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第5話 解答編その2

 僕は、奈々実が話した『魔法のスプーンの話』を、かいつまんで敷島さんに説明した。


「奈々実が、琴子さんから形見のブリタニア・スプーンを受け継いだ時、三つの疑問を持ったそうです」


 奈々実の疑問とは、


 どうしておばあちゃんは子供の私に、『スプーンおばさん』の話としてじゃなく、自分のお話として聞かせたのか?


 どうしておばあちゃんは子供の私に、それっぽいスプーンを持っていたのに、見せてくれなかったのか?


 どうしておばあちゃんは今になって、このスプーンを私に遺してくれたのか?


 の三点だ。


 そのまま敷島さんに伝えると、彼は腕組みをして呟いた。


「ふむ。今となってはそれは、誰にも分からない事じゃのう」


 僕は静かに首を横に振った。


「前夫が急死してもイギリスにいたかった琴子さんは、将校の邸宅で琴を爪弾くパーラー・メイドとして働いていた。しかし日英関係が悪化の一途を辿ると、日本人の琴子さんは周りからいい顔をされなくなり、帰国したいと考えるようになった。しかし琴子さんは、日本政府の要請を無視してイギリスに残った過去がある。今更帰国したいとは頼めない。そんな時、敷島さんと森口さんに出会い、もうすぐ帰国するという話を聞いて、自分も一緒に船に乗せてくれと頼んだ」


 敷島さんは低い声で笑った。


「儂らは政府の要請で渡英した、ただの学生だ。金もなければコネもない。それこそ魔法のスプーンでもなければ、政府が用意した船の中、四十日間も密航者を庇いきれるわけがない」


「でも現実に、琴子さんは日本に帰ってきている。奈々実の母の妙子さんも、琴子さん本人から『勝治さんと一緒に日本に帰国した』と聞いていた」


「それは、そのお母さんの勘違いじゃないのかい?」


「内田陽子さんは、琴子さんの前夫と同じように流行り病に罹って亡くなったか、その療養で帰国できなかった。そこに琴子さんが現れて、森口さんと敷島さんになんとか日本に帰国できないかと頼んだ。ちょうど一人分のチケットが余っていたあなた達は、琴子さんを内田陽子さんと偽って、帰国の船に乗せた」


「可能性に過ぎん。証拠はない」


「内田陽子さんは、勝治さんやあなたと同じく東京帝國大学――今の東大出身です。勝治さんや琴子さんの葬儀に参列された同級生の何名かを当たれば、内田陽子さんがこの時日本に帰ってきたかどうか、確認は取れると思います」


 敷島さんは、少し言葉を詰まらせる。


「そして、あなたが持っているオーダーメイドのブリタニア・スプーン。これが何よりの証拠だ。お金のない留学生が、当時の最高級カトラリーを自分で買えるはずがない。日本に帰国後、お金のために琴子さんがこの店に売りに来たとしても、一本だけ売るのは不自然だ。あなたがそのスプーンを受け取れるタイミングは、琴子さんがイギリスを発ち日本に帰国するまでの間……つまり、船に乗っている間だけ。帰国の手引きの礼として、琴子さんはあなたと森口さんにペアのブリタニア・スプーンを一本ずつ渡した。そして森口さんは、琴子さんと結婚した後、もらったスプーンを妻に返した」


「琴子さんや儂以外にも、同じブリタニア・スプーンを持っている人がいるかもしれんじゃろう。カトラリーのスプーンセットはペアが全てではない。例えば、将校は二十本のセットを持っていて、琴子さんは退職金代わりに一本盗み取って帰国した。残りの十九本が時代と共に世界を巡り、アンティークショップを営む儂の元に来たっておかしくはない」


「その可能性は絶対にないんです。なぜならあのブリタニア・スプーンは、日本に帰国する琴子さんのために、将校が発注したのですから」


「……」


 敷島さんは顔を上げ、驚愕の面持ちで僕を見る。

 あの日、奈々実の顔を見て固まったように。


「ブリタニア・スプーンを、ここに持ってきてもらえませんか?」


 老店主は立ち上がると、ショーケースからスプーンを持ってきてくれた。

 震える手で、テーブルの上に敷いたクロスの上に置く。


「敷島さん、あなたが教えてくれたんですよ。イギリスでは昔から、赤ちゃんが生まれた時に銀のスプーンを贈る習わしがある。琴子さんは帰国する際、すでにお腹の中に赤ちゃんがいた。琴子さんが、希少な銀含有率九五.八四パーセントのブリタニア・スプーンを持っていたのはおそらく、父親であるイギリスの将校から、贈られたからではないでしょうか」


