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第13話 義の天使

 天界、第一天シャマインのすぐ外で、大天使ミカエルと下肢が蛇のようになった醜い異形の人物が対峙していた。

 蛇の下肢、鱗の這う体、吊目気味の赤い目額から生える山羊の角。口は耳まで裂け、ちろりと覗く舌も蛇のように細長く、先が割れていた。

 堕天使アスタロトである。

 ミカエルは内心で舌打ちをしていた。やっぱりこうなってしまったか、と。

 シャムシェルが出て来ない辺り、最悪の事態は避けられたようだが、想定できる最悪のケースから二番目に最悪なケースになったに過ぎない。堕天使が天界から脱走したという字面だけで最悪なのだ。

 ミカエルは剣を抜く。

「投降しろ、堕天使アスタロト」

「おれは堕天使ではない」

 ざらついた声。アスタロトはどこからどう見ても堕天使だ。何せ神罰を受けている。かつての彼は艶やかな茶髪に赤い目をした美丈夫だった。それが今はどうだろう。悪魔にすら引けを取らない醜い姿となっている。これが神罰というものだ。

 神罰を降されたからには言い逃れはできない。神は全てを知っている。それでも無罪、冤罪を主張するのがアスタロトだった。

 悪足掻きにしては主張が変わらないため、調査はしていたが、無実の証拠はどこにもない。

「堕天使じゃないと主張してもな。こっちだってお前の意見について調査しているのに、脱獄されたんじゃ敵わないよ。脱獄そのものが罪だ。しかもシャムシェルとの共謀。おかげで天界はてんてこ舞いだ。無罪を主張するのはいいが、それならそれで天界のルールを守った状態で主張してほしいものだ」

「聞かないくせに」

 そう言われてしまうとぐうの音も出ない。

 天使は神、ヤーウェの判断が正しいものであることを念頭に動く。ヤーウェが神罰まで降した相手の無罪を証明するなど、あってはならない。それではヤーウェが間違っていたことになる。そんなこと、あり得てはいけない。

 もし、仮にアスタロトが無実だったとして、それを証明してしまった者はどうなるだろうか。神を信じなかったとして神罰を受けるのではないか。そんな恐れから、天使たちはアスタロトの主張を聞き流していた。

「罪は罪だ。受け止めろ」

 ミカエルとしてはそう言うしかできない。ミカエルが剣を構え、前に出ると、アスタロトは三叉槍を構えた。

 武器は通常牢獄にいるものに与えられない。おそらく共謀したシャムシェルが魔術で取り返したのだろう。厄介な。

 きん、と剣と三叉槍の柄がぶつかる。アスタロトが槍を横薙ぎに振るい、ミカエルごと剣を弾き飛ばした。

「大天使ミカエルよ」

 アスタロトがその細長い瞳孔でミカエルが態勢を立て直すのを眺める。

「お前がその名とその身に誓い、真実をつまびらかにするというのならおれはもう一度あの牢獄に戻っても良いと考えている」

「脱獄したやつの言うことなど信じられるか」

「然り。だが、おれがつまびらかにしてほしいのはおれの無実だけではない。シャムシェルの罪についても、だ」

「……何?」

 眼光を鋭くするミカエルにアスタロトは三叉槍の先をちゃきりと向ける。

「おれはこのように神罰を受けてしまったが、シャムシェルは違う。ならば、おれの冤罪はともかく、シャムシェルの無実は証明しても神の気に障ることはないだろう。あいつの無実だけでもいい、ちゃんと調べてくれ。さすらばこの武器も降ろそう」

「……何を言っているんだ?」

 ミカエルは混乱した。アスタロトの主張は自分の無実を認めてもらう、冤罪を立証することのみだと認識していた。だが、何故ここでシャムシェルの名が出る? しかも、シャムシェルに肩入れするような言葉が何故出てくるのだ?

