいんだけど。自由ヶ丘から丸の内ここまでクルマを運転してくるのもつらいんじゃないかなぁ」


「もう……そんなにお悪いんですか。えっと、お仕事っていうのはこないだ先輩が話してくれたヤツですか? 絢乃さんのためにやっておきたいって、会長がおっしゃってたっていう」


 僕が先輩からその話を聞いたのは、それより一週間ほど前のことだった。


「ううん、そっちはもう終わられたみたい。会長がご自宅でなさってるのは通常業務の方。決裁とか色々ね」


「ああ、そっちですか」


 会長としても、とりあえず一つの大きな仕事を終えられたのだからひと安心、といったところだっただろう。


「……でもさ、桐島くん。そろそろリミットって考えた方がいいかもよ? あなたも覚悟決めないと」


「…………ですね」


 先輩の言わんとしていることが、僕にはハッキリと分かった。会長の命の期限リミットがもうすぐそこまで迫ってきている――つまり、絢乃さんが会長になられる日も近いということだ。


「ここだけの話だから、他の人にはまだ言わないでね? あたし、会長から直接伺ったんだけど、会長の中ではもう、絢乃さんを後継者に決めてらっしゃるみたい。遺言書も作られたって聞いたよ。正式なヤツ」


「そうなんですか? じゃあ……もう絢乃さんが次の会長ってことでほぼ決まりじゃないですか!」


 〝ほぼ〟と言ったのは、正式に就任が決まるまでには株主総会という関門があり、他の候補者がいなければ、という条件もプラスされるからである。


「そういうこと。だから、あたしは今、あなたにも会長秘書としての心構えを説こうとしてるの」


 ……そうか、もうそんなことになっていたのか。とすれば、僕もそろそろ移動先が秘書室だということを絢乃さんに打ち明けなければと思った。

 ちょうどもうじき新車も納車される頃だったし、クリスマスパーティーの日がちょうどいい機会だろう、と。……ただ、僕が源一会長の死期を待っていたかのように絢乃さんから誤解されたら……という心配はまだ残っていたが。

 この頃になってもまだ、絢乃さんのことを百パーセントは信用できていない自分がいた。


 僕は別に、「会長秘書をやりたい」と小川先輩や室長、先輩たちに公言していたわけではないのだが。自分の中では「絢乃さんに付く」=「会長秘書」という理屈ができあがっていた。だって、絢乃さんが会長以外のポストに就くことはあり得ないのだから。

 そして、彼女以外の人が会長に就任された場合、僕は会長秘書のポストを辞退するつもりでいた。僕は彼女の支えになりたくて秘書室に入ったのだ。彼女以外の人に付くなんて冗談じゃなかった。



   * * * *



 それから二週間ほどしたクリスマスイブ直前の土曜日、僕の新車が納車された。と同時にオンボロ車はお役御免となり、僕はピカピカの新しいセダンを運転してアパートに帰った。ちなみに、前のクルマとカラーリングを同じにしたのは、僕のクルマがシルバーだと絢乃さんに憶えて頂くためだった。


 セダンは父も乗っていたので運転させてもらったことがあったが、自分の愛車はまた愛着が違う。ハンドルが若干重く感じたのは、ローンの返済が重くのしかかっていたからだろうか。

 軽の時とは違い、助手席との間が少し広いので、絢乃さんを乗せるたびに感じるドキドキ感はほんの少し緩和されたと思う。


「絢乃さん、このクルマ見て何ておっしゃるかな……」


 購入の報告をした時、彼女は嬉しそうに「楽しみにしている」とおっしゃっていたので、喜んで下さるだろうとは容易に想像がついた。が、それと同時に僕は気を引き締めた。

 その時には、秘書室へ異動したことを彼女に話さなければならないのだ、と。


 彼女はきっと、あの三ヶ月間を有意義に過ごされ、もうある程度は覚悟ができていただろう。お父さまの死後、ご自身がどういう立場に置かれるのかを。元々芯の強い女性だったようだし。

 でも、きっとその裏で人知れず涙を隠してもいたと思う。その涙を、僕の前では隠さずにいてほしかった。彼女が涙を見せられる唯一の存在が僕であってほしいと願っていた。


「……っていうか、当日何着ていこう?」


 僕はそこで頭を抱えた。僕の私服は決してダサくはないと思うのだが、果たしてよそのお宅(ましてやあんな大豪邸だ)に着ていってもいいレベルのものかどうか……。

 こういう時、誰を頼るか? 兄にだけは相談したくない。ハッキリ言って、センスの〝セ〟の字もないから。


「……………………しょうがない、ここは小川先輩に相談するか」


 絢乃さんに嫉妬されるかもしれないと思いつつ、僕は先輩に電話したのだった。

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