「そんなバカな……きっと森口だ……彼らはロンドンで偶然すれ違って……」


「留学生だった森口さんに、オーダーメイドのブリタニア・スプーンを発注できるお金はありません。よく見てください、この見事な装飾を」


 敷島さんは、唇をわなわなと震わせながら、机の上のブリタニア・スプーンを見た。


 その装飾は、スプーンのつぼ部分から十三本の銀線が糸のようにまっすぐ持ち手に伸びて、柄尻には細い曲線の8の字が描かれている。

 とても一九四一年――琴子さんが日本に帰国した年に製造されたものとは思えない、繊細で和風なデザイン。


「見れば見るほど、琴子さんのイメージである『琴』をモチーフにしたデザインだと思いませんか」


 絶句する敷島さんは、しばらくスプーンを見つめた後、ふっと、どこか諦めたかのような視線を僕に向けてきた。



「驚いたよ。君がまるで、見てきたかのように言うもんだから」


 敷島さんは、ブリタニア・スプーンをクロス越しに持つと、その表面を優しく磨き始めた。

 彼が一拭きする度に、銀の琴はその輝きを増していく。


「君の言う通り、このブリタニア・スプーンは琴子さんから託されたものじゃ。何度か返そうとしたが、受け取ってはくれなかった。息子の出生の秘密を守ってもらう担保だからと、私が預かったまま疎遠になってしまった」


「そうでしたか……」


「内田陽子さんはイギリスで肺結核に罹り、長期療養施設サナトリウムに入っていた。とても一か月以上の船旅に耐えられる身体ではなかった。儂と森口は、招待された将校の家で初めて琴子さんに会った。儂らは二人とも、あっという間に琴子さんに一目惚れしてしまったよ。一緒に船に乗りこんだ後も、どちらが彼女のハートを射止めるか、競うように身重の彼女をサポートしていた。帰国後、すぐに森口は琴子さんにプロポーズした。儂は、お腹の中の子供が金髪だったらと思うと、すぐに行動には出られなかったんじゃ……」


 現代を生きる僕に、戦時中の日本で金髪の子を育てる苦労は想像もできない。

 それを乗り越えてでもプロポーズした森口さんと、受け入れた琴子さんに、敷島さんは諦めざるを得なかったのだろう。


「琴子さんは、生涯息子の克之さんに真相を隠し通しました。しかしその娘である奈々実には、あなたはクォーターだと伝えておきたかったのかもしれません。でも書き置きを遺してしまったら、克之さんの知るところとなってしまう。だから苦肉の策で、ブリタニア・スプーンだけを遺した」

「それは、どうじゃろう……琴子さんは優しい人であると同時に、自分で自分の道を切り拓く、自立心ある女性じゃった」


 敷島さんは、テーブルに置いたブリタニア・スプーンを裏返した。

 まるで、スプーンには聞かれたくないとでも、言わんばかりに。


「奈々実さんが抱いた三つの疑問……儂はなんとなく、琴子さんらしいなと、懐かしく思ってしまうんじゃ。君も、気づいておるんじゃろ? だから君は、この場に彼女を連れてこなかった」


「……これは僕の勝手な想像でしかないんですが。きっと琴子さんは、奈々実自身で道を切り拓き、ブリタニア・スプーンに隠された真実に辿り着いてほしかった。それは、自立心ある女性にしかできない事だから」


「……琴子さんは、ハイカラな女性じゃったしな……」


「そして敷島さんが、ブリタニア・スプーンをショーケースに飾っていた理由わけは……そんな琴子さんが、いつ店を訪れてもいいように」


「……」


「疎遠になってしまった琴子さんが、偶然近所のアンティークショップを訪れスプーンを見つけたら、敷島さんに気付いてもらえる……だからでしょうか?」


 答えの代わりに苦笑いを零すと、老店主は立ち上がり「もう一杯、飲んでいきなさい」と言い残し、奥へと下がっていった。


 テーブルの上には、裏向きに置かれたブリタニア・スプーン。


 英国をモチーフとした女神像――ホールマークのブリタニアが、唇に指を立て、僕に微笑みかけているように見えた。


* * *


「さぁ! ケーキ入刀の後はファーストバイトです! カメラをお持ちの方は引き続き、どうぞ前へ!」


 司会係の悪友が場を盛り上げると、カメラを持った友人達が僕らの前に陣取った。

 その中には、年季の入った古い一眼レフを構える敷島さんもいる。カメラまでアンティークなのか。

 バカでかいケーキの前には、ワイングラスに入った二本のブリタニア・スプーン。

 僕と彼女は一本ずつ手に取ると、ケーキを一口ずつ取った。


「ファーストバイトを同時にやりたかったから、スプーンが二本欲しかったの?」

「まさか~」


 奈々実は笑いながら否定すると、僕の肩に手を置いて、つま先立ちで耳打ちしてくる。


「もし私が目に見えないくらい小っちゃくなっちゃっても、あなたのスプーンで助けてくれると思ったから!」


 純白のウエディングドレスに身を包んだ奈々実は、はにかんだ笑顔でケーキを乗せたスプーンを差し出す。

 僕も同じように、スプーンを彼女の口元に差し向けると、僕達は同時にカプッと食べた。


 まばゆいフラッシュに包まれて、ケーキの美味しさに驚く奈々実は、茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた。


 いつの日か果たすべき役割を、あるべき場所で担う――魔法のブリタニア・スプーンを口に咥えて。



<了>

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