夢を見ていた。
炎の向こうにゆらゆらと揺らめいて、よく見えない、あいつの顔。
「ああ、いい顔をしているな、ウリエル」
どうして。
「そのまま俺を見続けていろ」
待て、行くな、やめろ——!!
「ルシフェル!!」
がば、と起き上がったウリエルは途端に脳天を叩かれる。思いの外クリーンヒットしたそれに蹲り、呻き声すらも出ない。
どうにか頭を上げて、叩いた人物を見る。そこには見下すようなラグエルの顔があった。呆れているようだ、色々と。
「はあはあ、夢にまで見るんですか、あの方を。あなたはもはや魔界に放り捨てた方が救われるのではないでしょうかねえ。呆れましたよ。
「っ……」
殺せない、と指摘されると何も言えない。その現場をラグエルに見られてしまっている。
「……ここは?」
「ユダの民の集落ですよ」
「ユダの民……ということは、まさか」
「……ええ」
ラグエルのげんなりとした顔の背後から、立ち耳の女の子が出てくる。目を覚ましているウリエルを見て、目を輝かせる。
「使徒さま、起きた!!」
女の子はラグエルをかわし、ウリエルに飛びつく。ウリエルの腹に女の子の頭突きが直撃。もしかしたら悪魔連中を相手取ったときより痛みを感じたかもしれない。
「こら、アン。ウリエル殿はまだ目が覚めたばかりですよ。痛がっているでしょう」
「だってだって! とっても綺麗なお姉さんなんだもの!」
ラグエルがアンと呼んだ少女の言葉にふっと笑ったのをウリエルは見逃さなかった。もちろん、微笑ましげな笑みではない。嘲笑である。
他の四大天使なら、不敬だ、とラグエルを責め立てる場面だろうが、ウリエルは責め立てるにはラグエルの態度に慣れきってしまっていた。
天使に改まって性別などないが、体のつくりが男女のどちらになっているかという違いはある。ちなみにウリエルは男である。
繰り返す。男である。
まあ髪を長く伸ばしているし、面差しも中性的で儚げだ。手足も触れれば折れそうなほど華奢に見える。肌もさらさらしており、男性か女性なら八割が女性と答えても仕方ない。
仕方ないが、面白いものは面白い、とラグエルはくつくつと笑う。ウリエルは責めはしなかったが、とりあえずなんだか不満であることを示すため、すんとした顔になった。
「綺麗なお姉さんに頭突きはないでしょう。アン、自己紹介を」
「はい、使徒さま。はじめまして。わたしはアンと言います。山で波が起きたの、使徒さまたちがやったんですか?」
「いや……」
なんと説明したらいいのか惑い、ウリエルはラグエルに視線を送る。ラグエルは肩を竦めた。
「いいえ、あれは悪魔の仕業ですよ。あの山に海を起こしたんです。塩害であの山はしばらく不毛となることでしょう」
「うみ……」
「海を見たことがありませんか? アン」
おずおずと頷くアンを見ながら、ラグエルは案外、子守りが上手いのかもしれない、と思った。コミュニケーションが上手いのだ。よく考えれば、常日頃より目上の天使をからかうために饒舌だ。会話を繋げるのが得意なのだろう。
「海の水は普通と違って、塩水なんですよ。ああ、近くの川は無事でしょうか」
「川、あるの、反対側」
「それなら生活水には困らずに済みそうですね。アンは村から出たことはないのですか?」
「わたしたちは使徒さまに見つけてもらうためにここにいるから」
アンの言葉に、ラグエルとウリエルは顔を見合わせる。見つけてもらうため、とはどういうことだろう。
ただ、ユダの民にあまり深入りはしたくなかった。自分たちが天使であるのなら、尚更。
ただ、この少女はウリエルたちを「使徒さま」と呼んでいる。ラグエルはどう説明したのだろう。
「あ! そうだ使徒さま、おなか空いてない? お母さんが使徒さまにスープを作ってるんだ!」
ウリエルはラグエルに目配せをする。ラグエルは軽く顎を引き、頷いた。
「ご厚意に甘えさせていただこう」
「やった! 村の人たちにも、使徒さまが目覚めたこと、伝えてきますね!」
すると、アンは黄色いワンピースのスカートを翻して、部屋を出ていった。足音が軽やかに遠ざかっていく。
ウリエルはラグエルの裾を引く。
「状況は?」
「海の悪魔レヴィアタンの加勢により、あなたは気を失い……まあ、アモンとルシファーも撤退したでしょう。なんであの堅物ババアがあいつらに手を貸したかは謎ですが。で、撤退後、レヴィアタンの能力の海が消失、そこでアンと出会い、私は非力ゆえ、あなた様を担げませんもので、ここの大人の力を借りた次第です」
「ユダの民たちには何と?」
「天使の名を冠する使徒と説明しました。理由があって、天使の名で呼び合っている本来なら名無しの民だと」
「……よく考えたな」
名無しの民。そんな嘘はおそらくラグエルでなければ吐けまい。天使にとって、名とは自分自身の象徴であり、神より授かった誉、誇りだ。その矜持を捨てるのは、そう易々とできることではない。
ラグエルにとっても、かつてはそうだった。けれど、堕天の烙印を押されてから変わり果ててしまった。矜持なんてそんな高尚なものを持ち合わせてはいけない、という考えに染まってしまった。
堕天の烙印。無実を証明したとはいえ、罪の証のように押された、まさしく烙印。そんなものを身に受けて、天使の誇りを謳うのはあまりにも滑稽だ。少なくともラグエルはそう思った。
「わかった。合わせる」
「合わせる必要はございません。いつも通りに振る舞ってくださいませ」
本当に有能だな、とウリエルはラグエルを見やり、アンを待った。