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第15話 天敵

 ごおおおおお、と一面が燃えていた。

 ウリエルは唖然としてそれを見ていた。

 隻眼となったルシファーがそれを見て満足げに笑っていた。


 かつての天使の長にして、神に謀反をはたらいた堕天使。天魔戦争では決着をつけられなかった傲慢の大罪を司る悪魔。

 堕天使ルシファーは天空の中においても異彩のある存在感を放ち、ウリエルとミカエルの前に立ち塞がった。

 ミカエルが瓜二つの人物を睨み付ける。

「ルシファー、何しに来た?」

 その剣呑な声色を意にも介さず、おや、とルシファーは肩を竦めてみせた。

「シャムシェルから何も聞いていないのか? 脱獄された挙げ句、捕らえて尋問もできないとは、相変わらず無能だな、弟よ」

「俺を弟と呼ぶな!」

 ミカエルがルシファーに剣を叩きつける。が、手応えがない。

 そう気づいたときには、ミカエルの首筋には短刀が添えられていた。つう、と掠めた傷口から赤い血が零れていく。

「何年経っても弱いまんまだなぁ、ミカエルよ。何百年か会わないうちに少しは成長したかと期待したんだが」

 ミカエルがルシファーの言葉に舌打ちしようとしたところで、介入してきたものがあった。

 短刀にひたりと据えられた槍の穂先。ミカエルを抉ることのないよう、繊細に、正確に。

 ルシファーの口角がにやぁ、と吊り上がる。槍の先、その持ち主に青い左目が向けられた。

「ウリエル」

 呼ばれても、ウリエルは動かない。ルシファーはミカエルに興味をなくした様子で、短刀を仕舞い、槍の柄を辿って、黒髪の麗人に歩み寄る。ウリエルは微動だにしない。

「お前は相変わらず美しいな」

「……戯れ言を」

 ウリエルが温度を忘れたような声音でルシファーに返す。ルシファーは溜め息を吐いた。

「お前はもっと自分の力や功績を受け入れた方がいい。天魔戦争で俺を退けたのはミカエルではなくお前だ。ミカエルの持つ神の剣も、元々はお前のものだった。神の仇敵たる堕天使の魔の手から楽園を守り抜いた。真の英雄はお前さ。それを知っているから、シャムシェルもお前に押された堕天の烙印とかいう馬鹿げたものを消そうと奔走したんじゃないか」

 シャムシェルの名に、ウリエルがぴくりと反応する。

「ミカエル、アスタロトを連れて天界に戻れ。こいつは私が」

「アスタロトってこいつか?」

 ルシファーがひょい、と抱えて見せたのは下肢が蛇のようになった異形のもの。山羊角を持つそれは間違いなく、アスタロトだった。

 ルシファーは朗々と語る。

「悪いな。これも俺がシャムシェルから依頼を受けた案件だ。シャムシェルはいい仕事をしてくれたから、きちんと依頼は果たさないとな。譬、死んでいたとしても」

 ウリエルが初めて狼狽えた。槍を取り落としそうになるその様子を、ルシファーはくつくつと可笑しそうに眺める。

「やっぱり殺したのか。羨ましいな、シャムシェルの奴。あいつは俺のことを羨ましいだのと宣ったが、俺からすれば、あいつの方が羨ましいよ。だって、ちゃんと殺してもらえるんだもんな、お前に」

 はっはっはっはっはっと高らかにルシファーが笑う。狂気というより、ただ快活に感じる笑い声。天界の真下にいるとは思えないほど、ルシファーは不敵だった。

 ミカエルはウリエルの元に向かおうとした。だが、ぐにゃりと視界が歪む。平衡感覚が保てない。それでも、ウリエルに手を伸ばし、手を伸ばし……

 ぱしり、とその手は払われた。ミカエルと同じ相貌の堕天使に。ルシファーは嘲りの色を微塵も隠そうとせず、ミカエルに告げる。

「能無しの臆病者。貴様なぞ存在しなければよかったのだ、忌々しい。

 喜べ、さっきのナイフはお前用の特別性だ。掠めただけで血液に毒が入る。毒はじっくりとぐるぐる体内を巡ってお前の命を脅かしていく。命を脅かすといっても、吐血の症状が出る前に神の癒しを受ければ容易に治るがな。ほら、お前と仲がよかっただろう? 癒しの力を一手に引き受けた四大天使の——」

 ひゅ、と槍の突きがルシファーに穿たれた。ルシファーはそれを飛んでかわし、くるりと回って槍の上にと、と立ってみせた。

 槍はそのまま横に薙がれる。ルシファーは跳躍して避ける。ルシファーが避けた後を綺麗に炎が埋め尽くしていく。

 ルシファーは背後を取り、ウリエルのこめかみ目掛けて蹴りを飛ばす。ウリエルは屈んでそれを避け、体勢を崩したルシファーからアスタロトを奪っていく。アスタロトを奪ってから、ミカエルの元に寄るまでのウリエルは隙がなく、瞬き一つ分ほどの間もなかった。

 ウリエルの凄まじい体捌きを見て、ルシファーはひゅう、と剽軽に口笛を鳴らす。アスタロトを奪われたことをなんとも思っていないようだ。

「どうするつもりなんだ? 毒を食らったお荷物と文字通りのお荷物を抱えて、俺から逃げられるとでも?」

「逃げはしない。どうせこの体では簡単に天界には入れない」

「そうだったな。忌々しいよ。人間ごときが作ったっていう堕天の烙印なんかが」

 つかつかとルシファーはウリエルに歩み寄る。ウリエルはそれを真っ直ぐに見据えながら、少しだけ身を引いた。

「お前を苦しめ、痛めつけるなんて……」

 至近まで近づき、ルシファーは下がろうとするウリエルの顎を掴んだ。

「お前を傷つけ、苦しめていいのは、俺だけなのに」

 ウリエルの琥珀色が揺れる。

『あなたに苦痛を与えるのが、ボクだけであればいい』

 ……似たことを言う。

 歪んだ愛。独占欲。何と形容するのが正しいか、ウリエルにはわからない。シャムシェルはきっと、ルシファーに影響されたのだと思う。シャムシェルはルシファーに魔術を教わっていたらしいから。

 ルシファーとウリエルは仲がよかった。昔の話だけれど。

 いつからおかしくなったのだろう。

「……ルシフェル」

 もう呼んではいけないはずの名をウリエルは紡ぐ。青い目の麗人が続きを問うように目を細めた。

「終わりにしよう」

 つい、とルシファーの耳元に口を寄せ、ウリエルはルシファーごとその身を炎に包んだ。

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