神器、神具と呼ばれる類のものを神から授かる天使は少ない。神の力が籠ったものはそれだけ希少であり、強いのだ。扱いを過てば、世界に終焉をもたらしかねない。
それを扱うことが許されているということは、神から別格の信頼を受けている天使であるという証だ。
審判の天使、ラグエルに与えられたのは、神の喇叭である。その音色が吹き渡るとき、審判は降され、神の名の下に罪人も咎人も等しく復活の時を迎える。
知らせは重要な役割であり、復活する際に与えられる福音である。その音色を死人たちに届けられなければ、審判の時の儀式は滞り、命の流転に大きな支障をもたらす。神の喇叭を持つことはまさに、世界を回す重大事であった。
堕天の烙印を押され、審判を行えなくなったラグエルが、それでも尚、神の喇叭を授けられたままでいるのは、彼以外、彼以上の相応しい使い手がいないからである。
一見、ウリエルの持つ神の炎や武器である槍と比べると、攻撃性のないものに見えるが。
ルシファーが動く。ウリエルに向かって突進、と思いきや、その眼前でひょい、と宙返り、背後を取る気だ。空中戦ならではの無軌道な戦い。けれどウリエルはそれを察知し、槍の穂先を斜め後方へ打ち出す。かん、とそれはルシファーの槍が受けた。
一瞬の硬直を見逃さずにアモンが飛び込んでくるが、そこでパーン、と喇叭の音が響く。アモンの動きも、ルシファーの動きも止まる。その間にウリエルは槍を一回転させ、ルシファーとアモン、両方の顔面に傷を与える。一撃、二撃、それは十字の傷を刻んだ。その切り傷から、めらあ、と炎が噴き出す。二人の頭は瞬く間に火だるまとなった。
ようやく動けるようになり、ルシファーは躊躇いなく、焼けた自分の顔の表皮を剥いだ。神の炎によってついた火傷は再生しないが、潤沢な魔力を持つルシファーであれば、表皮を剥いでしまえば元通りにするのは簡単だ。戻りかけの顔でにい、と口角を上げてみせる。
「やめてくださいよ、気色の悪い」
だが、その余裕の笑みのところに容赦なく踵を落とす天使がいた。ラグエルである。まだ皮膚が再生していないところに、素足が刺さり、ぐじゅり、と血管がいくつか弾け飛ぶ。こちらの方がだいぶ気色が悪いが、言わぬが花だろう。
アモンはウリエルに殴りかかってきていた。アモンは自身の炎の力でウリエルの神の炎の影響を軽減しているようで、炎の向こうから赤褐色の目が覗く。そこに宿る闘志はウリエルでなければ気圧されていただろう。顔面に炎が着きっぱなしなのも迫力に拍車をかけている。
だが、ウリエルも炎の使い手。炎に怯むことなく、アモンのこめかみ目掛けて回し蹴りを放つ。それはアモンの頑強な手によって止められたが、ウリエルはその手を踏み切りに横に距離を取る。代わりにこめかみに叩き込まれるのはウリエルの槍。アモンが軽く、やっば、と呟いて、穂先が刺さる寸前で受け止めた。掌を貫通しているが、どうにかこめかみに刺さるのは避けられたようだ。
タイミングからして、ウリエルが槍を手放さざるを得なかったことは伺える。アモンは掌に突き刺さったまま、槍をそのまま折る。槍を折った衝撃は掌から脳髄まで響くはずだが、アモンは目が獰猛になるだけで、なんでもないことのように、折った槍を両手で構える。ウリエルはす、と目を細めた。
ぶん、と頭を振ると、アモンの頭から炎が消える。十字傷がついたままの顔で、アモンは笑っていた。
「っくく、帝国の夢魔共ばかり相手にしていてなまっちょろかったんだ。いい戦いができそうだなあ!」
「アモン、そいつの相手は俺がする。お前はこっちを」
パーン!
「ち、厄介な」
再生した頭でアモンと連携しようとしたルシファーだが、喇叭の音が聞こえると、体が強張り、言うことを聞かなくなる。その間に、お望み通りとばかりにウリエルが接近し、ルシファーの喉に手刀を刺そうとしていた。
アモンも硬直から逃れられず、頸椎の辺りにラグエルから蹴りを食らう。
ラグエル、ひいては神の喇叭の能力は厄介だった。審判を告げる静謐のために、相手の動きを鳴らした長さと同じだけ止めることができるという能力。何かデメリットがあるのか、長くは吹かないが、一音分でも戦闘に長けた者になら充分すぎる隙だ。
しかも体が動くようになっても、後遺症のようなものが残り、震えが出たり、ゆっくりとしか動かせなかったりする。
音を聞くから体が動かせなくなるのではない。音が鳴るから体が動かせなくなる。対象は使用者のラグエルが選ぶものだと聞いたことがある。だからウリエルは除外され、影響を受けないのだろう。
が。
「将軍の右腕を舐めてもらっちゃあ、困るなァッ!」
「うぐ」
叩き込まれた蹴りを僅かにずらした場所で受け、アモンはラグエルの素足を捕らえる。元々細い足首は触れただけで折れそうなほど。それをアモンが屈強な手で掴んだのだ。骨が軋む音が聞こえないのがおかしいくらいの絵面である。
「はな、せ!」
「はは、可愛い蹴りだこと。それじゃあ赤ん坊でも死なねえよっと」
そのまま片足を両手で掴んで、ぶわんぶわんと振り回し始める。ラグエルは口を閉じ、息を止めた。咄嗟の判断だ。そのまま口を開けていたら、舌を噛んだかもしれない。
「ラグエル!」
「こっちを見ろ」
ウリエルのうなじに、冷たい刃が突きつけられる。ウリエルは振り向かない。
槍のない今、ウリエルの武器と言えるのはウリエル自身と神の炎のみだ。折られた槍は人界に捨てられた。
「ウリエル」
「……ルシフェル」
これを無視しても、ルシファーはウリエルを追いかけてくる。一対一の状況なら尚更。
だからウリエルは振り向いた。
「何が目的だ?」
「俺の目的がお前以外だったことがあったか?」
「戯れ言を」
ゆっくりと振り向いた、かと思えば、ルシファーの懐を掻い潜って、ルシファーがコートに隠していた武器をいくつか拝借する。うち一つはアモンの方に投擲され、ルシファーは仰け反り、ナイフの二閃をかわした。
「っぶねーな。おいルシファー、なんで毒つきのナイフなんか持ち歩いてんだよ。もうちょっと管理に気を配れよな」
「そうだな」
文句を垂れるアモンに答えたのはルシファーではなかった。
「こうして敵に悪用されたら敵わないですもんね?」
ラグエルが殺気の走る目で、ナイフをアモンの肩に突き刺していた。アモンが目を見開く。
振り回して平衡感覚その他諸々を滅茶苦茶にしたはずである。普通なら嘔吐していてもおかしくない。
「ぶん回されて気分が悪いですけどねっ……烙印の苦しみに比べたら、こんなの屁でもありませんよ!!」
深く息を吸ったラグエルが、喇叭に息を吹き込む。
パーーーーーーーーーーーーーーーーンッ
直後、雷鳴が轟いた。