 状況が全く掴めない。アスタロトの眼光は鋭いままだ。

「何故、シャムシェルなんだ? 脱獄を共謀したとはいえ、それだけだろう、お前にとっては」

「義も知らぬのか、天使の頂点に立つ者が」

 堕天使になるような高慢な輩が仁義を重んじるというだけでもだいぶおかしな話だが、アスタロトの性格ならば、義憤に駆られるのはわかる。だが、ずっと主張してきた自分の無実より優先して他者の冤罪を晴らすというのはわからない。

 牢獄でシャムシェルとアスタロトに交流はなかったはずだ。確かに、近くの牢には入れられていたが、ただそれだけのはずである。

「義くらいわかる。だが、脱獄の手助けをされただけで、お前が優先順位をそこまで上げるわけがわからないと言っているんだ。それと引き換えにシャムシェルからの手助けを得たのか? それなら今回の脱獄はシャムシェルの非が多く、お前には情状酌量の余地が設けられ」

「違う!!」

 アスタロトが叫ぶ。空気が震え、近くにあった雲がいくらか散った。アスタロトは三叉槍を握る手を震わせていた。

「シャムシェルはそのような卑しい輩ではない。シャムシェルはおれを脱出させるため囮となり、自らの命を擲つつもりなのだ。そんなこと、あの心優しき者の最期でいいはずがない」

 ミカエルは顔をしかめつつ、剣を下ろした。

「シャムシェルの方にはウリエルが行った。後悔するには遅い」

 ウリエルは厳格な断罪者だ。シャムシェルの罪を明らかにし、適切な処分を降すだろう。ウリエルから逃げられるはずがないのだから。

「お前もシャムシェルも逃がさない。それが俺たちの使命だ。だが、お前がシャムシェルに唆されただけと主張するのなら、その場合の事実確認、情状酌量を得られる可能性があるとだけ言っておこう」

「貴様」

 アスタロトが怒りの形相で三叉槍を切り上げる。ミカエルは身を仰け反らせて避けた。続けざまにアスタロトが切り下ろす。ミカエルはそれを剣で受け、振り払った。

 驚くべきことに、アスタロトは三叉槍を勢いのまま手放す。ミカエルはその好機を逃すまいと接近し、剣を振り上げ……そこでざしゅ、と貫かれた。

 アスタロトが投げ捨てたと思った三叉槍は蛇の下肢、長く伸びた尾によって拾われており、その尾を回転させることで、ミカエルに三叉槍を刺したのだ。

「己の釈明のためだけに友を貶めるような嗜虐の輩だとおれを蔑むつもりか?」

 槍が抜かれる。三叉の槍であるため、ミカエルの体には三つ穴が開いた。どくどくと血が溢れる。

 ミカエルは剣を構え直すが、三叉槍と剣ではリーチの差がありすぎる。更にはアスタロトには二本の腕の他に変幻自在に動く蛇の尾がある。その軌道の読めない動きと伸縮にはよほど集中していないと追いつけないだろう。

 だが、ここでアスタロトを逃がすわけにはいかなかった。傷も負わされたことで、アスタロトを罰するのを躊躇う必要がなくなる。

「もういい。話は捕縛してからにしよう。シャムシェルもウリエルが蹴りをつけるだろうし」

「やはり手こずっていたか」

 ミカエルがアスタロトに投げかける言葉を遮るように、一人の天使が舞い降りる。

 黒い長髪を一括りにして靡かせる。槍を持ち、炎を纏う煉獄の番人。彼は血塗れなのを隠すこともなく、その場に加勢する。

 その姿に誰よりも愕然としていたのは、アスタロトであった。長髪の天使、ウリエルの衣服を赤に染め上げているその血は真新しい。

「その血は、まさか」

「左様。堕天使シャムシェルは神涜罪により、煉獄の番人の名の下に第一極刑に処した」

 淡々と告げたウリエルが、赤く滾る目をアスタロトに向ける。

「次はお前だ。堕天使アスタロト」

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